エピローグ
「チッ……、せっかく最強サプライズをキめてやったってのに、祭鬼様復活祭はもう終わりかよ」
その言葉が示す通り、よく見れば祭鬼の体は少しずつ崩壊し始めていた。
祭鬼の体内では、今まさに凄まじい勢いで魔物のDNAが破壊され、肉体の設計図である塩基配列が失われていた。これにより全身の細胞は次々に不安定なエーテル粒子に分解され、見るまに空中に消えていく。
黒魔術は完全ではなかった。圧倒的に、魔力が不足していたのだ。理夢に蓄えられた魔力は確かに相当な量ではあった。が、あくまでそれは人レベルでのこと。対して祭鬼は人より長く生き、超常の能力も兼ね備えたそれなりの魔物である。そもそも必要とする魔力の量が桁違いなのだ。結果、理夢の魔術ではDNAを固定化することができず、活動限界を超えた細胞は次々と崩れ去っていった。
「祭鬼、礼を言う」
彼が、自分に残された時間はごくわずかだと知っていたのかはわからない。ただ、その短い復活を自分たち人間のために使ってくれたのは、純粋にありがたかった。
千霧の声を聞いた理夢があわてて駆けてきて、千霧に半分隠れるようにしながらぺこりと頭を下げる。
「礼には及ばねーよ、俺もあいつには恨みがあったからな。あの青頭を握りつぶした感触、なかなかに爽快だったぜ、ヒャハハハ」
「そうか……。だがすまない。私たちにはもう、お前のためにできることは……」
「クヒヒ」
気落ちした千霧の声を、祭鬼の忍び笑いが遮った。千霧を見上げる頭部はすでに全体の半分が消失している。
「いいか、姐さん、俺はサイコーにChillなあんたのファンなんだ。もしあんたがくたばっちまったら、向こうで一緒に楽しもうぜ? この祭鬼様が最高にハッピーな祭りを用意してやるからな! じゃあな! ヒャハッ! ヒャハハハハハハハハハハッ!」
止まらない崩壊が魔物の最後のひとかけらまで消し去っても、陽気な笑い声はしばらく辺りに響き続けた。
「おお……、死に際にあの世で遊ぶ約束とは、お祭り野郎だけあって最後の最後まで陽キャだな。さすがだぜ……」
「うん、けっこう酷いことされてたのに、切り替え早いね……」
兄妹がピントのズレた感銘を受けている一方で、千霧は内心混乱していた。なんだか雰囲気的に言い出せない空気だったので、一応黙ってはいたが。
「……(姐さん? ちる……? とは一体……)」
「あ」
美瑠が窓の外の小さな変化に気づき、窓際へと駆け寄る。眼前に広がる街並みに触れるように、彼女はそっと窓ガラスに手を添えた。
「街の灯りが、消えていく……」
美瑠たちが見守る中、街の照明がひとつ、またひとつと消えていき、夜の暗闇へとすり替わっていく。月光市にかけられた呪いは消滅し、実にひと月近くにわたって続いた前代未聞の祭りも、ついに終わりの時を迎えようとしていた。
「くう~~~~っ! 私たち、本当にやりとげたんだね!」
「ああ、まったく今回は大変だったぜ。街じゅう走り回ったり忍び込んだり、化け物の相手をしたりなあ」
目を閉じて、この数日を振り返りながらうんうんと頷いている礼を、隣に立つ理夢が怪訝そうな顔で眺める。礼はシャツや首筋など、全身のいたるところにキスマークをつけていた。身に着けている服は全身よれよれで、女性用香水のセクシーな香りがほんのり漂ってくる。
「でも、礼はずいぶん楽しんだみたい」
「ん?」
ジト目の理夢から投げつけられた言葉で、礼はディスコパーティー会場での出来事をはたと思い出した。
「ああ~~っ!!? おいおいおいっ! 祭りが終わったってことは、もうあのお面パーティーも終わりってことか!? くっそ~~、惜しいことしたなあ。こんなことなら、あん時もっと楽しんでおけばよかった……」
「礼のえっち」
「お兄ちゃん、やっぱりサイテーだわ……」
「はあ……」
「え? あっ……、いやあ、ハハハ……」
女性陣からの冷たい視線を感じて頭をかきかけた礼は、手のひらに負った裂傷の痛みに思わず顔をしかめた。
