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神ナリシ模倣者ト神門審判  作者: 高木カズマ
第三章 災厄ノ来訪者ト死ノ狂宴
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第二十一話 無慈悲に開かれる戦端Ⅲ――道化の踊り子と嘲笑の創造主

PM 15:07:50

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 天風楓が戦闘時に纏う『風の衣』は言うなれば絶対防御だ。

 楓を中心に内から外側へと向かう風による絶対の障壁。相手の全ての攻撃は楓の纏う『風の衣』に触れた瞬間、弾かれ、いなされ、受け流され 、無力化される。 

 しかし、大気という全体の流れの一部に自分自身を組み込む事によって、空間全てを掌握する楓は、そもそも相手の攻撃を喰らうような場面が少ない。

 自分を大気の流れの一部と定義する事により、指定空間内の風の流れを完全に読みとる超広範囲の探知。まるでコウモリやイルカの超音波のように、風の通り道や空気の流れから障害物の有無や空気の流れの異変を察知する楓に死角は存在せず、敵の放つ攻撃のタイミングなどその全てが一目瞭然。

 その正確さは敵の放つ攻撃の種類から数、果ては弾道の予測まで可能な程。

 マシンガンによって連射された弾丸の数を数える事さえも楓には容易な事だ。

  

 だから楓は、すぐさまその事態に気が付くことができた。

 

(これは……ッ! この人達、神の力(ゴッドスキル)を!?)


 寄操令示に操られていた人々が、楓目掛けて神の力(ゴッドスキル)を使用しようとしている。

 

 一見、神の能力者(ゴッドスキラー)達は息をするように神の力(ゴッドスキル)を使っているように見えるかもしれないが、実際はそんな事はない。

 通常、神の力(ゴッドスキル)を扱う為には複雑な演算や計算、様々な処理が脳で行われているのがほとんどだ。

 意識して演算や計算を行う神の能力者(ゴッドスキラー)は稀だが、無意識のうちに行っている人でも、脳に掛かる負担はかなり大きい。

 寄操の放った虫達に乗っ取られた脳で、神の力(ゴッドスキル)を使用する為の演算や計算が可能だったという事がまず驚きだったのだ。

 それとも負荷を無視して強引に使わされているのか。


 楓が空気の揺らぎから異常を感知した直後、いくつもの閃光が視界の先で弾ける。

 目視できるだけでもかなりの数。

 炎弾や水の弾丸、電撃や毒針のような攻撃まで、多種多様な砲撃が楓目掛けて発射されている。

 距離が距離なだけに、到達まで秒と掛からないだろう。

 一秒にも満たない刹那の時間の中、より正確な情報が風のレーダーによって楓に伝達される。


(全方位から、遠・中距離攻撃が五六三発。……弾幕張ろうって数にしては薄いし、狙いが大雑把すぎる……!)


 楓には『風の衣』がある。

 故にこの程度の攻撃なら躱す価値などないし、そもそも狙いが適当すぎてそのほとんどが楓には命中しないであろう軌道を進んでいた。 

 でも、だからこそ。


(わたしが避けたら、後ろの人達が……ッ!!)


 決断は早かった。


 空間そのものに巨大な風で干渉して誘爆させる手は使えない。あれは高威力すぎるのと、狙いが大雑把になりすぎて、周りの人達にまで被害を出してしまう可能性がある。二次被害がどこまで出るか分かった物ではない。

 ならば確固撃破。

 一撃ずつ対応し、同規模の威力の攻撃をぶつける事で、全ての攻撃を相殺するしかない。

 神の能力者(ゴッドスキラー)としても随一の頭脳と、精神が摩耗するほどに加速する思考の中で、最高速で解を叩きだす。

 楓は瞳を閉じ、自ら五感を封じると、己の周囲を渦巻く風とその流れにのみ意識を集中させる。

 音も消え去り、何も見えない漆黒の世界の中。楓には空気の流れが手に取るように理解できた。 

 五六三通りのコースを頭の中で描く。その軌道、速度による時間差、攻撃の威力、それら全ての情報を照らし合わせ、最適な解を求める。

 迅速にしかし正確に。間違いは許されない。計算を誤れば、被害を受けるのは天風楓ではなく寄操の手によって操られている罪なき人々だ。 

 楓に直撃するであろう二二七発は無視。

 それ以外の三三六発全てを空中で叩き落とす。


 背中に接続された一対の竜巻の翼が陽炎のようにゆらめく。

 五感による知覚には頼らない。 

 風が伝えるこの空間の流れ。そこに混ざり込んだ違和感と異物全てを排除するイメージ。

 カッと目を見開いた直後、二翼が振るわれまるで己の手足であるかのような繊細なコントロールで撃ち出された風の弾丸が、無秩序に迫る砲撃すべてを食い尽くした。

 空中で大小様々な爆発が花火のように起こり、積み重なって大きな物となった衝撃波が屋内で吹き荒れる。

 パラパラと頭上で散り降り注ぐ火の粉が、どことなく幻想的に舞った。

 

