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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
五里霧中の記憶の先に
34/70

第五章

 ブースターを飲んで『音叉(レゾネーター)』で移動。この時空間跳躍もあと数回となると少し名残惜しく感じるなどと。そんなどうでも良い事を考えつつナイフを握り目の前の背中に疾駆する。


「……くるぞ」


 声はこちらに背を向けた(かなめ)から。あいつは確か二巡目の要。

 同時、こちらへの振り返り様、未来(みく)が回し蹴りを叩き込んでくる。鋭い一撃を貰いつつ後ろへと下がれば後から追い抜いたのは更なる黒尽くめ。二人目の《傷持ち》が一番無防備な要へと襲い掛かる。

 けれどそこに横入りをしたのは先ほど一言零して火蓋を切ってくれた二巡目の要。

 逃げ惑うように距離を取る最も経験の浅い過去の自分。見ているだけで滑稽だと思えば視界に増えた更なる《傷持ち》、三人目。

 彼の手に持つは『スタン(ガン)』。背中のがら空きなその後ろ腰に銃口を宛がったその刹那、直ぐに気付いた要が肘を叩き込むのが見えた。あの反応速度は確か偶然。ブースターを飲んだのも数瞬前で、そんなに早くに効果が出るわけもない。

 楽の手に堕ちて《傷持ち》として生かされている身で言うのもなんだが、悪運が強いらしいと。

 考えていると三人が背中合わせにこちらを睨んでくる。

 警戒は一端の外連味を持って。楽しそうな舞台だと冷めた視線で見つめれば、彼らの頭上から降り注ぐ新たな急襲。

 これこそが見識の混乱と景色の騒乱を巻き起こす原因。

 四人の《傷持ち》が織り成す叙述トリックにも似た何か。

 一人四役と言うべきか四人一役と言うべきか。曖昧にして不安定だからこそ成り立つ《傷持ち》と言う存在は、やはり記号以外の何者でもない。


「……物量作戦。そろそろお前もネタ切れか、《傷持ち》っ!」


 ネタ切れなんてとんでもない。これ以上無いネタの宝庫。互いが互いを知るからこそ、超人的な連携を作り出す幻想的な歴史再現。

 言葉の外側の本当の理解と言うものを、今一度歴史に刻み込んでくれる。


「……知れよ過去の存在がっ。俺はお前を知っているっ!」


 そっくりそのまま返したって構わない。けれどきっと認められないから。だったら実力行使で捻じ伏せるだけ。そこに正義があると振り翳して真実を教え込むだけだ。


「捕まえる……それで、終わらせるっ!」


 そんな気概も、未来にだけは少しだけ違う。

 彼女を除けばここに居るほかの六人は全て要。これ以上無い茶番だ。問題は過去の自分がそれを知らないと言う事。

 知っていればそれを見越した演劇を振舞う事ができたのに。

 台本なんてあってないようなこの現実に、彼女を巻き込んでしまったと言う後悔。何時まで経っても拭えないのは、由緒(ゆお)さえも利用して彼女に牙を向けている罪悪感。

 今更許してもらおうなんて思わない。思えない。

 だからできることなら、この罪は彼女に裁いてもらいたい。

 目の前でこちらを睨む未来に、その瞳に宿る正義に今ここで罰してもらえるならどれ程楽になるだろうか。

 考えつつ疾駆してきた彼女との交錯を始める。

 そんな視界の奥で、要に狙われた四巡目の一番新しい《傷持ち》。

 『抑圧拳(ストッパー)』での攻撃にナイフを合わせようとするも、そこへ飛来した『スタン銃』の一発。あれは二巡目の要が撃って寄越したもの。その対処に追われてずらした一閃で、目の前に迫る要の攻撃を捌くだけの余力はない。

 けれどその攻撃を受けてどうにかするほどの覚悟は必要ない。見れば次の瞬間割って入った二巡目の《傷持ち》が『抑圧拳』で殴りかかろうとした要を吹っ飛ばす。

 信頼と言う言葉で程遠いほどに完璧な連携。そうなると言う確信こそが紡ぐ絶対再現。

 すべてが思い通りになる景色は面白くもありながら心は躍らない。

 アドリブがない、遊びがない。確定された歴史はその通りにしか流れないから、今更新しい景色を見ることもない。

 鮮烈なくせ、どこか色褪せて見えるのはその所為か。

 と、考えていると目の前の未来が放った足技を交差した腕で受け止める。相変わらずその華奢な体の何処に溜め込んでいるのか分からない一蹴。

 次いで反転した未来が二人並んで立つ《傷持ち》のうちの片方……二巡目の《傷持ち》を蹴り飛ばす。二巡目、助けたくせに御礼もなく蹴り飛ばされてと不幸な役回りなことだ。これからそれを演じる身としては気が引ける。

 そうして僅かの硬直。四巡目の《傷持ち》と肩を並べて未来を威圧だけする。出来る事ならこれ以上彼女を襲いたくはないのだが……。

 けれどそんなこちらの心中など彼女にとっては考慮の外。ただ自分たちを狙ってくる敵として認識されているために、容赦なく接近してきては得意の足技で攻撃してくる。

 要としては巻き込んでしまった被害者で、女の子で、更に言えばスカート。相手が要ならいざ知らず、未来相手に下手な攻撃を出せないままに、彼女は彼女で力の限りにこちらを攻め立てる。

 二対一。傍から見れば数的有利な戦いは、けれど後悔が先立って確かな攻撃にならないまま。

 気付けばいつの間にかこちらへ来ていた過去の要。その振り被った足が四順目の《傷持ち》を蹴り飛ばす。

 防御するとは言え蹴られれば痛い。また面倒な傷を背負うと胸の内で悪態を吐きながら未来を跳ね除け、要に向けてナイフを振るう。

 しかし直ぐに体勢を立て直してきた未来が振るった『捕縛杖(アレスター)』に阻まれた。可能な事なら一巡目のこの体で仕返しがしたかったと。

 脳裏に描けば重なる視界は二順目。未来のお陰で助かった事に安堵をする要の背後から迫るもう一人の《傷持ち》の襲撃。

 咄嗟に振り返って『スタン銃』を撃とうとしたようだったが、ナイフで弾かれ無力化。次いで見舞った蹴りが要を横殴りに捉えて壁まで吹っ飛ばす。

 刹那に、足には蹴った時の感覚と、蹴られた時の衝撃が幻想として蘇る。当然の事だが、蹴ったのも蹴られたのも要なのだ。客観視すれば自分ひとりでの攻防。別に自分で自分を痛めつけて喜んだりする特殊性癖など持ち合わせていない。必要な事だからそうしているまでだ。

 ブースターで強化された一撃。例え相手が同条件でも、ブースターは体重までを増やしてはくれない。結果威力だけが強化された攻撃に防御をしたところで防ぎようもなく蹴り飛ばされる。改めてブースターの超人的な力に(おのの)く。

 そんな色々な逡巡は、けれどほんの刹那の事で。目の前の景色を早く終わらせたいと移した次の行動は倒れ込む要へ向けて構えた『スタン銃』。

 直ぐに抵抗として足払いを掛けてきたが後ろに飛んでかわすと銃口で睨んだままトリガーに指を掛け────


「せいっ!」


 背後から聞こえた声にどうにか回避行動をとれば、僅かに頭の横を掠めて肩へと落とされた重い踵落とし。お陰でずれた狙いが要の横を通り過ぎて、放った弾丸が壁で跳ねた。

 次の瞬間、息吐く暇もなく目の前に急接近する要の拳。壁を蹴って『抑圧拳』で殴りかかろうとしたその攻撃。けれどそれは復帰してきた四順目の《傷持ち》によって阻まれた。

 《傷持ち》と要が入り混じる景色に、更に乱戦のお誘い。

 踵落としを決めた二巡目の要に向けて三順目の《傷持ち》が攻撃を繰り出す。それに反転して応戦する要。僅かの交錯の後壁の上へと追いやられた《傷持ち》はそこから跳んで大上段からナイフでの刺突。

 しかし『捕縛杖』で受け流された直後、そこへ襲い掛かった回し蹴り。背後から迫る一撃に、けれど知っている三順目はしゃがんでかわすと頭の上を通り過ぎていく足首を掴み、振り回して投げ飛ばす。

