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パラドックス・プレゼント  作者: 芝森 蛍
五里霧中の記憶の先に
32/70

第三章

 頬を撫でる風に身を捩れば、閉じた瞼の向こう側に光の気配を感じる。

 ゆっくりと目を開ければ差し込んできた朝の光に思わず視界を覆って。それから体を起こせば一つ伸びをした。

 体の節々が痛い。寝違えただろうか?

 考えつつ軽く体を解して立ち上がる。膝が鳴ったのはご愛嬌。新鮮な朝の空気を胸いっぱいに吸い込んで頭を覚醒させる。

 溜まった何かを吐き出せばようやくいつも通り。近くに置いていた『スタン(ガン)』などを身につければ、その重さに《傷持ち》であるという実感を取り戻す。

 そうだ。この身は《傷持ち》。遠野(とおの)(かなめ)の成れの果て。歴史再現の道中だ。

 見慣れた見慣れない景色。十八年前の地元を少しだけ見つめて、とりあえずはとコンビニへ。昨晩と同様に使える硬貨だけで朝ご飯を調達して喉の奥へ流し込む。

 野宿をして朝日に目を覚まされる野生児的な生活でも食事は欠かせない。そうでなくても《傷持ち》として動き回れば体力が幾らあっても足りないのだ。ブースターに頼りきりではいざと言うときに動けない。

 と、そうして準備を整え、『時空通信機(リンカム)』を装着するとそこから雑音が聞こえる事に気がついた。


「……繋がってる…………?」

『どぉっ!? びっくりした……。何だ、お前か』


 呟きに返る声。間抜けな響きは聞き馴染みのある未来人の声。


「……おはよう、(らく)

『暢気だな。今何処にいる?』

「父さんの事故が起きる過去。『抑圧拳(ストッパー)』貰って足止め受けてたから公園で野宿してた」

『あぁ、なるほど。それで繋がらなかったのか』


 どうやら幾度か彼から通信があったらしい。

 『抑圧拳』は殴りつけた相手をその時空間に縫い止め、異能力の干渉から除外する未来道具。どうやらそのお陰で『時空通信機』にも影響が出ていたらしい。


「そっちは?」

『病院のベッドの上だ。朝から忙しかったんだぞ? 医者に警察。もちろん『催眠暗示(ヒュプノ)』で丁重におかえりいただいたけどな』


 便利な異能力だと呆れれば彼は告ぐ。


『これから昼食って、それからお前らが阿呆面下げて見舞いに来るだろう? だからしばらく連絡が出来なくなる』

「別に報告する事なんて起きないさ。歴史はそうある通りにしか流れないからな」

『その結果がこれなんだから、お前にしてみれば納得し難い話か?』


 嫌味のように笑って零す楽。けれどそんな言葉にも、自然と怒りは沸いて来ない。どこかで諦めているからだろうか。


『何にせよ、そっちの事はお前に一任する。出来るなら今日中に終わらせろ』

「こんな体験そう長くしたくない。初めからそのつもりだ」

『期待してる』


 期待されたところで、面白い事など一つもないのだけれども。

 胸の内でそう零せば通信が切れたのか無音へと戻る耳元。会話を無くして一人へと戻った景色の中で、彼が残した言葉にその裏を考える。

 今日中に終わらせる。それは別に、楽の都合ではないはずだ。

 その言葉が指し示すのは由緒(ゆお)。先ほどの『時空通信機』で分かったが、どうやらリンクをしているというのは同じように時間が進むということらしい。

 体感で昨日楽と繋がった『時空通信機』は、要がこの時間で寝て夜を過ごすのと同時、楽の方も刺された後病院で一夜を経験した。

 つまり要の体感時間と楽の体感時間は同じように流れていて、例えば要が一時間何もせずにここにいれば、同様に楽も一時間無為な時間を過ごす事になるということだ。

 この『時空通信機』がある限り、楽だけ三時間を勝手に過ごして、未来から助言をして来るという事はない。

 ならばもう一つリンクをしたものが手元にある。『音叉(レゾネーター)』だ。

 これのリンク先は由緒。リンクをしたのは楽に『時空通信機』を渡された時だから、要の体感では同じように昨日。あの時既に由緒は誘拐をされて一日目で、彼女はその次の日に過去の要によって助け出された。

 つまりこの『音叉』は要に由緒が助け出されるまでの二日間しか使えない。そして一夜寝て過ごした事により、由緒の視点で語れば今は既に二日目の朝頃。つまり今から夜の七時までに傷持ちとしてのやるべき事を完遂しなければならない。

 それがきっと、楽が言った今日中と言う期限。

 そこまで多くない時間移動だが、面倒なのは《傷持ち》が何人か重なる場面。それを再現するには、四人なら四度の時間移動とそれに費やすだけの時間が必要になるわけで……。五分を四度でも二十分。連続して戦闘するだけでも精神的に辛いものがある。間に休息を挟もうと思えば、あまり無駄な時間は過ごしていられない。

 《傷持ち》も意外と忙しいものだと客観視して笑えば準備を終える。

 主武装は『スタン銃』にナイフ。見た目を偽る黒尽くめと喉に張った『小型変声機(ミニマイク)』に、時間移動の肝となる『音叉』……。後はきっともう使う事の無い『時空通信機』。こうして考えれば未来道具で着飾った豪華な人形だ。

 これだけの援護を受けて尚、未来(みく)やブースターを飲んだ要と互角にしか渡り合えないとなると、抵抗した方も随分頑張ったものだ。今更ながらに褒めてやりたい。

 そんな事を考えつつ瞼を閉じて、思い描くのは次の《傷持ち》出現の一幕。『時空通信機』で通信できた以上、この体にもう『抑圧拳』の制限はない。時間移動だって可能だ。

 昨日最後にした再現がこの時代に来て始めての戦闘だったから、次は二度目のそれ。雅人の事故が起こる当日だ。

 想像は『音叉』の音色と共に感覚を置換する。移動のために閉じた目を開ければ、視界の先には壁から道路を覗き込む後ろ姿が二つ。

 雅人(まさと)を襲うと勝手に誤解をして、そちらに集中を割かれて無防備で間抜けな姿だ。これなら確かに、背後から襲われれば反応が出来ないのも納得が出来る。視覚に頼りすぎているが故の死角だ。