 中には既に楓の真横を素通りし、関係の無い人々の群れに突っ込み欠けている火炎弾や閃光もあったが、なんとかギリギリのところで間にあった。

 最小限の被害に抑えられたのは大きく、寄操に操られている人達がケガをしている様子はない。

 ほっと安堵する反面、神の力(ゴッドスキル)による砲撃をこれ以上やらせるのは厄介だ。

 流石に何回もこんな事をされては楓の集中力が三十分も保たない。


(この人達の身体の支配権は寄操の虫にあるみたいだけど、身体そのものを動かし、コントロールしているのはこの人達自身の脳のハズ……! なら、意識を奪う事ができれば無力化できる……!)

 

 そう結論に至り、すぐさま手近に居た女性の意識を奪うべく微弱な力で力の象徴たる竜巻の翼を振るった。

 真剣で言うところの峰打ちにでも該当するであろう一撃に、そのまま女性は意識を失って倒れ――


 ――ボンッ!! 

 

 と、何かが爆ぜた。


「――ほ、え?」

 

 どこか、気の抜けたような音が口から漏れた。


 ぺたり。ぼたたた……。

 生暖かい何かが、楓の頬に付着している。

  

 幼児が不快な事に反応して泣きだすように、頬に付いたナニカに反射的に手を伸ばしていた。

 指で拭き取るように、頬の不快感を拭う。

 指についたソレを見て。 

 眺めてみて、そして目の間で意識を奪った女性が何故か無性に気になった。

 

 気になって、見た。


 楓が意識を奪い、地面に倒れたその女性は。

 

 肩から先が無かった。


 真っ赤に真っ赤に真っ赤に真っ赤に真っ赤に真っ赤に真っ赤に真っ赤に真っ赤に染まった自分が、彼女の粉々に爆砕された肩から先の部分を、シャワーを浴びるように被っていたんだと、そこでようやく気が付いた。


 あの爆発音は、他でもない。

 目の前の女性の腕が内側からの爆発で粉々に吹き飛んだ音だったのだ。


「え、ぁ……ぁあ、うあ。あ……いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」


 剥き出しの絶叫が、止まらない涙と共に押し寄せてきた。

 

 成すすべなく膝から崩れ落ち、身体中から全ての力が抜ける。堪える事などできるハズが無く、喉元にせり上がってきた物全てをその場でぶちまける。

 喘ぎ、がくがくと期せずして真っ赤に染まった唇が震え、その気弱で優しげな顔から相対的に血の気が失せる。 

 絶対的な盾として楓を包んでいた『風の衣』も、力の象徴として展開されていた一対の竜巻の翼も、子供が積み木を突き崩すように一瞬で掻き消えてしまう。 

 まるで子供のように茫然自失となった楓は、そこからさらに数秒経ってようやく気が付いたように喉を震わせた。 


「し、ししし、しけっ……、しけっつ。……止血、しなきゃ。はやくしなきゃ、死んじゃう。死んじゃうよ……」


 涙を流し顔面を蒼白にしながら、それでも楓は目の前で倒れる女性を救おうと動く。

 いや、動こうとする。

 けれど、脚に力が入らず立ち上がれない。こういう所で成長の無い自分の弱さに本当に腹が立つ。

 仕方がなく、這うようにして女性の傍にすり寄った。


「血が、血が、血が血が血が血が……ッ! ええっと、どうしよう、どうすれば、どうしたら……、ぁあっ! ぁああ!!」


 こうしている今、楓に対する攻撃の雨が止んだ訳ではない。

 楓に攻撃が当たっていないのは偶然の産物に他ならないのだ。しかしそれだって、いつまでも続くような物でもない。


 正常な思考など、もうどこにも無かった。

 何をすればいいのか。何をどうすれば目の前の問題を解決できるのか。そもそも何が問題なのか。

 その設定すらままならず、動転した楓の思考は空転し空回りし続ける。

 結果への過程を見落とし、ただ答えの書いた紙だけを探すようなその様は、まるで見知らぬ地で迷子になった幼子のようですらあった。


 そんな楓の耳に、緊張感のまるっきり欠けた寄操令示の場違いな声が入る。


「あぁ、そういえば言い忘れてた。うん。みんなの頭に植え付けた寄生虫。宿主の意識が無くなるとその場で爆発するように設定してあるから、扱いには気を付けたほうがいいよ。うん」 


