シィのお使い 「無口な妖精と森狩人」 晩編
火を扱わない妖精は、夜でも周囲に満ちるマナを知覚して視ることができる。
だからといって日が落ちてまで騒ぎ立てる習性は持たなかったが、その日は来客が二組もやってきたということで、暗くなってからも誰も樹の中のねぐらに引っ込もうとしなかった。
泉の水辺に全員が集まり、ホタル花の柔らかい灯りを何本も用意して、とっておきの蜜を持ち出す。
木の実を山のように盛り、全員で肩を組んで輪を作って歌を唄う宴が始まった。
幻覚に護られた彼らの巣に踏み込んでくる森の外敵はいなかったから、妖精達はのんきに宴を楽しんでいた。
シィの仲間もそれぞれ歓待を受け、その輪の中に入っている。
ドラ子は樹液の溢れた木の実に湯船のように浸かり、リーザは初めて食べ飲みするものに目を瞬かせていた。
似たような宴会が、少し前にシィの住む洞窟でも開かれた。
妖精や蜥蜴人、魚人族までいりまじったその時に彼らはすでに顔見知りだったが、そうでなかったとしてもなんら問題はなかった。
まったく人見知りのしない性格こそが妖精の天分だった。
淡く滲んだ灯りのもと、昼間と変わらない陽気さで騒ぐ妖精達とそこを訪れた来客達の中で、シィはふと騒ぎから離れた場所で一人、腰を降ろしているエルフの存在に気づいた。
集団に背を向けている銀髪のエルフ。
その近くに精霊の姿はない。風精霊シルフィリアは妖精達と一緒になって、彼らの披露する芸を見てけたけたと笑っていた。
シィが木の実と蜜水を持って一人きりのエルフに近づくと、そちらを振り向かずに舌打ちが響いた。
びくりとしてから、シィは声をかける。
「……飲み物、と。食べ物を、」
「いらねぇよ」
にべもない台詞が返った。
シィは黙ってエルフの近くにお盆を置いた。そっと相手の方に押し出す。
そのままじっと動かずにいると、苛々と膝を叩いたエルフがシィを振り向いた。
「んだよ。なんか用か、あァ?」
睨みつけられたシィが目線を落とした。
「お口にあわなかったら。違うの、持ってきますから……」
相手を見ないようにして言うと、ち、と再び舌打ち。
エルフの手が伸びて、乱暴に碗をひっつかむと、中身を一気に煽って空にする。続いて皿に盛られた木の身を手づかみにして頬張った。
「……これで満足かよ」
ばりぼりと口の中で噛み砕きながら言う相手に、シィはこっくりと頷いて、
「おかわり、持ってきます――」
「ああ、もういい。わかった。座ってろ。動くな」
立ち上がりかけたところをうんざりとした表情のエルフに止められた。
シィは言われたとおりに腰を下ろした。
静かな瞳で、じっと目の前の相手の顔を見つめる。
樹齢の長い樹を背もたれにして、目を閉じていたエルフはシィの存在を無視することにしたらしかったが、すぐにその眉間に皺が寄った。
目つきの悪い眼差しが、うっすらと開いてシィを見る。
「……おい、なんなんだ。オレになんか用かよ」
「お礼、を」
エルフはふんと鼻を鳴らした。
「昼間に言っただろうが。手前らを助けようとしたわけじゃねーよ」
「そうじゃ、なくて……」
シィが首を振った。
「――ドラ子を、殺さないでくれて。ありがとう」
エルフが顔をしかめる。鼻の頭に皺を集めて嫌そうに、
「アホか。それこそ感謝されるようなことじゃねえ」
「でも、」
「うぜえ。……だいたい、殺さないなんて誰が言ったよ?」
エルフの口がにぃっと意地悪く歪んだ。
「あのチビを今さら殺す理由はねえが、殺さねえ理由だってねえ。それに、手前らはあいつの身内だろうが。オレがお前らを殺すのなんざそれだけで十分だ。そうだろ?」
悪意に満ちた口調。
けれど、シィはまったく表情を変えなかった。
「んだよ。つまんねえ。ああ。妖精ってのは、死んでも蘇りやがるからか」
「……私は、」
言いかけて、シィはそこで言葉を飲み込んだ。
「なんだよ」
「いいえ……」
奇妙なものを見たようにエルフが眉をしかめる。
