第三章
今更疑う余地のない交錯。
《傷持ち》たる彼が語ったように……そして何より自分自身がそう信じ続けたように。世界は一つで歴史は一つ。
であるならば、この衝突さえも歴史に肯定された一部にして、有り触れた一幕の再現でしかない。
そこにあるのは、正義を突き通すだけの覚悟か。認めるほかない敗北か。
知りえない未来は二つに一つで、その結末は決まっているのだと諦めるように胸の中心へと落とせば、去来する感情に恐れは抱かない。
幾ら目の前の存在が人外染みた膂力を持つからと言って、それだけだ。視認出来なくとも、振るわれる攻撃は人の身からしか成しえないことで、だったら同じような事が要にだって出来るはずなのだ。
ブースターなんて要らない。全ては想像で補って、出来るはずの行動を示すだけ。
歴史が再現されるなら、望む限りに限界はない。
呆れるほどに早い接近。けれど冷静な頭の片隅が、その軌道を予知でもするように光の道を示す。それは宛ら記憶の混線。未来の自分の思考を、過去の存在が垣間見る刹那の感覚の領域。言葉にして当て嵌めるなら、勘によるデジャヴ。
迫り来る蹴り。見ること適わない鋭い攻撃に合わせて固く結んだ拳を振り下ろす。脛への殴打。確かな感触は同時にこちらの拳にも痛烈な刺激を走らせる。
当然なことと言えば要のこの体は生身の……ブースターの強化を得ていないひ弱な男子高校生そのもの。それと鉄骨がぶつかれば殴った方に痛みが走るのは必然。けれど自爆のために攻撃などしない。そうなるだろうと狙って振り下ろしたその一撃が捕らえたのは彼の足の骨。
響き渡る痛快な一撃は《傷持ち》の攻撃に予想外の痛み分け。
咄嗟に後ろに飛んで距離を取ろうとする《傷持ち》には阿吽の呼吸で詰め寄った未来の追撃。突き出した左の拳は当たらない……けれどそれは彼女にとっては囮だったようで。
殴り掛かった勢いそのままに左足で大地を蹴って、その場で斜めの全宙。軌跡を描くのは右の踵落しで、その先に《傷持ち》の首目掛けて唸る。
しかし《傷持ち》だってこれまで幾多もの戦いを潜り抜け、未来の癖は知り尽くしている。その足技に合わせて挟んだ左の手のひら。同時未来の背中に宛がった右手と合わせて彼女の体を後方へと受け流す。
「お、った……!」
そこからの妙技はきっと咄嗟の判断だったのだろう。《傷持ち》の背後へと叩きつけられようとした未来は、器用に両手でバランスを取って体勢を持ち直し側転の要領で右足を地に着けると、今度はそれを軸に繰り出す振り向き様の左ハイキック。
僅かに足りなかった高さが迫る先は《傷持ち》の顎。爪先にでも引っかかればヘルメットを蹴り飛ばしそうなほどの一撃は、けれど引くではなく前に一歩踏み出た《傷持ち》が、頭突きをするようにヘルメットで応戦したことでその能面を剥がすまでには至らなかった。
心のどこかで惜しいと考えたのも束の間。体は既に走り出していて、目の前の《傷持ち》の背中を横殴りに蹴り飛ばす。《傷持ち》にしてみれば経験した過去。当たり前のように防御を挟まれ、思いの外乗った威力も転がって殺すことで大した効果は望めない。
……大丈夫、ブースターがなくても戦える。そうなるものだと疑わなければ、結末を手繰り寄せるだけだ。
僅かに上がった息を整えつつ未来と二人《傷持ち》を睨む。
「厄介だなぁ、その強制力……。まるで異能力染みた攻撃……偏差反撃か」
「悪いな、異能力者じゃなくて」
茶化した《傷持ち》に鼻で答えて、けれどどこか躍った胸のうちに楽しく思う。
予測から想像をしてカウンターを叩き込む。要の中で確立されていく対ブースター用の戦闘スタイル。彼が語ったように名付けるならば偏差反撃……異能力に準えるなら『偏差反撃』と言ったところかと。そんな異能力何処で使う機会があるというのだろうか。
「それに、例えそんな力があったとしても、反撃である以上こっちからは何もできないんだから打開の手段にはならないだろう?」
「意味のない異能力だな。お前にぴったりだ」
「そっくりそのまま返してやるよっ……!」
まるで今この時を楽しむように。未来との交錯に──過去との再開に──己を重ね合わせるように。隠しきれない胸の内を意味もなく言葉にして戦いの炎にくべる。
次いで響いた音はアスファルトの大地を蹴った鈍い擦過音。次の瞬間、《傷持ち》が向かった先は未来。……確かにその気持ちは理解できなくはない。
要がそう感じているように、《傷持ち》だってこの交錯に心地よさを描いているはずだ。だとしたら、何よりの異物は誰よりも正義を振りかざす未来。彼女の横槍があっては純粋に衝突も出来ないと。
けれどしかし、そんな想像とやるべきことは別で。近接戦闘へと縺れ込む二人に向けて要が飛び込んでいく。
そうして始まる乱戦に、要は想像できる限りの未来を重ね合わせる。
怯むな、臆するな。正しいと信じて当たると確信する攻撃こそが意味を持つ。歴史を味方に……未来を味方につけろ。
我が儘に不遜に平等に見下して。世界にとって自分こそが正しいのだと刻み付けるように。
振り回す攻撃はまるで旋律に踊る楽譜のように。流れを持って次の景色を知らせてくれる。
顎を下から打ち抜く蹴り上げ。かわされ踵落とし。振り下ろした脚に迫る脚払いを跳んで避け、合わせて左回転からの回し蹴り。挟まれた防御を崩して着地の右拳廻打。手首を掴まれ合気道の要領での投げ飛ばしに合わせて振り回した脚がヘルメットを掠る。
体勢を立て直す間には波状攻撃に掛かる未来。『スタン銃』と『捕縛杖』のガン=カタは、《傷持ち》も鏡映しに構えた武器で応戦。交錯の中で互いの手から離れた武器が宙を舞い、相手の手元へと。未来が握ったのは二挺の『スタン銃』。対する《傷持ち》には二振りの『捕縛杖』。
刹那に唸った銃口の轟きはマガジンを空にするほどの連射。合間に蹴りやグリップでの殴打を挟むやり取りは、けれどその悉くを《傷持ち》が妙技で往なす。彼が防衛に見せた空中へ描く軌跡は見惚れるほどに流麗で、まるでジャグリングのように跳ねては戻る二つの棒が《傷持ち》の周囲に踊る。
そんな曲芸のようなやり取りは、けれど刹那で。未来が右手の『スタン銃』を使い切るのと同時、弾倉の交換を放棄してそれを《傷持ち》へと投擲する。
その飛来物を『捕縛杖』で弾いた彼の手から、その武器も宙へと舞って。
けれどそれには目もくれず疾駆した未来が空いた右の拳を突き出す。一瞬だけ手を離れた武器に注意を逸らした《傷持ち》が未来のその攻撃に反応が遅れ、ヘルメットに掠らせる。
その僅かな接触さえ未来は見逃さない。直ぐにそのまま、右手を回して《傷持ち》の首を捕らえ、その場へ組み敷くような脚払い。がくんと崩れた《傷持ち》をそのままアスファルトに縫い止めようと覆い被さろうとした未来。けれどそれより数瞬早く、受身さえ捨てた反撃の左膝が未来の脇腹を貫く。