 なんだ、それは。


 思わず、止血を進めていた楓の手が止まった。

 だって、それではどうしようも無いではないか。

 彼らを攻撃する事は勿論、無力化する事すらできない。

 唯一残された道は三十分もの間、彼らの攻撃をひたすらに捌き、耐え続ける事。

 しかし、このままのペースで彼らの攻撃全てに対処し続けていれば三十分どころか十分も保つかどうか分からない。

 ゴール自体は見えているのに関わらず、いくら走っても絶対にゴールに辿り着けないマラソンなど絶望する以外に何の道がある? 

 楓に突き付けられたのは、そういった類の絶望だった。


 頭がまっしろになりつつも、自分の衣服を破って傷口を縛ったり、神の力(ゴッドスキル)を使ったりしてどうにか止血を終えた楓に、人々は無秩序に襲い掛かる。

 ある人は遠距離から炎や水や雷を飛ばし、またある人はゾンビのように何も考えずに突進してくる。

 しかし楓はそれらを安易に撃退する事ができない。

 

 もしも何かの間違えで意識を奪ってしまったら。

 もしも楓が攻撃を躱した事で、後ろにいる誰かにその攻撃が当たってしまったら。

 もしも、もしも、もしも、もしも……っっっ!!


(また、わたっ、わたしのせいで、誰かが……ッ!?)


 恐怖が、悪寒が、楓を縛る。

 自分の中に全ての打開策があるのに、それを万全に振るう事ができない。

 先ほども言ったが、天風楓にできる事はただ一つ。

 全神経をすり減らして、ゆうに一〇〇を越える神の能力者(ゴッドスキラー)達からの集中攻撃全てを一つ残らず処理しきるしかない。


 近距離戦闘を仕掛けてくる人は風の力でその場に捕らえて抑え込む。

 その対応をしながら、遠距離から放たれる飛び道具系の技も処理する必要がある。

 一つの流れ弾すら許容はできない。

 文字通り、一つ残らず空中で撃ち落とすしかない。でなければ、楓に当たらなかった攻撃が他の人を傷つける。

 傷つくだけならまだいいが、意識を失ってしまえば後に待つのは惨たらしい真っ赤な惨劇だけだ。


「あは」


 そんな掛け値なしの絶望の中、寄操令示だけが楽しげに笑っている。


「あはははは。おもしろいねー。うん。その気になればこんな人達一瞬で薙ぎ払えるだろうに、どうしてそんなに頑張るんだい? うん。そういう行為は美しいし僕は好きだけどさ、うん。正直そこまでする理由はよく分からないかな。うん」


 寄操の戯言に言葉を返す余裕すらない。

 脳裏にちらつくのは不可能の三文字。

 手足が四本ずつあろうとも、人の何倍も早く動く事が出来ようとも、たかが一神の能力者(ゴッドスキラー)に何とか出来るような物量では無い。


 ──そう。普通ならば。

 

 轟音が断続的に響き渡る。


 第二波も第三波も関係なく止めどなく飛来し続ける色とりどりの閃光を、天風楓の操る風の弾丸が全て撃ち抜いていく。

 楓の周囲を守るように吹き荒れる風が彼女に接近する事すら許さず、そして彼女の空域を脅かす不埒な攻撃には風の弾丸が報いを与える。

 一つのミスも許されないような、そんな極限状況の中。

 瞳には涙を溜め、顔を蒼白にした気弱な少女は、それでも果敢に最悪の災厄に立ち向かう。

 

 ──そう。

 天風楓には出来てしまうのだ。

 普通ならば不可能だろうと、『最強の優等生』とまで称された彼女ならば、決して不可能ではない。

 この有り得ないような圧倒的な物量にも対応出来てしまう。


(わたしが、今ここにいるわたしが、頑張らなきゃ。こんな酷い事、見過ごせない。泣いてる暇なんか無い。ううん、泣きながらでもやらなきゃダメなんだ……!)