「根暗の妖精なんざ初めて見たぜ。よく仲間はずれにされなかったもんだ」
「……私、一人でした」
「あァ?」
「一人、でした。みんなと一緒にいるの――怖くて」
消え入りそうな声でシィが言う。
エルフは渋面になった。
「あっそ」
「でも。……今は、女王様とか、みんなとか。話せて」
「はあ」
「――大切な人、できて。あの人達のおかげで、変われて。変わった人達だけど、いい人で。……だから」
「だから?」
ぽつぽつとしたシィの台詞を聞いた銀髪のエルフが目を細める。
「オレに、あいつらを殺すのを止めろとでも言うつもりかよ? あの精霊喰いと、それを作った人間野郎を?」
ぎしりと空間が軋んだような音が漏れる。
殺意のこもった眼差しのエルフが、それほど強く歯を噛み鳴らしていた。
シィはなにかを言おうと口を開きかける。
その細い喉首を掴んだエルフが、強引にシィの身体を引き寄せた。
間近に睨みつけて、
「――ふざけんな。それ以上なんか言ったらヘシ折るぞ、てめェ」
「私、」
気道を押されて呼吸に喘ぎながら、シィは続けた。
「――私も、です」
「なにがだよ」
「あの人の身体の中、には。私の羽が……あります。今のあの人をつくったのなら。私も、そうです」
「……なるほどな」
小さく目を見張ったエルフが乾いた笑みを漏らす。
「精霊を食っといて、とりあえずでも安定してるのはそういうワケか。手前の仕業だったわけだ。なら――それこそ、手前を殺すのにためらいなんざなくなるな」
エルフの右腕に力がこもりかけて、
「――やってみろ。その前にお前の首を捻じり切ってやる」
いつの間にかエルフの首に太い蔦が這っていた。
二人の側にやってきた妖精の女王は、不機嫌そうな表情を隠そうともせず、
「我々の住処で勝手をするなと、精霊から聞いてないのか?」
「知るかよ。シルが勝手に決めたことだ。オレは手前らなんかの世話になるつもりはねえ」
「だったら好きにしろ。それとは別に、シィを離せ。それ以上なにかしたら殺す」
「……ふん」
女王の言葉に含まれた本気を感じ取ったのか、エルフは言われたとおりにシィを解放した。
けほけほと咳き込むシィを冷ややかに見おろして、
「妖精まであれに関わってるたぁな。まるで理解できねえ。そんなに世界を滅ぼしたいのかよ」
「――そんなこと、」
涙目になりながら、シィがエルフを睨みつけた。
「そんなこと、させません。あの人が、私が……」
させません。
はっきりと言いきった妖精をまじまじと見てから、エルフが口を歪ませる。
「馬鹿か? てめえに何が出来る。てめえに何がわかる。死ぬこともないような、所詮はお気楽な妖精なんぞが――」
「お前にこそ、なにがわかるっ」
女王が怒声をあげた。
「妖精が泉で生まれ変われるのは、幼体の羽と成体の羽、二枚二組のどちらも泉に還すからだ。幼体の羽を泉以外に捧げたシィは、生まれ変わることなんてない。シィは、死ぬんだ!」
女王は、まるで目の前にシィをそうした状態に陥れた何者かがいるような剣幕だった。
「……だったら、なおさらだろうが」
顔をしかめたエルフが言う。
「てめえなんぞに、何が出来る。非力な妖精があの化け物をどうにかするってのか?」
「――あの人は、とても幼い。です」
打ち解けられなかった仲間の元から逃げ出し、森を彷徨っていた自分を捕らえた不定形の相手の名前を出さず、シィは言った。
「無邪気で。酷くて、怖くて。……でも、優しくて。……一途で。とっても、不安定で」
「だから。危険なんだろうが」
シィは首を振った。
「だから。必要なんです。マスターや。――私がいる意味も、あります」
静かな眼差しに決意を込めて、言いきった。
エルフがきつく睨んでもシィは目線をそらさない。
大きく舌打ちしたエルフが肩をすくめた。頭をかいて、ごろりと横になる。
「……馬鹿らし。意味わかんねーよ」
そのまま会話を放棄して寝入ろうとするエルフに、シィはさらに何かを言いかけて、止めた。
