第29話 分裂
それは、合同練習三回目の出来事だった。
ようやく各曲に合わせた魔法演出の大枠がまとまり、これから仕上げに入ろうとしていた矢先のこと。
だが、その日の宮廷楽団には、どこか張りつめた違和感があった。音の粒が揃わず、目線も泳ぎ、集中していない。
ダーヴィットさんがタクトで譜面台を叩き、何度も注意を促す。けれど、乱れは収まらない。
「……木管。セルジオ、どうした?」
ついに練習を止め、団長が問いかけた。
すると、オーボエ奏者のセルジオさんが顔を伏せ、立ち上がる。
「……これ以上は弾けません」
「なにがだ?」
「これは、音楽ではない。魔法の演出など……耐えられません」
ザワッ、と空気が大きく揺れた。
その一言が合図のように、木管から、弦、金管へと次々に立ち上がる者が出る。
「私もだ」
「僕も同じです」
ざわめきの中、セルジオさんは楽器を抱きしめるようにして声を張り上げた。
「こんなのは侮辱だ! 我々は音楽を愛している。だからこそ、演出などなくても最高の音を届けられるはずだ!」
「そうだ!」と頷く声。さらに「音楽は高潔であるべきだ!」と叫ぶ者まで現れる。
その熱に押されながら、私は思わず四重奏のときのロベルトさんたちを思い出す。けれど、今回はそれ以上に空気が重い。
「そもそも、我が国の伝統である音楽文化に、魔術など付与されては困る!」
「そうよ! 私たちには私たちの文化があるの。——聖女様、どうかおやめください!」
その矛先が、私に向けられた。
伝統。
確かに、この国の音楽はクラシック寄りなところもある。同時に、J-POPに近い軽快な曲も多くあり、ライブのような演出が映えると私は思った。
でも、それは異世界の人間である私の感覚。彼らにとっては、代々守られてきた「文化」であり「古典」なのだ。
(そっか……だから、ロベルトさんも、エレナさんも、抵抗感を示したのか)
ようやく腑に落ちた。けれど、今の彼らは私の返答を待っている。
その目は「やめてくれ」と願うように。
――――でも。
私は「やめる」とは言えなかった。アレクに頼まれたからじゃない。私は自分の意志で「やりたい」と言った。
大勢を巻き込むとわかっていても、それでも挑みたいと口にした。
だからこそ、責任をもって答えなければならない。
けれど、どう答えればいいのか。言葉が見つからず、私は口ごもった。
その様子に失望したのか、数人が譜面を片づけはじめる。
「お待ちなさい」
凛とした声が響いた。エレナさんだった。
「あなたたち、それでも宮廷楽団の一員ですか。自分の音に誇りがあるなら、演出が加わろうとも弾きこなすのが道理でしょう」
「お言葉ですが、エレナさん。あなたはすでに聖女様と舞台に立たれた。だからそんなことが言えるのです。……しかし、我々は貴族。伝統を重んじる立場にある。それを否定なさるのですか?」
「それ、は……」
エレナさんが言葉を失う。侯爵家の人である彼女にとって、それは痛烈な矛先だった。
張りつめた沈黙。空気がひりつく。
次の一言を、誰も言い出せない。
その均衡を破ったのは、別の大きな声だった。
「なぁ! 内輪揉めならオレら帰るぜ。四班、撤収!」
「えっ、シルヴィオくん!?」
「悪いな、ハルカ。貴族の事情に首突っ込む気はねぇ。終わったら呼んでくれ」
そう言い捨てて、魔術士団は片づけを始めてしまう。呼び止めても、軽く手を振るだけで取り合わない。
それなら——と私は団長に視線を送る。
けれど、ダーヴィットさんは無言だった。譜面台を見下ろしたまま、タクトを握る手も動かさない。
その沈黙が、何より恐ろしい。
(団長……どうして、何も言ってくれないの?)