 でも、対応できてしまうからこそ天風楓に他の選択肢は存在しない。

 諦める事も、投げ出す事も出来ず、全力でその圧倒的な力を行使し続けなければならない。

 ──三十分という絶望的な壁。

 絶対的に訪れるであろう己の限界を感じ、進むその先にあるのは行き止まりの袋小路だと分かっていても止められない。

 坂道を転がり落ちる雪玉のように。

 その終着点が崖下だと分かっていても、そのレールに乗った時点で転がる雪玉である楓自身にはもうどうにもできない。

 

「……へぇ、意外だね。うん。まだ折れないのか。もっと気の弱い子だとばかり思っていたけれど、うん。これは評価を改める必要があるみたいだね。少なくとも、さっきの大言は生半可な覚悟の物では無かった、ということかな。うん」


 どうやら奇操の中で天風楓に対する評価が変動したらしい。

 もっとも、それが楓にとって良いことなハズがない。

 奇操令示に認められる事ほど危険な事は無いのだから。

 

「見た目と違って強くて気丈な女の子だ。……いや、そう在ろうと強がって足掻いているのかな? うん。けどまぁ、そういう種類の美しさも僕は好きだから、何の問題もないけれどね」


 奇操令示は、面白い玩具を見つけた子供のように楽しげに、


「だって、そっちの方が魂が壊れる時に綺麗だからね! うん!」


 無邪気に酷薄な笑みを浮かべてそう言った。

 相も変わらず感情の映らない真っ黒な瞳が気持ち悪かった。

 許せない。この男だけは、許しちゃいけない。

 そんな思いとは裏腹に、天風楓は少しずつ確実に敗北へと追い詰められていく。

 

 寄操の言葉に答える時間も気力も余力も、楓にはなかった。 

 神経をすり減らし、脳細胞全てをフル稼働させてようやくすべてに対処できるかできないかなのだ。

  

「くっ……ッ」


 楓を狙った攻撃の一つが、『風の衣』をすり抜けてその柔肌に一筋の傷をつける。

 

 全ての攻撃から楓を守っていたハズの『風の衣』は、今では申し訳程度の出力しかない。

 その分の演算と力を余所に回し、遠距離攻撃の迎撃と接近してくる人達の制圧に力を割いているのだ。

 当然、自分に命中するであろう攻撃は無視するスタンスのまま。


 防御力の薄くなった『風の衣』では、全ての攻撃を受けきる事など出来る訳がなかった。

 既に楓の衣服は、防ぎ切れなかった攻撃によってズタボロに切り裂かれ血も滲み始めてている。

 体力も、気力も、恐ろしいようなペースで消費しているのが自分でも分かる。

 この速度で削られ続けては、とてもじゃないが三十分も保つわけが無い。

 一撃、また一撃と、それ自体は大して気にもならないようなダメージでも、その積み重ねが着実に楓から体力を奪ってゆく。

 暴風に舞う木の葉のように、大きな流れに翻弄され、ボロボロに傷つき、最後は逆らえようのない大きな力の前に倒れるのだ。

 そして奇操令示は、そんな楓の姿を子供のように愉しそうに眺めている。

 今の楓には、隙だらけで無防備な奇操令示を倒す術などどこにも無い。


「痛っ……っ」


 またも被弾。

 肌を焼くひりつく熱と鈍い痛みに、目尻に涙が浮かぶ。

 だがそれがどうした? 

 目の前で今も苦しみ続けているこの人達に比べれば、自分の傷など大したことはないではないか。

 楓の視界がまたも滲む。

 しかしその涙は苦痛による物でも恐怖からくる物でも無い。ただ、涙が零れてしまう程に悔しかった。


 なにが干渉レベルAプラスだ。なにが『最強の優等生』だ。兄と対峙した時と同じで、結局何もできないではないか。

 己の無力さが、弱さが、楓は堪らなく嫌いだ。変わろうとしても変わろうとしても、心のどこかで他の誰かに頼ろうとしている自分がいるのが分かってしまう。


 今だって、大声で助けを叫べば、きっとあの人は駆けつけてくれるのだろう。

 どれだけあり得ない事でも、非現実的だろうと。それこそ漫画やアニメの中だけのヒーローのように、楓の窮地を救ってくれるのかもしれない。

 でも、それでいい訳がないだろう。

 あの人は、東条勇麻は――決して完全無欠なヒーローなんかじゃない。

 いつだって心を痛めて、何かに苦しんで、それでも諦めたくない何かがあるからボロボロになっても立ち上がって、どんな強敵にも臆さず立ち向かっていく。その結果として、楓やそしてアリシアは救われた。

 でも、だからって、彼ばかりが傷ついていいハズがないだろう。

 楓の身代わりにボロボロになって、それでハッピ―エンドを迎える事が果たして本当に最善なのか?