 このまま捕まってしまえばどれ程楽で、希望なんて抱かずに済んだだろうかと。生殺しになるこの先の未来を少しだけ嘆いて、それから握ったナイフを首元に向けて振るう。


「っ…………!」


 それに逸早く反応をしたのが未来。彼女は振り向き様、抜いた『スタン銃』を殆ど狙いなどつけずに撃ち放つ。

 けれどそれは研鑽の末の一発。彼女ほどになれば気配に打ち込む事も可能なのかと少しだけ驚きながら、迫った銃弾を切り捨てる。

 慌てる過去の要は滑稽で、覚束ない足取りは見るに耐えない。そんな中で『スタン銃』を構えた彼が一発打ち込んでくるが、当然ブースターを飲んだこの身に届くはずもなく。意味が無い事だと改めて示すように叩き捨てる。

 そうして距離を取る景色。やっぱり厄介なのは先ほど勘よりも鋭い反応を見せた未来か……。

 分かり切った結末とは言え敵になるとやはり辛いと改めて規格外さを知りながら地を蹴る。

 面倒は早く終わらせるに限る。流れる景色でナイフを振るえば、それを『スタン銃』で受け止める未来。直ぐにこちらも同じものを抜けば、伸びた未来の小さな手のひらがこちらの手首を掴んで拘束する。

 同時、視界の奥で『スタン銃』を構えた要から放たれる一発。流石に当たってはやれないと未来と過去を重ね、その通りな歴史を紡ぐ。

 手首を捻って銃口を内側に。そうして引いたトリガーで、こちらに迫る弾丸に自分のものをぶつけて弾く。

 この程度ならもう簡単に出来る。これまでに何度も見たし、未来だってして見せた芸当だ。ブースターのこの身に出来ないはずはないと。

 見くびられた事に対する小さな憤怒か。鋭く動いた足払いで二人をこかせにかかる。ひっかかったのは愚鈍な要だけ。未来は咄嗟に跳んでかわす。

 けれど出来た隙。逃さまいと仰向けに倒れる要を見下し、『スタン銃』を構える。無情に引かれるトリガー。けれどそれより数瞬前。急速接近してきた未来が腕をつかんで僅かに射線を逸らし、そのまま体を投げて叩きつける。

 反転した視界。背中に感じるアスファルトの硬さ。男一人投げ飛ばすとか、やっぱり彼女はどうかしていると。

 ならばこちらもこれまでに無い反撃をするまで。


「ぅあぁああぁぁあっ!?」


 今まで冷静に振舞ってきたからこそ、いきなり叫び声の一つでもあげればそれに反応はある。

 少し緩んだ拘束にナイフを振るい牽制すれば、未来が跳び退って距離を置く。

 個人的に大声を上げるなんて非生産的で苦手なのだけれども。その場限りの武器にするには十分かもしれないと。

 考えつつ飛来した一発をいつものように切り捨てて。

 気付けば目の前まで突撃してきていた要の拳を、横から蹴って弾く。テレフォンパンチもいいところな愚直な攻撃。せめてそれを陽動に使うくらいの戦い方をして欲しい。

 呆れながら仕方無しに伸ばした手のひら。そこに割って入る未来と、ナイフと『スタン銃』を使っての近接戦闘が始める。

 振るった一刃と切り結んだのは銀色の棒……『捕縛杖(アレスター)』。そう言えばこんなところで使い始めたのだったかと脅威を増やす。

 あれで突かれてもこちらを拘束できる上に、攻撃が無力化される。増える手数はこの先の戦闘が鮮やかになる事を想像しながらガン=カタを紡ぐ。

 『捕縛杖』を弾き、セイフティーをかけた『スタン銃』を逆手持ち。トンファーのように顎を狙えば反ってかわす未来。捻った体を勢いそのままに反転、襲い来る回し蹴りはしゃがんでかわし。ナイフで足を切ろうとすれば、それより数瞬早くフルフェイスのヘルメットを爪先で小突かれて距離を取られる。けれど既に持ち直した『スタン銃』で牽制の一発。半身ずらしたところに大地を蹴ってナイフを突き出せば更に避けた未来が、腕を絡め取って投げる。そのまま叩きつけられるのも癪なので、すれ違い様に後頭部へ膝を見舞えば咄嗟にかわされた。けれどお陰で緩んだ拘束から逃れて体勢を立て直す。

 未来にしてみれば一度しか経験した事の無い過去にして歴史。けれどそれでも全てを知る要と互角に渡り合う身のこなしには称賛を浮かべる。

 もし未来と今の要が組む事が出来たなら。楽を捕まえる事もできたかもしれないと。

 益体もなく考えて、ありえないことだと笑うと地を踏み締める。

 『スタン銃』一発。かわされ、そこにナイフを投擲。『捕縛杖』で弾かれ宙に舞ったそれを、ジャンプして拾い上げ、勢いそのままに上段から斬りかかる。

 直ぐに『捕縛杖』で受け止めた未来だったが、けれど更にその次。後から追いついた振り下ろしの脚が彼女の頭目掛けて襲う。

 咄嗟に切り結んだのを弾いた彼女だったが、僅かに掠った一蹴に飛ばされ尻餅をつく未来。


「きゃぁっ!?」


 可愛らしく細い悲鳴に少しだけ罪悪感を感じつつ飛んできた弾を無力化。『スタン銃』を撃ってきた要を見据えて一歩を踏み出せば、それに合わせて足を引っ掛けようとする未来。

 相変わらずただでは転ばない。緩めない反撃に勇み足で好戦的な彼女を見つつ距離を取る。

 そうして対峙した景色の中で、立ち上がった未来が要を庇うように位置取った。どうあっても彼女からすれば要を守る事が最優先。その揺るがない行動指針に刃を向けているこの身を嘆きながら踵を返す。

 もう十分だ。これ以上無闇な戦いをするのも疲れる。ブースターの残っているうちに退くのが安全策。

 考えて角を曲がれば背後から小さく聞こえる会話。二人の勘違いに走りながら少しだけ考える。

 要は、異能力を持たない。一応『催眠暗示』用のCDは受け取っているが、これはショッピングセンターで使うもの。再生デバイスが無い今では使えない。

 つまり、この時間で《傷持ち》は『催眠暗示』の威を借りて何事も撹乱していなかったのだ。雅人への『催眠暗示』もトラックの運転手への干渉もない。

 すべては歴史にあるがままの事象。終わった事で、歴史が歪んでいないのだから何も間違いはない。起こるべくして正しい、要の記憶にある通りの歴史。

 《傷持ち》の側になってはじめて分かる真実は、けれど語るほどでもなく呆気ないもので。現実なんてそんなものだと一人納得する。


『順調かい?』


 そんな風に一人ごちていると耳元で響いた声。唐突な音に思わずびっくりする。


「……連絡できないんじゃなかったのか?」

『俺が今いる時間のお前と兎は病院の外。もう一人は雑誌を買いに行っている。彼女が戻って来るまでは自由時間だ』


 楽の声に記憶に新しい景色を思い出す。

 恐らく楽の時間では、丁度要が《傷持ち》との最初の交錯をしている頃。由緒には雑誌を買いに行かせた後の……僅かな一人の時間か。

 これであの瞬間がようやく、要にとっても、楽にとっても、未来や由緒にとっても、等しく過去へとなったのだ。

 思えば一番未来に生きて一番過去から全てを見つめているのは楽。つまり彼が観測する毎に、要の周囲で起こる歴史は全て確かな歴史として肯定されるのだ。


『そっちはどんな塩梅だ?』

「そろそろこの過去でやる事も終わる。そうすればお前より未来に生きる事になるな」

『残念だが『時空通信機』で繋がっている限り時を刻む速度は同じだ。例え未来の時間に移動したところで、お前は俺より未来には生きられない。……あぁ、いや。俺の想像の中と、お前が再現するべき過去の記憶が見せる未来で言えば、互いに互いの未来には生きているか』


