第28話 音楽を愛する人
建国祭の準備は、今のところ滞りなく進行していた。
四大侯爵家の演奏会は、1日目と2日目の午前と午後に振り分けて、それぞれの邸で開かれることになった。各貴族邸には多くの人が訪れることから、警備も倍になり、冒険者たちにも協力を仰ぐ事態にまで発展している。
「ウィリオットの顔を見るのが面白くて」
警備のことを全部丸投げした、鬼畜な兄はくすくすと楽しげに笑った。
余計なことを起こさないように、と暗躍封じに使った手なのだけど「真面目な弟で助かる」と皮肉を言うにも程がある。
たまにこういうアレクの策士すぎるところを見ると、王子様というより政治家なのだと実感してしまう。
(キラキラな王子様の裏側を見せられた気分……)
今更すぎるので、これ以上は考えないでおこう。
私は各侯爵家を回りながら、演出の相談をしたり、城下町のイベントの調整をしたりする日々が続いている。
なので、自然とアレクの執務室を訪れる機会も増え、こうして雑談をすることも増えてきた。
「魔法演出なんだけど、もうちょっと人員を増やしたいって、シルヴィオくんから相談があって」
「クルブス侯が派手にやりたいから?」
「それもあるけど……。あと昇龍灯の方も人手が欲しいから、レリオさんに話していい?」
「構わないよ。演出はハルカに任せてるから」
アレクからそう言われると嬉しくなる。
ちゃんと一緒に頑張れている充実感があった。
最初は出来ないって思ってたけど、実際に始めてみれば、何とかやりくり出来てる自分に驚く。それは、周囲が支えてくれることに他ならない。
だからこそ、より一層、頑張らなくちゃと思うんだ。
まだまだ、わからないことだらけで悩むことも多い。けれど、話したほうが早く進むことが、ようやくわかってきた。
(でも、まだ遠慮しがちな癖は抜けないんだけどね……)
戸惑って口に出来ないよりは、だいぶ進歩したような気がする。
「昇龍灯といえば、エジュオの進捗は?」
「それなら、大丈夫だよ」
イル・スオーノでの出来事が心に響いたらしい。
――君のおかげで、新曲のイメージが完全に湧いたよ、ありがとう!
テンション高く告げられて、城に戻って早々部屋に閉じこもってしまった。
あの様子なら、近日中には完成しそうだ。連れ出してよかった、と心から思う。
でも、ほんの少しだけ見せた、あの何とも言えない顔は引っかかっていた。
アレクは「念のために」と机の上に1つ腕輪を出してきた。
「これは?」
「お守りみたいなもの。エジュオに渡しておいて。……杞憂に終われば、それでいいさ」
何か作戦があるのかもしれない。
アレクの瞳には、ほんの少しの憂いと、それを守ろうとする強い意志が宿っていた。
私は素直に受け取って、あとで届けることにした。
そうして数日後、エジュオさんから初稿が出来上がったと報告を受けた。
*
宮廷楽団のメンバーが嬉々として、スコアとパート譜を受け取る。
あのエジュオ・アリブランディの新曲を弾けるという、気持ちが空気から伝わってきた。
まずは総員でスコアとパート譜のチェック。それから、各パートごとに軽く手慣らしをしていく。
その光景に私も胸が弾んでいた。最近は、個人の演奏を聴くことが多く、全体で聞くのは久しぶりだ。
みんなもそれは同じで、パートごとの会話に熱が入っているように感じる。
「失礼する」
低く威圧感のある声にピリリと緊張が走る。
「ウィリオット、珍しいね」
アレクがすぐさま駆け寄って、理由を尋ねた。
警備を担当するからこそ、建国祭の楽譜に紛失や盗難があってはならない。だから、事前に誰が監督責任を持つのか、気になったのだという。あとは純粋に王族として聞いてみたい、という気持ちからだ。
音楽を振興する国の王子様たるもの、国民が熱狂する作曲家の新曲は聞いてみたいだろう。
チラリと視線を送ってきたけれど、私は会釈して返すだけにした。
あの会議の一件で益々、苦手になってしまった。不用意に近づいて、噛みつかれても困るし、見下すような態度を取られるのも嫌だ。触らぬ神に祟りなし。安全圏にいるのが一番だ。
宮廷楽団の皆も、ウィリオット王子の登場に、戸惑いを隠せなかった。けれど、何も動きがないようなので、すぐさま話し合いを再開。譜面を見ながら、気になるフレーズを軽く弾いてみたり、ペンで書き足していく。
「そろそろ、いいかな」
団長のダーヴィットさんの声に、それぞれの席に戻っていく。
試し弾きとはいえ、安易な対応をしないのがプロの務めだ。今回は市民団体用に曲を提供するので、プロから見て弾きやすいか、といったことも考えながら弾いてほしいと指示が出る。
エジュオさんからも、初稿だから忌憚のない意見が欲しい、と言葉が出た。
妥協を許さない天才からの発言に、全員が頷く。
タクトが上がり、息をのむ。
金管楽器の突き抜けるような音から始まった。華やかなメロディーが一気に室内全体に響き渡る。
弦楽器がアップテンポで軽快な旋律を紡ぎ、フルートやオーボエのキラキラとした音が舞う。
低音のコントラバスやチェロが指で弦を弾き、そのリズムはまるでダンスをしているみたいだ。
中盤、一度波が引くように音が静まり、終盤に向けて打楽器がじりじりと爆発力を蓄えていく。
そうして、一気に解き放たれる!