 楓だって力になりたい。

 ただ守られるだけじゃなく、共に肩を並べて、彼が苦しい時にはその肩を支えられるような、そんな強さが欲しい。

 それに、泣き笑いでぐちゃぐちゃになった楓の顔を、東条勇麻は笑って似合っていると言ったのだ。

 絶望で流す涙なんて、きっと楓には似合わないと怒るだろうから。


 逃げたくない。

 戦いたい。勝ちたい。

 こんな結末は許せないと、そう断言して、悲劇を断ち切るだけの強い存在になりたい。

 嫌だ。

 もう、惨めに膝を抱えて悪意と敗北に押しつぶされ震えているのなんて真っ平ごめんだ。 

 人として当たり前の感性が、寄操の邪悪な悪意に屈する事を拒絶する。


 負けたくない。


 寄操令示なんかに、こんな悪いヤツに負けたくない。

 絶対に絶対に、負けたくない……! 


「――こんな悲劇はここで、断ち切る。出し惜しみは……しない! わたしは、アナタの思惑通りなんかに負けてやらない!!」


 カッと瞳を見開き、言葉と同時。楓を中心とした大気が清らかに震えた。


 残存体力もエネルギーの残りも自身への負担も保身も、その全てを無視した。 

申し訳程度に残っていた『風の衣』と飛来し続ける攻撃に対応していた風の弾丸が、まるでスイッチを落としたかのようにすぅっと掻き消える。

 勝負を投げ出し諦めた――否、そうではない。

 予定調和に負けてやる道を投げ捨て、分の悪い賭けにその身を投じただけだ。


 楓の周囲を流れる風の流れが、大気の流れが、レールを切り替えるように、変わる。

 またたく間に彼女の意志を宿した鋭き不可視の刃が空間全体を覆い尽くしていく。

 それはまるでドミノ倒しのように一瞬で空間を伝播し、一秒も掛からずに全てを無色に染めあげる。

 天風楓が全てを支配する。


 かつて天風駆との命懸けの死闘でも見せた空間一帯を覆い尽くす不可視の風刃。

 刃の数は億を超え……否、楓が望む限り無限に増殖し続ける。


「いっけええええええええええええッ!!」


 楓の意志を受け、無尽蔵を誇る不可視の刃が飛来する攻撃全てをひとつ残らず迎撃する。

 色とりどりの閃光を食い破り、炎も水も雷もその全てを寄せ付けない。

 弾け、相殺し、抑え込み、無効化する。


 本来、圧倒的な破壊力を持つ不可視の風刃の威力を一定のレベルに抑え、楓がその一つ一つを緻密にコントロールする事で二次的な被害を封殺。威力の減衰によってエネルギーの消費すら極限まで抑えてみせる。さらに抑えた分のエネルギーを物量に回す事により、さらに手数を増加。

 その分、当然ながら風刃の精密な制御によって脳と身体に掛かる負担はさらに増し、尋常では無い痛みが身体中を駆け巡る。

 それらを抑え込み、弱音を押しつぶし、強気にただ前だけを見る。


 三十分、天風楓の体力がもつ保障は無い。

 ならば、今ここで全てを出し尽くす。

 寄操のシナリオから何が何でも外れる。

 真綿でじわじわと首を絞められていくように、救いの無い緩やかな絶望になど走らない。

 

どれだけ苦しくても、厳しい道でも、勝利の為の一手を選択する。

 目の前には全ての元凶でありこの戦いの鍵を握っている男、寄操令示がいる。

 今なら届くのだ。

 この数多の弾幕を潜り抜ければ、寄操令示に天風楓の刃が届く。


 圧倒的な物量のさらに上をいく絶対的物量。

 それを気弱な少女がたった一人で体現していた。

 これが『最強の優等生』と謳われた天風楓の正真正銘の全力。 


 個人にして戦争を体現するとまで言われた干渉レベルAプラスの少女の出し惜しみ無しの全て。

 

