第11話 負の連鎖
その日は、雪の前触れを思わせる、雲の厚い空模様だった。
かじかむ手に息を吹きかけ、首に巻いたマフラーをきゅっと締め直す。
私は、いつもと変わらず、魔法演出用のアイテム作りのため、魔術士団の研究棟へ向かう。
けれど、扉をくぐった瞬間、目に飛び込んできた光景に思わず足が止まった。
廊下を行き交う魔術士たちが、皆、忙しなく動き回っている。
(……どうしたんだろう?)
普段の魔術士たちは、各々の研究室にいて開発に勤しんでいたり、練習場に行っていたりと様々だ。
けれど、今日に限って言えば、誰もが慌ただしく、落ち着きがない。
誰かに聞こうかと思ったけれど、足を止めるのも憚られるような気配がして、大人しく四班の研究室へと足を向けた。
「おはよ~」
ひょいと顔をのぞかせると、いつもの四班の面々がいた。
けれど、決定的に違うのは――煩雑だったはずの部屋が、整頓されていっていることだった。
「あ、ハルカ」
フラヴィオさんが顔を上げる。
その瞬間、部屋の全員がこちらを振り向き、動きを止めた。
沈黙が、重く空気を支配していく。
「……なにか、あったの?」
「う、あ、そっ、それは……」
彼は視線をそらし、助けを求めるようにシルヴィオくんを見た。
そのシルヴィオくんも、口をへの字に曲げて黙り込んでいる。
足元には大きなカバン。中には資料や器具が詰め込まれていた。
「出かけるの?」
部屋を見渡すと、床には同じようなカバンがいくつも並んでいる。
まるでこれから遠征にでも出るようだ。
けれど、机の上まで片付けているのはおかしい。
いつだって、研究しているのが彼らのモットーだ。道具や資料を棚に戻すなんて――それは、終わりの合図にしか見えなかった。
胸の奥でざわめきが広がる。嫌な予感が、音を立てて迫ってくる。
シルヴィオくんは、何かを言いかけては唇を閉じた。
いつものような、竹を割ったような明快さはない。
部屋の誰もが沈黙を守ったまま、ただ荷物をまとめる音だけが反響していた。
やがて、彼も考えに考え抜いた末、決心して顔を上げた。
それでも、その瞳は迷いと痛みを湛えていた。
「……お前は悪くない、からな」
「えっ?」
一瞬、言葉を詰まらせてシルヴィオくんは言いよどむ。
けれど、意志の強い目だけは濁ることはなかった。
「全部、貴族とか、金持ってるヤツらのせいにしていいから」
悔しさを精一杯噛みしめて、私をまっすぐに見つめる。
その意味を掴みきれずとも、お金の流れが原因で何かが動いたのだと悟る。
問いただすこともできず、ただ彼をこれ以上困らせたくなくて、唇を噤んだ。
シルヴィオくんから笑顔が消えた。それだけで、胸の奥が軋んだ。
「ハルカちゃんは……あぁ、もう来ていたのか」
「団長」
振り替えると、レリオさんが立っていた。
眉間に深い皺を寄せ、どこか疲れ切ったような表情をしている。
手招きされ、「別室で話そう」と静かに告げられた。
その瞬間、ひんやりとした確信がわきあがった。
――もう、ここには戻れない。
にぎやかな笑い声。
薬草とインクが混ざった匂い。
散らかった机の上にあった、誰かの夢の欠片。
この部屋の思い出が、私の身体に染みついていた。
――でも、今。
けれど今、部屋には静寂だけが残っていた。
術式の紙も、魔石も、笑い声も――跡形もなく。
冷たく乾いた空気の中で、私は思う。
こんな光景を、一体誰が望んだのだろう。
*
「……そうか」
シグリードは短く頷き、それきり黙り込んだ。
パチン、と暖炉の火が爆ぜる。暖かな部屋のはずなのに、指先から冷えていく。
あれから、レリオさんに話を聞いて、ようやく事の全容が見えた。
クルブス家の抗議は、私の想像を遥かに超えていた。
まず、侯爵領にいる下級貴族たちが、次々と国への支援と協力を打ち切りはじめた。
それは、国よりも侯爵家を取ったということだ。
実質的な領地の支配権を握っているのは、他ならないクルブス家。その彼に睨まれでもしたら、立場が危うくなる。
ましてや真冬が迫っている。蓄えを絶やすわけにはいかない。
だから、協賛停止や資金凍結の書状が次々と届き、国の事業は軒並み暗礁に乗り上げかけていた。
――魔術士団はちょっと遠出をしてこようと思ってね。
レリオさんは、そう言って笑った。
材料の採集や、各地の冬支度の手伝い。沈黙しているだけの魔術士団ではない。
それに、クルブス領の各地を訪れることで、恩を売る作戦のようだ。
けれど、その旅がどれほどの長さになるかは誰にもわからない。この問題が解決しない限り、戻ることは難しいだろう。
ただ、城の防衛のことも考えると、大半のメンバーは残る。
――でも、第四班はみんないなくなるんですよね。
――そうだね。補助を担う班だから、彼らの知識なしでは動けないんだ。
すまなそうに言うレリオさんの言葉が、より一層、歯がゆい。
魔術士団がこんな状況に追い込まれているということは、宮廷楽団も同じ苦境に立っていると想像できる。
特に彼らの場合、貴族という立場上、自由に動けない。
(どうして、こんなことに……)
シルヴィオくんの言葉が蘇る。
――お前は悪くないからな。
そんな言葉では済まされない。
私の魔法のせいで、宮廷楽団から音を、魔術士団からは光を奪ってしまった。
大切な、本当に大切な場所だった。それはきっと彼らも同じだ。
だからこそ、許されるはずがない。
(……本当に、何もできないのかな)
唇を噛みしめる。震える手の中で、悔しさだけが熱をあげる。
あの場所を取り戻す方法はないのだろうか。
「ハルカ、午後はゆっくるするといい」
シグリードの声音は、いつもより優しかった。
その優しさが、痛いほど胸にしみて視界が揺らぐ。どうして皆、私を責めないのだろう。
誰か一人くらい、怒ってもいいのに。
*
夕暮れ時。
塔にいても落ち着かず、私は図書室に籠って時を過ごした。
何かをしていないと、どんどん暗い落とし穴へ入っていきそうだったからだ。
本を数冊抱えて戻る途中、塔の近くに、黒く細長い影が立っていることに気づいた。
真っ赤に焼けた夕陽が、その影を不気味に引き伸ばす。
立ちすくむ私を追い立てるように、陽が沈み、夜の帳が降りてくる。
「ミューズ、待っていたよ」
地の底から声がした。




