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「だから、ごめんって言ってるでしょ? お兄ちゃん、いい加減機嫌なおしてよ」
商店街のフルーツパーラーのテーブル席で、礼は相変わらず不機嫌にそっぽを向いていた。
「フン! 謝ったぐらいで済むかってえの。だいたいお前はなあ、俺が奪われたものの大きさがわからないから、そんな言い方しかできないんだ」
「? 奪われたものって何よ?」
美瑠は礼が腹を立てているのは、てっきり部屋を散らかした犯人と誤解されたからだと思っていた。
「そりゃあ、お前……」
言いかけて、こちらをじっと見つめる千霧と目が合う。
パーラー内の4人がけのテーブル席に、礼と向かい合って千霧と美瑠が並んで座っていた。
さすがに本人を前にして夢の内容を話すわけにはいかず、身ぶり手振りを交えながら、必死に説明を試みる。
「男のロマンだよ! 夢、希望、未来と調和! 例えるなら、空を駆ける一筋の流れ星のような……」
「はあ? バカじゃないの?」
(くほおおおおおお~~~~!!? ふざけやがってこの小娘が……! 復讐してやる! 必ずっ! 最低一週間はひきずるようなドえげつない復讐をなあっ!)
とはいえ、さすがにこのままでは埒があかないので、3人の中で一番の年長でもある礼は、いったん怒りをおさめることにした。心の中で必罰の誓いを立てながら、この会食の本来の主役である千霧に改めて向き直る。
「じゃあ、千霧さんのこと、教えてくれないか」
先日、前ぶれなく突然礼の事務所を訪れた千霧は意外な提案を持ちかけてきた。
曰く、「パートナーとして、礼とともに働きたい」というのだ。
なんでも、この月光市で調査している事柄があり、手がかりを集めるにはここに根を張って活動する必要があるから、ということだった。
「給料や手当ては私の所属する組織から出ているので心配しなくていい。ただ、君の仕事に同行させてほしいのだ」
千霧は疑いなく超一流の退魔師である。横で話を聞いていた美瑠は、当然礼もこの破格の申し出を二つ返事で承諾すると思った。だが、礼は首を横に振った。
「もともとこっちも千霧さんをスカウトするつもりだったから、パートナーにって話は歓迎さ。でも、そっちからわざわざ頼みたいっていうんなら、話は別だ」
主導権はこちらにあると見るや、礼はすかさず交渉を持ちかけた。
金銭的な援助か情報の共有か、はたまた組織への取りなしか……
考えうる交換条件を瞬時に想定しながら言葉を待つ千霧は、礼の出した条件に完全に肩透かしをくらった。
『週に一度、礼と一緒にどこかへ遊びにいくこと』
それが礼の出した条件であり、ひらたくいえばデートの誘いであり、気の抜けた千霧は深く考えもせずに承諾し、今日がその第1回目ということになるのだった。
3人のテーブルに店員が注文の品を持ってくる。
「キャ~ッ! 待ってました~!」
目の前に置かれたこの店の人気メニュー、ジャンボパフェの『いちごスペシャル』を見て美瑠が歓声をあげる。
当社比1.5倍のストロベリーとバニラのアイス、生クリームがうず高く盛られ、カット苺とストロベリーソースをふんだんに使ったデコレーション、極めつけは頂上に燦然と輝く大粒のとちおとめ……と、苺好きにはたまらない迫力の一品である。
礼と千霧のデートに美瑠が相席している理由がこのジャンボパフェだった。
もとから礼は事務所の掃除の報酬として美瑠にパフェをご馳走する約束をしていた。
ならばついでに千霧も呼んで、3人で話をするのがいいだろうと考えたのだ。
初めから二人きりになるよりも気兼ねがないだろうし、美瑠も千霧が来ることを切に望んだからだ。
礼のコーヒーと自分のフルーツタルトと紅茶のセットがテーブルに置かれるのを待って、千霧はおもむろに口を開いた。
「私は『摩利支』という退魔組織に所属する退魔師だ。『摩利支』はその名のとおり戦闘の神、摩利支天を由来としているが、本来、陽炎という意味をもつ。ゆえに組織の実態は秘匿とされ、その活動が表に出ることはない」
「へえ? じゃあ普通の退魔師みたいに、依頼を受けてその辺の魔物をやっつけるってことはやってないのか?」