「――ぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 連続する爆発音と、意志なき呻きのような怒号が戦場に溢れ返る。

 それらを全て力技でねじ伏せるように、楓の刃が空を切り裂き全てを破壊する。

 楓に接近しようにも、彼女の周囲を吹き荒れる暴風が、まともな接近さえ許さない。

 

 体力の温存なんて考えていなかった。

 文字通り、この一瞬に己の全身全霊を込めて、天風楓は戦場に君臨していた。

 

 次から次へと放たれる無数の攻撃全てを押し返す。押し返し、圧倒する。

 ギリギリのところで迎撃していた炎や閃光が、両者の中間地点で、やがて術者の手元から放たれるとほぼ同時に撃ち落されるようになる。

 頭の中がエラーで埋め尽くされていくような感覚。それらを無視して、むしろ演算を加速させた。

 楓の周囲を渦巻く風が、さらに荒々しさを増す。

 頭に鈍い痛みが絶えず走る。


(もっと速く、もっと強く……!)


 寄操令示はただ唖然と、呆けたようにその凄まじい光景を眺めている。その顔に浮かぶ表情がこの結果は予想外だと、そう言外に語っていた。


「嘘、だ。うん。そんな、何かの間違いだ。うん。こんなハズじゃ……」


 自分の口から譫言のようにそんな言葉が漏れている事に、寄操令示は気が付いていただろうか。


 後先など考えず、この一瞬に全てを懸けた天風楓が寄操令示の思惑をも上回る。

 空間を覆い尽くしていたハズの弾幕が、その全てが発射されると同時に次々と無力化されていく。


(届く……)


 弾幕は沈黙。寄操令示への攻撃を遮る物は何も無い。

 海が割れるかのように、寄操までの道のりが眼前に生じる。


(届かせてみせる……ッ!)


 楓の穴という穴から血が溢れ出し、身体が致命的なラインを迎えつつあることが分かる。

 だが、それでも楓はその手を緩める事はない。

 ようやく訪れた千載一遇のラストチャンスを、無駄にすることだけは出来なかったから。


 ――風の刃。一部を除き威力のリミッターを解除。

 ――エネルギー効率、無視。

 ――充填完了。


 驚愕に目を見開いた寄操令示と、目が合った。

 そして、


「届けええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!」


 楓の叫びに呼応するかのように刃が煌めき、万を越える不可視の風の刃が絶対的な破壊を伴って寄操令示へと降り注いだ。


 それはもはや巨大質量による鉄槌だった。


 楓の意志を反映するかのように風が唸りを上げ、人間如きでは抗えない純粋で巨大な力の塊が大地を抉り取った。

 大地を揺るがす衝撃が走り抜け、破壊の余波だけで建物が内側からボロボロに倒壊していく。

 建物が完全に吹き飛び、周囲に群がっていた人達も、その凄まじい衝撃に宙を舞った。楓が余力を振り絞って宙を舞う彼ら全てを風で優しくキャッチし、どうにか事なきを得る。

 舞い上がる粉塵を、風の刃が解けることで生じる風が薙ぎ払っていく。

 一撃一撃が絶対的な破壊力と切断力を秘めた一撃必殺。それらを束ね、一切の隙間なく押しつぶすようなその攻撃は、もはや隕石の衝突と変わらない。

 半径三十メートル、深さ十メールもの巨大なクレータを造り上げた楓の渾身の一撃。


 直撃を喰らった寄操令示は必然跡形も無く――


「あ、れ……?」


 ――無傷、だった。


 ゾクリ、と。力が抜けて尻餅をついた天風楓の背中を、絶望の舌先が一舐めした。

 

「いやー。今のはすごかったよ。びっくりした! うん。もしタカミンの忠告が無かったら死んでたかもね! やっぱり君は要注意人物“だった”ね天風楓ちゃん」


 かすり傷一つ負わず、まるでそこだけ無敵のバリアーか何かで守られていたかのように、寄操令示の立っている場所だけがクレーターから取り残されたように屹立きつりつしていた。

 

