第10話 小さな希望
その日、私は城内の図書室に足を運んだ。
高い天井から差し込む陽光は柔らかく、静謐な空間に安らぎを注ぎ込む。
この場所そのものが私を包み込んで癒してくれるようだった。
本をめくる音だけが響き、ささくれだった心が少しずつ落ち着いていく。
宮廷楽団の寮に行くこともできず、貴族たちの動きも掴めない今、せめて何か出来ることを探したかった。
そのため、気分転換を兼ねて、魔術に関する本を探しに来たのだ。今取り組んでいる魔法演出のために、ヒントになりそうな知識を求めて棚を見て回る。
こうしてみると、私は、魔術の基礎をきちんと学んだことがほとんどない。
いきなり国の専門機関に出入りし、手伝いをするような状況なのだから、どこか無理をしているのかもしれない。時々、教えてもらうことはあるけれど、もっと根本的なところからやったほうがいい気がしてきた。
(うーん……)
数冊本をめくってみても、どうにも心が落ち着かない。
どこかで、もっと自分にできることがあるはずだと、焦る気持ちばかりが膨らんでいく。
ぐるぐると考えが巡って、文字が頭に入ってこなかった。
その時、背後から足音が響いた。
小さく心臓が跳ねて、思わず身体がこわばった。
振り返ると、そこにはアレクが立っていた。
「ハルカ」
驚いたように、けれどどこか安堵したような微笑みを浮かべる。
「こんなところで会うなんて、偶然だね」
「アレク……」
その表情の奥に、疲れがにじんでいた。
きっとエジュオさんの件で、色々と奔走しているに違いない。
そう思うと胸が重くなる。
私のせいじゃない――そうわかっていても、騒動の発端をたどれば私に行き着いてしまう。
後悔なんてしたくない。
けれど「やらなければよかった」というざらついた感情が、喉の奥にひっかかる。
息がうまく吸えなかった。
「どうして、ここへ?」
「えっと、魔術に関する本を探しに来たんだ。今作ってる演出装置の参考書を見つけたくて」
「そう。ちょうど僕も、何か対策がないか探していたところなんだ」
「対策?」
「うん。クルブス家の件をどうにかしないと。彼らの支援がなくなったら、楽団の存続も危うい」
「――っ!?」
喉の奥がひゅっと鳴った。慌てて口を押える。
存続が危うい、その言葉に驚いて思わず大声が出そうになったからだ。
そこまで事態が悪化しているとは思わなかった。
アレクは、しまったというように「心配しなくて大丈夫」と手をふるう。
その仕草に少し救われた。
けれど、クルブス家の影響力がそれほどまでに大きいことを痛感した。
そして、ウィリオット王子がこの混乱に乗じて、動き出していることも透けて見える。
アレクは気づいているだろうか。
前に言われた台詞を言うべきか、口を開きかけた。
(違う。ずっと前からわかってて見張ってる)
舞踏会での約束を思い出す。
私を誘拐したのは一体誰なのか、未だに明かされていない。
けれど、アレクは「証拠を掴むまでは待ってほしい」と言ってくれた。
あの時、重ねた手に感じた力強さが、その言葉の誠実さを証明していた。
だから、信じようと思った。
書棚の隙間から差し込む光が、ゆっくりと私たちを照らし出す。
「いい解決策は、なかなか見つからなくてね。でも――ハルカを見たら元気が出てきた」
ニコリとお得意の“極上王子様スマイル”を浴びせられる。
思わず顔が熱くなり、直視できなくなる。
(わかってやってるの、本っ当にずるい……!)
