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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
五里霧中の記憶の先に
35/70

未来へ

 その瞬間は直ぐに訪れた。

 彼と別れてから数日。歴史再現に必要な予めの『催眠暗示(ヒュプノ)』と後催眠暗示を掛け終え、全ての準備を整えて。何も知らない暢気な(かなめ)の前に友の仮面を被って振舞えば、たった一時の平穏を謳歌する。

 ……もしこんな思惑がなければ、彼と友達になれただろうかと。その時は、どんな楽しい悪巧みを出来ただろうかと。

 少しだけ想像した幻想は、けれど現実になりはしないから理想として(うずたか)く積もって。出来る事なら彼とはしがらみのない友人関係でいたかったものだと、ないもの強請りしながら。

 そうしてショッピングセンターの帰り道。彼らの輪の中に居る事に場違いな感じを覚えながら別れて見通しのいい一本道へ。

 今か今かとその時を待望し続ければ、目の前の景色が歪んでそこに黒尽くめの要が現れる。

 この彼と会うのは廃ビル以来。彼にしてみれば随分な歴史再現を潜り抜けてようやく辿り着いた最後の瞬間。この身にしてみれば全ての始まりの場所。

 少しだけ汚れた見た目に大変だったのだろうと他人事に考えて、それから声を掛ける。


「やぁ、要。いい因縁だな」

「せめてもの牙だからな」


 ここに来るまで、彼はどんな事を想像していたのだろう。

 ようやくこの俺に一撃加える事が出来ると? それとも悪夢のような歴史再現がようやく終わると?

 よもや楽しい時間の終焉だなんて……いや、彼ならありえる話か。

 そんな色々は、こちらにも同様に渦巻く感慨。

 これから彼に刺されるそのたった一撃に、病院から指示を飛ばすはずの未来の(らく)は理由を植えつける。だからこそここで彼が突き立てる刃によって、未来の彼の待遇が少し変わる……なんてことはないのだろう。

 歴史はそうある通りにしか流れない。それはこの身にも平等に降り注ぐ世界の理だ。幾ら思案を重ねたところで、結局はそうなるしかない。

 だからこの一瞬でさえもその一つで。成すがままに受け入れるだけ。


「だったら一思いにやりな。慈悲なんて言葉が似合わないのは分かってるが、その胸に溜まった鬱憤、一撃に全て乗せて刺してみろ」

「あぁ、そうさせてもらうよ」


 これから人を刺すと言うのに随分と落ち着いた声音。そう言えば目の前の彼は『小型変声機(ミニマイク)』も『時空通信機(リンカム)』も、『音叉(レゾネーター)』でさえも持っていないのだと。それはあの廃ビルで返してもらった未来の道具。

 言ってしまえばナイフと『スタン(ガン)』を持っただけの、楽にしてみれば脅威度の薄い黒尽くめだ。

 だからこそ、素のままの彼の感情を最大限に表に出して、それをこの体で受け止める。


「ぅぎ……! っぁああ……」


 接近とともに腹部へと進入して来た鈍色の刃。一瞬の冷たい感覚は、けれど次の瞬間煩いほどの熱さに支配されて痛みと言う痛みを傷口へ集中させていく。

 搾り出すように漏れた苦悶の声。殺しても殺しきれない生理的な悲痛の音は、まるで自分のものではないように聞こえた。

 やがてゆっくりと、腹に刺さったそれが引き抜かれる。体の内側をそのまま引っ張り出されるような感覚に全身の力が抜ける。

 気付けば膝を折って大地へと倒れこんで、手が勝手に傷口を押さえていた。指先に纏わりつく温い液体の感覚。嫌悪感を覚える絡みついた流体が、押さえた先から溢れ出して来る。

 たった一突き刺されただけ。だと言うのに体は生命の危機を知らせるように生きた証を垂れ流し続ける。

 そうして、指先が冷たくなっていく感覚。段々と薄れてきた意識が辺りの景色を曖昧にぼかしていく。遠くに、誰かの悲鳴が聞こえた気もする……。

 今にも途切れてしまいそうな意識を、たった少し残った生存本能で必死に繋ぎとめようとする。

 そんな景色に差した影。地獄へ誘う死神のお出ましかと目を開ければ、そこにあったのは見慣れた要の顔。


「……ぁ…………か、なめ……。はら、いてぇ……あちぃ…………よ…………」


 気付けば漏れていた言葉。人間らしく生にしがみ付いた醜く精一杯の抵抗。

 痛いなんて感覚も、熱いなんて言う温度も、既に麻痺して感じない。それよりも鮮明に覚えたのは要の手の感触。体から血が抜けた所為か、彼の手が暖かく感じる。

 人間って、生きてるとこんなに暖かいものなんだな、と。益体もなく考えれば腹部に感じた僅かな重圧。ぼやける視界は彼の手のひらが傷口を押さえているのをどうにか見つけた。


「楽っ、しっかりしろ! 聞こえるかっ? 聞こえたら返事しろ! 楽っ!!」


 不思議な感覚だ。要に刺され、要に助けられる。矛盾さえ孕んだような時空間の交錯が齎すその通りな景色に。彼に助けられていると言う身を委ねるしかない現状に、心地よさを感じる。

 彼に刺されて満足している自分と、死にたくなくて助けられて安堵している自分と。二つの感情が鬩ぎ合って胸の内を温かくする。

 と、薄れてきた意識に、後の事は傍で声を掛け続ける彼に任せる。

 次に目覚めた時、一体どんな顔をして彼に会えばいいのだろうか。分別のつかないそんな気持ちは楽しさに変わって、それから遠くに伸びて行く自分の姿に辺りの感覚を全てシャットアウトする。

 保っていた意識が、反転する────

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