5 夢魔姫
俺はステラを抱きしめていた。
彼女のほっそりした体は震えっぱなしだ。
息も荒いし、かなり動揺しているんだろう。
俺は何も言わず、彼女が落ち着くのを待った。
十分ほどそうしていただろうか。
「……し、失礼いたしました」
ステラがふたたび顔を上げた。
「あたし──いえ、私は、その……」
「少しは落ち着いたか?」
たずねると、彼女はこくんとうなずいた。
ん、顔が少し赤いな。
俺のことをチラチラ見てるし。
「やっぱり、まだ落ち着かないんじゃないか? 顔赤いぞ」
「っ……! は、はい、あの……だ、大丈夫です」
なぜかステラは、さらに顔を赤くした。
翌朝、城を覆っていたクリスタルは跡形もなく消えていた。
いや、それどころか外に出たとたん、城自体が消えてしまった。
気が付けば、元の場所である。
まるで公爵領で過ごした一夜が夢だったかのように。
一体なぜフェリアは俺たちを一晩閉じこめるような真似をしたのか──。
なぜ俺たちを公爵領まで誘ったのか──。
理由は分からないが、立ち止まっているわけにもいかない。
俺たちは、ふたたび彼女がいるという魔界西部の外縁に向かって出発した。
しばらく進むと、前方から巨大な影が現れる。
「あれは……またゴーレムだねっ!」
リリムが叫んだ。
しかも数が多い。
ざっと見ただけで三十体はいるだろうか。
どうやら、また実体を持つ幻影のようだ。
「魔王様に頼ってばかりじゃだめ。みんな、いっくよー!」
リリムが兵たちに号令する。
「おう!」
「今度こそ見せてやる、フォーメーション・ザマト改だ!」
空戦魔族たちが飛び立ち、空中から火炎や稲妻を放つ。
あるいはその飛行スピードを利して、体当たりを敢行する者もいる。
リリムも両腕をスライム化させ、鞭のようにして攻撃していた。
「きゃぁぁぁぁぁっ……」
だけど、ゴーレムたちが放つパンチが爆風を巻き起こし、リリムたちをまとめて吹っ飛ばしてしまう。
「なんてパワーなの……!」
リリムは体をスライム化させて衝撃を和らげたようだ。
他の魔族たちも空中で体勢を立て直し、難を逃れている。
ゴーレムたちはさらに襲いかかってきた。
力の差は明らかだ。
ゴーレムたちの圧倒的な膂力に、リリムたちは防戦一方である。
「あっちが力押しで来るなら、俺も──」
俺は右手をまっすぐに突き出した。
「『ストーム』!」
風系統の下級呪文だ。
吹き荒れる嵐が三十を超えるゴーレムたちをまとめて薙ぎ払い、粉砕した。
「うわ……すごい」
リリムが息を飲む。
「あたしたち、役に立ってない……護衛なのに」
「いや、敵に立ち向かう意気は大切だ。お前たちに対処できる敵が現れたときは、任せる」
と、フォローしておく。
実際、俺の魔力だって無限じゃない。
際限なく敵が押し寄せた場合、魔力切れを起こす可能性はゼロじゃない──。
──とはいえ、道中に現れた敵はほとんど瞬殺状態だった。
数十体単位で出てくるたびに、俺が下級魔法でまとめて吹き飛ばす。
相手は本物の魔族やモンスターじゃなく、いずれも幻影。
遠慮する必要はまったくなかった。
ことごとくを焼きつくし、薙ぎ払い、砕き、消滅させるだけだ。
「大丈夫ですか、魔王様?」
ステラがたずねた。
「すべての敵を一撃で倒しているとはいえ、連戦しているのは事実です。消耗が大きいようなら早めに休息してください」
「ああ、今のところは疲れもないし平気だ」
うなずく俺。
「使っているのは全部下級の魔法だしな」
「力になれず、申し訳ありません」
「ステラは索敵をしてくれてるだろ。十分助かってる」
「……ありがとうございます」
ステラが微笑んだ。
気のせいか、その表情がいつもより柔らかく感じる。
基本クールなのは変わってないんだけど……。