 そんな攻撃にすら、この景色の二巡目にして何が起こるかを知っていると信じて疑わない要が、歴史はそうある通りにしか流れないことを逆手に取り、無茶な反撃。

 空中で体勢を立て直し、電柱を足場に飛び出してラリアット。

 けれど残念。二巡目の要より一巡目の《傷持ち》の方が未来の存在。例えそこで相対するのが三順目でなくとも、その攻撃はかわせると。

 自分こそが正しいと信じて疑わない自惚れた過去の存在を憐れに思いながら避けるとその背中に蹴りを。

 今の交錯でどうあっても届かないのだと悟ればいいものを……。それでも無益に食いついてい来る過去たちを振り払って乱戦を演じる。

 四人の《傷持ち》が織り成すアイコンタクトすら必要ない連携。飛び交うのが弾丸だけならばまだそれをただの乱戦と言えたのだろう。

 しかし信頼よりも尚深い記憶で繋がった四人にはそれぞれの動きが手に取るようにわかる。

 だからこそ、誰かがナイフを失えばそこへ落ちてくる別の誰かのナイフ。振り回した蹴りでさえ避けられる事を前提にした誰かの足場。二人して同じ相手を攻めれば、ぶつかることなく振るわれる攻撃は相手の錯覚さえ引き出して確かな結果を手繰り寄せる。

 そうして行き着いた場所は未来の負傷。要として二回、《傷持ち》として四回。計六回も彼女の柔肌が切りつけられる瞬間を目撃して苛むという後悔では足りないほどの罪悪感を味わう。

 その傷を負う先が未来でなく要であったならどれ程救われたことか。


「大丈夫かっ?」

「……ん、掠り傷だから。毒とかもなさそうだし、大丈夫」


 視界の先で暢気に言葉を紡ぐ過去の己に苛立ちが募る。

 これは、例えそうならないとしても命を賭けた戦いだ。そんな場所で、他人の心配など、相手への侮辱としか考えられない。

 どこかで甘えているのだ。歴史はそうある通りにしか流れないと。《傷持ち》が悪で、自分が正しくて……。過去に否定した主人公と言う役割をどこかで演じている事に楽しさを見出している。

 物語を動かす主人公とは、自分がそうだと知覚しないものだ。だからこそ改めて、彼は主人公足り得ないと確信する。

 だから失敗するのだ。

 たった一つの見落としから、彼は過ちを繰り返し受け止めるほかなくなるのだ。

 …………哀れ、なんて。そんな言葉で語れるほど自分の身を嘆くような事はしない。これはただの、失敗だ。後悔なんてできるほどに、この身は正しい事をしてきてはいない。正義然とした何かを振り翳していただけだ。だから誰かに許してもらおうなんて、それはただの甘えなのだ。


「…………『音叉』」

「────」


 そんな事を考えている最中に響いた言葉。二巡目の要から落ちた声に反応して構える。

 一番後ろにいる四順目。彼をここから逃がすのがあるべき歴史。

 巡った刹那、視界の先で三人が動く。

 『スタン銃』を連射するのは最も古い要。知らぬ未来に展望を抱いて理想に溺れた憐れな過去。飛来する弾丸を全て弾き飛ばせば、二巡目の《傷持ち》の目の前へ。蹴りは受け、その後の『スタン銃』をいなせば飛び込んできた勢いそのままのタックルで押し退けられる。

 その隣で急速接近したのは二巡目の要。彼は巧みに攻撃を誘うとそれを同士討ちの材料にする。巻き込まれたのは一巡目と三順目。直ぐに事故を回避したが、二巡目の要には抜けられ、目の前には『捕縛杖』を突き出す未来の姿。彼女一人に、二人の足を止められる。

 駆け抜けた要の背中へ向けて、二巡目の《傷持ち》が拳を繰り出すが、その背後へと妨害を仕掛けた二巡目の要によって阻まれた。


「届っ……!!」


 そうして要が四順目へ伸ばした拳。けれど僅かに足りなかった時間で無慈悲なラの音階が彼の姿を時空間の奥へと消し去る。

 殴るべき対象を見失った要が勢い余って前のめりにこける。そんな無防備な要へ向けて『スタン銃』を構える二巡目の《傷持ち》。それを壁へ蹴り飛ばして防いだ二巡目の要。蹴られた衝撃に放った弾丸は要を捉えはしなかった。遅れて走った背中の痛みは幻想か。

 刹那に反転した二巡目の要は未来と拮抗する二人の《傷持ち》へ向けて疾駆。

 背後からの足音にアイコンタクトもないまま三順目の《傷持ち》が未来との交錯を放棄して最初の要へと突っ込んでいく。それを見て三順目を追いかける未来。その未来を追いかける一巡目の《傷持ち》。更にその後ろから二巡目の要。

 要、《傷持ち》、未来、《傷持ち》、要と一列に並んだ景色の中で、一番最後尾にいる二巡目の要が目の前の背中に『スタン銃』を連射。けれど経験は既にした景色。例え一巡目の《傷持ち》であっても、撃ってくると分かっていれば予知のように反応をすることだって可能だ。……どうでもいいけれどこの並び順だとオセロの如く全員要になったりしないだろうか?

 未来へ向けてバックステップをとりながら見据えた視界には四つの弾丸。ブースターの世界で視認したその弾丸に合わせてナイフを振るえば、金属同士の擦過音と火花が散って景色を彩る。そうして対応と後ろ向き進行に割かれた速度低下に詰め寄った要が『捕縛杖』を振るう。ナイフで受け止めれば蹴った地面で勢い任せに一回転。右の踵で上段の横殴り回し蹴りを放つ。

 その刹那に見えた三順目と未来の近接戦闘。ナイフに『スタン銃』、そして蹴りが織り成す三重奏は互いに退かないまま膠着常態か。

 次いで振り回した蹴りの一撃が防がれた感触。けれどそうして防御に挟まれた腕を左の足で蹴って跳び退れば横に三順目も並び立つ。遅れて壁に蹴り飛ばされていた二巡目の《傷持ち》も合流し、三対三の構図。睨み合いほど退屈な景色はないと。

 僅かに呼吸を整える間を開けて、話し合う余地すら置き去りに再び動き出す景色。

 走って来る的へ向けて三人の《傷持ち》で示し合わせたように『スタン銃』を撃つ。それらへの反応は三者三様。最も古き彼は移動の軸をずらしてその弾をかわす。どうやらこの弾への対処法が分かったらしい。相殺するのはもう少し先、けれどかわす事を覚えれば目が慣れ、これまで見せてきた妙技を彼も使う事が出来るようになる。だからこそ二巡目の彼はもっと面白い事をしてくれる。

 一巡目の要より少し後ろから駆けて来る彼はその手に持った『捕縛杖』で弾いてみせる。言ってしまえば野球でボールを打つようなもの。タイミングと場所さえ合わせれば誰でも出来る技だ。もちろん飛来する早さは普通の人の知覚では捉え辛いものだが、ブースターがあればそんな事は考慮に入らない。《傷持ち》だってこれまで見せてきた妙技だ。彼らの意思を挫く為に、弾く時はわざと大振りにやって見せたりもしたが。

 そんな人並み外れた技を体得した要の後ろから迫る未来は、銃口から想像した軌道へ『スタン銃』を置いて弾く。何よりも最も人間離れしているのは彼女だ。何せ未来はブースターを飲んでいない。だと言うのにその経験から《傷持ち》と渡り合い、『スタン銃』の攻撃ですらかわし弾いて見せるのだ。彼女にしてみればこの景色は二度とない一巡目なのに。まるで歴史の修正力にでも庇護されているような幸運と実力には頭が上がらない。

 やっぱり一番埒外なのは未来なのだと。どこかで認めたくなかった現実を再認識して危険人物へと放り投げる。

 呆れと共に気を引き締めて、景色はあるがままに紡がれる。

 仕返しに撃って寄越された弾丸は、弾く事に力を使うのも面倒でそのまま避ける。

 一巡目の《傷持ち》は弧を描くように走り、古き要を翻弄する。彼は走る軌道に合わせて銃口を向けるが、立ち止まって偏差射撃の直撃を避ければそこへ突っ込んできた要。『抑圧拳』での攻撃は『スタン銃』で受け止めたりナイフを置いて退かせたり。僅かに攻撃を挟みつつ歴史再現。

