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祭りの喧騒からも見放されたような暗い裏路地に、そのビルはあった。
辺りは絶えて人通りもなく、空き部屋の目立つビルが身を寄せ合うように建ち並んでいる。夜ともなれば野良猫がうろつくだけのゴーストタウンと化すような、街から忘れられた一角だった。
ここがこの常軌を逸した馬鹿騒ぎの震源であるとはとても思えないが、隠れて何かを企むにはまったくふさわしい場所だった。
一行は電気の消えた入口ドアの前で止まった。無用心にもドアに鍵はかかっていないようだ。
「今は誰もいない」
ドアを押し開け、少女は自分の家に入るような気軽さで中へと入った。他の3人も後に続く。
少女の言葉通り、千霧もビル内に人の気配は感じなかった。
(だが、ある。確かに、ここに)
暗い階段を上りながら、見上げる視線の先に確かに力の胎動を感じる。
間断なく放出される波動が、夜気に包まれて白く輝く千霧の美貌をビリビリと叩いた。
少女に案内されるがままに、一行は最上階である3階の部屋に足を踏み入れた。
「な……、何これ?」
部屋に広がる光景を見て驚く美瑠同様、礼も思わず絶句する。
学校の教室程度の広さの室内に、部屋を埋め尽くすように奇怪な装置が置かれていた。
それは、血と臓物と科学技術の融合だった。
床に書かれた魔法陣の上を赤黒い触手のような管が縦横に走っている。ゴボゴボと気味悪く波打つ管は、一方ではPC、パラボラアンテナ、計測器などの機器を、一方ではドス黒い液体にまみれた巨大な内臓のような物体をつないでいた。
PCのモニター上には月光市の地図が表示され、祭りの拡大と盛り上がりが赤や紫の強調表示で視覚化されている。計測器からは気ぜわしく動く針とともにグラフの描かれた紙が吐き出され、パラボラアンテナは一定時間ごとにゆっくりと向きを変えた。これらの電子機器は、この巨大な装置の一部として正常に機能しているようだった。
反対側に複数ある袋状の『臓物』は、見るからに醜悪で見るものの嫌悪感を誘った。上部にある口をすぼめたような形の穴は、何かの取り込み口を思わせた。今もまた、袋全体を上下にぜん動させながら、ヒクヒクと口が動いている。取り込み口からあふれ出た血が袋にいくつもの赤い筋を作っていた。礼も美瑠も、この袋に何が放り込まれたのか、想像したくもなかった。
袋の下方には、おそらく排泄口であろう短い管がついていた。なぜそう思うのかといえば、どの管もその先にバケツが置かれ、汚物としか形容しようのない液体がバケツに漏れ出ていたからだ。
それぞれの装置をつないだ管は、魔法陣の上を通って部屋の奥の一点へと続いていた。
管の集まる先には、人型の生物が祭壇に祭られた神の偶像のように鎮座していた。
「やはりお前か。だが、これは……」
千霧が驚くのも無理はない。無数の管につながれた祭鬼の姿は、以前とはすっかり変わり果てたものだった。しなやかに引き締まった体躯は見る影もなくブクブクと肥大し、巨大な赤子を思わせた。表皮は水を含んだようにぐずぐずとふやけ、体のいたるところから青緑の体液が染み出している。その姿は腐敗した水死体そのものだった。動くことすらままならないのか、祭鬼は床にべたりと座り込んだまま息苦しそうに喘いでいた。
「ヴァー……、グヴヴ……」
口からあぶく交じりのよだれをダラダラ垂らし、何か言っているようだが言葉にならず聞き取れない。はたして目の前にいる千霧たちに気づいているのかも、わからなかった。
「デュフッ、デュフフ……、千霧さん、これは……」
「フヒヒヒ……、お兄ちゃん、何笑ってんのよ、フヒ」
「あ~? ゲヒヒ、お前だって、笑ってんじゃねーか、ゲヒヒヒ……」
文字通り、この世のものとも思えないおぞましい装置を見ながら、なぜか礼と美瑠はこみ上げる笑いを止めることができなかった。皮膚を通してじわじわとしみ込んでくる何かが、奇妙な笑いとなって二人の口からこぼれた。
千霧はさして驚くこともなく兄妹を見た。いくら呪いにかかっていないとはいえ、これほど祭鬼の近くにいれば、多少の影響を受けるのも当然だった。
「デーモン・デバイス(悪魔装置)……。間違いない。これがすべての元凶だ」
「これを壊せば、呪いは消える。お祭りも止まるはず」
少女は祭鬼の影響をみじんも受けていなかった。
その真意も正体もわからないままだったが、千霧はとりあえず装置を止めることにした。懐から折りたたまれた錫杖を取り出すと、音もなくふわりと舞い上がる。
ズンッ!