 要には《傷持ち》としてやるべき事を終えた後楽がどんな命令を下すのかは分からない。それを知っているのは楽で、そういう意味では彼は要より未来に生きている。

 けれど逆に、楽にしたって《傷持ち》がこれからどんな修羅場を潜るのか具体的なことは知らない。矢面に立たないのだから当然だ。

 それを襲われた側として知っている要からすれば、彼の知らない未来を知っているという意味で未来に生きている。

 互いが互いの未来に生きている。同時に、互いが互いの過去の事は知らなくて。こうして『時空通信機』で現在だけを共有し続けている。


「未来も過去も知った事か。俺にあるのは今だけだ」

『一瞬を生き続ける事が精一杯ってか? 涙が出るほどに寂しい事だな』

「逆だ。未来が確かにある事を知っているから、過去に意味が生まれて今を生きる事に全力を尽くしているだけだ」


 未来への空想をやめたわけではない。例え行動に移せなくとも、本気で彼のいいなりになるつもりはない。どこかで彼の支配から逃れられるなら、要はその一瞬を躊躇わない。

 その刹那を逃さないために、今要は《傷持ち》として生き、その時が来る事を切望するのだ。


『立派な事だ。やっぱり会話が出来る程度の意思は残して正解だったな。人形を作ったところで、面白くなければそれはただの人の形をした駒だ。盤上で踊るチェスや将棋の駒にもしも意識があったなら……楽しいと思わないか? 悲しいと思わないか?』

「……そんなに心が大事なら、生きた人間を使ってゲームでもしてればいい」

『それは駄目だなぁ。だってそれはゲームじゃない────戦争っていうんだぜ?』


 分かり切った戯言を。

 ならばと彼の言葉を裏返す。


「…………やっぱり戦争を起こす気はないんだな?」

『『催眠暗示』一つですべてが変わる事なんて無いさ。ただ望むのは、この身に託された矛盾の正当化だけだ』


 矛盾の正当化。その具体的なところが黒幕たる楽の目指す場所。歴史改変の、中核。

 何かに迫った気がして、けれど曖昧なままに会話が終わる。


『……おっと、時間だ。愛すべき雑誌が俺に抱かれにやってくるっ』

「そのまま幻想に溺れてろ」


 吐き捨てて切れた音に、耳の感覚が辺りの音を拾って同調する。じんわりと広がる世界に接続する感覚。

 確かに生きていると改めて客観視して、気付けば辿り着いていた目的地で電柱に背を預け座り込む。

 次でこの時代最後の交錯。再び目にする事になる雅人の死。……いや、それより数瞬前に『音叉』で逃げるから、直接目にすることはないけれど。

 何をする訳ではない。ただ歴史がそうある通りに流れるように、未来が雅人を突き飛ばすように誘導するだけ。

 また彼女にいらぬ後悔を背負わせたと。幾ら自分を責めたところで救われない悪行に小さく笑って。

 交差点に視線を向ければ雅人が歩く姿を見つける。さて、再現序盤の大詰めだ。変わらない現実を過去として刻み付ける、茶番の始まり。

 重い腰を持ち上げて交差点の中央へ。雅人がやってきた方を見れば、遠くから彼をつける要と未来の姿。小細工など無い。真っ向からの正直な干渉に呆気に取られる二人を余所に、踵を返し雅人へと迫る。

 その気になれば届く手のひら。まだそこに生きている、父親の背中。

 憧れと夢が入り混じった要の知らない誰か。

 事ここに至っても、心のどこかで目の前の彼を父親と思えない自分がいる事に気付く。生まれる前に死んだ、写真でしか見た事の無い誰かだ。例え半分血が入っているといわれても、それを知覚する術は要にはない。仕方の無い感情だ。

 考えて伸ばした手。そうして迫る数瞬の刹那に、背後へと急速接近した気配に振り向く。

 そういえばブースターを飲むのを忘れたと。けれどまぁ、全てそうなる歴史だ。その通りに振舞えば言動は肯定される。

 襲い来る踵落とし。頭の上で腕を交差させ、体全体で衝撃を殺して受け止め、跳ね除ける。初めてその蹴りを生身で受け止めて、確かな重みに実感する。

 これは、要に降りかかった断罪の一撃。自分を許す事ができない要が縋るべき正義。


「逃げろっ! 早くっ!」


 次いで近づいたのは要。確か背後からの『抑圧拳』での攻撃……。

 脳裏に過ぎった記憶が過去の視界と重なって体を動かす。背中を向けたまま僅かに横にそれて拳をかわし、脇に伸びたその腕を絡めて前に投げる。

 受身を取った要に向けて疾駆。拳を突き出せば後ろへ跳んで回避され、カウンターに不安定な回し蹴りが迫る。それを左腕で受け止めて、そのまま足でも掴んで引っ張ってやろうかと手を伸ばしたところへ未来から横槍。咄嗟によけて距離を取れば視界の先で逃げて行く雅人の姿。

 そう、それでいい。


「ご苦労なことだな。まぁお礼参りも出来て一石二鳥か」

「言ってろっ、そのヘルメット剥がしてとっ捕まえてやる!」


 どうでもいい会話。暇潰しに紡げば向けられた銃口。合わせる様にナイフを握る。


「お兄ちゃんは雅人さんの方へ行って。その手で、殺すんでしょ?」

「……………………」


 そういえばそんな事も考えていたのだったか。全てを知る身から考えれば無益な事だ。

 交わされる言葉にとりあえず傍観する。正義を振りかざす誰かが会話をしているのならば、悪役が手を出さないのは鉄則。今時の悪役はそんな事構わずに攻撃をするようだが、ここは古典的に待ってあげようじゃないか。