捨て身の反撃に蹴り飛ばされた未来。大地を転がって受身を取る間に《傷持ち》が立ち上がって────
「動────」
「残念っ」
駆け出していた要が転がった『スタン銃』を拾い上げ彼の後ろ腰に突き付け「動くなっ!」と制止を掛けようとする。
しかし《傷持ち》にしてみればそれさえも知っていること。弾も空っぽで見掛け倒しなその銃の形をした制止に応じる筈もなく、ただ無情にこちらの意思だけを砕いての振り向き様の裏拳。
思わず取った反応は防御と後退。けれど防御は間に合わず、振り抜かれた拳が顎の辺りを掠って視界を揺らす。
熱く火花が散るような明滅は瞼の裏。数瞬の事に視界を奪われ平衡感覚さえ失って体中を鈍重な意識が支配する。次に目を開ければ、視界には黒く熱いアスファルトの大地が目線近くを真っ直ぐに。ようやくそこで自分が倒れていると言うことに気がつく。先ほどの鈍い痛みはこの固い地面を転がった際のものか。
眩む視界を堪えつつ立ち上がれば近くに気配。見やれば要を庇うようにして立つ未来。
「……大丈夫?」
「…………っあぁ。……くそ、少し揺らされた」
言って頭を支えるように片手を側頭部へと宛がう。
感触の未だ残る顎への攻撃。頭の中を揺らして見当識を混乱させる技はボクシングでもよく見られる脳震盪を引き起こる技術。場合によっては命に関わる急所だ。
記憶を遡って己の甘さに歯噛みする。
振り返れば当然の事。要にしてみれば《傷持ち》と未来の戦いは未来予測でどうにかついていける程度。細部までは分からない。だからホールドオープンの音も聞き逃すし、夢中になっていれば手に取った『スタン銃』の重さも分からない。
要はそこに弾があると疑わずに拾い上げて《傷持ち》へと突きつけたのだ。その肝心の中身がなければ意味が無いと。今更ながらに持った時の感触と、《傷持ち》の語った「残念」と言う言葉の意味に気付いて自嘲する。
ここまで来ても浅はかだ。たった一つのミスがこうして窮地へと繋がると言うのに……。
いや、違うか。先ほどの要はそこに弾が入っていると疑わなかった。そこにあるだろう、ではなく、あるとどこかで断言して、それに縋るように行動に移したのだ。
歴史を信じたその報い。今までだって嫌な景色に何度も想像を裏切られてきた。全幅の信頼を置くには中々に癖の強い強制力だ。すべてが自分に都合がいいだなんて溺れてしまった自分が情けなくなる。
……想像がそうなると頼るのはいい。けれどそれは、要の言動に対してだけなのだと。未来が握っていた武器までは要の思い通りにはならない。それは未来が願うべき未来の形だ。
「…………ったく、これだから融通の聞かない歴史なんてものに牙を立てたくなるんだろうな……」
「……その最初の芽を摘めたらどれだけ平穏になることだろうね」
同調するように茶化した未来の言葉に肩を揺らして。それから抜き忘れていた自分の『スタン銃』を手にして構える。
「それこそ異能力が根絶するだろ?」
「あたしにしてみればなくてはならない力なんだけどね」
未来の言葉に少しだけ考える。異能力は、人の身に余る力だ。けれどそれはうまく使えば利便性へと繋がる。
きっと未来のいた未来では諍いだけではない……しっかりとした制度で保障された上に便利な世界が出来上がっているのだろう。
発達する科学と、異能力。その組み合わせで一体どれ程の理想が叶えられるだろうか。今だって随分と便利ではあるが、だからこそ望むそれ以上は尽きないわけで。
いつの時代も満足のその先への探求こそが何かを生み出すのだと。
この時空間事件も、要個人の欲求を満たすためと言う側面だってどこかにある。もちろんそれを口にすれば未来は苛烈に批難するのだろうが。
「そもそも異能力がなければ起きなかった事件だしな」
その黒幕が、そろそろやって来るのだろうと言う予感は先ほどから強くなるばかり。既に要は、楽がこの時代へやってくる事を疑っていない。
《傷持ち》が現れて、要がやってきて、由緒が揃う。これだけ整えられた舞台の上で何もないと言う方がおかしな話だ。
「その異能力に恵まれず、振り回されている気分はどうだ?」
「……今となっては飽きるほどだな」
《傷持ち》の言葉に正直なところを答える。
夢見た力は、手に入れればそんなもの。人の欲のなんとは儚く残酷なことか。
「結局変わらないだろ。異能力があろうとなかろうと、起こるものは起こる。それが一つ増えるか増えないか、それだけのことじゃないのか?」
「世界は一つで歴史も一つ。知らない未来に想像したところで、意味はないがな」
心地いい会話は分かり切った答えへと終息して肩を揺らす。
諦めと希望の入り混じった考えはその内答えを知るだろう。それがいつになるのかは分からないけれど、そう遠くないのかもしれないなどと夢想しながら。
そんな風に未来と過去の要の交錯に名残惜しささえ感じていると不意に隣の未来が息を詰める気配。
彼女のその仕草に、ようやくかと要も緊張を漲らせる。
「意味が無いから、希望なんて抱くんだろう?」
「違いないっ」
最後になるかもしれない言葉を交わして。そうして景色が希望と現実を手繰り寄せて動き出す。
最初の変化は睨み合いの中心。未来に要、そして《傷持ち》が対峙するその中央に見せた時空間の歪み。辺りの景色を引き裂いてそこに現れたのは、長い黒髪を翻らせた幼馴染たる由緒。
要の感覚では随分と久しぶりな再開。間に色々な事があったからだろうが、彼女からしてみればつい先ほどのことだろう。
この彼女は、後催眠暗示による自殺未遂を再現したその直後に隔離した時の由緒。要との間には二日ほどの歴史の差がある。今の要からしてみれば、あの彼女は二日前に生きる過去の人物だ。
「由緒っ」
「よー君!」
「しゃがめっ!」
「え…………?」
駆け出しながら構えた『スタン銃』。こちらに向いて名を呼ぶ彼女の向こう側には、由緒に接近する黒尽くめ。ブースターがある分あちらの方が少し早いか……。
考えるより先に叫べば零れた小さな声。向けた『スタン銃』にしゃがまず、背後へと振り返った彼女の瞳に映る黒尽くめ。
由緒の視点から言えば、誘拐以降に目にする姿。楽が刺された時とで三度目の黒尽くめに彼女の体が固まる。
「由緒っ!」
「っぁ……がく君の…………」
呟きは記憶の開放か。恐らくその姿を目にして彼が刺されたその現場を思い返したのだろう。あの時は凄惨な光景に巻き込んで悪かったと。心の内で謝りながらスローモーションに流れる景色に歯噛みする。
くそっ、しゃがんでくれなきゃ《傷持ち》が撃てない……! 他に何か使える手は……?