胸が締めつけられる。
その間にも、反対派の団員たちは譜面と楽器を抱えて席を立ち、次々と練習場を去っていく。
ロベルトさん、ミディーナ、マウロさん……四重奏の仲間に視線を送る。けれど、彼らもまた、何も言わずに俯いたままだった。
(そんなに……伝統って大切なの?)
私には想像もつかない重圧の中で、彼らは演奏しているのかもしれない。
けれど「同じように音楽が好き」——その一点で結ばれていると思っていたのは、どうやら私だけだった。
もう一度、ダーヴィットさんを見る。
するとようやく、重々しく口が開かれた。
「ハルカ……これは我々の問題だ。聖女のあなたにはわからない」
「——っ!」
宮廷楽団の団長にそう切り捨てられた瞬間、私にはもう何も言えなかった。
夕陽が、窓から長く差し込む。
気づけば、練習場に残っているのは私ひとりだけだった。
*
日がすっかり傾いたころ、私はミディーナと初めて出会った石畳の広場に立っていた。
ふわりと、両手から小さな光球を生み出す。
私が最初に扱えた魔法は「光」だった。火や水よりもずっと身近で、ただそこにあるだけで安心できる。
電気の灯りと同じ。スイッチひとつで闇を払う光は、人が見張らずとも寄り添い、世界を彩ってくれる。
やがて、淡いピンク色の光球はピンポン玉ほどの大きさになり、私のまわりをゆるやかに漂った。
(……そういえば、自分に魔法をかけたことなかったな)
私はいつも、スポットライトを遠くから眺めていた。
ステージに立てるのは「選ばれた誰か」だけ。私はその輝きに声援を送る側で、決して自分が浴びることはないと思っていた。
――だって私は、特別なんかじゃないから。
子どもの頃、よくアイドルのライブに連れて行ってもらっていた。
その話を友達にすると「ずるい」と言われる。単なる羨望ではなかった。その言葉の裏には「あなたにはその資格があるの?」という意味が隠されていた。
まるで、魔法を持たないシンデレラが怒ってるようだった。
私は、努力もしないまま舞踏会に紛れ込んだ“義姉”なのかもしれない。王子様に手を伸ばす資格なんてないのに、招待状をもらって、きらびやかな世界をのぞいているだけ。
そう思われている気がして、私は次第に口を閉ざした。
ライブの話も、趣味の話もやめた。休日のことも、好きなもののことも、全部ぼやけていった。
当たり障りのない会話ばかりを選び、いつしか“人見知りで臆病な私”が出来上がっていた。
パチン、と光球が弾けて消える。
相談しようかと一瞬、シグリードのことが頭をよぎった。でも、彼は竜だ。人間の伝統も貴族制度も知らない。
アレクも同じ。彼が動けば騒動はもっと大きくなる。
だからこそ、これは私がどうにかしなければならない。
(でも……どうやって?)
魔法が使えても、何も特別じゃなかった。
役に立てると思ったのに、私自身が役立たずだ。
それでも、演奏会のとき言ったんだ。「楽しい空間を作りたい」って。
あのスタンディングオベーションを、私は忘れられない。
胸を突き上げるような高揚が、まだ残っている。
私は手を高く掲げ、魔力を全身に巡らせる。
左腕に力を込め、夜空へと放つ。
——広がったのは、真逆の青空。
石畳の広場を覆うように、澄みきった異空間が展開する。
そこに片手を振り下ろし、花びらを舞い上げた。薄紅色のバラが風に乗り、春の光のように広がる。
「……綺麗だな」
ここまで出来るようになった。ずっとは維持できなくても、少しずつ契約の紋章を広げて、多くの魔法を扱えるようになった。
それに、私は大勢と話せるようにもなったのだ。
「――ルカ、ハルカー!」
声が響く。
初めて私の魔法を「楽しい」と笑ってくれた人の声。
「ミディーナ!」
青空の幻は消えていく。
けれど、胸の奥にある魔法は、まだ消えていなかった。




