Act.9-461 大商会時代の前日譚〜シリェーニによる新商会設立〜 scene.1
<一人称視点・カエルラ=犬弓=コバルティー=カニス>
シリェーニ殿がビオラ商会合同会社を辞めたのは、それから僅か二日後のことだった。
「アネモネ会長に恩を返したい」、そう語っていた言葉は嘘だったのだろうか?
ビオラ商会合同会社の社内でもシリェーニ殿への誹謗中傷の陰口が聞こえてくる。
ビオラ商会合同会社は福利厚生が世界一充実していると言っても過言ではない優良物件だ。どんな職場でも大なり小なり離職者は生まれるのだが、ビオラ商会合同会社にとってはこれが初めて経験する社員の辞職だった。それだけでも前代未聞だが、彼女が辞職後すぐに一つの会社を設立してしまったということも、彼女が叩かれる要因となってしまっているのだろう。
シリェーニ殿の辞職後、後を追うように複数の社員がビオラを離れた。異なる部署に所属していた複数の社員を繋ぐ唯一の要素は特殊合金研究部門に以前所属していたことのみ。
このことからも、やはりシリェーニ殿がビオラ商会合同会社の社員を引き抜いて新たな会社を設立したという疑惑を否定することはできない。
あまりにもトントン拍子に進んだ会社設立。以前から虎視眈々と機会を狙って準備を進めてきたのは間違いないのだろう。
だが、私にはどうしてもシリェーニ殿がアネモネ会長への恩を仇で返したとは思えなかった。……いや、私はただあの日の言葉を信じたかっただけなのかもしれない。
「……シリェーニ殿」
そんな私は融資の仕事を終えてビオラに戻る途中でシリェーニ殿と偶然再会した。
予定よりも早く仕事が終わったので十分時間はあった。私がシリェーニ殿を喫茶店に誘うと、少し驚きながらも誘いを受けてくれた。
「何故、貴女はビオラ商会合同会社をお辞めに」
「……社内ではアネモネ会長に恩を仇で返した厚顔無恥な女などと罵られていることでしょうね」
「……そんなことは」
「いいえ、否定する必要はありません。私は誹謗も何もかも受け入れる覚悟をしてビオラを退社しましたから」
「……何故ですか。貴女はアネモネ会長に恩義を感じていたんじゃ」
「私は圓様に感謝をしています。その恩に報いたい、その気持ちは変わりません。……私は圓様に恩を返したいと思って秘書課を希望しました。ですが、ビオラ商会合同会社には優秀な秘書が沢山います。それに、圓様は本来秘書など必要としない方です。何でもこなしてしまう超人です。そんな方を前にして、私はこれで良いのかとずっと自問自答してきました。もっと、圓様に喜んでもらえるものが他にあるのではないかと、ずっと探してきたのです。……圓様は寡占市場を何よりも嫌います。企業同士の競争こそが良い品を生み出すと、顧客のためになると信じています。しかし、その思いに逆行するようにビオラ商会合同会社は肥大化を続けています。それが決して悪いことではありません。それぞれが信念を持って働いてきた結果ですから。ですが、このままいけばビオラ商会合同会社が市場を独占してしまいます。それに、近い将来、圓様の前世の世界の商会がこのユーニファイドに参入することにもなるでしょう。……多種族同盟加盟国には数多くの商会があります。王家御用達の老舗から小規模な商店まで……しかし、そのいずれもビオラ商会合同会社と戦う覚悟を持っていません。――ビオラ商会合同会社には必要なのです! 競い合うライバルが、明確な商売敵が!! 私がビオラ商会合同会社に勝利できる、或いは並び立てる商会を作れるなどと烏滸がましいことを言うつもりはありません。だけど、ただ一点に絞ればビオラ商会合同会社と競い合える商会を作れるかもしれません。無謀な賭けですし、全てを失うかもしれない。それでも、かつて共に戦った仲間は私の無茶を聞き入れてくださいました」
……必ずしも、ビオラ商会合同会社の中にいることがアネモネ会長への恩返しになる訳ではないということか。
それに、この問題は私も薄々感じていたものだ。ル・シアン商会にもビオラ商会合同会社と競い合おうという危害は欠片も無かった。
……アネモネ会長が本当に望むものか。
「カエルラさん、貴方ももし良ければ……」
そこまで言ってから、少し躊躇い……そして、言葉を切った。
「カエルラさん、貴方には大切な人達が、守るべき人達がいますね。奥様とお嬢さん……お話を聞いてとても良い家族だと思っていました。ビオラ商会合同会社にいれば、貴方達は幸せに暮らせます。先程の言葉は忘れてください」
シリェーニ殿はそう言い残すと、自分の分の飲み物の代金を置いて去っていった。
◆
<三人称全知視点>
アネモネがモレッティ経由で人事部人事秘書課に所属する秘書達を呼び出した。
