第8話 諍い
翌朝。
私は身支度を整えると、宮廷楽団の寮へ向かった。
昨日のエジュオさんの一件が、どうにも気になって仕方がなかったのだ。
彼の身柄は城内で預かることになったのだけど、ミディーナたちに知らされているのかわからない。
まだ、内々に済まされているのか、それとも、ひと騒動になっているのか。
私のせい……かもしれないと思うと、できるだけ迷惑はかけたくなかった。
そんな焦りもあって、足が自然と早まる。
少し息を切らしながら到着した宮廷楽団の寮は、英国の大学寮を思わせる厳かな佇まいだった。
(みんな、どう思ってるかな)
冷たいドアに手をかけて、ゆっくりと両扉を押し開ける。
すると、ちょうど玄関ホールには楽器を持った団員が数人いた。
「ハルカ、どうしたの?」
「ミディーナなら、まだ部屋にいるよ」
いつも通り温かく迎え入れてくれて、ほっとする。
まだ、エジュオさんの一件が伝わっていないのかもしれない。それなら、せめてミディーナだけにも相談して、彼女の考えを聞こう。
そう思って口を開こうとしたとき「大変だったね」と、別の団員が言葉を挟んだ。
「聞いたよ~。エジュオ・アリブランディの件」
「あぁ、それか。クルブス家の連中、かなり大変そうだったもんな」
そろって頷いて、同情のまなざしを送られる。
(やっぱり……もう伝わってるよね)
それなら話が早い。
私は皆の反応を見ながら、エジュオさんについて少し聞いてみることにした。
私が知る限りでは、彼は天才作曲家だけど猪突猛進型の“オタク体質”という印象。音楽界隈では有名人みたいだし、もしかしたら、別の側面もあるかもしれない。
(あと、あのテンションを抑える方法。誰か知らないかな)
ちょうど数人が練習室に集まってきたところで、話が弾みはじめる。
エレナさんからも聞いていたけれど、彼は幼いころからその天才ぶりを発揮していたらしい。
3歳からピアノを始め、5歳でその才覚を見込まれて伯爵家の養子になった。そして、10歳を過ぎた頃に作曲活動を始めていた。その数、百曲に迫るという。
性格は昔から変わらず、熱しやすく冷めやすい。
天啓が降りたように作曲へ没頭し、寝食を忘れて五線譜を書き続けることもしばしば。
けれど、それが落ち着くと嘘のように静かな青年へと戻るという。
(う~ん……まさに“竜の聖女様フィーバー”が起きてるって感じなのかな)
少しずつ、エジュオさんの人物像が形になっていく。
そして、その楽曲については誰もが口をそろえて絶賛していた。それぞれに好みはあれど、どの楽曲も甲乙つけがたい。
革新的な意欲作から、郷愁を誘うような優しい旋律まで。まさに変幻自在の天才だ。
「あっ、ハルカ! 来てたのか!」
クルブス家の演奏会でお世話になったチェリストが勢いよくやってきた。
次の瞬間、彼はいきなり膝をつき、深々と頭を下げた。
「えっ、なっ!?」
「すまない!俺がアイツを止めていれば、こんなことにはならずに済んだんだ!」
「……へ?」
エジュオさんを城に招き入れたのは、他でもない彼だった。
爵位持ちとはいえ、普通なら簡単に入れる場所ではない。
けれど宮廷楽団員に同行すれば門を通過できるし、団長への口利きがあれば、昨日のセッティングは出来なくはない。
「……エジュオ『宮廷楽団に入れてくれなきゃ死んでやる!』とまで言い出してさ。ナイフ持って暴れるから、どうしようもなかったんだよ」
「…………」
想像に難くない光景に、心中お察しするしかなくて涙が出そうだ。
でも、ここでわかった。彼は入団そのものに思い入れが強いというワケじゃない。
ただ、“作曲活動に没頭できる場所”を求めているだけなんだ。
アレクもそれがわかってたから、慎重に検討するべきだと言っていたんだろう。ようやく腑に落ちた。
さすが、万能の王子様だ。
「皆、集まっているか?」
そのとき、凛とした声が響いた。
ダーヴィットさんだ。
