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スマホから、6度目のアラート音が発せられた。
それを耳にするや否や、千霧と森嶋はまるで暗黙の了解でもあったかのように、互いの動きを止めた。素早く周囲に目を走らせ、固唾をのんで自己修復中の肉片たちの様子をうかがう。
すでに完成寸前まで復元が進んでいたデバイスの各部では、様々な色、形、大きさの肉片が、自分たちに向けられたうがつような視線などお構いなしに、マイペースで蠢いていた。
「ぬぅっ!?」
大きく見開かれた森嶋の目線の先で、とある肉片の動きが徐々にスローモーションのように間延びしていく。その変化は隣の肉片からそのまた隣へと次々に伝染し、見る間にデバイス全体に広がった。動力源が尽きたことにより肉片たちの動きは次第に緩慢になり、年老いた動物が穏やかに息を引き取るように、デーモンデバイスは静かに活動を停止した。
(間に、合った……)
理夢の全身から、どっと力が抜けていく。紙きれのように薄い音を立てて、理夢は後ろの壁にもたれかかった。この時をどんなに待ち望んだことだろう。仮初の命と体を得てから数か月、理夢は今日この瞬間のためだけに生きてきたのだ。だが、にわかに実感はわかなかった。目覚める直前まで小学生だった彼女からすれば、それも無理はないだろう。父親の暴走を止める、そうと誓った心に嘘はなかったが、彼女の中には成功への道筋など存在していなかった。正直に言えば、理夢は常に思っていた。‘’そんなこと、到底できるはずがない‘’……。自分一人だけでは、と。
『こちら礼。最後のバックアップ、破壊完了だ』
少し遅れて、礼からの報告が届く。理夢は千霧の邪魔をせぬよう、速やかにメールでビル内の状況を送った。
千霧はまだ警戒を解かず、臨戦態勢を維持している。誰もが押し黙り、静まりかえった室内にアラート音のみが鳴り響いていた。父親の心情を慮ってか、理夢はそっとスマホの電源を切った。
派手な音を立てて、床にノートPCが落ちる。森嶋は魂の抜けたような表情で、ドサリとその場に座り込んだ。青い腕もまた、殺気がかき消え、叱られた犬のようにうなだれている。
(なぜだ……)
噴き出す怒りが脳内のすべてを塗りつくしそうになるのを、研究者としての本能が、すんでのところで止めた。
憤怒に身をゆだねることより森嶋が優先したのは、この失敗の原因を分析することだった。グレーターデーモンを取り込むことで得た瞬間記憶をもとに、脳に焼き付けた眼前の光景を動画のように巻き戻し、送り、スローで、余すところなく再現する。
~~「今すぐ別の会場に向かってくれ! どこでもいい! 今すぐ……、ぐっ!」~~「残りの5カ所はやはりすべて特設会場だ。詳しい場所は」~~「駆け引きが苦手なのは、お互い様のようだ」
(……そう、あの女退魔士は、秀でた戦闘力を巧みにカモフラージュすることで、私の行動をコントロールしようとした。結果、バックアップの場所が仲間たちに漏れ、破壊工作を許すことになった……)
~~ノートPCを操作する森嶋のもとに、千霧が猛然と迫る。2重の防御障壁が次々に破壊されるが、すんでのところで青い腕に救われる~~(私は謀られていた……。こいつの目的は、はじめから私の足止めだったのだ)~~PCの画面上、表示されたタイマーが15分を経過したところで、5度目のアラート音が鳴る。
……だが、おかしい。
5つのバックアップ装置は最初の1つを除けば、いずれもタイムリミットである15分に近い時間に停止した。ならば魔力の供給量はすでにそれなりの数値に達していたはずだ。ある程度の遅れが生じるのは仕方ないにせよ、その時間はたかが知れている。供給の完了がここまで遅れたのは何故か。それが、森嶋の研究者としての本能を喚起した、最大の疑問だった。
~~「招かれざる闖入者め! なぜ祭りの邪魔をするっ!」~~……~~6度目のアラート音が鳴る。
(時間的有利はこちらにあったはず。なのになぜ……)
瞬間記憶による脳内映像は、デーモンデバイスの停止とともに終了した。依然として残る疑問を解明するため、森嶋は再度映像を初めから精査する。現実の時間ではほんの数秒でしかなかったが、高速再生される映像を2度、3度と繰り返し検証するうちに、とある場面が彼の目に留まった。
~~「貴様っ!」~~力任せに床を殴りつけた青い腕が千霧に猛然と跳びかかっていく。
床に打ち付けられた巨大な拳の下には、復元中の肉片があった。無論、踏みつぶされミンチになった肉片は、再度の生成を余儀なくされ、時間と魔力が余分に消費される。森嶋は千霧ではなく、青い拳のその先に注目して映像の先を追った。
(待て……。ここも……、ここも……!)
はたして、千霧が大砲のような青い腕の攻撃をかわし、いなすとき、数度に一度……、ではあるが、その先にはよちよちと目的地に向かう、健気な肉片の姿があった。
今夜、何度煮え湯を飲まされたか知れない。森嶋の探求心によって暴かれた疑問の答えは、またもや彼に、心臓を鷲づかみにされたような衝撃を与えた。
あの女退魔士が、この場所を戦場に選んだのだ。過去に一度、デバイスが復活する様子を目撃している。デバイスの復元を妨害するため時間を稼ぐとしたら、この方法がもっとも単純であり、
(確実、だ……)
力では確かにこちらに分があった。互いの肉体に与えた損傷を見比べてもそれは一目瞭然だ。だが、戦いを支配していたのはこの女退魔士だった。絶えず挑発し、森嶋の本体への攻撃を途切れさせないことで、彼に怒りと緊張を強いた。陰で密やかに行われる企みに、気づかれないように。あざやかに舞い、翻弄する彼女から、目が離せなくなるように……。
「はあ~~~っ! 貴様っ!!! このっ、悪魔のような女めッッ!!!」
この女だった。やはり、この女だった。今夜、積年の苦心を、成し遂げた大業を、ささやかな、ただ娘に会いたいと願った、ささやかな夢を、奪い去ったのは。あまりにも、底が知れない。どれだけの修羅場を潜り抜けてきたのか、見当もつかない。……だが、それがどうした! この罪深き、許されざる破壊の最大の功労者が判明した今、森嶋は安心して怒りを開放することができた。
一筋縄でいかない相手であることは重々承知だ。ならば圧倒的な力でねじ伏せるしかない。
森嶋はツいている。今日は過去の不幸な事故のときとは違い、この、今にも弾けそうなほど膨れ上がった憎悪を、残らずぶつけられる相手がいるのだ。森嶋はぶるぶると震える手を懐に突っ込み、中の小さなケースを探った。
それは執念でもあり、十分に、奇跡と呼べたかもしれない。
あの注射器が入ったケースを取り出そうとする森嶋の手を、何かが止めた。森嶋の中で、憎悪よりもはるかに深い場所にある感情から生じた声が、彼にささやいた。
待て……
ある……。間違いなく、確かに
今見返した記憶の中に、何か、とてもつもなく重要な、違和感が……
………。
……。
…。
(犬)
際限なく降り積もった、汚泥のようなあまたの黒い感情の奥底に、激しくもつれたまま、深く埋もれていた記憶の糸が、唐突にほどかれようとしていた。
(そういえば、あの犬の名前は何だったか……)
目標は今月中のエピソード完結です(すでに赤信号)