瞬時に巡る思考は、左手の空の『スタン銃』へ。弾がなくて撃てないのならばとそれを投げて武器とする。
しかし《傷持ち》はそれにしっかりと反応して、トリガーの部分に『捕縛杖』を引っ掛け輪投げの要領で絡め取るとそれをホルスターに仕舞い込む。せめて足を少しでも緩めてくれればよかったのに。
次いで由緒に向けて接近する《傷持ち》。また由緒にお姫様の役を押し付けるのかと。
届かない手のひらに胸を痛めた直後、景色を彩る空気が反転する。
「な……!?」
「お…………?」
「でぇやぁああっ!」
由緒に向けて《傷持ち》が伸ばした手。その手首を掴んだ由緒の体が刹那に反転してこちらに前傾する。
《傷持ち》の懐へ入り込んだ由緒が、その背中を滑らせて《傷持ち》の掴んだ右手を引っ張る。
要にとっては忌々しくも見覚えのある綺麗な型。黒帯が放つ、一本背負投。
彼女にとっては咄嗟の行動。染み付いた癖が取らせた反撃の投技。
要も幾度となくかけられた凶悪なる由緒の得意技が《傷持ち》の体を投げ飛ばす。
けれど《傷持ち》の中身は未来の要。掛けられ慣れていれば体も反応するもので、直ぐにとった受身で最小限の被害に押し留める。
思わぬ由緒の反撃に立て直しが効かずアスファルトの大地に膝を突く傷持ち。その背中を睨みながら、未来と二人由緒を庇うように立ち塞がる。
「……無茶するなよ」
「いきなりだったから……。それにあの人、がく君の…………」
「…………そうだな」
由緒の安全を確保しながら答えて胸の内で謝る。
出来ることなら《傷持ち》の正体を、彼女は知らないままで居てほしい。もし知れば、彼女は納得をしてくれるだろうが、それでも悲しむのは分かりきったこと。そうして悲痛に歪む幼馴染の顔を、要は見たくない。
だから今の交錯でも《傷持ち》がまだヘルメットを被っていてくれる事に感謝さえする。
「……咄嗟であれだけの技が掛けられるとは…………。けれども次はない。そうと分かれば対策はして然るべきだろう?」
言って向けてくるのは『スタン銃』の銃口。恐らく先ほど受身を取った時にリロードも済ませたのだろう。
不意に過ぎるのは由緒に掛けられた後催眠暗示。
前に彼女を誘拐する際には『スタン銃』を向けることで彼女の意識が途切れることで難なく由緒を運ぶ事が出来た。
後催眠暗示は、要の知っている知識で語れば条件さえ整えば何度でも発動するものだ。『催眠暗示』と違い一回限りではない。
だとしたらこの銃口を見てしまえば由緒がまた倒れてしまうと。上げた腕で後ろの彼女の視界を遮って告げる。
「由緒、目を閉じてろ」
「……どうして?」
「泥臭い戦いを見てて欲しくないだけだ。大丈夫、お前は俺が守るから」
「信じて、いいんだよね?」
「今だってしっかり迎えに来ただろ?」
縋るような声に頷けば彼女の手のひらが背中に触れる。
「……うん。信じてる」
その温かさに。確かな感触に。
守るべき者が居る覚悟に胸の内を燃やして、そうして深呼吸。
「…………待たせたな」
「思い出を作ってやるのも、敵の仕事の内だ」
「語るなよ、悪役の分際でっ」
息を詰めて刹那。大地を蹴れば目の前に迫った黒いフルフェイス。
互いの急接近で頭さえぶつけそうになった瞬間に拳を振るう。往なしたのは『捕縛杖』。
《傷持ち》が未来の要なら、今この瞬間に居る過去の要は最悪の事態には陥らない。だから安心とは違うけれども……面倒な懸念は捨てて目の前に集中する。
次いで構えた『スタン銃』は、鏡映しに手を動かした《傷持ち》の動作に跳ね除けられる。
僅かにずれた銃口。絞ったトリガーで放った弾がヘルメットの横を通過。代わりに向けられた銃口は前傾でかわすと懐へ。
体ごと突っ込めば勢い任せのタックル。崩した体勢に追撃を叩き込むのは未来。
既に未来との連携も頭の中にはない。
それは信頼さえ超えた依存のような確信。要の行動が歴史に肯定され、想像する限りにありえるだけの未来を描くのならば、そこに関わってくる未来も同様に当然の行動を示す。
要の攻撃がやめば未来が。互いが互いを助けるようにこれまで重ねてきた経験が、そういうものだと疑わないからこそ今更想像などしなくとも完璧なタイミングで二の矢を放ってくれる。
打てば響く、よりも、阿吽の呼吸。単純に未来へ丸投げしているだけかもしれないが。
「全く、心細い限りだよっ」
「だったら呼んで来たらどうだ? そろそろ来るんだろう?」
交錯の最中。まるで他愛ない雑談のように零す話題にさえ探りを入れる。
要が居て、由緒が居て、未来が戦い、《傷持ち》が襲う。足りないピースに言及すれば、《傷持ち》がヘルメットの奥で嗤った気がした。
だからこそ、要は思考を回転させる。
楽の目的はどうあっても要だ。けれど未来が居て、要自身も抵抗するから周囲の人物にまで魔の手が及ぶのだ。
今回だってそう。要が《傷持ち》としての役割を放棄して彼の手元を離れたから。また再び由緒を人質にするべくここまで来ようとしている。
だったら今この瞬間楽が現れたとして、真っ先に狙うのは誰か……と言う疑問。
単純に言えば由緒だろう。それだけでこの時間に来る意味が生まれる。
けれど楽の事だ、由緒に気を引かせておいて、それを止めに来た要を釣り出して捕まえる策かもしれない。
その詳しいところは楽本人しか分からない。
過去干渉はそれより未来の事が分かっていれば不可能。それは今要が《傷持ち》相手に振り翳している歴史の修正力染みた言い訳だ。
だからこの時代の要や由緒……子供の彼らに干渉するということは出来ない。未来を狙ったところで何になる……。
後可能性と言えば……結深や冬子だろうか。けれど二人へ『催眠暗示』を掛ける事は出来ず、『催眠暗示』が効かないなら後催眠暗示も掛け辛い。狙ったところで、由緒以上のメリットがない。
……やはり優先順位としては由緒が一番。次点で要と言ったところだろう。
いや、もう一つあるか…………。
「《傷持ち》、か…………」
視界の先で未来と近接戦闘を繰り返す黒尽くめを『スタン銃』の照準越しに見つめて呟く。
《傷持ち》は、要だ。それも今より未来の。