「……大丈夫か?」

「いざとなったらブースター飲むから」


 もし未来がブースターを飲んだらどれ程凶悪な存在になるのだろうか。想像するだけで少し恐ろしくなる。


「行ってっ!」


 未来の言葉に反転する要。逃げるようなその背中に小さく笑えば、目の前の未来が大地を蹴って急接近する。

 さて、ここからは要の記憶に無いやり取りだ。好きに紡がせてもらうとしよう。

 一足飛びに距離を詰める中で彼女が抜き放った『捕縛杖』。振り下ろされた一撃をナイフで切り結ぶ。

 どんな言葉で引っ掻き回してみようか……。考えていると鍔迫り合いの中、未来が問うて来る。


「……あなたは、誰っ? 一体何のためにお兄ちゃんを狙うのっ」

「俺は誰でもない。ただ歴史に肯定された、お前達にとっての敵だっ」


 そして、未来だけによって裁かれる身の、罪人だ。


「それに、別に誰だって構わないだろう? 全て終われば分かる種明かしだ。事件が起こり、動機とトリックがあって、犯人なんて最後に顔と名前が分かればミステリーとして成り立つ。そんな推理小説は嫌いか? 明日見(あすみ)未来」

「っ……!?」


 彼女の瞳が驚きに開かれる。

 未来という名前はこれまでの交錯で何度か耳にした。だから名前を知っていてもおかしくはない。けれど苗字は違う。要が未来と呼んでいた以上、普通ならば《傷持ち》が彼女の苗字を知っているはずが無い。

 だからこそ意味を成す。未来を知っているとその一言で告げられる。

 結んだ(つば)()りを解けば、距離を取って未来が叫ぶ。


「何でっ……! 何を知ってるっ!?」

「あぁ、知っている。俺はお前を知っている」


 少しずれた、けれど確かな答えを今一度突きつける。


「ふざ、けるなっ!」


 肩を怒らせた彼女の体が深く沈んだ刹那、距離を詰めて目の前に現れる。例えここで捕まらないと知っていても、いきなりは流石に驚く。

 そんな急接近をどうにか目で追って進行方向にナイフを凪ぐ。紅の風が体を捻ってかわした次の瞬間、視界の外から右の脚が迫った。鋭い一蹴に『スタン銃』の銃口を合わせれば撃たれる事を嫌ってか攻撃はそれた。

 全く、生身で未来の相手をするのは、由緒に掛けられる柔道の技よりも厄介だと。

 後ろにステップを取った未来を見て踵を返し、要も走り出す。何よりここですべきは未来との戦闘ではない。雅人の事故をその通りに再現する事だ。


「っ……待てっ!」


 直ぐに狙いに気付いたか後を追ってくる未来。流石に背中に目が付いているわけではない要には、発砲音だけで弾をかわす事はできない。

 ならば最初から撃たせなければそれでいい。

 握った『スタン銃』を背後に向けて牽制する。当たらなくともいい。僅かに足を止められればそれで十分。あわせてナイフをちらつかせれば、未来だってそう簡単に『スタン銃』を撃ってはこない。これまで何度も弾いて見せたのだ。彼女の頭の中では既に効かないものと判断が下っているはず。

 ならばそれに賭けるのも一興。

 考えて見慣れた風景を走り曲がる。現在地と雅人の事故が起こる交差点、そこまでの経路を幾つか脳裏に描く。

 幸いなのはまだ未来がこの辺りの地形に詳しくなかったこと。もし要のように地形を把握していたなら、持ち前の運動神経で先回りをされていたかもしれないが、それも道を知らなければ出来ない。そもそも未来のやるべき事は《傷持ち》を止める事。だとすれば《傷持ち》から目を離す事はしないだろう。

 過去に未来と語った囮作戦。それを《傷持ち》としてする事になるとは思わなかったと考えつつ、目的地に直走る。

 そうして何度目かの角を曲がって、視界の先に要と、雅人の姿を捉えた。遠くにはトラックの音。居眠りをした運転手が齎すこの先の景色を想像して、力の限り疾駆する。もうやるべき事は少ない。今この時に出来る限りをつぎ込む。

 こちらに気付いた要が『スタン銃』を構えようとして、けれどそれより数瞬早く一足飛びに近寄って蹴りを放つ。思いの(ほか)力の乗った一蹴は彼の体を真横に吹っ飛ばして、コンクリートレンガの壁へと叩きつけた。衝撃に彼の手から零れ落ちる『スタン銃』。咄嗟にだろう捕まえようと伸びた手は、しかしこちらには届かない。

 さぁそこで見ていろ。背後から未来がこの身を捕まえるという幻想を抱きながら、変わらない現実に打ちひしがれろっ!

 そうして到来する刹那の瞬間。後ろからは未来の気配。目の前にはこちらに気付いて後ろへ下がろうとする雅人。彼に向けて手を伸ばす《傷持ち》としての自分を見つめる、壁際に座り込む過去の要。迫るトラックの走破音。

 ここだけ写真で切り取れば、その静止画からさえ切迫さが伝わるほど張り詰めた空気の中で。この手に持った『音叉』が辺りに無慈悲なラの音階を響かせる。

 歪む視界は体の感覚を曖昧に。出来る限り真実をこの目に収めてやろうと開いた視界の奥で、消え行くこの体を通り抜けて伸びる未来の腕。その華奢で頼りの無い細腕が、やがて雅人の胸を突き飛ばす。

 次の瞬間、横殴りにスピードの暴力に叩きつけられた雅人の体が見えなくなって、同時にこの視界も惨劇の瞬間から見慣れた廃ビルへと置換された。

 踏み締めた鉄の床。重いほどの肌を撫でる空気はいつの間にか生温い外気へと変わって。胸のうちに去来する緊迫感はただ数瞬前の出来事を泡沫のように蒙昧にさせる。

 気付けば荒い息と共にその場へへたり込む。それは見たくもない雅人の死の現場を二度も経験したからだろうか。それとも単純に、体が運動の限界を迎えたのか。

 判別のつかない疲労感に襲われながら反芻する。

 終わってみればなんてことはない。一度経験したそうあるべき歴史だ。だと言うのに胸の鼓動は煩く鳴り止まない。

 人の命が潰えるその瞬間に立ち会ったのだ。自分の父親が死ぬ瞬間を目の当たりにしたのだ。

 普通ならば茫然自失に暮れ、憔悴しきって何をするにもやる気など起きなくなるものなのだろう。

 けれど、この胸には確かに次にやるべき事と、それに対する意欲が燃え盛っている。

 自分の父親が死んだというのに、その現実味はない。ただ少し、胸の左の奥の方が冷えて冷たく感じるだけ。これを傷心と言うのならばそうなのだろうし、冷静さといえばそれもまた正しい気もする。