 二巡目の要は未来へ向けて。疾駆と同時にナイフを振るえば切り結んだ『捕縛杖』。

 やっぱり、本音を言えばこれ以上彼女に戦って欲しくない。傷ついて欲しくない。彼女の敵として振舞う《傷持ち》の身で何を言っているのだと罵られようとも、その胸の奥の気持ちだけは変わらない。

 葛藤が、あっただろうか。気付けば落としていた目の前のこちらを睨む顔に向けての言葉。


「どうしてそこまでするんだ?」

「あなたが、どうしようもなく悪いからっ」


 言って距離を取る。

 確かにこれ以上無いほどに悪役だ。要である事を隠し、彼女を襲い振り回して、その腕に傷まで負わせた。(あまつさ)え今ここで彼女にならやられてしまってもいいとさえ考えているほどに救いようはない。……縋っているだけ人間らしくて、悪役にはなりきれていないだろうか。

 未来が放った『スタン銃』を同じように向けた銃口から打ち出して空中でぶつけて相殺する。


「悪いなんて決め付けるのは、勝手だが。それは同時にこちらから見てもそちらが悪に見えると言う事だ。だとしたら正義なんてない。逆に考えれば、悪も存在しない」


 片方が悪なら、もう片方も悪。正義なら、正義。二律背反染みて互いを認められないからこそ、諍いが起きるのだ。相手が悪役だと、その役割を押し付けている以上、それは正義などではない。


「あるのはただ……正しい歴史だけだ」


 これは、それを手繰り寄せるための歴史再現。彼女からしてみれば認め難い、誰もが知らないその先への序章。


「っ……あなたが正しさを語らないでっ!」


 確かに、悪役を演じているのだから、正しい事をしていてはいけないのかも知れないけれど。


「正しい事と正義は……やるべき事は違う」


 何か答えを見つけたように零す。だから悪役でさえ、その胸には確かな正義を持つのだ。

 絶対に交わらない未来との論争に寂しい結末を聞きながら、大地を蹴って再び襲い掛かる。

 駄目だ。幾ら頭で否定しても、しないといけないことには逆らえない。だから後で…………後があるなら、彼女に命一杯怒られるとしよう。

 鋭い交錯。その中に飛来した『スタン銃』での横槍は要二人から。無粋な闖入に少しだけ苛立ちながら片方をかわし、片方を切り捨てる。未来との純粋で神聖な戦いを邪魔しないで欲しい。今はただ、彼女の正論にこの身の悪を焦がしているだけなのだ。

 そんな風に二巡目の《傷持ち》が未来と戦う近くで、三順目の《傷持ち》と二巡目の要が言葉もないままにただ技量を尽くす。

 必要最低限の動きだけで、相手を圧倒するでなく自分の身を守るだけの防衛主体な戦い方。それは互いがこれを歴史再現だと割り切っているから。《傷持ち》は逃げ、要は逃がすと言う歴史の流れを知っているから、仕方無しに演じる戦いの一幕だ。

 とは言えブースターで強化された技。鋭いのは当たり前で、気を抜けば目の前に迫る互いの攻撃にその場の最大限で応戦する。

 互いにどこか諦めたように見える視線が交わって、胸の内に嫌悪感を抱きながら跳び退る。僅かにできた間に、要は未来達の事を心配するように視線を向けては『スタン銃』で横槍を入れたりと、面倒な事をしている。

 その度に示し合わせたように再び切りかかれば、こちらへ振り返った彼と切り結んでは何度目か分からない戦いの流れへと身を投じる。

 そんなそれぞれの戦場がその内干渉し始め。《傷持ち》同士の連携に合わせる様に未来と要たちも協力の戦場を描き出す。

 バックステップを取ってぶつけた背中が敵だったり。敵へ振るった攻撃が味方へ当たりかけたりと。乱戦模様は集中力の欠如を露呈させ始める。

 そろそろ潮時かと。視界を回せば噛み合った他の《傷持ち》たちとの意思疎通に、この場に幕を引く再現を演じる。

 《傷持ち》同士の交錯。すれ違う動作に合わせて影になって一瞬見えなくなる後ろの《傷持ち》が『音叉』を鳴らせば、その場から減る要の顔。三対二。

 逃げた《傷持ち》に慌てて応戦しようとする要達に、けれど《傷持ち》としてのこちら側は待つほど愚かではなくて。流れるように更なる時空間移動。三対一。

 最後に残った《傷持ち》は三順目。いい加減考える事さえ放棄した同じ景色に大きな疲労感を覚えながら、目の前に迫った『抑圧拳』での攻撃を往なして『音叉』を震わせる。行く先は四順目……。後一回、それでこの景色からはようやくおさらばできる。どうにか頑張ろう。




 …………と、そんな風に四度……。《傷持ち》と戦っていた要時代も合わせれば六度、同じ景色を体験して。うんざりとした面持ちで廃ビルに座り込む。

 とりあえず、一番面倒だった歴史再現は終わりを迎えた。後は今いるここで、これから最終決着だと意気込んでやってくる要に現実を叩きつけるだけだ。

 ここでの戦闘もまた、力の限りを振り絞る戦い。半端な覚悟で望めばその途中で心が折れてしまうかもしれないと。

 気持ちを入れ替えるために廃ビル外の蛇口で水を喉の奥に流し込む。

 今までどうにか騙し続けて清濁併せ呑み続けた《傷持ち》としての言動。それがようやく終わるのだ。

 だったら後二度ほどの歴史再現。しっかりとやりきって要自身が満足しなければ。せめてそれだけの答えを得なければ、これだけ時間を費やした意味が無い。

 胸の奥に蟠る冷たい感覚に心を落ち着けて、それから『音叉』を一つ鳴らす。

 移動先は要がこの廃ビルに来る時間。

 要は気付いた。誰が本当の悪なのか……。その上で、認め難い記憶の疼きに悲しくなりながら、偽の記憶と言えど彼の事を知っているその身で引導を渡すべきだと勝手に思い上がって。未来を巻き込む事を嫌ってここまでやってきた。

 どこかで、物語の主人公みたいに正義を振りかざした幕引きを期待していたのかもしれない。

 置換された感覚。目を開ければ廃ビルの三階。

 彼が至った結論に、同じ答えと違う結末を抱きながら言葉の先を遮る。


「けどしかし、それより先は無粋ってものだろう」


 黒幕が誰かなんて、今更どうでもいい。

 ただ今は、目の前の敵を打ち倒すだけを目的に、ここに立つ。

 こちらの側からしてみれば過去の要は汚点そのものだ。それを(そそ)ぎたいと言う思いも、心のどこかにあるかもしれない。歴史はその通りに流れ、清算なんて出来ようはずもないけれど。


「無粋も何も、どうせ決着する問題だ。そういう意味では想像するだけ無駄かもしれないけどな」

「あぁ、そうだ。全てここで終わる。俺がお前を捕まえれば、な」


 突きつけた銃口に返った睨むような視線。今更怖気づいたりはしないか。ならば結構。その覚悟、今一度試してやる。


「決着……見てみようじゃないか、その未来。今回は全てを賭そう。ブースターはなしだ。その方が平等だろう? だからこそ意味がある」


 彼がブースターを飲んでいないのを知っている。これは、慢心ではない。

 ただ己が最後に掲げた正義染みた何かに対する、悪役なりの礼儀。こんなところで卑怯を振りかざすほど、まだ要は人間をやめられない。


「平等? 笑わせてくれるなよ……勝つか負けるかに平等も不平等もないだろ? そこには厳然とした後に残る正義の価値だけだ」

「ははっ、違いないっ」


 その正義に、できる事なら裁かれたいのかも知れない。間違いを積み重ねてきた《傷持ち》のその仮面を、取って欲しいのかもしれない。

 過去に縋っているなんて、未来に言えば怒られるかもしれない。由緒に言えば笑ってくれるだろうか。

 けれど残念かな、要にとって、これはただの現実だ。


「だからこそ答えは一つだ」


 そうして、たった一つの真実を突きつける。

 世界がそうあるように。歴史に間違いがないように。

 矛盾など何処にもない純然たる時空交錯の、その種明かしを口にする。


「俺はお前を」

「知っている」


 聞き飽きるほどに重ねた言葉。

 ずっとそう言ってきた、嘘偽りのない事実。

 未来を夢見た憐れな操り人形と。過去に後悔を重ねた操り人形の。たったこれだけの、全力の戦い。

 自分が信じるものだけを振り翳した、独善的なそれぞれの正義の物語。


「さぁ示してみろっ。お前が至った結末を、俺の前に全て晒せぇ!」


 接近と共に結んだナイフと『捕縛杖』。互いの得物同士が散らす擦過音に重ねて告げれば、切って落とされた火蓋に休む暇のない戦いが幕を開ける。

 交えた一撃を弾けば、勢いを逃がすようにその場で一回転。次に向き直った刹那に構えた『スタン銃』のトリガーを引き絞れば、鏡写しに放たれた弾丸同士がぶつかって弾けた。

 確率論なんて言葉では語れない。そうあるべき歴史が紡がれるから、互いに撃った弾が空中でぶつかったし、それ以外の景色を認めない。そうしようなんて、誰も思っていない。

 ただあるがままの、その通り。

 次いで放ったナイフを持つ手での掌底。それを横へ跳んでかわした要へ逆手持ちにしたナイフで薙げば、しゃがんでかわした彼は足払いを掛けてくる。その場でジャンプ。飛ぶと同時に捻った体勢で回し蹴りを振るえば、掲げた腕で防がれ、そのまま跳ね上げた動作に彼の腕の上を脚が滑って勢いを逃がされた。