「ああ。私たちは組織の頭領である天剛様の指令を受けて動くが、基本的には大規模災害に繋がる怪異への対応や、国防に関する任務が主となる」
千霧の言うとおり、国政に関わる要人へのテロやスパイ行為は、何も人間の手によるものだけではない。しかし国内の反政府組織や他国から送り込まれる魔物、式神、使役妖怪との戦闘、あらゆる呪術への対応などは警視庁警備部警備課の手に余った。
そこで、もし国内でその手の脅威が発生した際には、日本有数の退魔師であり政財界とも繋がりのある忍舞天剛 (しのぶてんごう)が政府から直接依頼を受けて、事の対応にあたることになっていた。
ちなみに今回の月光市での調査は、脅威の内容を考えれば大規模災害と国防の両面に関わっているといえた。
「スゴイ……。じゃあ千霧さんて……、正義の味方の凄腕エージェントなんですね!」
パフェの甘味と千霧の話に目をうっとりさせながら、美瑠が熱い視線を千霧に送る。
「へえ~、それは殊勝なことで……」
一方で、秘密の組織であるとか政府であるとか、想像はつかないが権威だけは押し付けてくる存在に反発したいお年頃の礼は、何ともわかりやすい反応を返した。
「私も、望んでこの仕事をしているわけではないさ」
目を伏せながら自嘲ぎみにつぶやく千霧に、美瑠がおずおずと問いかける。
「千霧さんは、子供の頃から……、その、組織にいたんですか?」
「普通に話してくれ。そういう言葉づかいはくすぐったい」
千霧のはにかんだ表情に美瑠のみならず礼までもが、はきゅ~んと心をわしづかみにされる。
「そうだな。退魔の才能を見込まれた私は、物心つく前から天剛様に手ほどきを受け、そのままこの世界で生きることになった。だから私は自分が学んだもの以外の事をほとんど知らないし、人付き合いも、その……、苦手だ」
お互いに家族のことは話さなかった。
美瑠もまた千霧に両親がいないことは聞いていたし、ほかに頼れる家族がいるようにも思えなかった。
「ところで、今はどこで寝泊まりしてるんだ?」
「組織が用意したホテルだが、近々この街に部屋を借りて、そこに移るつもりだ」
「なんだよ、じゃあ千霧さん、美瑠と一緒に住めばいいじゃねーか」
礼の言葉を聞いて、美瑠のテンションが一気に上がる。
「そうっ、そうだよっ! お兄ちゃん、たまにはいいこと言う! ねえ千霧さん、そうしよっ? お兄ちゃんが出てってから、ずっとひと部屋空いてるしさ!」
黒目がちな瞳をキラキラと輝かせ、上気した顔で整った小鼻をスピスピと膨らませる。
普段はクールな千霧も、まるで愛玩犬のような美瑠の愛らしさに、思わず手を伸ばしてその頭をなでたい誘惑にかられた。
「い、いや……、しかし……」
「なんだかんだ言っても、女の独り暮らしだしな。何かあったときに千霧さんが守ってくれると思えば心強いんだが。もちろん、家賃はタダでいいぜ」
「今度、上と相談してみるよ」
返事を保留にされて残念そうな美瑠の首元を千霧が見つめる。実は、先ほどから気になっていることがあった。
「守るといえば、美瑠が首からかけているそれなんだが……」
「ああ、これ? うん、お守り。この前お祖母ちゃんがくれたんだ。お兄ちゃんがこんな仕事始めちゃったから、やっぱり心配らしくて」
美瑠がペンダントを首から外して千霧に見せる。
「お祖父ちゃんの遺品と一緒に大事にしまってたみたい。とても霊験あらたかなものよって言ってた」
それは勾玉をペンダントヘッドにあしらった、見るからに由緒正しそうな趣のペンダントだった。
勾玉の材質はわからないが、フローライトのように透き通った中心部には黒いもやと星のようにきらめく粒子が散りばめられており、まるで夜空を封じ込めたような美しさだった。
「ナニ? 俺は何ももらってないぞ?」
「それはお祖母ちゃんのところに全然顔出さないからでしょ? たまには顔見せてあげなよ」
「ふむ、やはりな。確かにこれは、素晴らしいものだ」
「「へ?」」
千霧の意外な言葉に、礼と美瑠が同時に向き直る。
「この勾玉の中には高純度の霊力が封じ込められている。美瑠が危ないときには、必ず役に立ってくれるはずだ」
そんな恐ろしい力を秘めた代物とは知らずに、思えばずいぶん雑に扱ったような気がする。
「うわっ……、そうなんだ……。ちなみに封じ込められた霊力って、どれくらいなの?」