 何にしても、そこまで強い感情は沸いて来ない。どこかで、すべては過去の事。覆しようの無い歴史の真実だと納得しているからかもしれない。

 そんな個人的な感情よりも、どちらかと言えば未来に対する罪悪感の方が強い。

 約束を反故にして《傷持ち》に墜ちて、彼女の敵となって振り回し、雅人の事故死に加担するという側面まで背負わせた。

 事実しかないその過去を押し付けたような要自身に対する叱咤。未来に対する後悔。まだその気持ちの方が強く実感できる。

 出来る事ならば早く彼女に謝りたいと。全てを悔いて種明かしをしたい。

 けれどそんなのは許されなくて。要はただ《傷持ち》としてやるべき事を成すだけ。

 何度反芻しても同じ結論に辿り着く。……ゲームオーバーなのだから仕方ないのだろうが。


『息が荒いな。どうかしたか?』

「……別に。歴史は再現されると胡坐を掻いてブースターを飲まなかっただけだ」

『余裕だな』

「諦めて身を委ねてるだけだ」


 考えていると耳元で響いた楽の声。彼の言葉に少し冷静になる。

 そうなる通りにしか流れない歴史。ならば例えばブースターを飲まなくとも経験した通りに紡がれるのだろう。

 けれど体に返る疲労は倍以上で。だったらやはりブースターの力を借りる方が幾らか楽だ。


「それで……随分頻繁に声を掛けてくるな。そんなに恋しくなったか?」

『やめろよ気持ち悪い。いや、なに。ちょっとした気遣いだ。時間移動をしてると感覚が曖昧になるだろう? だからせめてこっちの事でも教えて現実に繋ぎとめておいてやろうと思ってな』

「どっちが縋ってるんだか……」


 呟けば『時空通信機』の奥で笑う気配。曖昧な着地点に要も小さく息を吐く。


『さっき逆位相を頼まれて、それから彼女が誘拐された。そう言えば大体分かるか?』

「もう終わった事だ。……となると次は何も知らない俺が遊びに行くはずだ。丁重に持て成してやってくれ」

『お前もよく覚えてるな』

「流石に自分のしてきた事を忘れはしないさ。逆位相はその時に未来にでも預けておいてくれ」


 《傷持ち》に襲撃され、楽に由緒を預けて一時帰宅。この際に未来の『時空間移動(タイムトラベル)』で15分の空白が出来上がり、そこで逆位相を楽に頼む。その後迎えに行くとメールを送って、由緒が病院の外へ。一人になったところに《傷持ち》としての要が現れ彼女を誘拐。入れ違いに由緒を迎えにやってきた要と未来が、善人の面を被った楽に騙される。

 あの時は疑いもしなかった。黒幕でありながら味方の様に振舞う楽に。そして逆位相にも協力をする仮面に。


「……そういえば、どうして逆位相に協力したんだ? まぁ大体想像はついてるけど」

『答えるだけ俺の価値が下がる……。けどまぁせめてもの褒美だ。当たり前だがお前の手から逃れるためだ。あの瞬間に捕まえられては困るからな。当然で当たり前の演技。要だって、もし同じ立場ならそれくらいの芝居は打つだろう?』

「…………そうだな」


 要は楽ではないから。彼の考える最良の未来が分からない。だからもしかすると違う選択肢を取るかもしれない。

 逆位相の話をした時、病室には要と楽しかいなかった。だからきっと、その気になれば不意をついて要の事を捕まえる事も出来たはずだ。外に未来はいたけれど、それでも可能性はあった。

 けれどそれをしなかったのは、彼が万全を期すため。きっと楽が一番に警戒していたのは要ではなく、未来の方。

 彼女からの疑念を晴らすために味方の振りをしたのだ。


「せめて言わせて貰うとすれば、寸前で俺は気付いたけどな」

『おいおい、まさかそんな事で驕るつもりか?』


 もちろん分かっている。


「知ってる。《傷持ち》は最初から計画に入ってたんだろ? だから俺を狙う理由が増えて、わざと俺に気付かせるように振舞った。……そうなるように事を運んだ。あの時そこまで気づいていたかって言われると微妙なところだけどな」


 わかりきった事。普通に歴史改変をしたいだけなら、要とは一切関係のない人間を《傷持ち》に仕立て上げて、出来る限り痕跡を残さないまま要を捕まえ、そのままこの時代からおさらばすればいいだけの事。

 宛ら享楽殺人のように、わざと難解に事件を引っ掻き回す事で、時空間事件に慣れた未来までも騙しきった用意周到な黒幕だ。


『それでもヒントがあったとはいえ随分近くまで迫ったんだ。その執念には恐れ入るよ』

「……ただ少し推理が好きと言うか…………自分なりの納得が欲しいだけだ」


 育った環境上、昔から一人で何かをする事が多かった。母親である結深(ゆみ)に迷惑を掛けたくなくて。彼女も大概適当と言うか、細かい事は気にしない性格なので、結果要が神経質になって。自分でどうにかする癖がつき、一人で納得を見つけるだけの性格が出来上がっただけの事。それが今回は未来を巻き込んで振り回した末の、失態だ。


『少しだけ楽しかったぞ? 殆どお前には期待してなかったからな。張り合いがあった』

「全部終わった事で、楽にしてみればまだこれからだろうが」


 彼の手のひらの上で踊って捕まった要。要にしてみればこれまで経験した事はすべて過去だが、楽にしてみればまだ幾つかはこれから要が再現して見せる未来だ。それでもその結末を知っているから、彼は余裕を振り翳してそんな言葉を繰る。曖昧になる感覚は殆ど彼に乱されたも同然だ。


「……そう言えば、楽ってのは本名か?」

『ん……あぁ、本名だ。面白味の無い名前だが、名前に違わず楽しい事をできている気はするな』


 名前なんて、親から与えられた記号にして、親が子に託す夢だ。

 だからそれ以外のものを押し付けてはいけない。それは希望であって、手段ではない。子供は親の道具ではない。

 要と言う名前は結深から貰ったもので、昔に調べた事がある。男である要に女と言う部位が入った漢字。どうしてそんな名前にして、この漢字を使ったのか……。

 要には物事の中心や大切なと言う意味がある。けれどそれは漢字の成り立ちから転じたもので、要と言う字は人間が腰に手を当てている様子を表すものだ。

 腰と言うのは真ん中に立てられた軸で、比喩表現として話の腰を折るとか腰を入れるとか言われたりする。そこから転じて中心や大切なものと言う意味がつくのだ。腰と言う字だって(にくづき)(かなめ)と言う意味だ。