 勢いそのままに鉄板の床を転がれば、それを狙って放たれた『スタン銃』。転がりながらナイフで弾いて立ち上がり、直ぐに『スタン銃』を絞り返すと、要も同様に『捕縛杖』で叩き潰した。

 あぁ、そうだ。それでこそ歴史に全幅の信頼を置いたあるべき戦い方。当たるなんていう想像を全て捨てた、賭けにすらならない確定された景色を手繰り寄せるだけの歴史再現。

 もう互いに、相手の『スタン銃』に当たるなんていう懸念は一切ない。振るえば弾く。そこに迷いは生じない。迷えばその瞬間に考える間も無く負けるから。

 接近しては離れてを繰り返す連続戦闘。三次元的に跳び回り振るう攻撃は致命打にならずに互いの消耗を加速させる。

 『スタン銃』を向ければずらされた銃口。返しに突き出された『捕縛杖』をナイフで弾けば、互いの両手は攻撃には使えなくて。振り上げたハイキックで側頭部を狙えば鏡写しに迫る上段蹴り。どうにか腕を挟んでは見たが受け止める事はできず、そのまま衝撃に打ち抜かれて頭を揺らす。同時に爪先に残る蹴り抜いた感触。

 刹那に横殴りに吹っ飛ばされた体が鉄板の床を転がって止まる。

 擦過傷に打撲痕。痛いなんて言葉では足りないほどに累積した傷は、感覚が麻痺してきているのかそれほど気にならない。アドレナリンも零れてしまいそうなほどに噴出している。

 立ち上がれば視界の先で『スタン銃』を向けてくる要。咄嗟に横へ跳んでかわし、回転する視界で狙えさえつけずにトリガーを絞る。

 弾が発射される僅かな感覚と、弾かれる音。それから次いで響いた何かの跳ねる音。よろめきつつ立ち上がって見れば、要の手から『捕縛杖』が落ちていた。ようやく一つ武装解除。体は満身創痍もいいところ。気を抜けば意識を失ってもおかしくはない。

 揺れる視界で、向こうから走って来る姿を見れば、殆ど条件反射でナイフを振るう。

 遅れて、手に走る何かを叩き潰したような感覚。連射されるその弾なんて視認できない。ただ過去の自分が撃っただろう記憶に重ねて飛んでくる辺りにナイフを置いているだけ。

 と、これまで一緒に戦ってくれた無機物たる相棒が手のひらから離れていく感覚。同時に聞こえたホールドアップの音。

 あぁ、くそっ。こんな時に限って手の感覚が既にない……!

 既に気力だけ。目の前に迫った要の顔に苛立ちを募らせる。

 傷だらけで、血を滴らせた、無様な姿。浅はかで後悔ばかりなその過去が振り被る拳。『抑圧拳』。

 その名の通りに、今ここで全てを止めて終わらせてしまえれば、どれ程楽だろうか。

 世界を今この瞬間止められてしまえば、どれほど救われるだろうか。

 益体もなくそんな事を考えながら構えたのは『スタン銃』。ほぼ無意識な抵抗と共に向けた銃口の先にはこれから迫ってくる要の拳。あぁ、そうだ……そういう歴史だったと。

 脳裏の景色が重なりながら絞った引き金。次いで走った衝撃は頬から頭と首を突き抜けて踏ん張りの利かない体を殴り飛ばした。

 くらりと揺れる視界。途切れそうになる意識が足の先に何かを引っ掛けるような感覚を覚えながら、叩きつけられた床の感触に無理矢理に引き戻される。受身さえ取れないままに鉄板の上に体を投げ出し、背中を痛打する。


「ぁ、がっ……!?」


 駆け抜けた痛みは胸の奥から搾り出すような空気を吐き出させて渇いた喉を酷使した。

 仰向けに倒れた視界は霞んで、息荒く上下する向こうには冷たい鉄の天井がこちらを見下ろしていた。

 重なって少し遠くから響く息遣いは要のものか。彼の攻撃も、可能な限りを振り絞った一撃だったのだろうと。

 僅かに空気を求める間を開けて動く気配。顔こそ動かないが、経験した過去が要の視点からどうなっているかを教えてくれる。

 ナイフを拾い上げ、そこら中に転がった『スタン銃』の弾を踏み潰しながら近づいてくる要。同じように時を刻む過去がゆっくりとした足並みで近くまでやってきて、ナイフの切っ先を向けて告げる。


「…………降参、しろっ。もうお前は、逃げられない……!」


 その言葉は『抑圧拳』がこの体を捕らえたと思っているからこそ零れた言葉。その憐れな判断力に嘲笑が浮かぶ。刹那に、息を詰めて体に無理強いをすれば、起き上がった勢いに任せて彼の腹部に拳がめり込んだ。

 埋もれるような生暖かい肉の感触。確かに捉えた一撃の後、呻くような声を漏らして前のめりに倒れる要を見やって立ち上がり、ナイフの上に重ねられた手のひらを踏みつける。


「ぃっっでぇっ!?」

「ははっ、油断大敵だ! 甘いんだよ、お前は! 俺を殺す気もないのに止める? ふざけるのも大概にしろ! 勝負なんてのはな、死ぬ気になって初めて決着するんだよ!!」


 気力だけで振り絞った精一杯の罵倒。言葉にすれば沸いてきた体力はまだどうにか体を動かせると認識しながら靴の裏の感触を踏み躙る。

 痛いかと。辛いかと。言葉の外で語りかけながら、これから先の事を憂う。

 お前は、《傷持ち》として、それ以上の精神的苦痛を背負うのだっ。やりたくない歴史再現をさせられ、やらなければならないと自分を騙し、裏切りに由緒を利用して、未来さえ傷つけるのだ!

 それと比べれば、たったこれだけの痛みがどれほどのものか……。自惚れた正義に溺れる失敗の過去に溜まった鬱憤を叩きつける。

 お前がいるから、俺がいるのだと。

 皮膚が裂け、血さえ滲み出した手の甲を見て、その手を蹴り飛ばす。鉄板の上を滑ったナイフを拾い上げ、先ほど殴り飛ばされた時に手放した『スタン銃』を拾いに向かう。


「それからなぁ、気付いてないようだから教えてやるよっ。最後に撃った『スタン銃』……あれはお前の体を狙ったわけじゃない。その手袋……『抑圧拳』の効果を消すために撃ったんだよっ。空間を縛り敵を沈黙させる無力化制圧の武器。だったらもちろん、異能力の込められたそれを無効化する事もできるだろう?」


 過去に聞かされた講釈をそのまま過去に告げる。

 これまで要が演じてきた《傷持ち》には全て意味がある。《傷持ち》の行動を逐一知っているからこそ、同じ言動で過去を翻弄できるのだ。同じ苦痛を味わうのだ。そうして要に伝える事で、次に《傷持ち》として彼が同じ役割を持ってループする。

 全て仕組まれた事だと割り切れば、今更声を荒げる気にはならない。


「……俺はお前を知っている。だからこそ、その手のひらにもう感覚がない事も知っていた。だから利用させてもらった。なかっただろう、『スタン銃』の弾が当たった感触なんて」


