VS アース・ドール
ナタリーは驚きを隠せなかった。
カリンがなぜか彼女を闘わせることになったからだ。
「僕が、あの泥人形と……?」
「それ以外になにがあるんだい?」
「えっ」
彼女が驚くのも無理もない。
常識的に考えると、魔法が使えない少女、どうやって戦うと言うのだ。
彼女の疑惑を察したのか、横の岩に腰を掛けたカリンは言葉を訂正した。
「言い方が悪かった。闘うんじゃない、喧嘩だ、拳で。このアース・ドールとね」
「なにっ」
「魔法なしのはもちろん、この子の身体能力もナタリーちゃんと同じくらいに調整したのさ。勝てないことはない」
三つの考えがナタリーの頭の中を巡る。
この賢者さまはなんで魔法なしの喧嘩を?
拳って、格闘技エアプの少女になにができる?
相手は賢者が作った泥人形。いくら手抜きしたとは言え、自分に勝ち目があるのか?
彼女は、混乱の極みに達していた。
だけどさっきと同じく、カリンは考える余裕なんて与えてあげなかった。
「スタート」
「……!」
泥人形がナタリーへ向かって突進する。
「ちょっ⁉︎」
ナタリーは戸惑うすらできなく、泥人形は彼女の顔面を向かった大振りする。
彼女は後ろへバックステップ。幸い相手の拳はいわゆるテレフォン・パンチ(大振りすぎて隙だらけのパンチ)で、ギリギリ躱すことができた。
だが泥人形は体力だけはありふれていて、すごさま次のパンチを繰り出した。
ナタリーにできるのはただただ左右へ逃げ回ることだけ。
「あっぶれっ⁉︎」
「躱すだけじゃ勝てないぞ」
ナタリーはうるせえと叫びたいが、泥人形のパンチを躱すだけで精一杯だ。
彼女にとって、殴り返すという発想は最初からなかった。
これは少女の初めての喧嘩だ。反撃より、拳に当てられることへの恐怖が勝るのは至極当然。
とは言え、泥人形のパンチは中々彼女に当たらない。
パンチから逃げるために、彼女は激しく動く。
バックステップ、後ろへ走る、泥人形のパンチをギリギリに躱していった。
勝手に鍛え上げたタフネスだけが、今の彼女を敗北からギリギリ守っている。
だが、それにも限界がある。
「……」
泥人形はパンチを止め、攻撃手段をタックルへ移行。
「はうっ‼︎」
体力の消耗、そして突然変わった泥人形の動き。二つが合わさって、ナタリーは下半身を攻める泥人形に両足を捕まれ、呆気なくテイク・ダウン(体勢を崩させ相手をグラウンドへ持ち込む)された。
泥人形は倒れたナタリーの股間へ入り込み、マウント・ポジションを取る。
このフル・ガード・ポジション、もしナタリーは柔術経験者ならなんなかのカウンターができるが。生憎彼女は素人、今や泥人形に押されている。
それを見て、カリンは難色を示した。
「あっちゃー、これは不味いな」
そこからナタリーに見舞うのは、パンチの嵐だ。
胸、腹、そして顔。
「はぐっ⁉︎ あうっ⁉︎ うがっ⁉︎」
まさに滅多打ち。
調整された泥人形にパワーがないので致命傷になることはないが、その代わりにナタリーは失神することなくただただ痛みを感じさせられる。
涙を流し、両手で顔を庇うことしかできなく、絶体絶命。
そんな彼女に対し、カリンはなにもしなかった。
喧嘩を止めるどころか、言葉を発することすらない。目の前の一方的な痛みつけを眺めるだけ。
殴られるナタリーの脳内は、
『痛い』『こわい』『助けて』
恐怖一色に染まっていた。
泣き叫ぶ隙がない、失神すら許されないこの地獄に、彼女はなにもできない。
口の中には血と泥の味が混ざっていて、耳鳴りが肉撃の音をかき消し、目は本能で無理矢理閉じられている。
そこからは泥人形によるさらなる追い打ち。混乱のせいで顔をガードするナタリーの腕が緩み、その隙間を通して右拳は一気に顔に入った。
その拳に全体重が乗せられている、喰らったナタリーは下手すると顔面陥没。
彼女の両足が硬直し、空中へ伸びる。
終わりだと言わんばかりに、カリンは立ち上がった。
ここまでされたら、もう逆転する可能性がない。
だが。
「しゃあっ‼︎」
ナタリーは急に動き出した。
手で泥人形の腕を掴む。
背筋を伸ばして、左足が泥人形の頭上を横切って首に絡める。
右足を伸ばし、両足で泥人形の右手を挟まるという形となり、全身の力で泥人形の背中を地面に叩きつける。
そして彼女の股間は支点となり、掴んだその右手をてこの原理で思いっきり捻る。
カリンは両目を見開き、驚きを隠せなかった。
「なにっ⁉︎ アーム・バー⁉︎」
ナタリーが繰り出したのは、元の世界の武術家なら誰もが知る逆技、腕ひしき十字固め、別名アーム・バー。
顔を殴られたナタリーは、失神しなかった。
しかもさっきまでの痛みと恐怖が一気に消え、頭が冷静になった。
彼女自身すら知らないが、痛みを超えた痛みによって、彼女の脳は一瞬で大量の脳内麻薬を分泌し脳を麻痺させた。
彼女の世界はスノーモーションになり、思考の大車輪が巡る。
『股間に挟まれている』
『不完全なマウント・ポジション』
『足で絡める』
『昔見た格闘マンガ』
『腕ひしぎ十字固め』
彼女は本能で十字固めという答えを導き出したのだっ。
「極めろよおおおおおおおお‼︎」
さっきまで虫の息だったナタリーは叫ぶ。
彼女の顔には恐怖がない。むしろ人を恐怖させるほどの鬼の様相。
泥人形を殺しにかかる、小さな鬼。
彼女は見て、カリンは満面の笑顔になり、
「覚醒したッッッ‼︎」
今までにないほど興奮している。
「はあああああ……あれっ?」
力を絞って、泥人形の腕があり得ない方向へ曲がると、泥人形が一気で普通の泥に崩れ落ちた。
解放されたナタリーの力は呆気なく緩め、糸が切れた操り人形のように寝転がる。
「はぁはぁ……僕は……一体……?」
彼女自身でさえ、さっきまでの自分がなにをしていたのかを理解できなかった。
これで今日三度目のダウン。夕焼けは血のように赤い。
だけど、今回は少し違った。
「ナタリーちゃん、今の気持ちはどうだい?」
カリンは楽しそうにナタリーの顔を覗く。
「最高に、気持ちがいいっす」