だとすれば、今の要や由緒を狙わなくとも、彼とどこか要の知らない場所……未だ経験のしていない未来に逃げられてしまえば、追いかけられなくなる。
そもそもの狙いが要なのだ。先の《傷持ち》としての軛から解き放たれていなければ、歴史再現の後に彼の手駒として協力させられていたのだろう。
それが例えば、今回も同じで……今目の前にいる《傷持ち》の歴史再現が、この瞬間を最後だとするのならば彼と楽が逃げる事によって楽の思惑は一気に加速する。
けれど敵を楽の手に渡らないように守るなんておかしな話。庇えば背中から攻撃されても文句は言えない。
今までずっと敵だったその黒尽くめが、もしかすると守るべき相手と言う可能性に至ってしまえば、揺らぐ…………。
どうすればいい。どれが楽の狙いだ? 決めなければ、全てを都合よくは引き寄せられない。要個人はどうとでもなる。問題は、由緒か、《傷持ち》か────
「っ違うか……うん、違うな」
絞りきれない対象を一旦俯瞰して考えれば答えは明確だった。
守るべきは由緒だ。
《傷持ち》は、楽と逃げても問題はない。なぜならその逃げた先にも、要と未来が居るから。今より未来に生きる二人が追い詰めればいいだけの話だ。
単純なこと。《傷持ち》が一人で移動しているのなら、その『音叉』の向こうはやはり由緒だろう。今更そこについては考えない。
だとするならば、経験した過去にしか移動はできないはずだ。つまり《傷持ち》の行動範囲は、《傷持ち》になるまでに要の訪れた時間に限定される。
並列して考えれば、要のした経験と言うのは、隣に未来がいて当然だ。
《傷持ち》が要の経験上にしか現れなくて、要の横には未来が居るのならば、その二人が《傷持ち》を捕まえればいい。
未来の出来事は、未来の二人に任せる。
そうなれば必然、今ここで重点を置くべきなのは狙われて厄介な由緒なのだ。
《傷持ち》を視界に置きつつ、要は由緒の傍へと陣取る。
……そろそろ楽が来る筈だ。その時に捕まえられるのならば御の字。
僅かな可能性を脳裏に描いて、それから一つ気付くこと。
既に五分以上経過している。無駄話をして、あしらうことしか出来ない歴史再現に時間を費やしている《傷持ち》はブースターが切れているはずだ。
だと言うのに未来と繰り広げる戦いはほぼ拮抗。戦闘の始めと比べて少しだけ《傷持ち》が防戦に移行しているか。
……今更ブースター一つで何かが変わるとは思わない。要だってブースターなしで《傷持ち》と渡り合った。それに今《傷持ち》がしていることと同じ事を要も過去にしたのだ。
歴史がそうある通りしか流れないから、それに感けるようにブースターを服用を放棄して流れに身を任せる。
もちろんリスクとして、強化されない体力や脚力。通常通りに示す痛覚が足を引っ張りはする。
けれど最悪は訪れない。《傷持ち》からしてみれば、この過去は一度経験した歴史だ。どんな風な過程を経てどういった結末に至るのかを知っている。だからそれに身を委ねてたった一時の苦痛を背負っているのだ。
未来で同じ事をするのかと思うと気が滅入るが、その時は未来に手を抜いてもらうとしよう。
少しだけ考えて、それから深呼吸。辺りに注意を向ければ、遠くから近づいて来る足音に気付く。
「由緒……」
「何? ……あ、目開けてもいい?」
「いいよ」
律儀にずっと言いつけを守ってくれていた幼馴染に場違いに小さく肩を揺らして。その青み掛かった黒い双眸を見つめて続きを零す。
「……色々、巻き込んで悪かったな」
「今更だよ。異能力がある以上、多分どうあっても関わってたはずだから」
それは諦めと言うよりは覚悟だろうか。異能力を発現しない要からしてみれば少し羨ましい気もする。
「だったら巻き込まれついでにもう一つ。……例えば、今回のこの騒動の黒幕が誰か知る事が出来るとしたら、知りたいか?」
「…………黒幕、って黒尽くめじゃなくて?」
「あぁ、そいつの裏で糸を引いてた今回の首謀者。俺を狙い続ける人物で、由緒の誘拐も企てた張本人……」
「……………………」
問いに、彼女は考えるように顔を伏せる。
葛藤はあるだろう。知ってどうなると。知れば要と同じ感情を共有できると。
狭間で揺れる思いは要だって同じ立場なら悩むはずだ。
けれどその先を急がない。それは彼女の決断。
由緒の事が大切だから……だからこそその気持ちを尊重したいのだ。
やがて、長い沈黙の後に由緒が呟く。
「…………知り、たい」
「知って、どうする?」
「どうもしない、と思う。だってその人にだって理由があるはずだから。別に何か謝ってほしいとか、そんなのはないよ。ただね、どうしてかな……単純に知りたいんだよ。何でそんな事をするのか」
責任感、だろうか。
被害者としてでも関わったから。最後まで見届けたいと、自分が何に振り回されたのか知っておきたいのだろう。
「……後悔しないな?」
「するくらいなら、巻き込まれる前に逃げてるよ。それに、よー君を一人にしたくない。もし辛いことなら、一人で抱え込まないでいて欲しいから」
言って浮かべたその笑顔に要も覚悟を決める。
この笑顔を守りたいから。由緒を守りたいから、彼女を守り抜くのだと。
「分かった。…………なら、あいつがその黒幕だ。言いたい事があったら言ってやれ。きっと喜ぶだろうさ」
静かに告げて。それから上げた腕で『スタン銃』を構え、その銃口で視界の先を指し示す。
そこに交差点からふらりと現れる人影。
陽光に照らされた金色のウルフカットに、日本人らしからぬ青色の双眸。記憶の限りでは何処までも仲のいい……親友とも言うべき存在。
「がく、君…………」
「久しぶり、でいいか、由緒っち」
まるで昔馴染みに再会でもするような軽薄さで。片手を挙げて挨拶を寄越した彼は笑顔を浮かべる。
観音楽。
未来人にして、異能力保持者にして、黒幕。全てを引っ掻き回してくれた、要にとって不安定な場所に居る彼。その不安定さが、未だ頭に残る偽の記憶に起因するものなのか。それとも彼と一時でも一緒に紡いだショッピングセンターでの楽しい記憶に由来するものなのか。判別のつかない感情が整理のつかないまま渦巻いていて自分でも持て余す。