 種明かしと共に『スタン銃』とナイフを回収すれば視界の端で彼が立ち上がる気配。


「……何だ、まだ立てたのか」


 これ以上恥の上塗りをしないでくれ。これ以上、無様な過去を紡がないでくれ。

 そんな気持ちが胸の中で渦巻く。けれど肺腑の奥から出てきた呆れたような音は、そんな気持ちとは裏腹に何処までも高圧的に肩で息をする彼へ道を教える。


「その気概は嫌いじゃない。……あぁ、そうだ。なら一つチャンスをあげようじゃないか。ここまで辿り着いた褒美だ」

「…………そういうの、フラグって、言うんだぞ……?」

「物語の分かりやすい伏線、だったか? だが残念だな。これは物語じゃあない。捩れ曲がった現実だ。事実は小説よりも奇なり…………それを体現した現実だ」


 結末を分かっているから、幾らフラグを立てたところでそんな物語染みた強制力は作用しない。だったら世界に、バタフライエフェクトなんて無い。だから世界はたった一つで、分岐を許さないままにその通りに流れるのだと。

 全ての辻褄が合うたった一つの真実だけが胸の奥で確かな答えを光らせる。


「這いずってでも上って来い。そうしたら答え合わせをしようじゃないかっ」


 答え合わせなんて、したくない。もういっその事これ以上目の前に姿を現さないでくれ。そうすればこれより過去の要が《傷持ち》になんてならなくて済むのに。こんな悪質な循環に嵌らなくて済むのに。

 こんな後悔、しなくて済むのに…………。

 けれどそんな事は許されないから。これまでして来た《傷持ち》としての言動の意味がなくなってしまうから、目の前にこちらを睨んで立つ要の未来の事を思って告げる。


「その上で、潰してくれる。目の前でその希望とやらを否定してやろう。抱いた夢を諦めさせてやろう。歴史は一つ。答えも、一つ。終わりと始まりを、紡ごうじゃないかっ」


 要としての終わりを。《傷持ち》としての始まりを。

 その先に、《傷持ち》として全てを終えた先に、誰かの夢見た未来があると信じて。

 自嘲するように笑えば『音叉』を鳴らしてその場から消える。

 置換された感覚の先は廃ビルの六階。由緒が鉄骨に縛り付けられ眠るその場所。

 始まりと終わりの交錯する場所。

 何度ここに来ただろうかと頭の中を反芻していると、由緒の隣にしゃがみこんだ影が立ち上がりこちらに向き直る。


「やぁ、さっき振り…………って言うのはこちらの了見だぁね。君してみれば久しぶり、って方が合ってるかな?」

「……………………そうだな」


 声を掛けてきたのは(らく)。この時代に来たばかりの、まだ刺されてもいなければ、『催眠暗示(ヒュプノ)』を一つだって使っていない要の知る中で最も古い楽。

 彼の放った言葉に少しだけ考える。

 さっき振り、と言うのは彼の感覚でつい先ほど……記憶が正しければこの今要る時間は要が《傷持ち》として由緒を攫ってきた直後だ。

 だから彼にしてみれば由緒を置いて《傷持ち》が去った後。けれどこの身にしてみれば、あれから沢山の事があった。

 この廃ビルで要二人と戦い。雅人(まさと)の事故の過去で交錯し。その後由緒にかけられが後催眠暗示を再現するために彼女を危険に晒して。そしてつい先ほど四度も重なった乱戦を潜り抜け過去の要とのタイマンも一度終わらせて……。

 幾つの戦いがあったかなんて数えるほどに億劫な交錯を、時間にしてみれば一日半ほどでこなしてきたのだ。

 疲弊しているのは体だけではない。精神だってこれ以上無いくらいに擦り切れている。

 けれどそれでも立っていられるのは、これから起こる戦いが本当の最後になる事を知っているから。ようやく《傷持ち》としての役割から開放されるから……。

 たったそれだけの希望が、今の要を突き動かす。


「ここにいるって事はこれから何か起こるって事か?」

「さぁな……それはあいつ次第だ」


 言って向けた視線は下り階段へ。もうしばらくすれば先ほど階下で凌ぎを削った彼が上ってくる。そうすれば最後の大舞台が幕を開けるのだ。


「……まだ詳しい事は知らないけど、ここには何か運命めいたものを感じるな」

「因果か? そうだと言うならそうかもな。ここは始まりにして終わりの場所だ」


 楽の言葉に、何も知らないはずの彼が紡いだ未来を予見するような音に少し楽しくなる。

 運命めいたものと言うのならば、この廃ビル以上に思惑渦巻いた場所はないだろう。ここは楽がやってきて、由緒が連れて来られ、要が潰え、《傷持ち》が誕生した場所だ。

 この空間がなければ、仕組まれたような物語の根幹が揺るがされ、体裁を守れなくなる。


「あぁ、ネタバレはやめてくれよ? 分からない未来だからこそ楽しめるんだからさ」


 おどけた声に視線を外して、会話傍らに準備を進める。

 『スタン銃』のマガジンを交換。ナイフを抜いてついた汚れを拭い、指先を軽く動かす。どうやらまだ動いてはくれそうだ。

 お願いだ、俺の体。あと少しだけ、持ちこたえてくれ……。


「それから、分かってると思うけど期待はしないでくれよ? 殆ど丸腰なんだ」

「無駄な杞憂だ。この身がそれを証明する」


 機械のように淡々と答えれば、面白くないと言う風に溜め息を零した楽。

 どうでも良い事だけれども、《傷持ち》としての移動は由緒の異能力を借りるものだ。だからこの身には彼女の異能力の制限が降りかかっていて、俺は自分の名前を言えないでいる。

 これまでの事を思い出してみればそこにもヒントはあったのだ。《傷持ち》は要だとばれた後でもその名前を口にはしなかったし、襲い続けた標的たる過去の要に対しても彼の名前を呼んだことは一度もない。その度にお前とか別な言い回しで制限抵触を避けてきたのだ。

 視点を逆にすれば、過去の要は未来の異能力の制限下で、本人に名指しで呼ばれれば強制送還される。

 けれど名前の言えない《傷持ち》と呼ばれてはならない要は、どこか噛み合うように互いの制限の外側を歩き続けていた。それさえも歴史の修正力……そうあるべき歴史なのだとしたら計算では説明しきれない。

 と、そうして考え事をしながら手元でナイフを弄んでいると、楽が今の要が《傷持ち》たる所以に気付いて問い掛けてくる。


「その傷は?」

「……直ぐに分かる」


 この後付ける傷。過去の要に突きつける歪まない真実。絶望の証たる唯一の答え。

 全てを矛盾なく示す、《傷持ち》としてのアイデンティティ。

 悩んで、追いかけて、戦って。

 傷があるかないかだけの違いで争っていた過去は、けれどこの直ぐ後に幕を閉じる。

 要と《傷持ち》が入れ替わるその瞬間。希望が真実によって塗り変わるその刹那の舞台の、幕が今上がっていく。

 視界の端に見える影。段々と大きくなる足音に顔を向けて、向こうからやってくるその姿に悲しくなる。

 階段落ちでもすればいいのに。奈落で退場も構わない。上ってこなければいいと……そんな事でさえ考えてしまう。

 ……そういえば、彼には先ほど諦めればいいと言ったのだったか。

 諦める。その言葉の意味を思い出す。

 明らかにして納得する。何かの本で読んだ言葉の成り立ちに確かにその通りだと笑う。

 分からない事を探求し、その結果に答えを得て、どうにもならないからと納得する。明らかになった事柄に対して限界を知り悟る。それが諦めるの、本当の意味。転じて、断念する。

 彼はその胸に渦巻く疑問に対して、諦める為にここへと辿り着く。その先に変わらない事実を認める。

 《傷持ち》の視点から過去を経験しなおした俺は今これまでの事に諦められただろうかと問えば、誰かによって敷かれた花道を、彼は上ってきた。

 そうして姿を見せた満身創痍な過去。見るも憐れで無惨なその姿に、悲哀さえ滲ませて視線を向ければ、隣に立つ全ての黒幕がその名を呼ぶ。


「ようこそ、そして初めまして! 遠野要っ」

「っ────観音(かんのん)、楽っ……!」


 返ったのは搾り出すような声。これまで重ねてきた未熟な推理が僅かに結実したその瞬間に、けれどこの先を知る《傷持ち》としての要は呼吸を整えて最後の力を振り絞る。


「……悪いが、お前の計画は直ぐに終わるっ。俺が止める!」


 威勢のいい声に答えるように一歩前へ出れば、抜き放たれた『捕縛杖』の切っ先に言葉を返す。


「ならば答え合わせだ。どちらの想像が正しいか、今ここで決着を……!」

「望む、ところだっ!!」


 気付けば切って落とされていた戦いの火蓋。何処までも無様な戦いの連鎖。ようやく終わりを迎える《傷持ち》としての役割。

 たったそれだけを理由に、ここまでやってきた。その先に、要の知らない未来があるのだと信じて、やってきた。

 胸の奥には、一つだけ燃える可能性の炎。それが駄目なら、俺にはもう存在価値がない。

 けれど今こうして存在できているのなら────歴史がそうある通りにしか流れないのであれば。きっとそれはそうなのだ。

 この胸にある希望は……確かな想像は正しい未来なのだ。

 だったらそれを再現しなければ。未だ来ぬ由緒(ゆいしょ)正しき要の瞬間に。そこに楽しくて有り触れた歴史に深く結びついた希望が眠っている事を、もう疑いはしない。

 たったこれっぽっちの現実のために、諦められないっ!