 女を使っているのは、男よりも女性の方が腰部の発達が強いから。それは単純に、要と言う大切な言葉をあらわすのに適していただけに過ぎない。

 そんな風に何かの中心にいられる立派な大人に育つように。大切に愛される子供に育ってくれるようにと言う思いを込めた名前だ。確か小学生の頃に、学校の授業でそんな作文を書いた覚えがある。


「《傷持ち》なんて安易な名前、個人の冒涜もいいところだな」

『分かりやすければそれでいいだろう? 結局記号だ』


 確かに、それは《傷持ち》と言う記号で、中身が誰に変わっていてもおかしくなかった話。

 そういう意味では、要の視点でしか語れない自分にとって、起きた事件のすべてが自分を中心に回っているとも、客観視できるなどとどうでも良い事を考えながら……。


観音(かんのん)楽……音楽ってのはいい皮肉だな」

『それこそただの偶然だ。異能力が名前に引っ張られるとでも? だったら要と言う名前のお前には何が似合う?』


 返った言葉に少しだけ悩んで。


「…………物語を動かす重要な悪役か?」

『違いないなっ。間違っても主役なんかじゃない事は確かだ』


 悪役なんていなければどれ程平和な事か。そもそも、主人公などいなければドラマチックな物語など起きない。

 だったらやっぱり、都合よく運ばないこの現実は、物語にはなり得なくて、要は主人公ではないのだと。

 なら例えば、この事件に主役を置くとしたら誰になるのだろうか。事件を解決しにやってきた未来? それとも世界に牙を向いて正しい間違いを振り翳した楽? 巻き込まれ利用された由緒でない事は確かだろう。彼女は要と同じ立ち位置だ。……個人的には楽が主人公の方が悪役が主人公のありえない空想の物語染みて好きな展開。


『なら悪役らしく、必要な事をしてきてもらうとしよう。次は何だ?』

「……俺と未来が過去から返ってきた後、由緒の事故を無かった事にしようとする景色への干渉、だな。ここもまた面倒なところが多いんだけど」

『大丈夫だ。知らないだけでお前が歩んだ歴史が今のお前を肯定する。歴史はそうある通りにしか流れない』


 楽からその言葉を聞いて、確証へと変わった胸の内の覚悟に足を出す。

 全てはそうあるがままの流れと共に。偶然なんて何処にも介在しない。必然と真実だけが折りなす歴史再現だ。




 楽との会話で十分な休息を得た要は次の目的地へと『音叉』で移動する。

 そこはショッピングセンター。過去の記憶では傷心の未来と連れ立ってやってきた場所で、マジックショーを二度見た記憶の残る騒乱の中心。

 これで三度目になるのだと少しだけ飽きた気持ちも抱きながらまずは放送室へ。

 これはもう疑わないと言うか、きっと望んだ通りになるのだと歴史と楽に感謝をする。

 放送室の中へいきなりと表れた黒尽くめの姿に驚く女性。けれどその瞬間、彼女は操り人形の糸が切れたようにその場へ崩れ落ちる。

 それは由緒が銃口を向けられて倒れたように。この黒尽くめを見て気を失うように仕組まれた楽の『催眠暗示』。

 だったら一体彼は何処までを知っているのだろうかと少しだけ考えて、やめる。

 ここまで用意周到なんだ。今更要にできることなんてありはしない。淡々とやるべき事をするだけだ。

 施錠された鍵を内側から開けてまずは一つ準備を完了。その音に背後で立ち上がる気配。振り返れば先ほど暗示に落ちた女性が危ない足取りで立ち上がっていた。

 彼女を隠すために運ばないとと考えていたのだが、どうやら鍵をあける音をトリガーに後催眠暗示が発動する仕組みだったらしい。手間が省けて助かる。

 ゆったりとした足取りで部屋の外へと出て行く女性の背中に心の内で謝りながら見送って、その場へ黒尽くめを脱ぎ、見慣れた私服のまま再び『音叉』で跳ぶ。

 次はマジックショーの会場。その裏方。歴史はそうある通りにしか流れない。だからここで《傷持ち》としての要は誰にも見咎められない。そんな暴論を振り翳して臆することなく堂々と忍び込み、そうして少しだけ驚いた。

 そこにいたのは要。そう言えば脱出マジックの箱に入った未来へ警告する張り紙の細工をしていたのだったか。あれはこの会場で『催眠暗示』による混乱が起きる事を知った二巡目の要。

 彼の存在を忘れていたと、すれ違いの交錯に身を隠してやり過ごす。それから彼が去った後、一つ呼吸を落としてもう一つの細工を始める。それはマジックショーで流れる『催眠暗示』音楽へのすり替え。

 誰にも見つからない事を前提にした心配事のない暴挙。それは子供の頃想像したような透明人間のような何か。誰かからの干渉とか、そんな乱されるようなものを気にしなくていいというのは自由で嬉しい限りだと。もちろん、その分誰からも知られなくて孤独ではあるのだが。

 そんな事を考えていると細工を終え、その場を後にする。

 で、次は…………冬子(とうこ)の『催眠暗示』に割り込みか。

 『催眠暗示』音楽の中の命令は要を狙う事。それはその場で発現する一過性のものだ。

 けれど冬子には少し時間差で発動してもらわなければならない。過去に想像したように、未来の語ってくれた方法で冬子の耳元に上書きのすり込みをしなければ。

 楽が何処まで計算ずくかは分からないけれど、この身は要で、今は黒尽くめではない。だから手首さえ見られなければ要を知っている人物には要にしか見えない。

 当然、冬子にだってその仮面は有効で、いつも通り対外的な遠野要を演じれば疑われる余地もない。

 考えつつ段々と集まる観客の中を見渡してその姿を探す。途中で、何も知らずにやってきた過去の要と未来の後姿を見つけて胸の内に湧き上がった嫌悪を振り払う。後回しだ。彼にはこの後十分に舞い踊ってもらう。

 そうして次に回した視界で冬子の背中を見つけた。彼女も巻き込まれただけの被害者だと心の中で謝って声を掛ける。


「冬子さん?」

「え……あ、要ちゃんじゃないっ。買い物かしら?」

「はい。冬子さんもですか?」


 振り返った彼女はどこか嬉しそうに笑って告ぐ。

 どうでもいいけれど、17にもなってちゃん付けで呼ばれるのはむず痒い。せめて君とかにして欲しいが、言ったところでマイペースな彼女には通用しないのだろうと諦める。前に遠回しにお願いした時もその意図を汲み取ってはくれなかったし。もちろん由緒だって協力してくれなかった。彼女にしてみればそれが面白いからなのだろう。