……もしかすると、まだどこかで嘘であってほしいと願っているかもしれない。
本当は、あの時楽しそうに笑っていた彼こそが本来の楽で、目の前の立ちはだかる彼は演技なのでは、と。
けれどそんな気持ちはどんどん遠ざかって、胸のうちに漲るのは捕まえると言う意志。
そうだ、捕まえてしまえばすべてが終わる。真実を訊き質す事も、これ以上の面倒事も幕を閉じる。
「要も元気そうで何よりだ。だからその銃下ろしてくれないか? 友達に向けるものじゃないだろう?」
「友達…………本当にそう思ってるか?」
「さぁ、どうだろうな? 要次第にしておこうか」
懐かしむように零す音。戯言だと分かってはいても、そこに少しでも安息を覚えてしまうあたり要もまだまだ甘くて人間らしいのだと自嘲する。
「……嘘、じゃぁ、ないんだよね…………」
「…………悪いな、騙すような形になって」
由緒の声に楽が答える。
それが本心かどうかなんて分からないけれど。浮かべた表情は何か後悔をするように伏せられる。
あれが演技ならば、要も騙されて当然だと少しだけ気分が晴れる。
「ここまでだ、楽。大人しく捕まってくれ」
「……悪いがその相談には乗れない」
「何ができるって言うんだっ。未来の存在が証明されてるなら、過去を変えられはしないだろう?」
「俺は、過去を変えたいんじゃない。未来に干渉したいだけだ。その足掛かりに要、お前が必要なんだよ」
「……何を変えたいんだ」
胸の内から搾り出すように問う。今なら……役者が揃っているこのときなら彼は答えてくれるかもしれないと。
天恵に突き動かされるように音にすれば、楽は似合わない優しい笑顔を浮かべて答える。
「俺の、大切な人の未来だ」
それはまるで子供が親孝行をするような気恥ずかしさで。けれど確かな気持ちを噛み締めるように零れた言葉。
楽の、大切な人。
未来への干渉と言うからには、彼のいた未来で彼が知る人物なのだろう。
けれど要は、その人物を知らない。
「……俺が顔も知らない誰かのために、お前のために力を貸すと思うか?」
「…………さぁ、どうだろうな。全てを話したところで素直に頷いてくれるかどうか怪しいしな。自分で蒔いた種と言えばそれまでだが」
もし最初から正しい未来干渉をしようと言うのならばこんな騒ぎは起こさなくていいはずだ。それこそ『Para Dogs』に協力でもお願いしてみればいい。本当に必要で、歴史のためになることならば力を貸すはずだ。
けれどそうじゃない。要を襲い、由緒を攫い、引っ掻き回してくれた彼は、要達の胸の奥に拭い難い否定を植えつけた。
そんな事をしておいて、今更協力してくれなんておかしな話だ。頷けるはずがない。
「だからそう、することと言えば一つだろう?」
「今更何を並べたところで変わらないなら、問答無用で襲って来ればよかったのに」
「お前達の気分に合わせてやったんだ。感謝して欲しいな……っ!」
そうして切り落とされた戦いの火蓋。楽とは初めてになる直接の戦闘は未知数だ。
彼がどれ程の実力を持っていて、刺し傷がある状態で何処まで戦えるのか。できることなら最初の交錯で見極めたいと。
駆けてくる彼の手には、銀色の棒、『捕縛杖』。どうやら近接戦闘用の武器は持っているらしい。
だったらとまずは試しの一発。構えた『スタン銃』の向こう、私服姿の楽へ向けてトリガーを絞る。
その軌跡に、当たり前のように振るう『捕縛杖』が弾き飛ばす。その妙技は彼の知るところらしい。ブースターは、どうだろうか。もし飲んでいれば既に目の前まで迫っていてもおかしくはない。と言う事は素の状態か。
先ほどの銃弾弾きも要がそうしていたように、なるようになると歴史に全てを丸投げして結果を手繰り寄せているに過ぎない。彼には『スタン銃』の弾は視認出来ていないはずだ。
だとするなら膂力的な意味合いでは恐らく同等。後は戦闘経験か……。
考えて迫った楽と『スタン銃』で切り結ぶ。
「腹の調子はどうだ?」
「絶好調さ。お陰で嫌になるくらい疼きやがるっ」
突き合わせた顔で悪態を吐けば返った買い言葉。その端に、我慢の色を見て確信する。
傷は塞がりきっていない。ブースターも飲んでいない。戦い慣れもそれほど感じない。
だったら押せるか、と。
刹那に唸った右の蹴り。狙ったのは左の脇腹で、刺し傷があるはずの場所。
今更相手の弱点を見過ごす要ではない。捕まえられるなら、多少の悶絶くらいは我慢してもらおうと。
しかしそんな攻撃は、挟まれた左の腕で防がれる。続けて跳ね上げられたその腕に、下から掬い上げられた右足が持っていかれて重心を崩す。
「ぅおあっ!」
「……んのっ!」
咄嗟に左手を突きバランスを取るとそのまま右足を振り回す。が、それを後ろへ跳んで避けた楽が不気味な笑みを浮かべて告げる。
「……傷口狙ってくるとか容赦ないな」
「勝ちを拾うのに良いも悪いもあるかよ。使えるものは使うだけだっ」
泥臭くても卑怯でも構わない。それが戦いだ。弱点を見せる方が悪い。
けれどこれで同じ手は使えなくなった。
だったらもう少し後に取っておくべきだったかと。
しかし確証は視界を揺らがせる要因になる。
互いが弱点を把握すればそれを気にしないわけにはいかなくなる。そういう意味では争点が楽に委ねられる事になるのだと。
先ほどのように攻撃に合わせてこちらの勢いを崩されたのでは相手の思う壺だ。
だったらどうするか……僅かな間で考えて、それから思いついた先から試しに掛かる。
取っ掛かりは『スタン銃』。放った弾は銃口から想像した射線を横切る『捕縛杖』で弾かれる。
しかし駆け出していた要はその間に急接近。左の拳を叩き込めば内側から往なされる。けれどそれさえも囮。
懐に入った距離で『スタン銃』の銃口を押し付けてトリガーを絞る。
が、その寸前で振るわれた『捕縛杖』。銃身を真横から叩きつけた一撃が彼の腹部に突き立てていた『スタン銃』を弾いて横へ。遅れて銃口から飛び出した弾は当然当たるはずもなく地面で跳ねる。