 巡った最後の希望。ぶつけた額に視界が明滅する感覚を覚えながら、ナイフを持って立ち上がり、目の前の過去に叫ぶ。


「クッッッソがぁああっ!?」


 もうそこにしか未来はない。たった一瞬のチャンスしか、許されない。

 五里霧中の記憶の先に────要の知らない《傷持ち》としての全ての先に、辻褄を紡ぎ合わせる確かな未来があると信じて。

 駆け出せば視界の先で『スタン銃』を構えた要。その人差し指がトリガーを引き、押し出された弾丸。

 視認できない知覚外の攻撃は、けれど無視。その弾が、このレーシングスーツを貫通しない事は知っている。

 そうして、《傷持ち》が唯一過去の要へ送る矛盾だらけの贈り物を、彼の右手首に刻み付ける。


「…………ぁ……」


 漏れたのは過去からの呆然とした声。同時、切り裂いた皮膚の感覚。確かな手応えは、振り下ろしたナイフの先に赤く滴る血を鮮明に光らせて。

 次の瞬間倒れこんだ要の首筋には『スタン銃』の弾。見なくとも分かる、楽が撃った一発の横槍。それが彼の中に渦巻いて、眠りの淵へと誘い始める。

 さぁ、これからお前には、俺と同じ命運が待ち受ける。絶望の中に希望を見出す歴史再現がその身を襲う。

 だから覚悟しろ。そしてその先に、この俺と同じ結末へ至れ。

 最後の手向けとして、諦めるための答えを欲する彼に告げる。


「服一枚程度なら、効果はあったんだろうがな。残念ながらこのスーツ分の厚みは貫通できない。これが答えだ……。分かったら、眠れ────」


 足元で眠りに落ちていく過去の失敗を見下ろして、それから立て始めた寝息にようやく溜息と共に腰を下ろした。

 ……終わった。これで《傷持ち》なんていう役目とおさらばできる。


「お疲れだな? もういいのか?」

「…………さぁな」


 いつの間にか近くに来ていた楽。これからそこで眠る要と一緒に悪役の物語を紡ぐ全ての黒幕。今ここで、彼を捕まえられればどれ程楽だろうか……。けれど残念ながら、そこまで体が動きそうにない。犯すべきではないリスクは捨てるべきだ。

 と、そんな風に胸の内を整えていると『時空通信機(リンカム)』の奥から声が響く。


『話は出来るか?』

「……そうできるように暗示を掛けたのはお前だろうが。それで、この後はどうすればいい? それが本題だろう?」


 もう既に聞き慣れた楽の声。どこか楽しげな響きに僅かな未来を想像しながら答える。


『だったらまずその場を片付けた後、一箇所向かってもらうところがある。お前にしてもらうべき再現が後一つ残っているからな』


 もちろん覚えている……が、それをこうして言葉にされると面倒臭さが込み上げて来るのは何だろうかと。疲労と心労から覆い被さるように襲ってくる怠惰をどうにか跳ね除けつつ体に鞭を打って立ち上がると、目の前に寝転がる要の体を近くの鉄骨に縛り上げる。

 彼が目を覚ました時に俺と同じ歴史を辿るように。そうしてこの結末に辿り着くように。

 辻褄合わせほど面倒で退屈な話はないと。


「……後の事は任せる」

「あぁ、ここからは俺の領分だな」


 楽しそうに笑う楽に別れを告げて、ヘルメットを回収したりすれば『時空通信機』の奥に確認のように問い掛ける。


「で、何処に行けばいい?」

『俺を刺しに来い。あれもお前の仕事だ』

「一番最初じゃねぇか……」


 《傷持ち》はずっと要の目の前に現れていたから、要の記憶にある通りに再現し続けてここまでやってきたが、その例外から外れた数少ない歴史再現。要の居ない場所で行われる過去干渉だ。

 由緒が目撃する楽を刺す現場。あの景色があったから、要はどこかで楽を候補から外していたのだ。それが自演だと分かってしまえばそれまでなのに。普通はそんな想像しないからこそ、彼の思惑に嵌ったのだろうけれども。


『それが終わればお前は《傷持ち》じゃなくなる。世界を正すその要だ』

「まさに物語の主人公だな」


 自嘲するように告げれば、どうでも良い事のように付け加えられる辻褄合わせ。


『あぁ、それと。『時空通信機』と『音叉』、『小型変声機(ミニマイク)』はそこに置いて行け。それは過去のお前に再利用させる』

「移動はどうする……」

『そこには彼女がいるだろう。直接彼女の力で跳べばいい』


 そういえばそうだったと。疲労から回らない思考に嫌気が差しながら言われた通りに全てを置いて。ナイフだけを持った黒尽くめの要が出来上がる。


『過去で未来のお前を待つ』


 『時空通信機』を取る際に聞こえた最後の言葉。今更時空間の歪みについては考えるだけ無駄だ。これだけ捩れた時間の流れを正すなんて無理な話だ。全てを忘れて元いた時間に戻れば日常紛いは送れるかもしれないが……そんな日常に嫌気が差したから、要は今ここにいるのだろうと。

 外した『時空通信機』を縛り付けた要の傍に座り込む楽に投げて、それから由緒の元へと向かう。

 健やかに寝息を立てる眠り姫。彼女にも、悪役の片棒を担がせてしまったと反省する。理由を要に丸投げしてもらえるなら、彼女は利用されただけで全て要の責任だ。

 そんな彼女に、これから記憶が歪むほどの現実を突きつけるのだと。

 由緒は、楽が刺されたその瞬間の記憶が飛んでいる。彼女にしてみれば自己防衛。凄惨な光景から目を背けるための致し方ない反応だ。

 もしも彼女が、あの瞬間の事を覚えていれば、事態はこうもややこしくならなかったのかもしれないと。

 けれど彼女一人にそんな酷な事を背負わせる気にはなれなくて。だったら忘れていた方が幾らかましだと小さく笑う。


「……悪いな、由緒。これで最後だ」


 綺麗な黒髪を撫でて。それから優しくその手を握れば、瞼の裏に描いた記憶に感覚が置換されていく。


 ────次なる再会は過去と未来の境界線上で


 過去に楽が語ったの言葉が脳内で反響する。

 それが指し示す時間。……楽が刺される過去。思えば、全ての始まりにして、《傷持ち》からしてみれば終わりの場所。

 その瞬間だけ切り取れば、すべてが詰まっている。後に未来もやってくる。そうすればほら、この策謀渦巻く面倒な物語の主要な人物が全員登壇する。

 あの頃は、こんな事になるなんて思ってもみなかったと。そういう意味では想像の付かない面白さがあったのだと笑えば、開けた視界に笑う楽の姿を捉えた。


「やぁ、要。いい因縁だな」

「せめてもの牙だからな」


 これまでずっと彼の思惑に振り回されてきた。そんな最後に、ようやく黒幕本人へ突き立てる刃一振り。この瞬間、万感の思いを込めて彼を刺す為に研いで来たと言うならば、それはそれは長く辛い再現物語だったと。


