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「うむ……。他に、報告すべきことは?」
「はい……、それが……」
千霧が言いよどむのは、ひどく珍しいことである。
「例の兄妹に……、一緒に住まないかと誘われました」
(な……っ!? あの男と……、ひとつ屋根の下にぃ!?)
天剛が重大を誤解したのも無理はなかった。
摩利支にある礼のパーソナルデータによれば、彼は妹の美瑠とマンションで二人暮らしをしていることになっている。実際には礼は退魔師事務所を寝床にしているのだが、ここに情報の齟齬が生まれた。
礼のプライベートに一切興味のない千霧は、このような些末な情報の食い違いなど当然報告していない。
さらにいえば、男女の事情に疎い千霧には、この場でそれを説明する必要があることにもまったく気づいていなかった。
(いつの間に、そんな仲になっていたのだ……)
千霧に背を向けていたのは幸いだった。
苦渋にゆがんだ天剛の顔に嫌な汗が伝うのは、実に10年ぶりの事である。
猛獣のようにたけり狂う心を無理矢理ねじ伏せ、天剛はやっとのことで言葉を吐き出した。
「それで、お前はどうしたいのか」
千霧の顔から、先ほどの刺すような鋭さは消えていた。
いとおしさに溢れたはにかんだ表情が、そっと目を伏せる。
「私は……、そうしてもいいと思っています……」
絶望のあまり視野が色を失い暗黒に染まるのは、実に20年ぶりの事である。
(んほお~~~っ!!? 変わってる~っ! 幼き頃よりよく知るあの千霧が、変えられちゃってる~~っ!)
天剛は飛び出さんばかりに目をむき、ガタガタと震える歯の根が今にも食いちぎりそうに唇を噛んだ。真っ赤な額に太い青筋がドクドクと脈打ち、心の弱いものが見れば泣いて許しを請うほどの凄まじい形相と化していた。
「……天剛、様?」
かえってこない返事を不思議に思い、千霧は完璧に整った眉を小さくひそめた。
「そうかそうか、ハハ……」
と振り返った天剛の顔は……、すでに普段と変わらない。
いや、むしろ過剰に爽やかだった。
「お前の好きにすればいい、ハハハ……」
「……あの、天剛様?」
いぶかしむ千霧を手を上げて制し、天剛は机上の電話を手に取った。
「……ああ、私だ。青木ヶ原の件はどうなっている」
『は……、いまだ手こずっています。何分敵が強力なうえ数も多く、鎮圧にはあと1週間ほどかかるかと……』
「わかった。では私が向かおう。支度を頼む」
『……は? え、ちょっ、……は? 天剛様がですか?』
「うむ、少々暴れ……、いや、体を動かしたくなったのでな。では頼むぞ」
受話器を置くと、天剛はさっそくドアに向かって歩き始めた。
「というわけで、私は行かねばならぬ。千霧よ、呪いの件、よろしく頼んだぞ」
この日、青木ヶ原の樹海に屈強な悪鬼どもの恐怖の咆哮がこだまする『青木ヶ原の大虐殺』事件が起こるのだが、それはまた別の話である。
退出する天剛をわけもわからず見送ると、千霧はふくよかに膨らんだ桜色の柔らかな唇に指をあて、きょとんと小首をかしげた。
(天剛様……、涙?)
あれは見間違いではなかったろうか。
通り過ぎる天剛の目の辺りに、キラリと光るものが確かに見えた気がしたのだ。
※天剛様はお約束ですね。ハハハ……