「礼……、その手、ケガしてる……」
「ん? ああ、これはさっきのパーティー会場で、凶悪なバケモンに襲われた時に、な。まああの程度の雑魚、俺の敵じゃあなかったがな! わははは」
強がって見せたものの、傷は肉まで達するほど深く、止血も含めてできるだけ早い治療が必要だった。
理夢は浴衣の懐からきれいに折りたたまれたハンカチを取り出し、礼の傷に丁寧に巻き始めた。
「礼も、千霧も、美瑠も……、こんなにボロボロになって、私なんかのために一生懸命頑張ってくれて……。だから私はここまで来ることができた。全部、みんなのおかげ」
傷に触らないように気を付けながら、ハンカチを巻き終えた手をきゅっと握る。つられて目を落とした礼は、理夢の手がうっすら透けていることに気づいた。
「っ!? 嬢ちゃん、手が……」
「ん……。私の体を作っていた魔力は、全部あの黒魔術に使ったから。私も、もう時間切れ」
つい先ほど目の前で消滅していった祭鬼を思い出し、美瑠ははっと息をのみ、両手で口を覆った。この展開をある程度予想していた千霧のほうは、ただ無言で目を伏せるのみだ。
「だから、いなくなってしまう前に、ちゃんと伝えたい」
黒目がちな瞳が、礼をまっすぐ見上げる。
「礼、こんな子供みたいな私の話を、ちゃんと聞いてくれて、ありがとう。
あの人の……」
言いかけて、首を振る。
「お父さんの……、呪いを止めてくれて、ありがとう。
あの日、お面屋さんで……、出会ってくれて、ありがとう」
かすれ始めた声でようやく言い終えると、見る間に顔が崩れ、大粒の涙があふれ出す。耐えきれず礼の胸に飛び込み、理夢は誰に遠慮することなく、声を上げて泣き出した。それはこの数日間、礼たちが共にした中学生の理夢ではない。今ここで泣いているのは、目覚める前の、まだ小学生のままの、幼い理夢だった。
「私は、これからどうなるんだろう……?」
「ああ?」
「また眠り続ける? 何年もまた、あの病院のベッドの上で……」
「大丈夫。嬢ちゃんはまた、すぐに目を覚ますさ」
「そんなの、わかるわけない……! なんで礼はそんなことが言える?」
「……ふっふっふっ」
「?」
「はっは~! それはなっ! この末堂礼が天才退魔士だからだよ! 天才の言うことに、間違いはないっ!!! だろ?」
「全然、理由になってない」
理夢がふくれっ面で口をとがらせる。礼はハンカチが巻かれた手を、理夢の背中に回した。
「俺が、嘘を言ったことがあったか?」
「……もし嘘だったら、許さないから」
小さく肩をすくめる礼をひと睨みして、理夢は後方の森嶋を見やった。
目を閉じたまま横たわっている父は、見た感じ状態も安定しており、特に心配することはなさそうだ。
(お父さん、よかった)
顔を戻した理夢の、涙はもう止まっていた。だが、その目からは次第に光が失われ、視界はどんどん狭まっていく。これ以上、この場に留まることはできないようだ。いよいよ別れの時が来たのだ。
ならば、年頃の女子がするべきことは決まっている。
いつまでも、いつまでも、この顔を覚えていてもらえるように、せめて最高の笑顔で……
「(またね)」
その言葉は、もう聞こえなかった。消えかけの唇がそう動くのが、かすかに見えただけだった。
中身を失った浴衣が、床に落ちて折り重なる。
押し黙ってその光景を見ていた千霧の手に、何かが触れた。
「?」
美瑠が千霧の横に立ち、彼女の細くしなやかな指をぎゅっと握っている。美瑠はぐしぐしと鼻を鳴らしながら、零れ落ちる涙も気にせずに、目の前の光景に見入っていた。
美瑠の手はとても熱かった。おかげで、いつもはひやりと冷たい千霧の手がなんだかぽかぽかする。つないだ手の柔らかな感触を感じながら、千霧は再び前を見た。
礼は動かなかった。
こちらに背を向けたままなので、顔を見ることはできない。
でも、なぜだろう?
千霧はその時、少しだけ、礼の顔に触れたいと思った。
次回、もう一つのエピローグです