数日後、俺たちは西部地方の外縁部までたどり着いた。
周囲には、悲鳴を上げる人間を思わせる異様なシルエットの木々が茂っている。
薄赤色のモヤが漂い、視界はかなり悪かった。
「魔界の西部外縁に広がる『妖かしの森』。毒や麻痺効果などを持つ樹木が多数生息している場所です。お気を付けください」
ステラが告げた。
ちなみに、この間ベルと戦った『死の氷原』は北部外縁だ。
「私が『眼』で安全な道を見つけますので、魔王様たちはその通りに進んでください」
「任せる」
彼女の千里眼に従い、俺たちは森の中を進んだ。
そうやって数キロほど進んだだろうか、
「ねー、見てあれ~」
リリムが前方を指差した。
薄赤いモヤの向こうに、一際赤い──まるで血のような色の巨大なクリスタルがあった。
その内部に、すらりとした人影が見える。
「フェリア……!」
昨日、公爵領で見た女魔族そのままの姿だ。
「とうとう会えたな」
魔王の側近、七大魔軍長の一人。
夢魔姫の称号を持つ彼女は、サキュバスの眷属だ。
夢を操り、精神を支配する──強大な魔族。
「ぐっすり眠っているみたいだな」
以前に会ったときみたいに、語りかけてこない。
「彼女を起こせば、夢の世界は解除されます」
説明するステラ。
「どうやって起こせばいい? あのクリスタルを壊せば、みんなダメージを受けるんだよな?」
「おそらくは……」
「よーし、みんなー。こういうときこそ、あたしたちが役に立つ番だよ~」
リリムが元気よく叫んだ。
「おー!」
盛り上がる魔族兵たち。
何か、彼女を起こすための策でもあるんだろうか。
「見てみて、フェリア様~。あたしのスライム芸、めったに見せないとっておきのやつ、やるよー」
リリムの腕が、足が、スライム化して縦横に伸びる。
さらに左右の腕で蝶結びをしたり、両足をくねらせて様々な図形を描いたり、と芸のオンパレードだ。
「な、何をやってるんだ……?」
「こんな楽しい芸をしてれば、フェリア様だってばっちり目を覚ますと思いますっ」
呆気にとられた俺の問いに、リリムが自信ありげに答えた。
「そ、そうなのか……?」
悪いけど、上手くいく気がしないぞ、その策。
案の定、フェリアはまるで反応しなかった。
あいかわらず眠ったままだ。
「うーん、芸じゃだめかなー」
「隊長、自分は料理で釣る作戦を提案するであります!」
兵たちの一人が言った。
「なるほど、ご飯の美味しそうな匂いで目を覚ますかもしれないね……よし、採用っ」
リリムがにっこりうなずいた。
「みんな、ご飯の準備するよー」
いやいやいや、その策も無理だろう。
と、
「……お前たち。まさか、ただ遊んでいるわけじゃないだろうな」
ステラがリリムたちを軽くにらんだ。
「やだなー、あたしたち大真面目だよ」
「そうだ、そうだっ」
「勝算ならありますっ」
「む……そうなのか。すまない」
困惑しつつも素直に謝るステラ。
「しかし、これでフェリアが目を覚ますとは思えんが──」
もっともな意見だった。
……と思いきや、
「待て」
俺はクリスタル内部のフェリアを注視した。
「さっき、眉がぴくっと動いた」
まさかリリムたちの策が本当に上手くいったのか?
いよいよフェリアが目覚めるのか──。
そう思った次の瞬間、前方で強烈な光が弾ける。
そして──現れた。
フェリアが、ではない。
異常なほどの殺気を漂わせる、黒ずくめの騎士と騎馬が。
「ま、まさか──」
ステラが呆然とした顔でうめく。
「知っている奴か?」
「私も記録で見たことがあるだけですが……」
震える声でステラが告げる。
その顔から血の気が引いていた。
「あれは──いえ、あの方はヴリゼーラ様。『虐殺の騎士王』の異名を取る、かつての魔王様です」