だったらと直ぐに移した行動は再びの左の拳。外から迫るフック気味の一撃は、それを見た楽が後ろへ下がりながら振り上げた右足で横から蹴りつけた。
そうして左の脇腹を抑えながら下がる楽。どうやら痛むらしい。だったらもう抵抗なんてやめればいいのに。
それが僅かに残った友としての優しさなのか、それとも事件を解決したいが為の悪態なのかは要にも分からない。
それほどに楽と言う存在は要の中で大きいのだ。
前に一度考えた事があった。もしこんな事になっていなければ、彼とは仲良くなれたかもしれないと。
明るくてノリのいい友人。要にはない者を沢山持っている、面白い人物。
……やはりあのショッピングセンターで見せた観音楽と言う仮面は、その場限りの演技に思えない。
だったら要は心のどこかで楽を嫌いにはなれない。
「……なぁ、楽。今からでも遅くないとは思わないか?」
「友達ごっこか? 確かに要となら互いに影響し合える友になれたかもな」
「それでも、駄目か?」
「悪いな……今のお前より選ぶべき者が俺にはいるんだ」
「俺は一体誰に負けたんだろうな……」
楽の思惑。楽の大切な人のため。
少しだけ考えて、それから音にする。
「楽の大切な人の未来に、俺の未来が関係してる……。ってことはその人は俺の知ってる誰かか?」
「…………さぁ、どうだろうな」
返るまでに空いた間で確信する。
だったら誰だと。楽と要の共通の知人。
もちろん今より未来に要が出会う誰かなのかもしれない。そもそも楽は未来人なのだから、この時代に知り合いがいないのは当然だ。
けれどこうまでして歴史に歯向かおうというのだ。そう簡単な関係ではないのだろう。
人付き合いは苦手ではないが、かと言って要は直ぐに心を開くわけでもない。だとすれば古くからの付き合いと考えるのが妥当だろう。
要が知っていることなんて高がこれまでの経験ぽっちだ。だからそれで全てが語れないのは分かっている。分かっているからこそ、例えばこれが推理ものなのだと客観視するのだとしたら、今更新たな登場人物が出てくるのは要が許せない。
起きた時空間事件を主軸にそこに関わる『催眠暗示』や後催眠暗示をトリックと見立てて解決と言う結末を抱くなら……未来が来たあの時からこちら側に、全ての根拠と情報が揃っていないと成り立たない。
知らない事は考えない。当たっていなくても構わない。要が納得できる、知っているだけの知識で語れる辻褄合わせ……。
誰のために、何のために楽がここにいる?
誰……は一人だ。けれど何……動機が分からない。要は何を見落としている?
「考えたところで何になる。分かったところで、俺を止められなければ意味が無いだろう?」
「分からないままに結果だけ知りたくないんだ……。俺はどこかで、お前のことを理解したいと思ってる…………」
「お人好しも大概だなっ」
他愛ないその場限りで景色を彩りながら、これまでに交わした会話の先の可能性を脳内に列挙する。
……誰のためかが分かっているなら視点は限られる。けれどそのどれもが楽と結びつかない……。
それは当然、その誰かと要との間に交わされた約束だ。この時代に居るはずのない楽が関わってくるその理由が見当たらない。
要の知らない未来に何が隠されている……。それさえわかれば、全て納得してしまえるのに。
考えては見るが、やはりそれは楽の思惑。楽ではない要には分からなくて、全て想像止まり。
何よりも分からないのは、未来での要と楽の関係だ。
「……真実なんて、いつも他愛ないことばかりだ」
呟きは楽から。それは仕方の無い事だと割り切るような音で、また一つ要には分からなくなる。
それは、楽の願いなんじゃないのかと。楽ですらまだ誰かの言いなりなのだろうかと……。
それこそ荒唐無稽で、そこまで話が広がれば要にはどうする事もできない。
だったらせめて、まだ顔の知っている楽に利用される方が幾らかましだ。
「かと言って必要なことだ。投げ出すわけにはいかないな」
「……どうしてそこまで頑張るの?」
自嘲するような響きに尋ねたのは由緒。彼女が楽に何を感じているのかは分からない。
先ほど裏切られて、要領の得ない話に巻き込まれて。けれどそれでも彼女は何かを欲してそう問い掛ける。
由緒なりの納得か。それとも、彼女もまた生来のお人好しで要と同じように信じる事を捨てきれないのだろうか。……彼女なら後者の方が可能性が高い話かもしれない。
「それが他人の為だからで、自分の為だからだ」
他人の為なんてのは方便だ。そこにはいつだって自分の為がついて回る。と言うのは何処で聞きかじった話だったか。
その先に、楽は希望を抱いている。
「大切な人……その人のためにお前が自己犠牲を振り翳して何になる?」
「犠牲なんかじゃないさ。ただの自己満足だ。……そうじゃなけりゃお前を巻き込みたくはないさ」
どうして要を、なのだろうか。
それではまるで楽が要に対して罪悪感を抱いているように聞こえる。
これまで嫌と言うほど振り回してきて、拭い難い過去を刻み付けてくれた楽。利用出来るものは利用する、何処までも卑劣な言動が……けれど押し殺した悪だと気付いていて、その先に何を望むのか。
断片的な彼の言葉を追いかけるほどに要の中で楽の印象が変わっていく。
彼の目的は……その行き着く先は、本当に悪いことなのだろうかと。
「お喋りが過ぎたな。……結局最後行き違う。ならば実力行使だ、違うか?」
「………………さっき言ったよな。全てを話したところで素直に頷いてくれるかどうか怪しいって。だったらもし、話を聞いた上で協力できるならすると言ったら、これ以上戦わなくて済むか?」
「下手な嘘はやめろ。どうして俺がそれを信じられる?」
確かに、今更手のひらを返して全面降伏を見せたところで楽は疑いを捨てないだろう。一度《傷持ち》の要に欺かれ、今もこうして楽の行動の先を潰している。
そんな相手がいきなり協力的になったところでどれ程の説得力があるというのか。要が楽の立場なら同じ言葉を返すだろう。
「……今ここで由緒や未来をこれで撃てば信じてもらえるか?」
手に持つ『スタン銃』を見下ろして口から出たのは思いつき。
