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室内は荒れ狂う力に蹂躙しつくされ、惨憺たる有り様だった。
壁や天井には巨大な獣の爪痕のような傷が走り、焦げた肉片や電子部品が部屋のすみに吹きだまっている。
防御障壁に護られた森嶋といえども、さすがにあの霊力の爆発に抗うことはできず、壁際に吹っ飛ばされその場に押し付けらた。
霊力の放出が収束し、ようやく動けるようになった森嶋が腰を上げたときには、すでに侵入者の姿はかき消えていた。
特に慌てる様子もなく、森嶋は部屋の中央に立って辺りを見渡した。
白衣のポケットの中で、スマホのモニターが点滅している。取り出したスマホの画面上では、このデーモン・デバイスの異常を知らせる緊急信号が点滅していた。別の場所にいた森嶋がこの場に現れたのも、スマホからの報せを受けてのことだ。警報を切るついでに現在の時刻を確認する。
先ほどの大爆発から、15分が経とうとしていた。
「そろそろ、か」
まるで森嶋の言葉を待っていたかのように、部屋のすみに吹きだまっていた肉片がモゾモゾと動き出した。それらは幾度も分裂して新たな血肉を産み出し、盛り上がり、自分のあるべき場所へと移動を始めた。
「アンテナとPCは階下にスペアがあったな。計測器は新しく用意せねばなるまい」
壁際では小山のようにふくれあがった肉塊が、うじゅうじゅと音を立て祭鬼の輪郭へと成形されていく。その様子を眺めながら、森嶋はぼそりとつぶやいた。
「末堂、礼と言ったか」
あれは一体何者だったのか。
人を喰った男に、森嶋が忌み嫌う狐の面の少女。年端もいかない若者たちが、なぜ呪いを止めようとするのか。彼らの正体は皆目見当がつかない。だが、人への興味を失った森嶋にとって彼らの正体など大した問題ではなかった。邪魔するものがあれば、排除するだけだ。
「止められるものか、誰にもな。この祭りは私の、私たちだけのものなのだ」
窓の外で煌めく祭りの明かりをとらえた森嶋の瞳は、ただ妄執のみをたたえていた。
◇
「あの状態から復元、だと……?」
千霧は思わず我が目を疑った。隣接する建物の屋上から、ビル内の様子を密かにうかがっていたのだ。
先刻、宙空に放り出された千霧は地面に激突する瞬間、霊力を込めた錫杖で地面を撃ち、落下の衝撃を相殺しようと試みた。
ダメージはゼロではなく、着地した下半身に骨がきしむほどの衝撃が走る。激しい痛みにうずくまろうとする本能を無視して両足に力を込め、震える膝をおして立ち上がる。鋭く上方を見すえた時、自分が落ちてきた窓から白光が伸びるのが見えた。
(美瑠……)
何が起きたかはすぐわかった。
美瑠に頼まれ、お守りに封じられた霊力を解放する方法を教えていたのだ。
(早く、あそこへ戻らなければ)
凄まじい爆発の後であったが、森嶋がまだ動けることを想定して奇襲が可能な窓から部屋に戻ることにする。瞬時に自分のなすべきことを決定した千霧は、頭をめぐらせ、隣接する建物に目をつけた。
(やはり美瑠たちはいない……。無事逃げられたのか)
隣接するビルの屋上に上がり、中の様子をうかがうものの、ビルの中にいるのは森嶋ただ一人である。あくせくと装置の復旧を急ぐ森嶋は礼たちのことなどまるで頭にないようだった。
兄妹の無事を知り、千霧はふっと肩の力が抜けるのを感じた。
そうなれば問題はあの呪いのほうである。今の自分達にはどうあがいてもあれを止めることは不可能だった。
地面に降り立った千霧は、横目でちらりとビルを見上げた。
(今必要なのは、情報だ)
身を低く駆け出した千霧は、沈むように夜の闇に消えていった。
◇
病室の明かりは消えていた。
もう6年も眠り続けている少女の病室に、夜間の照明は必要ないと病院は判断したのだろう。
一見すると、ベッドに横たわる少女はとても生きているようには見えなかった。
その寝顔には希望も絶望もなく、感情すら存在していない。
唯一、かすかに上下する痩せた胸だけが、かろうじて彼女が生きていることを知らせていた。
不意に、少女のこけた頬を白い光が照らした。
突如発生した空中の白い光球がみるみる大きくなっていく。
続けて室内に強い風が吹いた。結わえられた少女の髪が風に踊り、真っ白な顔を優しく叩く。
室内をひとしきり風が吹き荒れた後、しぼむように消える光の中から礼と美瑠、そしてお面の少女、ユメが現れた。
美瑠がきつく閉じた目を恐る恐る開けてみる。
「……? ここって……?」
目の前に、あのゾンビのように迫りくる森嶋の姿がないばかりか、見えている景色すら違っている。
「なんだあ? 俺たち、いつの間にこんなとこに移動したんだ?」
母親にしがみつく子ザルのように美瑠の腰を抱えながら、礼もまたキョロキョロとあたりを見回した。
「ねえ、お尻から手をどけてくれる?」
美瑠は高校の制服姿である。膝上丈のスカートの中で、先ほどからしがみついた礼の手が美瑠の柔らかな尻肉にあたっていた。
「まったく、しばらく見ないうちに色気づいちゃってまあ」
キュッと上がった形のよいヒップをペタペタさわってみると、下着の布越しにツルンとしたみずみずしい肌の感触を感じることができた。
「ギャ~~ッ!!! は、離れろ! このバカ兄貴!」
礼を振り払おうともがくうち、はね上げた膝が鈍い音とともにもろに顔面に入る。
「ごふっ! こ、こいつ……、尊敬すべきお兄様に向かって膝蹴りとは何事だ!」
「うるさい! 実の妹に痴漢して、興奮して鼻血まで流すド変態なんて、お兄ちゃんでも何でもないよ!」
「もしもし」
「こ、これは今お前が蹴ったからだろ!? それにお前の色気なんてなあ、千霧さんに比べればまだまだヒヨッコのヨチヨチ歩きのおしゃぶりレロレロレベルなんだよ! だれが興奮なんてするか!」
「ちょっ!? 千霧さんと比べなくたっていいでしょ! それに私はまだ高校生なんですからね! 色気なんてこれからいくらでも……むぐっ!?」
「もがっ!?」
「病院は、お静かに」
醜く言い争う兄妹の口を、少女の両手がふさいだ。
(え? ここって……、病室?)
自分達の状況を思いだし、美瑠は辺りを見回してみた。確かにここは病院内、しかも入院患者のための病室のようだ。
「っ!」
ベッドの上の痩せこけた少女に気づき、美瑠は思わず息をのんだ。そこに、死人が横たわっていると思ったからだ。
「いや……、一応、生きてはいるみたいだな……」
少女に近づいた礼が、かすかな呼吸を確認する。
「お兄ちゃんっ、この子……!」
美瑠が指で指し示した先には、壁のホルダーにセットされた少女の名札があった。
名札にはワープロ文字で「森嶋理夢」と書かれている。
「そう、これは、森嶋重四郎の娘」
背後からの声に礼と美瑠が振り返る。
「そして、もう一人の私」
そう言って森嶋理夢 (もりしまりむ)は、ベッドの上の紙のように薄い自分を見つめた。




