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礼の言質を取った少女は、即座に泣き真似をやめてすっくと立ち上がった。
驚く美瑠と千霧に向かって、玩具のようにペコリと頭を下げる。
「騙してごめんなさい。でも、私はどうしてもこの呪いを止めたい」
「えっ、えっ? じゃあ、あなた、お兄ちゃんに何かされたってわけじゃないの?」
「私は本当のことを言っただけ。何度もこのお祭りを止めるよう依頼しても、礼は全然聞いてくれなかった」
「は? え? そ、そうなの?」
完全に自分たちの早とちりだったことを悟り、美瑠と千霧は思わず顔を見合わせた。
「おい……」
「うっ……!」
背後から、凄まじい怒りの闘気が立ち上るのを感じる。
美瑠の耳に、パキポキと指の関節を鳴らす音が聞こえてきた。
「よくもまあ、邪な想像で人をロリコン扱いしてくれたなあ。あの汚物でも見るような目つき、忘れたとは言わせんぞ?」
今回ばかりは悪いのは美瑠のほうである。
気まずさで目を泳がせながら、美瑠は必死に取り繕おうと試みた。
「よ、良かった~~、傷ついた少女はいなかったんだね!」
「な~にスカした飲んだくれみたいなこと言ってんだコラ~!!」
ガッシと美瑠の首根っこを掴み、容赦なくブンブン振り回す。
「キャーッ! ゴ、ゴメン! わるかったってば~~」
「くそ~、どいつもこいつも、ごめんで済んだら仮面ライダーもプリキュアもいるか~! 金返せこんちくしょ~!」
「ちょっ!? 何わけわかんないことで怒ってんのよ~!!」
まるでパンクロックの聴衆のように頭をガクガクと揺らされ、美瑠は目を白黒させた。
その様子を同情しながら見ていた千霧が、ふと傍らに立つ少女に気づく。
少女は笑うでもなく、蔑むでもなく、どの感情にも属さない、空っぽの表情で目の前の光景を見ていた。
依然、少女の正体は謎だった。
だが、この祭りに関する重要な情報を握っているのは明らかである。
兄妹にまかせていてはいつまでたっても話が進まないので、千霧は勝手に聞き取りを開始することにした。
「この祭りが呪いによるものだということは私も把握している。これに関わっているだろう魔物のことも。君は、この呪いのことをどの程度知っているのか」
千霧の懸案事項はただ一つ。この呪いに摩利支が調査している魔王が関わっているかどうか、である。
仮にそうであるならば事は重大だ。
この大がかりな祭り自体が魔王誕生に向けたサバト(悪魔崇拝を目的とする集会・宴)であり、何らかの儀式であるという可能性が出てくるからだ。
それを確認するため、千霧は礼に会う必要があった。
もしこの呪いが魔王に関連するなら、現時点で魔王ともっとも深い関わりをもつ礼にも、何らかの変化が生じているはずだった。
ところが、確認しようにも礼はもう何日も事務所に顔を見せない。
やむなく千霧は、街の地理に詳しい美瑠をお供に、礼の捜索に繰り出したのだ。
「これは、森嶋重四郎という人が作り出した呪い。目的は、とても個人的な事」
少女の話を聞いて千霧はひとまず胸を撫で下ろした。
摩利支の資料に森嶋重四郎の名はない。どうやら今回の件は礼とも魔王とも、関係はなさそうである。
「どうすればこれを止められる?」
「詳しいことは私もわからない。でも、この呪いを生み出している場所を知ってる。そこに行けば何とかなるかもしれない」
「そもそも、なんでこの祭りを止める必要があるんだ? そのお祭り好きの森嶋ってヤローだって、暗い世の中を明るく楽しくチェンジしましょうって考えてる、いいヤツかもしれねえじゃねえか」
いつの間にか美瑠への制裁を終えた礼が話に割り込んできた。