ぺこりと頭をさげ、女王と共にエルフの側を離れる。
途中でシィは立ち止まり、もう一度だけ振り返ったけれど、かける言葉はやはり見つからなかった。
翌日、朝方のうちにシィ達は泉を出た。
妖精族の仲間達はもう少しゆっくりしていけばいいと引き留めたが、使いを頼まれて来たのだから、のんびりしているわけにはいかなかった。
「また、来ますから……」
大勢の仲間達にシィはそう約束して、ようやく納得してもらえた。
「本当だぞ。本当だからなっ」
一番強くシィを引きとめた女王は、目に涙まで貯めていた。
「はい。ドラ子も、連れて」
「絶対にだぞ。約束だからな」
何度も確認しながら、連れ立って泉の出口まで見送りに出た女王に頷いてから、シィはエルフのことについて訊ねた。
「女王様。あのエルフの人は、」
「わかってる。……まあ、森で好き勝手されるよりはマシだ。こっちで寝床を用意してやろうと思う。なんでこんなところをうろついてるかも、そのうちわかるかもしれないしな」
「はい……」
銀髪のエルフはもちろんシィの見送りには来ていない。
もう少し語りたいことがあった。
その為にもまたここに来ようとシィは思い、そういう風に思えることに改めて感謝して、目の前の長髪の妖精を見た。
「女王様。ありがとう、ございます」
女王が顔をくしゃくしゃになるのを我慢するような表情になる。
「……ほんとはな。シィ、私だってあのエルフと一緒だ」
辛そうに女王は言った。
「あの人間と、変なヤツは、お前にすごく酷いことをしたんだろう。今、お前はあいつらを許して。感謝だってしてるけれど。でも、あいつらのせいでお前の羽が無くなったのも確かだから。やっぱり、私はあいつらを許せない」
「女王様、」
シィが応えようとするのを大きく頭を振って遮って、
「私は人間が嫌いだ。あいつらも嫌いだ。シィ、私があいつらに協力するのは、お前がいるからだ」
だから、と続けた。
「だから。シィ、死ぬな。死んじゃ駄目だ。お前があいつらと私達がケンカしたりしないようにって思うんなら――お前は死んだら、駄目なんだからな」
途中から涙声になっていた。
シィは言葉につまり、たいした言葉も思いつかなかったから、心からの感謝を込めて、おずおずと、目の前の相手を抱きしめた。
「ありがとうございます……」
「羽を失くしたヤツは、いっつもすぐに死んでいくんだ。そんなのは、嫌だからな」
「はい。女王様」
すすり泣く女王の背中にしばらく腕をまわして、相手が嗚咽を我慢できるようになるのを待ってから、シィはゆっくりと身体を離した。
「また、遊びに来ます。……来て、いいですか?」
鼻をすすった女王が、赤くなった目で言った。
「当たり前だ。友達だからな」
「……はい」
シィはにっこりと笑って、後ずさった。
背中を向けてしまうのが寂しくてそのまま後ろ向きに歩いて、何かにつまづいて転びかけたところをリーザに支えられる。
リーザの肩に乗っていたドラ子が、滑るようにシィの身体に乗り移った。
一目散に頭の上を目指す小さな駄々っ子の動きに身体を揺らしながら、シィは妖精族の女王にもう一度頭を下げて。
自分の生まれた泉に背を向けて、シィは歩き出した。
隣を歩く蜥蜴人族に告げる。
「……帰りましょう」
「じゅ。……らじゅやら、しゅらは」
リーザの言葉を理解することはシィには出来ない。
けれど、きっとこうなのではないかと自然に思えたから、シィも微笑んで言った。
「私こそ。……リーザさんのおかげで、楽しかったです」
そうしてシィのお使いは終了し、三人は湿った洞窟への岐路へと足を向けた。
洞窟では、帰りの遅いシィ達を心配して、冴えない魔法使いが怪我をおして入り口に立って彼女の帰りを待っていた。
その隣には水の精霊の姿に似た、不定形の生き物が寄り添っている。
それがシィの家族であり、帰るべき場所だった。
無口な妖精と森狩人 おわり