「それにしても、大丈夫なの? そんなに力を使っちゃったら、もう三十分なんて耐えきれないんじゃない? ……ぷ、ぷくっ、あは、あはははははははははははっ! 僕を倒せば全て終わるとでも思ったのかしらないけどさー。うん。そう簡単に行く訳ないじゃん? 思わなかったの? 敵の最高戦力の前で僕がこうして無防備に馬鹿みたいに突っ立ってるのが罠じゃないのかってさぁ! なんでこう、君って子は本当に可愛いなー。うん。まるで悪意を直視するのを怖がっている幼子みたいだね、楓ちゃん?」

 

 知らず、一筋の涙が流れた。

 それは当然うれし涙でも無ければ、悔しさから来るものでも何でもない。

 楓の良く知る絶望の味だった。


 なんで……。

 そんな疑問は意味を成さない。

 寄操令示を倒せなかった。重要なのは、そのあまりにも冷酷すぎる現実だけだ。


 理屈も理由も何も分からない。

 ただ一つこれだけは分かる。

 天風楓は失敗した。

 寄操令示には刃の切っ先すら届かなかった。


 まるで彼だけ何かの守護を受けているかのように、不可視の刃は掠りもしなかった。

 全力の一撃は、無意味だった。

 限界を超えて振り絞った楓の行為は無駄でしかなく、三十分という時間を耐えきる可能性を自ら捨てただけ。

 軽率だった。浅はかで、度し難い程に愚かだった。

 徒労。骨折り損のくたびれ儲け。

 予定調和の敗北。敵の掌の上で、いいように踊らされていただけ。

 自分の手で自分の首を締め上げただけの愚行。

 逆転の手は失われた。

 それも、楓自身の手で。


 おそらくは楓の『風の眼』で捉えられなかった理由。楓の風を無効化するナニカを、奇繰令示は有している。

 考えてみれば明らかな事だった。向こうには高見秀人がいて、ユニークの連中はわざわざ楓に対する対策を行っていたのだから。

 寄操令示が、楓の危険性を考慮していない訳がなかったのだ。

 しかし、自分に対する評価が低い楓は、わざわざ自分専用の対策を行っているという、その可能性に気が付かなかった。それだけの話。


 衝撃波で統率を失いかけていた人々が、再び攻撃の準備に入りはじめる。

 終わらない砲撃に包まれ、今度こそ楓は終わりを迎えるのだろう。

 寄操令示の悪意に、邪悪の前に膝を屈するのだろう。

 それしか道は残されていないのだから。


(……そ、んな……)


 自分の事は自分が一番分かっている。

 もう体力も、神の力(ゴッドスキル)を使うだけのエネルギーも、ほとんど残されていない。

 どれだけ搾り出しても、三十分には絶対に届かない。その事実を、他でもない楓自身が誰よりも理解できてしまった。

 奇繰令示へと刃が届かなかった今、敗北は確定的だった。


 天風楓がどれだけ絶対的だろうと、彼女が勝利を掴む確率はゼロ。どれだけ彼女が今から健闘しようとも、どれだけ善戦しようとも、最終的に訪れる結末はおそらく変わらない。

 もし仮に、何かの偶然でこの三十分を耐え抜いたとして、その先に待つ奇繰令示に勝てるだけの力が残っているとは思えない。

 心が折れかける。

 ここで全てを諦め、投げ出してしまいたくなる。

 けれど、


 ぎりり……っ! と、歯を食いしばる音があった。


(意味の無い事だって、そんな事はわたしが一番分かってる……)


 そこにある違いは、遅いか早いかでしかない。

 そんな事は楓だって分かっている。


 ただ、分かっていても、譲れない物があるだけだ。 

 諦めてしまうのが賢いのだとしても、こんな抵抗に何の意味が無いのだとしても、天風楓の進む道の先には回避不能な敗北が待っているのだとしても、それでも、ここで諦めて止めてしまったら、天風楓は奇操令示にも自分自身にも、あらゆる全てに敗北する事になる。


(でも……)


 それはダメだ。

 

 そんなくだらないない結末だけは、“彼ら”に救われた天風楓が許容していい物ではない。


 単なる精神論だと笑う人もいるだろう。

 馬鹿で意味の無い行動だと罵る人もいるだろう。


 それでも、天風楓は。


(ここで退いたら、わたしは)


 そういう馬鹿みたいに“強い”信念を突き通せるようになりたかったから。

  

(わたしは絶対に変われない……! 弱いままの、泣き虫なわたしから、変われないっ!)


