第26話 イル・スオーノ
エジュオさんが、どうやらスランプ気味らしい。
アレクから「癪だけど、君の顔さえみれば何とかなりそうだから、部屋に行ってあげて」と、半ば投げやり気味に言われた。
彼は今、建国祭に向けた新曲を依頼されている。
市民団体に曲提供したことを不問にする代わりに、公式曲を無償で作るよう指示したそうだ。これには、エジュオさんも反論できず、大人しく引き受けることにした。
私が軟禁された頃から作っているようなんだけど、肝心のインスピレーションが一向に降りてこない。
ずっと部屋に引きこもっているようなので、私はシグリードと一緒に様子を見に行くことにした。
部屋をノックすると、ガタガタっと大きく椅子を揺らす音が聞こえてきた。
続いて「待って! 殿下、お待ちください!」と悲鳴のような声が響いて「あとちょっとなんです」と泣きまで聞こえる。
(……アレクは一体、何をしたんだろう)
こんな風になってるエジュオさんなんて、正直想像していなかった。
戸惑いながら、もう一度ノックして名乗る。
「エジュオさん、ハルカです」
次の瞬間、さらに大きな音とともに扉が勢いよく開いた。
「ミューズ!」
「ひゃあっ!」
抱きしめられそうになった瞬間――
背後から伸びた大きな手が、エジュオさんの顔を鷲掴みにして動きを止めた。
そのままギリギリとアイアンクローを決めるシグリードに「痛っ、痛いっ! 助けっ!」とエジュオさんは悲痛な叫びをあげる。
無言のまま締め上げ続けるものだから、私は慌ててシグリードを止めた。
室内は五線譜が床に散乱し、服や本が散乱して、酷い有様だった。
机の上には使い終えたカップやポットがいくつも並び、掃除の手も入れられていないのだろう。それでも彼は、私のためにソファだけは慌てて整えてくれた。
「どうしたんだい、ミューズ?」
「アレクからスランプ気味だって、聞いて」
私の説明に「ひいぃっ!」と声を上げて震えだす。
この世の終わりとばかりに頭をかかえて絶望する姿勢に、ただ困惑するしかない。作曲が思うように進まないだけで、なんでこんな風になってしまうのか。
すると、エジュオさんはポツリ、ポツリと語りだした。
アレクから依頼された作曲のイメージは「高尚過ぎず、牧歌的すぎない、けれど斬新さもありつつ、鼓舞するような感じ」と、ものすごく難しい注文だった。
スケジュール管理がしっかりしているアレクにとって、天啓が下りてくるのを待つというのは耐え難い状況なんだろう。
天才作曲家をここまで追い詰めたのも、定期的に進捗状況を確認しにくるからだそうだ。
「ミューズ、助けて……」
土砂降りの雨に打ち震える子犬のような目で訴えてくる。
そんな風に言われたら、助けてあげたくなるのが人情というものだ。
「じゃあ、イル・スオーノの皆さんに会いに行きませんか?」
私の提案にパァァっと晴れ間が差し込んだように、エジュオさんは手を合わせて顔を見上げる。
本当は、アレクからの依頼なんだけど、伏せておこう。
――昇竜灯のときに、エジュオの曲を演奏するのは彼らにしよう。
それに、私にはもう一つ、どうしても果たしたい目的があった。
*
市民団体の練習場を訪ねると、空気は重く、どこかよそよそしかった。
「我々が、陛下に連なる尊き竜の聖女様であられる貴女様を、分不相応にも一介の魔術士としてお扱いしてしまったこと、誠に申し訳ございません」
イル・スオーノのみんなが頭を深く下げて、出迎えてくれた。
その光景に、ズキリと胸が痛む。
嘘をついて参加したのは私なのに、彼らにお詫びさせてしまったことが、心苦しかった。
「代表たる私の指導不足ゆえ、貴きお方への敬意を欠く振る舞いがあったこと、心よりお詫び申し上げます。今後は、聖女様のご指導のもと、イル・スオーノ団員一同、国に尽くす所存でございます」
「……顔をあげてください」
ティトくんのお父さん――ウベルティさんが顔を上げる。
そこにあったのは、どんな処分も受け入れる覚悟の色だった。それは、ほかのメンバーも一緒だった。
一緒に笑って、演奏して、楽しい時間を共有した姿はそこには見えない。
これが身分差なのだと、痛感させられる。
練習室の隅で、縮こまっている小さな頭が見えた。
それは栗毛色のお父さんによく似た髪色で、魔術が1つできるとピョンピョンと跳ねて可愛かった。
「ティトくん」
私が呼びかけると、ビクリと身体を震わせてしゃがみ込む。
ティト、と低い声で窘まれると、駆け寄ってお父さんの背に隠れてしまった。
こんな小さな子を怯えさせてしまうほど、自分の肩書の大きさにやり切れなさと切なさが混じる。心からの笑顔を向けられることはないのかもしれない。
「皆さんに、謝りたいことがあります。私の方こそ、身分を偽り、こうして傷つけてしまったこと。心から申し訳ないと思っています。本当にごめんなさい」
頭を下げたことで、みんなが慌てる様子が伝わってくる。
でも、本当に、多くの人を巻き込んで傷つけてきた。
昔の私だったら、謝る以前に何もできなかった。そして、行動し始めたら、周りの人に迷惑をかけてばかりだ。
(……竜の聖女、失格かもしれない)
でも、それでも、この場所も大好きになってしまったんだ。
「皆さんと演奏会の演出を出来たこと、すごく、すごく楽しかったです。だから、今度は魔術士のハルじゃなくて、聖女として――堂々と演出させてください。お願いします!」
「そんな、聖女様が頭を下げる必要なんて」
一拍、息を置いてから、私は言った。
「……ハルカです」
「えっ?」
「ハルカって言います。本当の名前は」
もう、ハルじゃない。
打ち上げのときと同じように親しみを込めて、今度は本名で呼ばれたかった。
私もイル・スオーノの一員だと、皆のなかに溶け込みたい。
「ハルカ姉ちゃん?」
「ティト!」
短い叱責が飛び、また顔が隠れてしまった。
私はしゃがんで、彼と視線の高さを同じにする。これくらいがちょうどいい。
確かに身分は大切かもしれない。けれど、目線はみんなと同じところでいたい。
「また、お父さんの演奏を演出してもいい? 前よりも、もっとカッコよくできるんだ」
「聖女様……」
ティトくんはそっと顔をあげて、お父さんを見つめると、小さくコクンと頷いた。
息子の前で晴れ姿を見せたくない親なんていないだろう。
ウベルティさんは頭をガシガシかいて、しばらく葛藤した後、頭をかいて笑った。
「あ~その、なんですか。今まで通りでよろしいのでしょうか?」
「ふふっ、ウベルティさんはそんな口調でよろしいのでしょうか?」
「ハル! お前っ!」
そこから一気に弾けるように練習室は笑い声でいっぱいになる。
(やっぱり、みんなはこうでなくっちゃ)
そしてさり気なく、ティトくんの手首につけられた黒々とした枷のようなものを見る。
明らかに不似合いなものに、胸がズキっと傷む。それは、魔術封じの腕輪だ。
私がやってきた、もう1つの目的。それは、ティトくんからこの腕輪を取り外すことだ。