ホールは音の奔流に飲み込まれて、身体がビリビリと震えていく。
跳ねる弦、歓喜を放つ管楽器、そして全体を鼓舞する打楽器。
最高潮の熱量をすべて束ねきり――ピタリと、演奏が止まった。
洗い流されるような宮廷楽団からのシャワーを浴びて、呆気に取られてしまった。
けれど、じわじわと胸の底から膨れ上がる熱に思わず立ち上がって、手を打ち鳴らす。
「すごい! 素敵な曲!」
語彙の貧弱さに呆れかえってしまうけれど、補うように拍手し続ける。
アレクも――ウィリオット王子ですら、手を叩いて、満足そうだ。
そうして彼は兄に近づくと、低く告げた。
「兄上。この素晴らしい曲のためにも、エジュオの部屋の警備を増員します」
そうして、彼は一度もこちらを振り返ることなく練習場を後にした。
演奏者たちも高揚感が冷めやらぬようすで、譜面を囲み「このパートが」「この盛り上がる瞬間」など、高揚した顔で感想を交わ合っていた。
一方、作曲した当の本人は魂が抜けたように壁に背を預け、力尽きたように座り込んでいる。
私は笑いながら近づくと、横に座って、労いの言葉をかけた。
「エジュオさん、お疲れ様でした」
「ミューズ……」
半べそになりながら、エジュオさんはそろりと手を挙げた。
その行動に、反射的に、身体が硬くなる。
けれど、その手はすぐに下ろされ、彼はへにゃりと笑った。
その潤んだ瞳からは、重責から解放された喜びと切なさが垣間見える。
「やっぱり、君はミューズだよ」
穏やかに告げるエジュオさんは、どこか遠くを見つめていた。
「こうして、宮廷楽団に入ったけれど、君とは距離が近くないほうがいいってことが、よくわかった」
うん、うん、とようやく納得できたように、首を何度も縦に振る。
そうして、顔をあげると、誰かを探すように広い練習場を見渡した。
やがて、その目的の人物を見つけると、届かない星に手を伸ばすようにギュッと拳を握りしめる。
「女神に触れていいのは、おそらく、同じ場所にいる人間なんだ」
みんなに囲まれた金糸の後姿を見て、エジュオさんは何かを諦めるように呟いた。
「僕は……君という光の存在を享受する、敬虔な信徒でありたいのさ」
「それって、どういう……」
急に「ハルカー!」とざわつく集団の中から呼ばれる声がした。
そちらのほうに顔を向ければ、赤いポニーテールがピョンピョンと揺れる。ミディーナだ。
手招きされて「早く来てー」と催促されると、行くべきか迷う。
でも、エジュオさんは笑って手を振った。
「行っておいで、ミューズ。ボクの話はこれで終わりさ」
一方的に話を打ち切られてしまい、後ろ髪を引かれながら、ミディーナの呼び声に足を向ける。
みんなの輪に入ったときに、ふいに思い浮かぶ。
彼は、一度も私の名前を呼んだことがなかったことに。
――君とは距離が近くないほうがいいかもしれない。
振り返ると、エジュオさんが淡く微笑む。
それがすべてを物語っていた。