「だったら一思いにやりな。慈悲なんて言葉が似合わないのは分かってるが、その胸に溜まった鬱憤、一撃に全て乗せて刺してみろ」

「あぁ、そうさせてもらうよ」


 今更、人を刺す事を厭わない。それほどに要の人間性は歪んでいるし、これさえも歴史再現のための演技だと割り切れば、演劇部員として後のためのいい経験だと。

 彼が死なない事は分かっている。だからこそ、躊躇もなく彼の腹部へとこれまで長く苦楽を共にして来たナイフを突き出す。


「ぅぎ……! っぁああ……」


 刹那、柄を伝って指先に感じる人の肉の感覚。皮膚を裂き、筋肉を貫く生々しい感触に生理的な嫌悪感が込み上げてくる。

 噛み殺すような苦悶の声は直ぐ傍の耳元から。突き立てたのは彼の左の脇腹。過去に気取って推理したように、右利きの犯人たる要が刻み込む確かな刺創。遅れて、黒い皮手袋の上に生暖かい液体の感覚を覚える。

 それはこんな醜悪なシナリオを考えた楽の腹から零れ落ちたにしては、随分と綺麗で鮮やかな赤色。それが人間の生きる証だと言うのならば、要は今確かに彼の命を削っているのだろう。

 殺すわけではない歴史再現に。刺したナイフは捻ることなくそのままに抜き放つ。

 ドラマや物の本に少し手を伸ばせば分かる事。こんな内臓にも届かないちっぽけな刃で出来る一番死に易い刺し傷は、刺された後中で捻られ、傷口を広げた上にナイフを引き抜いて失血を誘うそれ。逆に一番死に難いのは、刺したナイフをそのまま刺しっぱなしにしておくもの。これだとナイフが傷口をある程度塞いで、失血死を免れる確率が高くなる。

 流石にこのナイフをここにおいておくのは後が面倒だ。だから刺しっぱなしにしておく事はできないが、傷口は最小限、抉らないに留めておく。

 この後要たちが来て、戸惑いながらも処置をしてくれるお陰で楽の命は助かる。

 ……思えば、あの時彼が刺されてるのを見てもそれほどうろたえなかった時から、やっぱり要は狂っていたのだと。だったら物語を引っ掻き回すトリックスターとしての役割は十分に全うできただろうか。

 一番に主役足り得なかったのは紛れもなく要自身だと自嘲して、それから動いた景色に要は希望の光を背後に見る。

 うつ伏せにアスファルトの大地へと倒れこんだ楽。もがき苦しむ彼の周りに広がる紅の池。

 その光景に立ち会ってしまった不遇な少女。去渡(さわたり)由緒。

 呆然と立ち尽くす彼女の瞳には、腹を押さえて蹲る楽と、その隣に立つ黒尽くめの姿が映る。

 本当に、運がなかった。例えばそれが彼女でなければ、要はここまで来ていなかったのかもしれない。

 巡った想像は、それから確信と言う名の裏を返す。

 そうだ。これは、正しい歴史。由緒が目撃するのも、楽が未来の要に刺されるのも。全てがその通りなそうあるべき歴史だ。

 だったら、彼女がここにいることにも、ちゃんと理由がある。

 それを伏線なんて言えるほどに楽の考えた残酷な物語は計画的だ。呆れるほどに用意周到だ。

 けれどそんな計算と対になるように、要の中にも疑いようのない確信があるのだ。

 さぁ答え合わせだ。全ての言動を思い返してみよう。

 未来は語った。彼女は知っていた。由緒がこの時間で異能力を発現する事を。それを観測する事も目的の一つだと言って、そうして由緒が異能力保有者だと『念写紙』で示して見せた。その際に、言った。異能力者はよく夢にうなされる、と。

 夢とは、記憶の整理。その根源は、脳にある。

 視点を要の経験へ。

 要は、最初に異能力の干渉を受けた際に、体に変調を来たした。異能力と言う存在を要に教えるために……結深(ゆみ)の無事を確認するために、病院から家へと時空間跳躍を行った。その時に要は彼女の愛嬌……言い忘れていた副作用に襲われた。嘔吐だ。

 その時に未来は言った。その反応は最初だけだと。つまりそれは、異能力の影響下に適応する身体反応と言うことだ。

 だとすれば、被異能力者たる要でそうならば、異能力そのものを開花する由緒には一体どんな変化が襲いかかる?

 視点を由緒へ。

 彼女はこの瞬間、この景色を、後に思い出せなくなる。それは衝撃的な記憶に鍵を掛ける自己防衛と言う意味がある。

 けれどそれとは別に、一つの推論が浮かぶ。

 由緒は異能力保持者だ。けれどそれが確定したのは廃ビルから彼女を連れ戻した後一夜空けて……。けれど要は知っている。経験している。

 由緒の異能力は、誘拐された時には既に開花していた。だから誘拐されてきた彼女にリンクした『音叉』で移動をして、《傷持ち》として歴史再現をしてこられたのだ。

 つまりあの時には既に、彼女は異能力者だった。

 この時代に、由緒は異能力を発現する。そしてそれは、今この瞬間から考えて翌日……楽の入院の見舞いに向かって誘拐された時には、既に開花していた。

 未来は、この時代に由緒の異能力は発現すると言った。……彼女のいる未来では、異能力の発現に関してある程度の予知が出来るとも言っていた。

 つまり。今この瞬間に未来が来て、由緒に異能力が発現する事を知っていて、それがあの誘拐までに起こるのならば……そして、異能力保持者が夢に魘されるのならば、脳に異能力が影響を及ぼすのならば。

 だったらもう、この可能性しか要には考えられない……!

 由緒が『時間遡行(Re:タイム)』を発現したのは、この瞬間だ。その影響に、彼女はこの景色の記憶を失った。

 これならば、これ以上無いほどに辻褄と矛盾を繋ぎ合わせられる。

 同時に、もう一つの視点から再確認。

 要は過去に推理した。この見通しのいい長い直線道路を、楽を刺した犯人はありえない速度で走って逃げたのではないかと。そして楽は言った。いきなり現れて刺したのだと。それは彼の主観だから、幾らでも情報の改竄は可能だろうけれども。確かに今要は由緒の異能力でここまで跳んで来たのだから、嘘ではない。

 この後直ぐに由緒の悲鳴を聞きつけて、要と未来がやってくる。けれど普通に走ったのでは、きっと間に合わない。背後の交差点までは随分な距離がある。要自身も、心身共にそろそろ限界だ。

 だったら、《傷持ち》たるこの身は如何にしてこの場所から離脱した?

 単純だ。消えたのだ。忽然と。一瞬で。

 どうやって?

 

 ────この瞬間に発現する目の前の由緒の異能力によって。


 目の前の彼女の力を借りれば、要の記憶の限りならば何処へでも向かえる。

 けれどそれはできないのではないかと、疑問が募るだろう。

 要は楽に操られていると。だったらこんな推理が出来たところで、それを行動には移せないだろうと。

 だったら逆に問おう。


 ────俺がいつ、楽の思惑通りに操られていると言った?


 こんなに捻れた物語だ。想像のつかない面倒なシナリオだ。事実は小説より奇なりを地で行く経験だ。

 面白すぎるだろう。こんな経験できないだろう。

 だったら俺自身が全て終わった後に、この経験を元にノンフィクションの本を書いてもいい。

 その際には、絶対にそうすると約束しよう。

 叙述トリックだ。


 ────俺は、楽の後催眠暗示には掛かっていない。


 ありえないなんて、そんな事はないのだ。

 楽が俺に後催眠暗示を掛けたのはいつだ? 《傷持ち》に仕立て上げようとしたのはいつだ?

 そう、あの廃ビルで、要が失敗し、捕まって眠っている時だろう。

 どうやって後催眠暗示を掛ける?

 当たり前だ。眠っている要の耳元で、『催眠暗示』を取っ掛かりに掛けるだろう。

 けれど、それは────耳が聞こえていないと掛からない暗示だ。

 さていつからだ? 俺の耳が聞こえなかったのは。俺の耳が聞こえるようになったのは……?

