第二十五話 狂乱怒濤Ⅰ──瞳の外で笑う者
PM 15:24:45
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理解が及ばない非常識。それこそが神の力という異能の本質であり、本来の姿なのかもしれない。
超常にして異常。物理法則を超越する、人の身に余る力。まさに文字の通り神の如き力。
普段何気なく使っているこの異能の力を――一時的とは言え――失って、泉修斗は改めてその特異さに気付かされた気分だった。
殴打に次ぐ殴打。こちらを舐めているのか、それともこれで全力なのか、幸いな事に一撃一撃の威力は小さく、致命傷になるような物では決してない。けれども、その小さな積み重ねは確実に泉達の体力気力を削っていた。
いつか片づけるからと放置し続けたごみが、いつか手の付けられないゴミの山へと変貌してしまうように。
積り重なり、いずれは決定的な境界を越える。それがいつなのかは問題ではない。問題なのは、今の泉達は勝利ではなく敗北に近づいているという点だ。
敗北が、着実に顔を覗かせている。
鉄パイプをその手に握りしめ、周囲を油断なく警戒する泉は、不満を吐き出すように舌打ちをした。
「……ケッ、“それにしても一体何が起きてやがる”」
互いの背後をカバーするように背中合わせになっている少女のうちの一人――翠色の瞳の少女が泉の独り言に応じた。
「さあ? ただ一つ確かなのは何者かの攻撃を受けてるって事。そして問題なのは、私達の誰にも、何処の誰からどのタイミングで攻撃を受けたのか、その認識が――記憶が無い事。ですよねぇー」
忌々しそうに吐き捨てる泉とは対照的に、どこか開き直った様子でシャルトルは肩を竦める。
一見余裕すら感じさせる態度と表情だが、無理に強がっているのがバレバレだった。
腹部のダメージを庇ってか、若干前屈みになっている姿が痛々しい。
「この記憶障害みたいな症状、どう考えても何らかの神の力が原因……だよな?」
確認するように言ったスカーレは、どこか半信半疑な様子だった。
彼女の眼前には焼け焦げた半透明な虫の死骸が沢山転がっていて、既に終わった方の戦闘がどれだけ一方的な物であったかを簡潔に示している。
意味深な言葉――何を言っていたのかは正直忘れてしまったが――を吐いて泉達の前から去った寄操令示の置き土産は、あらかたこの炎使いが片づけてしまった。
己の身体を炎に変えるという性質上、火炎放射や炎の弾丸など飛び道具系や長距離攻撃のできない泉とは異なり、スカーレの技は多岐に富んでいた。
火炎放射に数多の火の玉を飛ばす攻撃。さらには地面から噴き出した炎で相手を焼き尽くす範囲攻撃。
他にも炎で形作った炎剣など、挙げればきりがないくらいだ。
シャルトルの風によって火力を強化されたとは言え、弱体化していてコレだというのだから恐ろしい。まあ、泉としては死んでもその感想を直接伝えるつもりはなかったが、確かに背神の騎士団の戦闘員として数々の死闘を潜り抜けてきただけの事はある。
そんな実力者は今の自分たちが陥っている状況を、半ば受け入れられないでいるらしい。
とはいえ常識の枠に収まらず、既存の物理法則さえをもぶち壊すのが神の力だ。予想外の事態にいちいち動揺していては、それこそこの戦場では生きて行けない。
「つっても、“存在しているのかさえ不確かな敵”と戦う事になるなんざ、完全に予想外だけどな」
そう。今の泉達は自分たちを襲う敵の存在を“認識”できていない。
気が付くと吹き飛ばされていて、気が付くと自分の身体に傷が増えている。
相手の攻撃を躱すとか、防御するとか、反撃するとか、そんな次元の話ではない。
攻撃が行われているという事さえも知覚できていないのが現状だ。
ただ泉達は、自分たちに表出するダメージという“結末”から、何者からかの攻撃という“過程”を推測するほかない。
見えない敵による、見えない攻撃。どれだけ目を凝らしても、どれだけ気配を探っても、何も無い。
理不尽というには余りにも奇妙で奇怪な現象。
ただ泉達にとって救いなのは、その謎の攻撃が致命傷になるような攻撃力を有していない事くらいだろう。
とはいえこのままでは負ける。そんなどうしようもない現実ばかりが鮮明な映像となって泉の脳内で再生されていく。
何か、何か手はないのか……。
五感で捕捉できない、認識できない敵を倒す方法……。
最大火力の反動で火炎纏う衣は使えない。
事実上の武器は右手に握った冷たく無骨な鉄パイプ。そして互いに背中を預けた二人の少女。シャルトルとスカーレ。
強力なカードに思えるその御両名は、セピアとセルリアと離れた為、激しく弱体化している。
さらには度重なる戦闘と攻撃によって既に三人の身体はボロボロに傷つき満身創痍の状態だ。
これが泉達の精一杯の手札。
対する敵は手札の枚数すら不明の難敵。
まどろっこしい事は嫌いだが、このままでは何も出来ずに負ける。
そんな敗北は泉修斗にとっては耐えがたい物だった。
だから考える。思考する。
泉修斗はレストラン内を見渡して、そして……。
「な、なんだよ……?」
身体を捻り、答えを求めるようにこちらを見ていたスカーレと泉の目が合った。
いつもは勝気な光を湛えている大きな緋色の瞳は、どこか弱気の翳りが差しているように見えて……。
「……!?」
そしてそれは突然の出来事だった。
スカーレの肩をいきなり泉が力強く掴んだかと思うと、ぐいっと身を乗り出すようにしてその顔を瞳へと近づける。
真剣な顔つきでスカーレの緋色の瞳を凝視する泉。
すると何をどうしても相対的に顔と顔が近づく訳で、予想外の至近距離――それこそ互いの息が掛かるような馬鹿げた距離に泉修斗の顔をみとめたスカーレは、今まで戦い(姉妹ゲンカも含む)に明け暮れる毎日を過ごしてきた為そういった経験が当然の如く皆無な訳で、相手が誰だとかそんなのもう関係なく、異性の顔がここまで近くに存在するという事自体が彼女の世界ではあり得ない事で、
「なっ、おおおまななななにを……ッ!?」
要するに、スカーレは突然の事態に桃色系の想像をしてしまい、羞恥と混乱と困惑で頭が完全にパンク状態に陥っていた。
それこそ、正常な状況判断さえままならないような状態に。
今自分たちのいる場所が戦場の真っただ中である事も忘却の彼方へと消し飛ばし、顔を真っ赤に染めながら訳の分からない言葉を並べ立てている。
シャルトルがその二人の様子にからかうような口笛を吹く余裕まで見せた。
それでも泉はジッとスカーレの緋色の瞳を見つめて、そして……。
☆ ☆ ☆ ☆
PM 15:25:44
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退屈で退屈で退屈だなぁ。
寄操令示は、あくまで冷静に現状をそう評した。
なにか面白そうなゲームはないかな?