「そうだな、ゆうに家一軒吹き飛ばすぐらいの霊力はあるだろう」
ペンダントを無造作に手の上に返されて、その姿勢のまま美瑠が固まる。
(うーむ、ばっちゃん相変わらずだな……。人の良さそうな顔してやることがとんでもない……)
掌上のペンダントを見つめたまま動かない美瑠を見ながら、礼は孫を想う都の狂暴なまでの愛情に戦慄した。
「さて……、話も済んだし、そろそろ俺は行くぜ」
「あれ? お兄ちゃん、もういいの?」
「ああ。あとはお前たちふたりで楽しみな」
そう言って、残りのコーヒーをずずずと一気に飲み干す。
千霧の話も聞けたし、何より美瑠がいるのではこれ以上手の出しようがない。礼は一足先に甘い香り漂うこの乙女チックな空間から抜け出すことにした。
「と、その前に……。さっきのお詫びにもらっていくぜ」
言うが早いか、美瑠のパフェに手を伸ばし、その頂上に載っている大粒のとちおとめをつまんで口に放り込む。
美味しいものはあとに取っておく、美瑠の性格を知り尽くした会心の復讐だった。
「ああ、甘くておいしいな~」
手についた生クリームをわざとらしく舐めとりながら、礼は『ゲスい表情』で放心状態の美瑠を見下した。
(まったく……。どこまで子供っぽいのやら)
やれやれとため息をつきながら、千霧はせめて自分の任務だけでも軽く説明しておこうと考えた。
「それならば、出ていく前に話しておきたいんだが……」
話しながら横の美瑠に顔を向けてギョッとする。
こちらでは美瑠が大きな瞳に涙をたたえながら、鼻の先を真っ赤にしてふるるとわなないている。
「あ……、ちょ……、な……、おに……」
「ヒッヒッヒッ……、人の幸せを邪魔するとこういう目に合うんだよ」
「な……、なな、なんてことするのよ~! 苺はロマンなんだよ? 幸せなんだよ!? 苺は、苺は……、夢、希望、未来と調和!」
あまりに深い悲しみと絶望に、美瑠が錯乱する。
絶望の淵であえぐ美瑠の様子を存分に堪能し、礼は心の底からほくそえんだ。
復讐はなったのだ。
食べ物への、とりわけ甘い物への執着が強い美瑠は、最低一週間は嘆き悲しむだろう。
「お兄ちゃんのバカ~ッ! 絶対許さないからね! 事務所の掃除だって、もう絶対してやらないんだから!」
「フンッ! 元はと言えばなあ、お前が人の夢を邪魔するのが悪いんだろうが!」
「……」
ギャーギャーとわめき合う兄妹とは他人を装いながら、千霧は紅茶をひとくち口に含んだ。
実は世界は魔王誕生の危機に……、いや、やめておこう。
今、この空間では、明らかに魔王よりも奪われた苺のほうが重要な問題なのだ。
気の済むまで、存分にののしり合ってくれればいい。
このふたりと一緒にいると、自分の常識までおかしくなってくる気がする。
いつ果てるともしれない幼稚な言い争いを背中に浴びながら、千霧はひとり黄昏れた目で窓外を見つめていた。
◇
同日深夜――
逃亡の末、市内中央の公園に身を隠した祭鬼は、公園にたむろしていた若者たちを操って狂乱する様を眺めていた。
「ヒハハハ……、しっかし、最高のバトルだったぜ」
日中の千霧との戦闘を何度も反芻しては、その都度よみがえる死と紙一重のスリルに目を細める。
ここ最近では、これほど心がひりつくような体験は久しぶりだった。
もちろん、もう一度戦うのは御免だが。
若者達がパンツ一丁になって裸踊りを始めた。
一口にお祭り騒ぎといっても、人間はいろいろな楽しみ方、いろいろな表情を見せる。
それゆえに、祭鬼は人間を操るのが好きだった。
彼らを真似てDJをしているのも好きが高じての事だが、内心では人間への憧れがあったのかもしれない。
「僥倖だ」
それは楽しい気分を台無しにするような陰鬱な声だった。
声の方を振り向いた祭鬼の視線の先に、白衣を着た男が立っている。
姿を隠した祭鬼の姿は、同族か訓練を積んだ人間にしか見えないはずだった。
「てめえ、見えてんのか?」
答えは聞かなくてもわかった。
男はまったく視線をはずすことなく爛々と見開いた目で祭鬼を見つめている。
「まさか、最後のパーツが自らこの街に現れるとは」
対峙するふたりの後方で、操られた若者が叫んだ。
「ヒャッハー! 祭りはこれからだーっ!!」
僥倖:思いがけない幸い。偶然に得る幸運