「持ちますよ、貸してください」

「あらそう? ありがとう」

「……ショーですか?」

「えぇ、時間に余裕があるから見ていこうかと思ってね。要ちゃんもどう?」

「いいですね。冬子さんは手品とかは好きですか?」


 他愛ない会話で時間を潰す。

 これはせめてもの償いで、これから起こる事から一秒でも長く逃げていたいという忌避感。

 《傷持ち》として仕方なく再演しているこの過去は、できることなら要にとって避けたい事ばかりだ。

 悪役の仮面を被って直視しないようにしては来たが、それでも生身で生きる人に干渉するときはどうにも心が揺らぐ。

 特に殆ど無関係なはずの彼女を巻き込むともなれば尚更だ。どうして彼女じゃなければいけないのだろうか。もちろん、そこに意味があるからだと答えればどうにか自分を騙せはするが……。

 大事な由緒の母親で、結深と同じように小さな頃から付き合いのあるもう一人の親みたいな感覚。だからこそそれは、写真でしか知らなかった父親の事故現場を見たときよりも尚深く胸に刺さる。


「あの子も一緒に来られればよかったんだけどね?」

「どうかしたんですか?」

「夏バテかしらね。気分が悪いって部屋で寝てるわ。事件の事情聴取も受けたみたいだし、疲れてるんだと思うの。要ちゃんは大丈夫?」

「あぁ……はい。俺よりも、由緒の方が心配です」

「ふふっ、ありがとう」


 冬子はその場に直接居たわけではないから、人伝に聞いただけの事だが。由緒は楽が刺される場面を一番近くで見ていて、その衝撃に一部記憶を失っているほどだ。確かに彼女が引きこもるだけの理由にはなると。

 実際のところ、今ここに未来といるもう一人の要が念のためにと由緒との間に紡いだ約束を彼女が守っているだけの事。雅人の事故の過去へ行って、三日間帰らなかったら家から出るな。律儀な幼馴染はその約束を守っているだけ。それを冬子が勘違いをしただけと言うのが真実だ。

 けれどしかし、確かに彼女の心には傷が残っているだろう。

 そう言えば楽が黒幕だとは由緒には伝えていなかったと。だから由緒の視点で考えれば、偽りの記憶も本物だと信じていて、目の前で友達が刺されたと言う衝撃的な絵だった筈だ。

 だったらやっぱり仕方の無い事。何よりもその景色に一枚噛んでいるだろう要からしてみれば心配しかない。


「またその内、一緒に遊んであげてね」

「はい」


 意味もなく答えて、それから視界の先の景色に呼吸を整える。

 湧き上がる歓声。舞台の袖から出てきた奇術師に拍手が重なって押し寄せる。

 彼には申し訳ないが、ここは一つ利用させてもらうとしよう。

 既に三度目のマジックショー。ここにはきっと、最初の要に、それを助けに来た要と、そして《傷持ち》としての要……三人の同一人物がいるはずだ。

 けれど出会うのは二人だけ。《傷持ち》がここにいたなんてのは、後から分かった事で、既に覆しようのない事実。すれ違って気付かれるなんて必要性は皆無だ。

 柱に寄りかかってステージの上をぼぅっと見つめながらその時を待つ。

 そういえばこの時間の裏で楽は何をしているのだろうかと。

 『時空通信機』で繋がった彼はそろそろ由緒が誘拐された事を伝えて自由になる頃合だが、ならばその後、由緒を巡って《傷持ち》と要が戦ったり、過去へ向かって雅人を中心に渦を巻き、帰って来てからも《傷持ち》と衝突し続けるその裏で、彼は一体何処にいるのだろうと。

 ……《傷持ち》はきっと、そのやるべき事を(つつが)無く終える。そうなれば楽は要を連れて最後の歴史干渉に乗り出すはずだ。

 彼の望む歴史改変。それは一体、何時の時代で起こりうるものなのだろう。

 今より過去と言うことはないだろう。と言う事は、要の生きたこの時代? それとも楽のいた未来? 一番可能性が高いのはその二つの間。歴史改変は、干渉したその時点より未来に影響を及ぼすのが常だ。つまり未来で認められない事が起きて、それを変えようとするのであれば、起きる前にどうにかするほか無い。

 《傷持ち》として利用された身でさえ彼の思惑はまだ分からない。噛み付いてでも訊かなかった要もそうだが、聞いたところで未来の事を彼が教えてくれるとも限らない。例え教えてくれたとしてもそれが真実とも限らない。だからどこかで諦めていたのだ。

 何にせよ、この時代で要が《傷持ち》としてやるべき事を成したのならば、その後ここに用はないはずで、だったら今要がいるこの時間の裏には既に楽も《傷持ち》もこの時代にはいないかもしれないと。

 気付けば随分と遠くに来てしまったような感覚に描けない未来図を追い駆けて目を閉じる。

 今ここで、全てを投げ出して眠ってしまえればどれ程楽なことか。

 そんな事を考えて、けれど耳が捉えた声にゆっくりと視界を開く。


「それじゃあ君っ。赤い髪の女の子っ」

「えっ────?」


 暢気に日常を謳歌する過去の二人。

 気恥ずかしそうな表情の未来と、意地悪に背中を押す要。可能ならば、あんな日常にずっと浸かっていたいものだと戻れないその場所を小さく恨んで。それから二人の背後にもう一人要の姿を見つけて視線を逸らす。

 彼でさえも、《傷持ち》の手のひらの上。あの時は《傷持ち》の思惑を打破できたと思い上がっていたものだが、それだってそうなる歴史だったから勝ち得た景色に過ぎない。

 例えばそう……この瞬間《傷持ち》としての要があそこで一人立つ要を連れ去る可能性だって、ありえたはずなのだ。

 けれどそれはしない。出来ないというのが正しいが、そんなのは些細な事。歴史再現と言うのは、そう言う事なのだ。

 益体も無く考えながら、壇上に上がる未来を視線で追う。これから彼女に迫る悲劇。ともすれば本当に命さえ落としていたかもしれない危機に、そうならないと分かっていても心配は募る。心配をするだけの心はまだ残っている。……心配ではなくてただの謝罪か。

 箱に入り、鎖を掛けられ、布を被せた台がくるりと回る。そうして変わる音楽。『催眠暗示』の旋律が辺りに響き渡る。

 冬子に視線を向ければ、息を飲むように胸の前で握った拳が力なく垂れ下がる。

 これが『催眠暗示』に掛かった者が見せる仕草。精神の奥深くに干渉する力は、心の緊張を解き無力化してしまう。

 この一端に、要も掛かっているのかと思うと少しだけ怖くなりつつ彼女の耳元に囁く。


去渡(さわたり)冬子さん。貴女はここであった事を忘れこのまま家へと戻る。今から二日後の朝、ごみ出しからの帰宅の際、家の前で去渡由緒の姿を見かけた貴女は彼女を轢き殺そうとする」