 楓の周囲を渦巻く風が、力強さを再び取り戻す。

 涙を拭って前を見る。顔を上げる。

 絶望に屈しかけた瞳に力が戻る。

 頭の痛みはもはや力の使用に影響が出てくるレベルにまで達していたし、視界もまるで濃い霧の中にいるかのようにおぼろげだ。血を失いすぎたのか、立っているだけでふらふらする。

 それでも、止めない。

 楓は全力で風を操り、依然として全方位から放たれる神の力(ゴッドスキル)を迎撃し続ける。

 例え全てが手遅れだったとしても――


 ――全ての限界が訪れる、その時まで。

  

 その姿は凄惨なまでに美しく、身体中を真紅に染めながらも、天風楓は風と踊り舞い続けた。



☆ ☆ ☆ ☆



 そしてそんな道化のような少女を見て、寄操令示は笑っていた。 


「うわぁ、凄いね、本当に。うん」


 その言葉には無邪気な子供の抱くような素直な尊敬と憧れの念が籠っているようにも感じたが、この男が何を考え思っているのかは、この地上の誰にも分からない。

 そもそもまともな感情が機能しているのか、そこから疑問なのだから。


 寄操の気持ち悪いほどに真っ黒な瞳に映る少女は、美しかった。

 全身を赤く染め、満身創痍の状態でなお他を圧倒するその姿は、誰もが思い描く憧れそのものだ。

 美しい。

 寄操は素直にそう思った。


 綺麗か、気持ち悪いか。

 美しいか、醜いか。

 好きか、嫌いか。

 

 そんな両極端の価値観の中に生きる寄操だからこそ、天風楓という少女に抱いた思いは本物だ。

 彼女は美しい。

 “だからこそ壊したい”。


「でもさ、その優しさは美徳だけれど、君は愚かで哀れだよ。うん。天風楓ちゃん」


 寄操はその顔に気持ちが悪いほどに完璧な笑みを浮かべて。


「だって、気絶したら体内の寄生虫が吹き飛ぶなんて、嘘だもの」


 さらり、と。そう言ってのけた。


「バッカだよねー。こんなくだらない遊びに、いちいちそんな労力を使う訳ないじゃないか。うん。“最初の一人を僕が手動で爆発させた”だけでこんな簡単に信じちゃうだなんて、愚かを通り越して本当に可愛らしいよ。天風楓ちゃんってばさ。うん」


 彼らの頭に住み着いた寄生虫に、爆発の機能など存在しない。

 第一、頭に寄性した虫が爆発したとしたら、吹き飛ぶのは腕ではなく頭のハズだ。

 先の犠牲者は、寄操の放った極小の起爆虫が腕の中に潜り込み、そこで爆発したに過ぎない。


 天風楓が勘違いするようなタイミングで爆発はさせたが、それでもヒントとして頭部以外を吹き飛ばしてやったと言うのに、天風楓はまるで気がつく様子が無かった。

 寄操令示の忍ばせた悪意から気づかぬうちに目を逸らしていたのだ。


 どうしてこんな回りくどい真似をしたのかと問われても、特に奇繰に理由は無い。

 寄操にとっては、天風楓という少女がどういう反応を取るかを観察する為の遊びでしかなかったのだ。


 つまりは、宿主が意識を失うと寄生虫が爆発するというのはただのハッタリで。

 天風楓の行いには、本当の本当に何の意味も救いも無くて。

 自分の命を賭した行いが、罪なき犠牲者達を救うなどというのは、おめでたい幻想でしかなかった。


 そして心優しい少女は、今もそんな事実は露知らずに己の全てを賭して風と共に舞い続けている。

 その圧倒的力を使えば、全員の意識を落とす事など造作もない事であるだろうに。

 目の前に解決の方法があるにも関わらず、それこそまるで道化のように踊り続ける少女は、寄操の心をくすぐるには丁度いい玩具だった。

 

 ぽつりと残ったクレーターの中心から、己の周囲に侍らせておいた強力な『風除け』の力を持つ透明で巨大な虫の背中に乗って対岸まで辿り着いた寄操は最後にこう言った。

 

「うん。なかなか楽しかったよ。天風楓ちゃん。僕は忙しいからもう行くけど、まあ、せいぜい暇潰しを楽しんでいってね。……三十分後、もし君がまだ原型を保てていたら、その時はまた僕と遊んでよね! うん」


 無意味で無価値な絶望に飲み込まれていく少女に背を向けて、奇操令示は悠然とその場を立ち去って行った。

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