そう思ってパーク内を適当に歩き回っていた彼だが、天風楓という少女と軽く遊んで以来、遊び心に溢れる彼の心を震わす面白そうな出来事とは巡り合えていない。
これでは、ようやく手に入った玩具の使い道がなくなってしまう。
そんな見当違いな心配を胸のうちで膨らませ、少年はきょろきょろと面白い物を探すように辺りを見渡している。
『創世会』の破壊を目的としていたハズのその少年は、もはや自分がテロを起こした本当の理由さえも忘却しかけていた。
自分がトップに立つ組織である『ユニーク』が掲げていたハズの目的など、刹那的な快楽を好む彼にとっては所詮その程度の価値しかなく、どこまでいっても彼の価値感は究極の二択でもって行われる。
綺麗か、汚いか。
好きか、嫌いか。
嫌いな物、汚い物はぶち壊す。だって壊れる時は等しく美しいから。
綺麗な物も、好きな物もぶち壊す。だって、その方がより綺麗だから。
分かれ道のないあみだくじのように、栓を抜いた風呂場の水が辿る命運が一つであるように、彼の二択は破壊へと収束する。
彼がゲームに興じるのも、破壊をより楽しむ為の舞台装置でしかない。
そっちの方が好ましいから。好きだから。そうする。
ただそれだけ。
何の意志も信念も無く、ただただ無為に無意味に命を奪う。
殺意無き殺害。
理想無き反抗。
正気無き狂気。
怠惰にして一切の生産性を持たない創造主。
そんな寄操の背後、不意に靴音が鳴った。
この距離まで一切の接近を感じさせないその何者かに昂ぶりを覚えた寄操は勢いよく振り返って、そして――脱力した。
「……………………なぁーんだ。タカミンか。うん。つまんないの」
「……開口一番そりゃないっしょキソちん」
「あぁ、ごめん。ごめん。別にタカミンが嫌な訳じゃないよ。うん。むしろ僕はタカミンの事が大好きすぎて今すぐにでも抱きつきたいくらいさ。抱きついて、男同士の友情? って奴をこれまで以上に深めて深みにはまりたいくらさ。うん」
どこか困ったように眉根を寄せた目の細い猿顔の少年、高見秀人の言葉に、寄操はまったく心にも思っていないだろう適当過ぎる謝罪を繰り出す。
というか後半部分については自分で言っている事の意味が分かっているのだろうか。
そこから疑問ではあった。
寄操の言動についてはもはや慣れっこなのか、高見も別に気にした様子もなく寄操に歩み寄ってゆく。
「そんな事よりキソちん。『ホスト』の方との通信は問題無いのか? リミットももう一時間を切ったんだ。ゲームに夢中になるのも構わないけど、そっちの方もよろしく頼むぜい」
「『ホスト』? ……あぁ! 起爆虫の爆破の事か。うん。危ない危ない、うっかり失念しかけていたよ。ありがとうねタカミン。僕も『ユニーク』のリーダーとしての自覚が足りないね、反省反省。“別にどうでもいい”からって、皆と立てた計画をないがしろにするのは良くない事だものね!」
「……おいおい頼むぜキソちん。俺っち達が何の為にアンタのゲームにまで付き合ってると思ってるんだ?」
「あはは、ごめんごめん。悪気はないんだよタカミン。許しておくれ。後でそこらの死体から抜き取った財布のお金でジュース奢ってあげるからさ。うん」
自分たちの掲げる計画を“どうでもいい”と言い切ってしまうボスに「はぁ」と、高見はどこか苦労人の匂いのする溜め息を吐いて、
「まあいいか。キソちんの“そういうの”はいつもの事だしな。……っと、あっぶね。俺っちの方も用事忘れるトコだったぜい。キソちん、起爆虫とその『ホスト』についてちょっと確認したい事があるんだが、この資料を見てくれないか?」
言って携帯端末を手早く操作する高見。
寄操は先ほどまでの自分の適当具合を棚に上げて「まったく、タカミンは仕方ないなぁ」と、どこか偉そうに仲間の元へと歩んでいく。
フレンドリーに高見の肩に腕を回して、覗き込むように寄操は高見の携帯端末に目をやる。
――勝ち誇るように誰かがニヤリと笑った。