 刷り込んだのは後催眠暗示。たったこれだけの事で彼女は娘である由緒を危険にさらし、更には『催眠暗示』の効果も発揮して家に訪れた要をも襲う。

 そう、事実はたったこれだけ。なのに過去の自分は分からないからと振り回され続けたのだ。

 知らないというのは、それだけで大きな損だ。

 静かに告げると、冬子は心ここにあらずと言った様子で外に向かって歩き出す。非情な事をしたとは言え、僅かに残った良心が足を出す。冬子に連れ添って買い物袋を両手に彼女の車まで。荷物を積み込むと礼も無く車を発進させた彼女を見送って、一つ落ち着く。

 さて、もう一度時間移動だ。

 歴史をその通りに再現するために必要な事。胸の内で願えば『音叉』が音階を響かせて感覚を置換する。

 目を開ければそこはマジックショーの舞台裏。鳴り響く『催眠暗示』音楽に掛かり呆然とする関係者スタッフの姿を横目に、するべき事へ手を伸ばす。

 舞台袖を通り過ぎる際にちらりと覗けば、壇上で未来がマジシャンの拳をかわしていた。彼女が戦っているという事は要は既に逃げた後か。

 考えつつオーディオからCDを抜き取り元々あったそれに戻す。『催眠暗示』音楽はこれ一枚だけだ。このステージと、それから放送室から流れていた事を考えるに、ここで回収しないと不可能な再現。

 少しだけこの先を想像して再び『音叉』。移動先は放送室。放送機器を目の前に少しだけ弄って準備を進める。

 この辺りの操作は慣れたものだ。と言うのも高校では演劇部に入っている都合上、上演する際には舞台裏に備え付けの放送室を使う。要は部の先輩から、もしも当日放送担当が欠席した時の事を考慮して、代役の音響をこなせるように一通りの操作方法は叩き込まれている。そんな経験が、こんなところで役立つとは思わなかったと感謝をしながら調節を終えるのと同時、肌を刺激する何かが駆け抜ける感覚を味わった。

 思わず手を止めれば、それが空間固定弾の効果だと気付く。そう言えばそんなものも撃ったのだったかと。

 こちらに向けて走ってくる過去の要たちを少しだけ考えながらボリュームのつまみを上げ、マイクに向かって喋る。


「さて、こんな大舞台での狂騒劇。じっくり楽しんでもらえているかな?」


 《傷持ち》をより人情的に。そして悪役の仮面を更に強くする布告。

 これがあったからこそ、要たちは《傷持ち》を悪だと認識できた。そこを中心にこちらだって振り回す事が出来た。

 その裏に、《傷持ち》が被害者だと言う真実を隠すための……《傷持ち》を絶対悪に仕立て上げる言動。これまでして来た事に確かな意味を持たせる爪痕。


「地獄絵図なんて酷いことは言わないでくれよ? これはただの余興だ。捕まえたければその先を追いかけて捕まえて見せればいい。勝負といこうじゃないかっ」


 見え透いた答えは上っ面の言葉を紡ぐ。

 ざわついているのはこの胸の内だけ。余興よりも尚楽しい台本通りな歴史再現。追い駆けるのは尻尾で、捕まえるのはこちら側。勝負なんて言葉だけの、決められた未来へ向けて紡ぐ辻褄合わせ。

 辿り着く未来とは正反対の言葉たちを並べて彼らに突きつける。追い駆けて来いと。そこに正しい歴史は存在すると。


「俺が君を捕まえるのが先か、君が俺を捕まえるのが先か……。ならば舞台も整えないとなっ。雰囲気は大事だ、そうだろう?」


 既に正義や悪役なんて言葉では語れないほどに歪んだ物語。ただあるべき一つの答えだけが、勝者と敗者だけを突きつけるだけの、事件とも呼べない歴史干渉。

 言ってしまえばもう何処にも最初の原形はない……最初から原型しかない決められた物語。

 用意された盤上で憐れに踊る駒達が、一人しかいない差し手によって感情無く与えられた役割をこなす。

 将棋のように途中で駒の役割が変わるわけではない。最初から最後まで、一辺倒に、チェスのような精緻さで編み込まれた台本だ。


「単純明快、直截簡明(ちょくせつかんめい)。何よりも分かりやすい解だ。さあもう始まっているぞ? 知恵と地力と君の全てを賭けてその未来を変えて見せてくれっ! ショータイムの始まりだっ!」


 始まってなどいるものか。全てはもう終わっているのだ。知恵も地力も……命を賭してさえ変えられないからこそ歴史で、運命だ。

 今一度確信する。

 この物語に要が知るような時間の逆接(タイムパラドックス)さえ孕む緊張なんてどこにもありはしない。主人公の存在によって歴史が歪む事も変わる事もありはしない。

 最初からそうあるべき歴史を唯その通りに演じるだけの……世界と言う名の舞台なのだ。

 そこに人の意思なんて介在しよう余地なんてない。楽の思惑だって、全て歴史に肯定されたことだ。

 …………だったら、と。裏を返した思考が少しだけ可能性を見つける。

 もしそんなチャンスがあるとするならば、その一瞬は逃しはしない。

 これまでそうだったように、何かをする時はいつだって知らない未来を胸の中に抱く時だ。夢なんて言葉で語るほど大きなものではないのかもしれない。

 たった少しのあわよくば。そうなればいいという希望。

 ただそれだけの自分に嘘の吐けない感情のために全てを裏返してありえることかもしれないと自分を騙す。

 全てが歴史によって肯定されるのであれば────

 例外を許してはいけないのならば、そうある通りにしか流れない歴史のままに。

 芽生えた理想を胸に灯してマイクを切るとその場から立ち去る。

 空間固定弾が解除されるまではショッピングセンターからは移動できない。

 ならばその与えられた時間で考えるとしよう。

 本当に可能なのか。その希望は叶う余地があるのか。

 もうそれ以外に思いつかないから。賭けるなんて不確定な事に縋るつもりはない。

 すべてはこれまでに得た知識で説明できるはずだ。そうでなければ、今この瞬間だってありえないはずだから……!

 脇に抱えた黒装束一式を少しだけ見やって心を落ち着ける。

 全てを受け入れろ。要は《傷持ち》。未来は未来人。楽の思惑。由緒の災難。雅人の死。冬子の暗示。

 時空間の外の理に生きていても逃れられないものは確かに存在する。結論に対する過程。すべてに理由がある。

 視界を反転しろっ。利用出来る物は全て利用しろっ!

 そうすればほら、誰かに突き立てるための刃が見えてくる────

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