飛び上がった千霧は、祭鬼の脳天に躊躇なく錫杖を突き刺した。錫杖は肥大化した祭鬼の頭部を貫通し、のどを突き破って先端が飛び出した。
「ヴァ~~……!」
牛のように鈍い悲鳴を一声上げると、祭鬼はそれきり動かなくなった。
ぼろぼろと肉体が崩れ落ち、祭鬼だったものはただの肉塊へと姿を変えていく。
「礼ッ! 君はそちらを頼む!」
肉塊の中から錫杖を拾い上げ、礼に電子機器を破壊するよう指示をとばす。
「お、おう、わかった!」
突然の指示にどうしようかと迷った挙句、礼は近くにあったパイプ椅子を手に取り、勢いよくPCに向かって振り下ろした。祭鬼の死とともに、こみ上げる笑いは消えていた。
鈴なりにひしめく臓物を千霧の錫杖が切り裂き、礼のパイプ椅子が次々に電子機器を叩き壊して行く。
10分もすると、室内の装置はすっかり破壊されつくしていた。床一面に血と肉片と、電子部品の破片が散乱している。もはや動くものは何もなかった。
「ハァ、ヒィ……、よし、今日はこれぐらいで勘弁してやるか」
肩で息をしながら、礼がガランとパイプ椅子を手放す。
(確かにこれで呪いは止まるだろう。しかし……)
千霧にはこれですべてが解決したとはとても思えなかった。とにかく、今回の依頼はわからないことが多すぎるのだ。
シャン……
狐のお面の鼻先に、ピタリと錫杖が突きつけられた。
「ッ!」
「千霧さん、いきなりどうしたの!?」
礼と美瑠が驚いて千霧を見る。射すくめるような千霧の目にたじろぐこともなく、少女はお面の目にぽっかりと空いた黒い穴からじっと見返した。
「ユメ、と言ったな……。教えてもらおう。森嶋重四郎とは、いったい何なのだ? 私は祭鬼と闘ったことがある。あれを従わせるのは、そう簡単ではないはずだ。それに、このデーモン・デバイス……。このように大がかりで悪魔的なものが、一介の人間に作れるはずがない」
礼と美瑠は千霧の言葉を固唾を飲んで聞いていた。千霧のいうことはもっともである。都市全体をお祭り状態にするという森嶋の目的もさることながら、その手段であるこの装置の知識をどこで得たのかもまったくの謎だった。
「そもそも……、森嶋重四郎は人間なのか?」
「もう……、ヒトじゃない。ある不幸のせいで、あの人は狂ってしまった。私のせいで、あの人は……」
不意に少女の肩がビクンと揺れる。
素早く身をかえし、千霧は錫杖の切っ先をドアに向けた。
ぎいと音を立てて開いたドアの向こうに、森嶋が立っていた。
◇
部屋の様子を一目見て森嶋が驚愕する。
「な、なんということだ! これは、お前達がやったのか!?」
「お前が、森嶋重四郎か」
錫杖の切っ先に相手をとらえながら、千霧はその力を量るように森嶋を見すえた。
「なんだあ? てっきりお祭り好きのファンキーなオッサンかと思ったら、ずいぶん陰気臭いジイサンじゃねえか。ほんとにあれが森嶋のヤローなのか?」
問いかける礼に、少女が黙ってうなずく。
「ふ~ん。ま、そういうことだ、森嶋のおっちゃんよ。あんたの呪いはこの天才退魔師・末堂礼とその他がキッカリ止めさせてもらったぜ!」
「退魔師? フン、なるほどな。その手の人種なら、あるいはここにたどり着くことも可能かもしれん。だが……、『止めた』と言うには、まだ早いのではないかな?」
生気のない森嶋の唇が、笑みとおぼしき形に歪む。
次の瞬間、千霧の左足を巨大な何かが掴んだ。
「なッ!?」
とっさに後ろを振り返り、愕然とする。千霧の足を掴んでいるのは倒したはずの祭鬼だった。先ほどまで肉塊と化していた祭鬼の体はその上半身が復元し、崩れた肉が急速に下半身を形作っていた。
「ヴヴァーッ!!」
驚きのあまり、掴む腕の手首を切り落とす動作が一瞬遅れた。
祭鬼は渾身の力で千霧を振り回し、窓に向かって放り投げた。
「くはあッ!」