「団長!」
「あぁ、ハルカもいたならちょうどいい。――エジュオ・アリブランディの入団が決まった」
「えっ?」
練習室にいた全員が口々に驚きの声をあげて、空気がざわつく。
あまりに唐突な報せに、頭が追いつかなかった。
「上からのご命令だ。仕方がな……ハルカ!?」
団長が言い切る前に、私は駆け出していた。
彼の横を通り抜けながら、心の中で叫ぶ。
アレクが、そんな命令を出すはずがない。
きっと、何か意図がある――でも、それならどうして先に話してくれなかったの。
だって、私が一番の当事者なのに。
胸の高鳴りを抑えきれぬまま、城内を駆け抜ける。
アレクの執務室は、迷ったことのない唯一の場所だ。
スピードを上げて階段を駆け上がる。あとは、右の角を曲がればすぐそこだ。
「なぜ、許可を出した!」
怒声が響いた瞬間、足が急ブレーキをかける。
心臓がバクバクと早鐘を打ち、息が浅くなる。
それでも飲み込んで、壁際に身を寄せた。角の向こうを覗くと、アレクの背中が見える。
「兄上。あの後、私は進言したではありませんか。彼を入れれば、入団の門戸が広くなり、良い宣伝になると」
ウィリオット王子の声だ。
煽るような冷笑を含んだ口ぶりで、兄を見下ろしている。
「だからこそ、慎重にするべきだと言っただろう? なぜわからなかった」
アレクの声は震えていた。
冷静を装っても、苛立ちは隠しきれない。
そんな彼の姿を見るのは初めてだった。
いつだって、穏やかに微笑み優雅に事を進めることが彼の本領だ。だからこそ、この事態が、どれほど想定外だったのかが伝わってくる。
ふいにウィリオット王子の視線がこちらに向けられたような気がして、慌てて壁に隠れる。
(気づかれた……?)
けれど、彼は淡々と言葉を続ける。
「恐れながら、情緒不安定なままでいては何をしでかすかわかりません。であれば、迅速に処理した方が得策かと」
「アレは、宮廷楽団に納まる器ではないだろう。そもそも、入団には陛下の許可が必要だ。そう簡単に降りるわけが……」
「陛下は許可を下さいましたよ」
「……っ、もう一度、伺いを立ててくる」
アレクが足早に去っていく。
その背を見送りながら、私は荒ぶる心を必死に鎮めた。
少し落ち着いたら、いったん楽団に戻ろう――そう思った矢先。
コツ、コツ、と足音が近づく。
「……盗み聞きとは、聖女様らしからぬご趣味をお持ちのようで」
「ッ!」
息が詰まる。
ウィリオット王子がゆっくりと距離を詰めてくる。
その獰猛な目が、私を逃がす気などないと告げていた。
声にならない悲鳴が喉の奥で震える。
まるで巨大は蛇が、ゆっくりと獲物に身体を巻きつけて締め上げていくようだ。
「魔法が使えようが、お前には何も出来ない。そうだろう?」
走り去ったアレクのほうを見やる。
ウィリオット王子が何を企んでいるのかは、わからない。
聖女と王族は同列でも、政治的な駆け引きは私には手出してきない世界だ。
「本来、竜の聖女は『お飾り』だ。舞台に立つ必要などない。茶番はもう終わりだ」
ぐっと迫る威圧に、視界が滲む。
体が震え、頭の中では警報のような音が鳴り響く。
――怖い、でも。
私は左手首のブレスレットを、ぎゅっと握りしめた。
彼らがいるから、戦えるはずだ。
「……どうして」
絞り出すように問いかけ、ウィリオット王子を睨む。
意外だったのか、彼は一瞬だけ目を見開いた。けれど、表情はすぐに冷笑に戻る。
「邪魔だからだ、――何もかも」
せせら笑うように告げると、ウィリオット王子はマントを翻して背を向ける。
そこには、悪意で塗り固められた意志。
やがて姿が遠ざかると、私は力が抜けて、ズルズルと壁を背にして崩れ落ちた。
汗が頬を伝い、指先が震える。
(兄なのに……邪魔……?)
闇が静かに迫りくる。
それは、不協和音を奏でながら、ゆっくりと世界を歪めていく。
まるで、破滅の序曲のように。




