第33話 消される光
目が覚めて、肌のひんやりとした感覚から少し思い出したことがあった。
この世界に来た時も、頬が冷たくて、それから起き上がったんだ。
召喚されてから、あっという間に月日が流れた。
あの時の自分から今に至るまで、こんな風になっているなんて、誰が想像できただろう。
いきなり「竜の聖女」だって言われて、でも、何もできなくて途方に暮れた日々。
そこから――薄明竜、シグリードが触れてくれたとき、私の世界は大きく変わった。
魔法の契約に、ミディーナとの出会い。
アレクに演奏会の魔法演出を頼まれてからは、本当に怒涛の日々だった。
泣きそうになったり、やめたくなったり、上手く言葉にできないこともあったけれど……楽しかった。
初めての演奏会で魔法を使った時の気持ちは、今も忘れられない。
でも、あれ以上の感動が、今日、生まれるのかと思うと――胸がワクワクしてくる。
それは、昨日までの式典準備も同じだった。
魔術士団での演出作りは、試行錯誤の連続。四班のメンバーは次から次へとアイディアを出してくれて、そのたびに議論して、実験して、次に生かす。研究職の人たちと関わることで、たくさんの発見があった。時には言い合いになることもあったけど、最終的にはみんな笑っていた。
宮廷楽団の方も、分裂騒動以降、結束がより強くなったように思う。プロ同士が意見をぶつけ合い、切磋琢磨し、どうすれば心に響く演奏になるかを考える。その姿は、一つの大きな作品を作り上げるようで、凄まじい熱量だった。
一音一音を丁寧に。けれど、確実に心を震わせる。
一見、交わらなさそうな二つの集団が混ざり合うことで、魔法演出は真価を発揮する。
最初のリハーサルでは失敗ばかりで、タイミングも合わず、演出と演奏がちぐはぐで……まとめるのに一苦労した。
けれど、昨日のゲネプロで、ようやく形になった。
演奏に合わせて魔法の光が舞い、風が流れ、音が弾ける。
――あの感動を、たくさんの人に届けたい。
「シグリード、行ってくるね!」
「あぁ。行ってこい」
彼が力強く頷いてくれる。
もう、迷いはない。
全力でぶつけるだけだ。
*
「……本当にここで待てばいいんですか?」
ロレッタさんではなく、見知らぬメイドに案内されて、城内の一室に入った。
本当なら早めに着替えて大ホールへ向かう予定だったのに。
昨日「ハルカ様のお支度は私がさせていただきますので!」と息巻いていたのに。
私は魔法演出に加えて、戴冠の段取りや舞踏会のダンス練習もあり、ロレッタさんにはかなり迷惑をかけていた。
それでも彼女は、私を呼び戻したり、衣装合わせにあれこれ意見を言ってくれたり、ずっと気を配ってくれていた。筆頭メイド候補なのに、最近はほとんど私にかかりっきりだった。
必然的に話すことも増えて、ロレッタさんには悪いけれど、頼れるお姉ちゃんができたみたいで、嬉しかった。
(どうしたんだろう……)
冷たい感覚に、思わず腕をさすった。
季節の寒さじゃない。もっと、肌を刺すような、いやな感覚。
背筋をなぞる悪寒に思わず振り返る。
「聖女様、少しだけお休みください」
そこには、いつの間にか黒いフードを被った人物が立っていた。
次の瞬間、ぱん、と弾ける音。
耳鳴りのような圧迫感が身体を襲い、視界が波を打つ。頭がぐらぐらと揺れ、身体のバランスが崩れた。
何が起きているのかわからず、必死に考えようとする。
けれど、目が回って頭が働かなくなって――。
(……だれ、か)
そのまま――私の意識は途切れ、世界が闇に沈んだ。
*
ガタガタと居心地の悪い振動で、意識がようやく戻ってきた。
身体は痺れて動きにくく、お腹と腕は何かにガッチリと固定され、擦れるような痛みが走る。
頭はまだ霧がかかったみたいにぼんやりとしていたけれど、この落ち着かない揺れが否応なく覚醒を促していった。
硬い木の板に転がされ、車輪の下からは蹄の音。どうやら馬車に乗せられているらしい。
そして――周囲に誰かがいる。おそらく、間違いなく「敵」だ。
――敵。
その言葉に愕然とする。
まさか、自分がこんな状況に置かれるなんて想像もしなかった。
一応「聖女」という立場を与えられてはいるが、自分は平々凡々の一般人だという感覚が消えたことはない。生まれ育ったのは平和な世界で、ここへ来てからも命を狙われるような危機はなかった。周りの人もみんな優しくて、悪意や――まして敵意を向けられたことなんて、一度もなかった。
唯一、近しい感情を示したとすれば――ウィリオット王子くらい。
(……まさか)
思わず首を振りたくなったけれど、どうにか堪える。
心臓がバクバクと早鐘を打ち、目をぎゅっとつぶっても震えは止まらない。
(怖い……怖い、怖い!)
どうして、なんで、と頭がパニックを起こす。胸の奥が暴れ出し、必死に奥歯を噛み締めて抑え込む。
それでも身体は震え、泣き出したい気持ちがこみあげる。眉間に力を入れて、ただ必死に堪えるしかなかった。
そうしなければ――近くにいる誰かに、何をされるかわからない。
ガタン、と大きく馬車が揺れ、やがて止まる。
目的地に着いた。
息を潜め、耳を澄ます。幌の外から足音と声が複数。汗が背筋を伝い、緊張で身体が強張った。
やがてバサリと布がめくられ、光が差し込む。
眩しさに目を細めた瞬間、「起きろ」とドスのきいた声が突き刺さった。
「…………」
一瞬、抵抗しようと迷ったが――今は逆らわない方がいい。
荒縄で縛られた身体を無理やり起こし、声の主を見た。黒いフードを目深に被った、痩せた人影。魔術士だろうか、と一縷の望みにかけて左手に意識を向ける。……けれど、魔力は集まってこない。
「無駄な抵抗はするな。魔法は封じてある」
「ッ……!」
フードの人物はニヤリと笑い、外へ出ろと促す。
地面に降りると、他にも数人。屈強そうな男もいて、浅はかな希望が一瞬で砕け散った。
そこは鬱蒼とした森の中。近くに、古びて傾いた小屋が一つ。
そこへ押し込まれる。中は木材の腐った匂いと埃、カビの臭気が充満していて、息苦しいほどだ。
さらに奥へ追いやられ、別のフードの人物が鉄格子の嵌った扉を開けた。
「入れ」
命令に従って足を踏み入れると、背後でガチャン、と重い音が響く。
鉄の扉が閉じられ、鍵がかけられる。下卑た笑いが耳に残った。
「大人しくしていれば、明日には返してやるさ。……もっとも、お仲間に見放されてなければ、な」
やがて扉が完全に閉じられると、部屋は一気に暗く、狭くなった。
誰にも気づかれない。
アレクにも、シグリードにも……届かない。
「誰か……」
助けて。
小さな天窓に向けて、声を絞り出す。
けれど、それは虚しく、廃屋の壁に吸い込まれていくだけだった。