心の中でそう叫びながら、せめてもの意趣返しに彼を見上げた。
「私もアレクのために、頑張ってるんだから」
魔術の本を突き出して、アピールする。
今できることを私なりにやっているんだと、わかってもらうために見せたのだけど、もしかしたら逆効果だったのかもしれない。
一瞬驚いたあと、アレクはゆるやかに目を細め、ふっと優しく笑った。
「うん」
とても嬉しそうな声音は、素顔のアレクを覗かせた。
途端に心臓がバクバクと跳ね、突き出した本をギュっと抱きしめる。
――あぁ、もう。不意打ちだ。
「ありがとう、ハルカ。僕も頑張るよ」
「……うん」
真っ赤になっている私の頭を、彼は軽く撫でた。
その掌から伝わるぬくもりに、胸の奥がじんわりと熱くなる。
と、ふと思いついたようにアレクが言った。
「そうだ。ハルカに伝言をお願いしたいんだ」
「伝言?」
「宮廷楽団のメンバーに“君たちのことは守る。だから、素晴らしい演奏を続けてほしい。ドルガスアの誇りは、君たちの音色だ”って」
頼めるかい?と軽くウインクを寄こす。
もしかしたら、私が“出禁”になっていることを知っているのかもしれない。
そして、その託された伝言は、戸惑う彼らを救うような希望に満ちていた。
一刻も早く伝えたい。
私は勢いよくうなずき、図書室を飛び出した。
*
宮廷楽団の寮を訪れるのは、本当に久しぶりな気がした。
ほんの数日しか経っていないはずなのに、まるで遠くの親戚の家に来たような懐かしさと緊張が混じる。
心臓がドキドキと鳴る。
走ってきたせいもあるけれど、みんなに何を言われるかわからない不安もあった。
それでも、アレクからの伝言という“大義”を授かってきた以上、伝えないわけにはいかない。
ギィ――。
ドアを開けると、玄関ホールの空気がひやりと肌を撫でた。
「ハルカ様!?」
管理人のおばさんの驚く声が響く。
すぐに顔を出した楽団の仲間たちが、目を丸くして私を見た。
「ハルカ!? どうしてここに?」
「えっと……その、アレクから、伝言を預かってきたの」
「……殿下から?」
いぶかしむ視線。
それでも“練習中のメンバーにだけでも”と頼み込むと、しぶしぶ通してくれた。
「ハルカ!」
「ミディーナ!」
赤いポニーテールが跳ねて、ミディーナが駆け寄ってきた。
腕を広げて「会いたかったぁ~!」と抱きしめられ、ぎゅっと締め上げられる。
少し苦しいけれど、その温かさに胸がじんとする。
練習室には弦楽器パートのメンバーたちがいた。
ロベルトさんの姿も見える。
「久しいな。元気だったか?」
「はい。その、アレクから……アレクシウス殿下から言伝をもらってきました」
アレクの名前を出した途端に、ピリリと空気が変わった。
現状のことを考えると、警戒する気持ちもわかる。
悪い方向に流れていっているのではないかと、不安になっているのは私も同じだ。まだ、この部屋に来たばかりだけど、練習室の空気はどこか重い。
けれど、諦めないでいてほしかった。
「殿下はおっしゃっていました――“君たちの音色こそ、ドルガスアの誇りだ”と」
しばしの沈黙。
やがて、ロベルトさんが低く呟いた。
「……ドルガスアの誇りは、俺たちの音色、か」
「はい。だから、信じて待ちましょう?」
ロベルトさんの顔も他のみんなも依然として厳しい。
それでも、少しずつ空気がやわらいでいく。
アレクの言葉が一筋の光のように差し込んでいた。
けれど、久方ぶりに訪れた練習室を見渡すと、楽しかった思い出がよみがえる。
弦楽器の滑らかな旋律、笑い合う声。
時には厳しい指摘もあったけれど、切磋琢磨して紡ぎあげるハーモニーは、最高の時間を生んでくれた。
「あの、何か一曲弾いてもらえませんか?」
ふいに思いついたことを私は言った。
「えっ?」
「私、ずっと皆の演奏を聞いてなくて……だから、お願いしたいなぁって」
唐突なお願いに戸惑う空気。
「しかし———」
「えぇと、じゃあ。竜の聖女からの命令です! 私を楽しませてください!」
腰に手を当て、わざとらしく胸を張ってふんぞり返る。
ミディーナがプッと吹き出した。
「それじゃあ、やるっきゃないじゃん」
ヴァイオリンを取り出し、ロベルトさんも肩をすくめる。
「やれやれ、わがままな聖女様からのご命令だ。皆、準備してくれ」
「りょーかい。ハルカ、リクエストは?」
「とびっきり明るい曲がいいです。できれば演出がしやすいもので」
ふわりと私は光球を生み出す。
もうすっかり彼らの演奏には付き物になってしまった私の魔法。
軽やかに弦が鳴り響く。
跳ねるように、歌うように、光が舞うように。
それに導かれるように、トランペットの高らかな音が重なり、オーボエの柔らかな旋律が溶け合う。
――ドルガスア竜王国に、再び極彩色の音が咲き誇った。
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