胸の内に巡る葛藤の表れだ。
楽の言葉を嘘だと思いたくない気持ちと、騙されるのが怖い気持ちと。
天秤に吊るされた二つの思いが鬩ぎ合う。
「同情か?」
「違う。もし仮に、楽の言う事が全部本当で、俺が想像してる通りなら……争っても意味が無いから」
楽の大切な人を要が知っていて、その人のために楽が全てを賭けてここに居るのならば。要にとってもその人の未来は大切なことなのだろう。
だったら少なくとも、悪いようにはしない筈だと未来の自分に問い掛ける。
「どうだ、駄目か?」
迷いはある。けれどそれ以上に楽を……自分を信じたいのだと。
これまで起きた事が全て必要なことならば、その行き着く先の答えは二つに一つだ。
利用か、協力か。
降りた沈黙。背後で先ほどまで聞こえていた衝突の音も今はない。どうやら未来と《傷持ち》ですらこちらの対話に意識を向けているらしいと。
確かに今までしてきた事と真反対の意見を口にしているのだ。返答如何ではすべてが崩れてもおかしくはない。
長い静寂に。そうして零れた楽の声。
「…………駄目だな。迷いがあるなら、協力はなしだ」
あぁそうかと。
どこかで分かりきっていた答えに小さく笑う。
協力。
その言葉だけで、要には十分だ。
「なら仕方ないな。悪いが、もう手加減はなしだ。捕まえて吐かせて……全部終わらせてやる」
「あぁ、分かりやすい。最後に笑うのが誰かなんて、分かりきった事だっ」
空を仰ぐようにして見上げた楽は、それから『捕縛杖』を構えて告げる。
「……こいよ。要であるお前の未来と由緒に楽しく踊ろうじゃないかっ」
気取って零した音に駆け出す。
『スタン銃』を放つが有り触れた一幕のように当然の如く叩き捨てた楽。ここまで意味が無いのなら、もう『スタン銃』自体を投げてしまった方が幾らか効果が望める気がすると。
暴論が脳裏を巡りつつ接近した中で楽と攻防を始める。
来るべきその瞬間。楽を捕まえるという未来がもう目の前に迫っている気がしながら、まだ見ぬその現実に向けて手を伸ばす。
と、そうして楽と攻撃し、返されしていると背後に気配。思わず振り返れば視界に映った黒尽くめの姿。
未来との交戦を抜けてきたのかと。由緒ではなくこちらに来てくれてよかったなどと考えつつ思いつく先の行動。
向けた『スタン銃』はトリガーに掛けた指を引く…………その寸前。不意に響いた音。
「……狙いが違うだろ?」
「え…………?」
ノイズ交じりの声に聞き返せばそれから感じた自然な流れ。こちらに突っ込んできていた《傷持ち》は、向けられた銃口をそのまま楽へと向けさせ、自分は楽へと向けて疾駆する。
「撃てっ!」
「っ…………!」
言われるがままの銃撃。僅かに感じる発射の感覚と共に宙を駆けた弾丸は《傷持ち》の背中へ向けて。
けれどそれを、こちらを見ないままにしゃがんだ《傷持ち》。その頭の上を抜けて楽へと迫る。
「っお前……!?」
「悪いが、そういうことだっ」
最初に気付いたのは楽。『スタン銃』の弾を弾くと同時、バックステップを取りながら《傷持ち》から距離を取る。零した音は驚愕か。
注いで返った雑音混じりは《傷持ち》の言葉。その数瞬後に要も気付く。
《傷持ち》が……味方?
僅かな間のうちに俯瞰した視点は、《傷持ち》が楽へと攻撃を仕掛けるという妙な景色。
けれど頭のどこかで確信へと変わった感情が教えてくれる。
これまでの事は全部演技だったと……。
それは記憶の混線か。刹那の間、すれ違った際に流れ込んできた《傷持ち》の思考に苛立ちさえ募る。
そうならば、最初から教えておいて欲しかったと。だったらあんな無駄な芝居を打つ事もなかったんじゃないのだろうかと。
必要な事なのはわかっているがやりきれない気持ちに悪態を胸の内で吐いて。それから零れた笑みに要も駆け出す。
そうして出来上がる、要と《傷持ち》の波状攻撃。
今までありえることのなかった景色に心が躍る。
《傷持ち》と、肩を並べている。
未来を知る自分と行動を共にしている。全てを知っている人物が味方になってくれているっ。
高揚感は信頼へと変わり彩る笑みは獰猛に。
「お前は、未来の俺の差し金じゃなったってことか」
「いつ俺がお前の味方なんて言ったよ、楽」
交わされる楽と《傷持ち》の会話。確認のような言葉に苦虫を噛み潰したような楽の表情が重なって。
「未来っ」
「あぁっもう! 分かってるっ」
次いで《傷持ち》から飛んだ指示に諦めのような彼女の声。それからしゃがんだ《傷持ち》の背を蹴って跳んだ未来が鮮烈な踵落としを見舞う。
「っだぁ!」
「ぁぐっ!?」
咄嗟の防御は頭の上の腕交差。けれどそれさえも貫通する衝撃が楽の膝を折らせる。崩れた姿勢。けれどそこからどうにか未来の脚を横へと往なした楽は後退して距離を取る。
「…………っはは。卑怯だな、三対一とは」
「全部お前が蒔いた種だろ」
言葉を返せば肩を揺らす楽。事ここに至っても笑うかと。
「あぁ、そうだな。いいなぁ、認められない事をしてる……そこに意味があると感じられるっ。主人公らしくて良い事じゃないかっ。後は俺が正しいと証明するだけだっ!」
────俺ももっと主人公になれるような名前がよかったよ
不意に蘇ったのは楽が前に語っていた愚痴。男の子らしく共感をすれば同じ正義を振りかざす。
「物語上の主人公は自分がそうだと知覚しちゃいけないんだよ。知らないのか?」
「だったら新しい主人公の形として、俺がそれを体現してやるよっ」
詰めた息。大きく吸い込んだ呼吸でこちらを見据えた楽は思いっきり疾駆してくる。
向かった先は《傷持ち》。そうしてぶつかった『捕縛杖』同士が宙を舞う。しかしそれには目もくれず拳と脚が唸る。
鋭い攻防には割って入る予知がなく『スタン銃』を向けて牽制するのみ。
それぞれが譲らないその先を掴んだのは、声を零した楽。
「歴史は我が味方なり……!」
言って回した蹴り。防御を合わせようとした《傷持ち》が行動に移した直後、唸る一蹴の軌跡に落ちてきたのは『捕縛杖』。その柄頭を綺麗に蹴り抜いた一撃が防御より早く《傷持ち》の腹へと突き立てられる。