派手にガラスの破片を撒き散らし、千霧が窓の外に消えていく。
「千霧さんっ!!」
「落ち着け、美瑠ッ! 千霧さんならあれぐらい問題ねえよ!」
半ば自分に言い聞かせながら礼が叫ぶ。頼りになる千霧がいない以上、一刻も早くこの場から逃げなければならなかった。足元に倒れているパイプ椅子を再び拾い、両手でしっかりと握りなおす。
「悪いなおっちゃん、ちょっとばかし寝てもらうぜ!」
礼は駆け出しながら大きく振りかぶり、パイプ椅子を森嶋めがけて降り下ろした。
森嶋を護る見えない障壁にパイプが当たる。衝撃がもろに両手に跳ね返り、礼は思わず椅子を手放した。
「いでえっ!」
障壁上に衝撃を吸収するように浮かんだハニカム構造の模様がすうっと消えていく。
「なんとも荒っぽい連中だ」
陰気な目で礼たちを品定めするように見る森嶋は、少女に目をとめ顔をしかめた。
「フン、そんな忌々(いまいま)しい面なぞかぶりおって。何者か知らんが、私の邪魔はさせんぞ」
不埒な侵入者を捕まえるべく、森嶋がのそりと前に出る。
両手を伸ばしながらゆっくりとこちらに近づいてくる森嶋の姿は、不気味な風貌ともあいまってゾンビそっくりに見えた。
「オイオイ、おっちゃん、目が光ってるよ? アンタ、本当に人間なの?」
軽口を叩きながらも、礼は美瑠と少女の前に立って身構えた。しかし、3人の後方では祭鬼がほぼ復元を終え、今にもこちらに這い寄ろうと腕をバタつかせている。
(少しでいい。時間があれば……)
少女がお面の中でぼそりとつぶやき、小さな手を握り締める。
その拳を、柔らかな肌が温かく包み込んだ。
「ユメちゃん、大丈夫! 私が守ってあげるから!」
体が震えるほどの恐怖と決死の覚悟の中から、やっとのことでしぼり出した笑顔で美瑠は少女を見た。迷っている暇などない。この窮地を救えるのは自分だけだと、自らを奮い立たせる。
「……」
「お兄ちゃん! こっちに来て! 早くっ!!」
駆け寄る礼を待たずに、美瑠は取り出した勾玉のお守りを胸の膨らみの前で強く握った。
「うおっ! それは……」
礼の脳裏にいつかの千霧の言葉がよみがえる。千霧はそれが家一軒が吹き飛ばすほどの霊力を秘めたお守りだと言っていた。
(お願い……! お願い……!)
手の中の冷たい勾玉に強く、強く思いをこめる。
不意に勾玉が白く輝きだし、握り締めた指間からこぼれ出た光が、祈る美瑠の顔を照らした。
「娘っ! 今度は何をするつもりだ!」
「ヴオオーッ!」
異変に気づいた森嶋と完全に復元した祭鬼が前後から迫る。
「お願いっ! 私たちを……、守って!!!」
手のひらに伝わる感触からエネルギーの律動を感じ取った美瑠は、首から勾玉を引きちぎり思い切り前方に突き出した。
美瑠の手から光が爆発的に広がり、たちまち周囲を白い闇が包み込む。
光は力を伴い、3人の周囲にあったすべてのものを轟音とともになぎ倒し、吹き飛ばしていく。フロアの窓すべてに同時にひびが入り、次の瞬間にはすべてが吹き飛んで白い光が闇夜にあふれ出た。
「ぐおお~~、なんじゃこりゃあ~~!」
礼は美瑠の腰に必死にしがみついた。すさまじい暴風にあおられて服と髪がバタバタと波打つ。美瑠の細い腰を抱えながら、礼は白く輝く霊力の奔流が周囲のものすべてを打ち砕き、呑み込むのを見ていた。
「これが収まったら、とにかく下で、千霧さんと合流して……」
押し寄せる濁流のような激しい霊力の波動で、息をすることすら困難だった。喘ぎ喘ぎ話す美瑠の手を、つないだ少女の手がきゅっと握り返した。
「美瑠、もう大丈夫。二人は、私が助ける」
「「へ?」」
少女の思わぬ言葉に礼と美瑠は互いに顔を見合わせ、そして少女を見た。
「ユメちゃん、何言って……」
言葉の続きは聞こえなかった。3人の影はまばゆい光の中に溶け、白い闇が去った後には、そこに何も残っていなかった。




