幕間2
(シグリード視点)
瞼の内側で、細かな光が弾けた。
それは、ハルカの魔力の片鱗だ。
――戻ってきたのか。
眠りから意識を浮上させ、首をもたげる。
流れ込んでくる空気の揺れを察し、俺は巨躯から人型へと形を変えた。
もはや鉄格子として機能していない牢を抜け、彼女の部屋へ向かう。
だが、ドアノブに触れた瞬間、魔力回路を伝って“違和感”が走った。
焦り、困惑――それに、かすかに熱を帯びた感情の震え。
理由もわからぬまま、直感だけが警鐘を鳴らす。
(なんだ、これは)
これまで感じたことのない感情の揺れに、思わず息を呑んだ。
肌がざわりと粟立ち、臓腑をかき乱す嫌悪感が走る。
俺以外の魔力のようなものに触れ、色づいていくハルカ。
それが、ひどく癪だった。
こんなことができる人間は、ただ一人だ。
(アレクシウス、か)
するりと手がドアノブから外れて、焦燥感が霧散していく。
踵を返して牢に戻ると、再び竜の姿へと戻った。
小さな窓の向こうで星が瞬く。
――アレは、アレでハルカを守っている。
だからこそ、思うところがあったのだろう。
俺の聖女は一筋縄ではいかない。だからこそ、目が離せないのだ。
*
「薄明竜、彼女を預からせてもらうよ」
数日前。
アレクシウスは部屋の扉を開けるなり、そう告げた。
すでに彼女を保護したあとだからこその、前置きのなさ。
俺がハルカに協力していたことも、すべて織り込み済みの声音だった。
人型に変わり、牢にある椅子に腰かける。
アレクシウスは変わらず立ったままだったが、少しだけ話をする気があるのか、壁に背を寄せた。
「――いつまで、だ」
「……随分とご執心だね」
「茶化すな。それはお前もだろう?」
「否定はしないよ」
嘆息とともに、彼は天井を仰いだ。
まだ言葉を多く交わしたわけではないが、頭の切れと立場ゆえの実直さがにじむ男だ。
ハルカの口からも度々、世話になっていることを聞くと、彼なりに彼女を守ろうとする姿勢がわかる。
「護衛騎士は、本来その任だけのはずだったんだけどね」
じろり、と睨みつけてくるアレクシウスに苦笑してしまう。
ハルカも相当だが、こいつもまた、俺が竜であることを忘れがちだ。
「なら、再び幽閉するか?」
コツン、と鉄格子の音が響く。
今では簡単に外に出れるようになってしまったが、無効化されるのも造作ないだろう。
「まさか。彼女が言っていたよ“薄明竜は悪くない。私の責任だ”って。……ほんと、優しい聖女様だよね」
自嘲気味に笑ったのは、そんな彼女を閉じ込めることにしたからだろう。
人間社会は、複雑奇怪で面倒なことばかりだ。
ハルカ自身も階級社会であることに戸惑いを隠せず、愚痴をこぼすことも多かった。
彼女がいた元の世界は、もっと自由で平等だったらしい。それでもめげずにこの世界に馴染もうとしていた。その強さは誇るべきものだ。
「あぁ」
だからこそ、今回のことは堪えたのだろう。
外に出て、彼女の世界にようやく触れて、その色鮮やかさに驚いた。こんなにも“生”というものは、輝くものなのかと。
それと同時に、いかにハルカが懸命に生きているのかがわかった。人付き合いが苦手だと、出会った頃に言っていたことを思い出す。
にもかかわらず、他者と関わろうとする姿勢に目を見張った。おそらく、別の世界から来たからこそ、己の所在のために、必死にやっているのだ。
だからこそ、手を貸してやりたくなった。
己の存在意義すらも忘れかけていた俺に“光”をくれた。
ただ本能のままに暴れ、蹂躙し、焼き尽くしてきた竜という存在に、感情を教え、傍らにいる。
それが――どれほどの喜びか。
ハルカは知らなくていい。
俺だけがわかっていれば、それでいい。
「ところで、薄明竜。なんて、お願いされたの?」
「は?」
「ハルカに“協力してほしい”って言われたんだろう? 上目づかいでさ」
羨望をにじませたため息がこぼれる。
思い出されたのはハルカの真っ直ぐな瞳。
アレクシウスにとってみれば、彼女からのお願いは何でも叶えたい“可愛いおねだり”なんだろう。
ハルカのことだ。コイツには、まだ遠慮するところが多いらしい。
「さてな。俺には何でも言うからな」
人間よりも竜になびく、そんな優越感が面白い。
アレクシウスは悔しげに眉を寄せたが、すぐに気持ちを切り替え、壁から背を離した。
「すぐに返すとは言えない。けれど、待っていてほしい。……待つのは得意だろう?」
「フッ、そうだな。せいぜい、俺が契約を破らぬことを祈っておけ」
アレクシウスはマントを翻す。
そこには、ドルガスア竜王国を背負う王子としての意志を感じさせた。
(悪いようにはならないだろう)
息をふっと吐き、窓を見上げる。
魔力回路から伝わるのは、疲弊した気配。
静かに目を閉じた。
音が無いことなど慣れている――それでも、やはりあの声と笑顔がない日々は色褪せて見えた。
*
塔に朝陽が流れ込む。
季節の胎動を思わせる暖気とともに、扉の向こうで動き始めた音が聞こえてきた。
軽い足音に耳を澄ませ、こみ上げた安堵に苦笑した。
帰ってきたのだと、ようやく実感しながら扉の向こうへと視線を向けた。
ふいに、この部屋に来るのだろうかと疑問がわいた。
昨晩の出来事が何であれ、アレクシウス絡みだと察しはつく。
だからこそ、ハルカは遠慮して訪れないのではないかと、不安がよぎる。
(不安、か)
竜からは縁遠い感情ばかりが増えていく。
それでも、彼女が訪れることを願ってしまう。
廊下に響く靴音。
俺は瞼を下ろし、人型へと変じ、檻から一歩だけ踏み出した。
静かに扉が開き、彼女の不安そうな顔を覗かせた。
「おかえり」
ハルカに対して、上手く笑顔を向けられているだろうか。
「っ、ただいま!」
はじけるように笑う彼女に、ようやく俺も心から微笑みかけられたような気がした。