 まず前提を一つ。『時空通信機』は、音声だけ。相手の口元は見えない。だから『読唇コンタクト』では聞こえない。

 『読唇コンタクト』。未来に借りた未来の道具。それは相手の口元を見れば喋っている内容がわかると言う補助具だ。

 何の補助具か? もちろん、未来の異能力の制限たる五感の一時欠損だ。

 俺は確かに、一度耳が聞こえなくなった。それはショッピングセンターで『催眠暗示』のCDを回収した後に受けた制限抵触の影響だ。効果は、十二時間。

 その後色々とあったが、九時間は寝て過ごした。残り三時間。

 三時間は意外と長い。特にブースターなんて使えば間隔が間延びして経過時間なんて曖昧になる。その間に、面倒な戦闘を幾つもこなしたが、残念ながらその時間を消費しきるには至らなかった。

 だから黒幕を捕まえようと一人で行動した際。廃ビルで《傷持ち》に手首を斬られたあの時にはまだ、耳は聞こえていなかったのだ。

 その後失敗して、捕まって。目が覚めて、彼の言うがままに《傷持ち》へとなって『時空通信機』で会話したあの時には、聞こえていた。

 つまり俺の耳は、『スタン銃』で寝ている間か、起きる直前まで聞こえていなかった。だから彼の後催眠暗示には掛からなかったのだ。

 ひとつ、振り返れば。俺は目が覚めた後直ぐに楽からは見えない位置で抵抗の姿勢を見せた。後ろ手に縛られた縄を解こうとした。

 けれどもし後催眠暗示に掛かっているのならば、楽の事だ、反抗や抵抗をしないように暗示の中に言い含めているはず。そんな行動は、取れないはずなのだ。

 ……以上、遠野要が誇る最大の演技。後催眠暗示に掛かっている振り、でした。

 楽が騙されてくれればそれでいい。それとも、他に誰か術中に嵌ってくれたかな?

 ありもしない世界の観測者に笑って。それから一歩を踏み出す。

 未だ信じられない光景に震える由緒。彼女に向けて血に濡れた手を伸ばす。


「ぃやぁああああああぁああああああっ!?」


 そうしてようやく響いた辺りを劈く甲高い悲鳴。そうだ。由緒は、それでいい。何処までも巻き込まれた被害者でいればいい。それが要がこれまで続けてきた演技の、何よりの報酬だ。

 やっと、ここまできたと。

 ずっと胸のうちに渦巻いていた希望の光の先に、新たな未来を……その通りに流れる歴史を捕まえるっ!

 握った由緒の手のひら。目を閉じれば、彼女の手の感触が遠くに消えていく。

 頭の中に描いた景色は、瞼の裏で眩しいほどに光る感覚に埋め尽くされていく。

 それは由緒の異能力発現の証。時間移動する者が見る、たった一時の幻影。

 歴史が歪み始めたあの景色からどんどんと未来へと進んでいく感覚。これまで経験してきた過去が認識できないほどの速さで後ろへと流れていく。

 『時間遡行』を開花させた由緒は、異能力の開花に合わせてその瞬間の記憶を欠落させ、忘れてしまう。そのまま自分が異能力を発現した事を知らずに誘拐され、楽に利用されて。そんな楽さえ欺いて、要は本来いるべき場所へと戻る。行くべき場所は、要が知る最も遠くに刻んだ記憶。最後に未来と別れた、その瞬間へ。

 肌を刺す感覚が記憶の彼方へ置換される。踏み締めた感触は畳。ゆっくりと目を開けば、目の前には未来の背中。その他を彩るのは部屋の壁。狭く、温かいあの拠点。

 帰って、こられた。

 胸の奥から湧き上がってくる衝動に確かな安堵を覚えながら足を踏み出す。

 全部は終わっていないけれど、約束通りに帰っては来た。だからこれでもかと、彼女の説教は聞くとしよう。そうして、要が人間らしさを取り戻すのだ。

 鳴った足音に未来が振り返る。


「お兄ちゃんっ」


 おかえり。そう告ごうとしたのだろう彼女の表情が、唖然とする。

 何を呆けているだろうと。放心したような彼女の事が分からなくて声を掛ける。


「……未来…………」

「っ、《傷持ち》……!」

「え? あ………………」


 未来の声に思い出す。そうだ。そう言えば楽を刺したその足でここへ来たから、身形は《傷持ち》のままかと。

 跳び退る未来を余所に自分の事を見下ろせば、体を包むのはこれまでの交錯でいくつか汚れた黒いレーシングスーツ。視界は覗き込まれても顔が分からないように僅かに曇った黒いフルフェイスヘルメット。加えて血塗れて滴るナイフを下げた、いかにもなんて接頭語を付ける暇もないほどな危険人物の出で立ち。

 何よりも、この右手には傷があって、今し方ようやくその歴史再現を終えてきたばかりの身だ。それに《傷持ち》は要なのだから、彼女の言葉に偽りなどないのだが……。


「ちょっとまっ────」

「っせぇい!」


 と、考えている間に繰り出された大上段の回し蹴り。思わず避けてナイフを構えてしまったのは条件反射。直ぐにそれを畳へ放り投げてヘルメットも脱ぎ去る。


「未来、違うっ、俺だ!」

「知ってる、この偽者!」

「だから話を……」

「うっさい!」


 問答無用とばかりに飛び掛ってくる彼女。彼女が手に握ったそれは『スタン銃』。

 確かに今までは彼女との約束を破るような事を沢山してきた。けれど今の要は、正真正銘彼女の元へと戻ってきただけの善良にして聖なる要だ。……自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。

 向けられた銃口を睨めば発射まで秒読み。仕方無しに抜いたのはポケットにずっと入れていた『捕縛杖』。あぁ、そうだ。これが証明になる。

 考えて同時、握ったそれを振り下ろせば何かを弾く感覚。こんなところでも、歴史はそうある通りにしか流れないのだと。


「未来、これだっ、『捕縛杖』。これは俺しか持ってないだろっ?」

「っ返せ、それはお兄ちゃんに……何処で捕ってきたっ!」


 叩きつけられる言葉はどうやらそれが要から《傷持ち》が奪ったものだと言う主張。お願いだから今はそんな曲解横に置いて素直に認めて欲しいっ。

 だったらどうするかと。こちらを睨む未来と僅かに向かい合って、巡った思考で編み出した次の弾。


「だったら返すからっ。それに声! 『小型変声機』は着けてないっ。この声は俺自身のものだ!」


 そうだ。こうして交わす声は、『小型変声機』によって歪められたノイズではない。『時空通信機』と一緒に外して楽へと渡してきたのだ。

 だから紡がれる音は何処までも当たり前な、要個人の証。もちろん声帯模写なんて曲芸はできない。多少声色を変えるだけなら演劇部員として可能ではあるが……。

 後どうでもいいけれど、やっぱり今の俺は由緒の異能力の影響下。制限によって自分の名前を言えない。そんな歯がゆさがあるからこそ、どうにか別の方法で説得を試みるのだ。

 考えて足を止めた未来に続け様に吐き出す。


「それとも俺と未来しか知らない事でも言ってやろうか? 脱衣所のこととか────」

「っ……!!」


 刹那に姿の消えた未来。それが後から、急加速による接近だと気付けば、体を抱きしめられるほどの距離に未来の体があって。次の瞬間突きつけられた『スタン銃』の銃口は顎の下。冷たい感覚は黙ったまま真実だけを問い詰める。


「…………本物なら、答えて……。────信じて託す、その先に……?」

「……刻む歴史は未だ来ぬ」


 それは彼女が要を送り出したときに呟いた言葉。気取って紡いだその場限りの口上だ。

 未来の尋ねるような口調に答えて、記憶に残るその文言を口にすれば、次いで要を襲ったのは包み込むような温かい感触。見れば、未来がその体一杯で俺の事を抱きしめていた。


「っおかえり、お兄ちゃん……!」

「…………ただいま、未来」


 酷使した体にとっては痛いほどに強い未来の力。背中に回された手が、そこに居る事を確かめるようにレーシングスーツを掴む。

 前々から思っていた事だけれども、どうにも未来は感情表現が表に出やすい質らしい。素直で分かりやすいと言えば彼女の可愛い長所だ。

 そんな彼女の気持ちに答えるべく。何よりも要自身が戻ってきたと実感するために。血に濡れた手袋を外して胸に埋もれた彼女の後頭部を優しく撫でる。

 体だけじゃない。心も、遠野(とおの)要としてここに帰ってこられたのだ。して来た悪行は消えないけれど。それでもここまで辿り着いたのだと。

 ごちゃごちゃと判別のつかない五里霧中の記憶の先に得た、やっとの現実。

 この一時だけ切り取れば。これ以上無いハッピーエンドだっ!

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