アネモネがこうして秘書課所属の秘書を全員会長室に呼びつけたことは無かった。前代未聞の状況に、まさか重大な失敗を冒してしまったのではないかと戦々恐々しながらも、流石にビオラ商会合同会社の頂点に君臨するアネモネの呼び出しを無視することはできない。
さて、呼び出した当人はというと、呼び出した秘書達を放置して手に収まる大きさの機械を弄んでいた。
「アネモネ会長、それは……」
「モレッティさん、見てよこれ! 凄いよねぇ!! あのシリェーニさんが独立するって決断したんだから凄い隠し玉があることは分かっていたけど、まさかこう来るとは」
『初めましてビリリ、よろしくビリ!』
明らかにスマートフォンにしか見えないそれはモレッティに挨拶をした。一体どういった技術で機械が意志を持って喋っているのかとモレッティが疑問に思っていると、アネモネが心底嬉しそうに笑った。
「エレクトプラズマっていう特殊な魔物がいるそうだ。その魔物は全身がほとんど電気で夜中に自在に飛び回っては人を驚かして楽しむという。なかなか強力な電気を発することもできるみたいだけど、それは自らの身に危険が迫った時に限られる。まあ、少々悪戯好きだけど、それほど危険な魔物ではないということだねぇ。そんな魔物にシリェーニさんは興味を持った。彼らに人間を倒せる力がありながらも、他の魔物のように危害を加えないのは実は人間と友好的な性質を有しているんじゃないかって? まあ、どちらかといえば遊び相手が欲しい子供みたいな性質だと睨んだんだと思うよ。彼らの魔力を電気に変換する効率は凄まじく、他の電気を扱える魔物よりも数段は上。それに、翻訳機能をつけて意思疎通を図ることもできれば、高性能の発電機とAIを組み込んだ家電と同一のものを作ることができる。ボクは人工的に知能を作る方面に考えが行ってしまうタイプだから、彼女の考えはなかなか新鮮だった。現時点ではオーブントースターと冷蔵庫、専用のスマートフォンが売りに出されていたけど、エレクトプラズマの力を借りた家電は今後様々開発されて売り出されることになるだろう。ボクは将来、エレクトプラズマを搭載した電気自動車も発売されるんじゃないかと睨んでいる。現在は空間転移門と地下鉄、後は馬車がメインで使われ、車はボク達が広めるのに消極的だったことから使用者が限られているけど、今後はエレクトプラズマの自動運転機能付きの車が増えていきそうだねぇ」
「……しかし、商売敵によく売ってくださいましたな」
「敵場視察をしに来たよ、って正面から店に行ったら普通に売ってくれたよ。シリェーニさん達もエレクトプラズマにかなり期待しているみたいだった。……さて」
心の底から愉しそうに笑っていたアネモネだったが、エレクトプラズマの入ったスマートフォンを机に置くとこれまでの表情が嘘のように不機嫌な顔になった。
「君達には失望したよ。……勿論、君達だけを責めるのは筋違いだ。シリェーニさんへの誹謗中傷はボクの耳にも届いている。同じ秘書課の仲間だった彼女にこうも罵詈雑言を吐けるものだと呆れたし、それを彼女のいない場所で陰口を叩くのにも憤りを覚えた。それに、彼女の意図することを察せないことにも失望を覚えたよ」
「お言葉ですが、圓様。世間一般から見れば、シリェーニ殿の行いはビオラに対する裏切りと取られても致し方のないものです。その意図を正しく察する事ができる者は社内でもごく少数かと」
「今の多種族同盟の経済界を正しく理解している者であれば、誰もが察することができるものだと思うけどねぇ。現に、モルヴォルさんとルアグナーァさんは彼女のビオラ脱退と会社設立の噂を聞いて色々と察したみたいだよ」
「ジリル商会の会長とマルゲッタ商会の商会長……名高い商会の長と比較してしまうのは酷だと思います。しかし、彼らにとっても耳の痛い話だったでしょうね。ビオラ商会合同会社に対抗する商会が現れないことに業を煮やし、危険を顧みずに独立の道を選んだのですから。ビオラ商会を初期から見てきたシリェーニ殿は誰よりもその恐ろしさを知っていますからね」
「……諸君、シリェーニ殿の行動は勇気ある行為だ。寡占市場にしてはならないというボクの切なる願いを叶えるために、茨の道であることを承知の上で一歩を踏み出したんだ。その行いを称賛することはあっても、何の覚悟もない人間が嘲笑うのは許さない」
漆黒に染まった瞳を向けられた秘書達は今更ながら事の重大さを思い知り、あまりの恐怖に震え上がった。
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それでは、改めまして。カオスファンタジーシリーズ第二弾を今後ともよろしくお願い致します。
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