「あの人はそんなこと考えてない。人には、それぞれに大事な生活がある。ただの、個人的なちっぽけな目的で街の人たちを巻き込むのはよくないこと。それに……」
淡々と話す少女の言葉が、初めて途切れた。
「その目的は……、多分、かなわない」
「森嶋、さん? の目的ってなんなの?」
今度は美瑠が会話に加わる。
「……」
少女は答えなかった。口をつぐみ、ガラス玉のように虚ろな目で地面をじっと見つめている。それは明確な拒絶だった。
短い沈黙が続き、次に口を開いたのは千霧だった。
「目的は何であれ、呪いを止めるのには私も賛成だ。人間たちの意志で始めたことなら問題ないが、そこにある種の魔力が介在しているというのであれば、その状態が長く続くのはよくない」
将来的に、何が魔王誕生のきっかけになるかもわからない。不安の種は取り除いておくのが千霧に課せられた使命である。
「まあ、千霧さんもこう言ってることだし、まずはその呪いの発生場所とやらに行ってみるかー」
「またそんな風に軽く言って……。本当に大丈夫なの?」
いつもは強気な美瑠も、さすがに今だけは遠慮気味だった。
「な~に、千霧さんもいるし大丈夫だろ。……ところで、お嬢ちゃんの名前、まだ聞いてなかったな?」
歩き出そうとした礼が、ふと思い出したように少女にたずねる。
「……ユメ」
一言、少女はそう名乗った。
◇
少女を道案内にぞろぞろ連れ立って歩く道すがら、「あまり詳しくないのだが」と前置きしたうえで、千霧は呪いについて知る範囲のことを皆に説明した。
「呪いとは、病原菌ウイルスのようなものだと考えてくれればいい。あるウイルスに感染すれば、そのウイルス特有の症状が現れる。呪いもまた、それをかけられた者に特定の被害を引き起こすのだ」
「今回の呪いは、『とってもお祭りがしたくなる』っつー被害だな」
「そうだ。何とも奇妙な話だが」
礼の言葉にうなずいて答え、千霧は言葉を続けた。
「呪いに対する抵抗についても、似たようなことが言える。呪いのかかりやすさには多少の個人差があるし、一般人が強い呪いに抵抗することはやはり難しいだろう。また、予防接種を受けるように、人為的に防御することも可能だ」
その最たる例が美瑠だ。
祖母の都からもらった勾玉のお守りにより、美瑠は呪いから護られていた。正しい製法によって作られた正式なお守りは、呪いを防ぐために極めて有効だ。
もちろん千霧も呪いにはかからない。彼女の場合は血を吐くような修練の日々と引き換えに得た、高い呪術抵抗力ゆえだった。
問題は少女と礼である。
千霧は前を歩くふたりを用心深く見つめた。
(このふたりは、なぜ呪いにかからない?)
礼に関しては、すでに半分あきらめている。この男には、もう何が起こっても驚かない。言わば何でもありなのだから、呪いがかからないぐらいのことも当然起こりうるだろう。
ただ一つ確かなのは、本人に理由を聞いてもろくな答えが返ってこないということだけだ。
そしてユメと名乗るこの少女……。
目的地へと出発する前に、少女はお面をつけ、表情に乏しいその顔を白い狐の陰へと隠した。
その行為に理由があるのかはわからない。お面をつけてから、少女はずっとだんまりを決め込んでいたからだ。
千霧は少女を信用していなかった。
いや、はたして『少女』と呼ぶべきかどうかもはっきりしなかった。
表面上はどう見ても人間にしか見えないが、少女の気配はかすかに魔力を帯びていた。
今のところ少女からは敵意も悪意も感じられない。
『呪いを止める』という同一の目的のためにともに行動しているが、これが罠とわかれば、千霧は躊躇なく少女の小さな胸を錫杖で貫くだろう。
自分の命が千霧の手のひらの上にあることを知ってか知らずか、少女はひょうひょうとした足取りで歩き続けた。
5分ほど歩いて少女が止まったのは、3階建ての小さなビルの前だった。