長物を腹に突き込まれた形になった《傷持ち》がその一転集中な威力にその場へと崩折れる。
次いで『捕縛杖』を脚で蹴り上げた楽がそれを掴むと未来へ向けて跳ぶ。先ほどのお返しとばかりに振り下ろされた踵落とし。
けれど得意技に対する対策は持っていて当然。左腕一つで体の横へと流し落とした未来はカウンターに『抑圧拳』の拳を突き出す。
「未来は我が手中にありっ!」
しかし未来のその反撃が分かっていたように。着地と同時に振り回した裏拳が未来の腕を内側から捉えて弾き飛ばすと、姿勢の崩れた未来の腹部へ向けて右の掌底が静かに叩き込まれる。
狙い済ました鳩尾への一撃に、どうにか衝撃だけは流した未来も意識をもっていかれ掛けてその場へ倒れた。
《傷持ち》、未来と連続で無力化して見せた楽はそれからこちらへ向き直ると口端を歪め叫ぶ。
「最後ぉっ!!」
「っ!?」
怒号のような剣幕に思わず後ずさり。刹那に目の前に迫った楽が『捕縛杖』を突き出してくる。
咄嗟に取った行動は『スタン銃』での受け流し。半身捻って避けるとそのまま走り出した楽に気付いて『スタン銃』を向ける。彼の向かう先には……由緒。
構えたのと同時、投げ技に入ろうとした由緒の手を跳ね上げて背後に回り込み首筋へ『捕縛杖』の先を突きつける。
「……偶然は異なものだな、要」
「何を…………っ!」
「もう遅い」
由緒を人質に取り、疲れたように零す楽。彼の言葉に眉根を寄せた次の瞬間、抵抗を見せていた由緒の体から力が抜ける。
その脱力状態を……合わせて立て始めた寝息に要が気付く。
それは要が向けた『スタン銃』。楽への牽制として構えたその銃口は彼に……否、彼と、由緒の瞳に映って。
整った条件がトリガーを引く。
由緒の後催眠暗示の発動。条件は、『スタン銃』の銃口を見ること……。
計らずその景色を再現してしまった事に気付いたが、けれどそれから要が動き出すより早くに楽はその手に『音叉』を持って告げる。
「……迂闊な自分を呪ったまま、届かない未来に絶望しろ」
「待てっ!」
最後に絞り出た制止の声はけれど届くはずもないままに辺りへ木霊して。楽の持つ送信用の『音叉』が後催眠暗示で言いなりになった由緒の異能力を発動させ、彼女の頭に手を置いた彼の姿が時空の歪みの奥に掻き消える。
遅れて動き出した足は、その場に崩れ落ちた由緒をどうにか抱きとめて座り込む。
…………失敗した。最後で可能性を考慮しきれなかった。
今になって思えばありえたはずだ。未来が雅人の過去で手を出せたように、誰にだって計らず楽の思惑に振り回されるのは分かりきっていたこと。そこに要自身が関わっていないとどうして言い切れるのか。
要を中心に渦巻く事件なら、要所で意味を持つのは要自身で当たり前なのだ。
彼の言う通り迂闊だった。悔いても終わった事に歯噛みしか出来ない。
何より、また由緒に責任を背負わせてしまう。彼女が目を覚ませば、口にする要を傷つけまいとする言葉は容易に想像できる。より深く彼女を巻き込んでしまう。
未来が雅人を突き飛ばしたことや、要が《傷持ち》を演じていたように。由緒も楽の手助けをしてしまった事に胸を痛めるだろう。
それは要がどうにかすることなんて、きっと出来ない。
相変わらず、詰めが甘いと。
健やかに眠る由緒の顔に罪悪感と共に安堵を抱けば、緊張を解いた未来が近くまで来て足を止める。
「…………ごめん、少し侮ってた」
「……いや、そうなる歴史なんだから仕方ない」
楽が逃げる事は歴史通りに正しいこと。言い訳のように言葉にして、そうしてようやく諦めにもならない納得をどうにか生み出す。
潜在能力……と言うよりは賭けにも似た形振り構わない先ほどの楽の振る舞い。言葉で僅かに隙を作り、その須臾の時に自分にとって都合のいい未来を捻じ込んで逃げて見せた彼には、勝算さえ浮かぶ。
最後まで歴史は自分の味方だと信じて疑わなかったからこそ、歴史はそうある通りになったのだろうと。
それはもしかすると要の中にあった迷いも関係しているかもしれない。
……もしあの時、楽の力になるなど考えていなかったら…………。
「……《傷持ち》は?」
「先に帰ったよ。まだする事があるからって。それからこれを渡された」
今更《傷持ち》なんて呼び名で呼ぶのも変な気分だが、かと言って未来の自分に向けて自分の名前を呼ぶのも変だし。そもそも名前を呼べば彼は制限に抵触した事になり、名前を呼ばれた瞬間目の前からいなくなってしまっていただろうから、結果的に正解なのだろう。
だから今後……例えばまたあいつに会うことがあっても、その時はあの黒尽くめを尊重して《傷持ち》と呼ぶ事にしよう。便利な記号だ。
そんな彼がここを去る前に未来へと渡したというのは小さい透明な袋に入った何か。注視すればそこに光を反射する黒い糸……髪の毛、だろうか…………?
「何でこんなもの……」
「必要になるからって。考えても仕方ないなら一旦横において置こう? それよりも考えないといけないこと、しないといけない事が沢山ある」
未来の前向きな声に少しだけ咀嚼する時間を空けて、それから小さく頷く。
「…………あぁ、そうだな。今ここで何かを悔やんでも仕方ない。だったらもう一度、次の可能性を探すだけだ」
言葉にしてもまだ曖昧で、どうすればいいのかは分からない。
楽は何処へ向かった? 要達に何が出来る
ぼんやりとした疑問は分かりやすい形を取らないままに不安定に揺れる。
そんな目の前から目を逸らすように、腕の中の感触を少し強く抱く。
「とりあえず、由緒を安全な場所へ。あの拠点でいいだろ?」
「うん、そうだね。休息もしないとだし」
楽が時空間移動で逃げた以上、要たちも直ぐに追いかける必要はない。可能性を吟味して、彼の向かった先に直接乗り込むだけだ。
だから今は、ただ一時の安息を。
「…………うまく、いかねぇな……」
呟きに声は返らず、力なく眠る由緒を背負って立ち上がればふらついて。未来に支えられながら踏み出した一歩は、とても不安定に形を持たないまま目的地へと歩き出す。
一体何処に、全ての解決があるというのだろうか。




