第21話 四重奏
演奏が止まり、鋭い眼差しがこちらに向けられる。
もう何十回と睨まれてきたけれど、そのたびに半泣きになりそうなのを必死に堪えて、指摘を受けてきた。
「また、ですわ。一体、いつになったら直りますの」
「す、すみません……」
「謝る暇があったら、早く改善なさいませ」
エレナさんは苛立たしげに譜面をめくりながら、「ここで光が弾けるのだから、音を拾って」と指でリズムを叩く。
そして、ロベルトさんが「最初のフレーズからだ」とため息交じりに促す、いつもの流れだ。
本番まで、あと二週間を切っていた。
全体構成はほぼ完成し、今は細部の調整段階に入っている。
光の色を切り替えたり、音に動きを合わせたりと、キーとなる音を見極めながら練習を重ねていた。
これまでは、感覚任せで自由にやっていたけれど、今は演奏の魅力を引き出すための“狙い”が必要だ。
たとえば1曲目のワルツ調。
当初は光の投影だけで演出するつもりだった。けれど、それでは物足りないと話し合いの末、わかりやすい“厚み”を加えることに。
驚きは増したけれど、私のイメージ力が試されることにもなってしまった。
実演を見せてもらって、ようやくイメージは掴めたけれど……正直、まだ出力には自信がない。
「でも、前より合ってきたと思いますよ。私たちも、つい見ちゃって遅れるときありますし」
「貴女、わたくしにそれで叱られたばかりでしょう」
「僕も見ちゃいますよ~。だって、ほんとに外の景色みたいなんですもん」
今、練習している2曲目のバラードは、すごくロマンチックな仕上がりになりつつある。
ワルツ調からバラードへ。この流れに、どんな演出が合うか。
演奏者たちの意見も分かれたけれど、ミディーナとエレナさんが推した明るめの色使いが、ロベルトさんの一言で一変した。
「明るさもあるが、夕暮れから移り変わるのもいいのでは?」
その言葉に、マウロさんも「それなら僕は……」と新しい案を重ね、全員のイメージが揃っていった。
「そろそろ練習に戻るとしよう。次の曲も、まだズレが多い」
最後の3曲目は難易度が高く、演奏者たちですら苦戦している。
細かく刻まれるビートに、幾度も変調が重なり、とにかく合わせるのが難しい。けれど――
決まったときのカッコよさは格別だ。
ヴァイオリンの技巧と旋律、ビオラの深み、チェロの高低差が折り重なって生まれる疾走感。
そこに魔法の演出が加われば、フィナーレを飾るにふさわしい、最高の盛り上がりになるはず。
これがライブだったら、絶対に――心が跳ね上がる瞬間になる。
このほかにも、ミディーナたちはオープニング曲に加えて中盤の演奏曲、計6曲分の練習が必要だ。
オープニング曲の1stヴァイオリンを担当するアレクシウス王子は、公務のためになかなか練習に参加できず、来られても滞在は1時間ほどに限られている。
(それでも、すぐに課題を見抜いて、その場で修正しちゃうんだよなぁ)
一を聞いて十を知る——まさにそれを体現しているような人。絵本の中の王子様以上に、完璧すぎて少し怖いくらいだ。
演出の確認もお願いしているけれど、的確なタイミングや助言までもらえてしまう。
だけど、あまりに遠くを走っている人に「大丈夫」「できる」と言われても、現実味が薄くて戸惑ってしまう。
頭では理解できても、心が追いつかない。
「少し、休憩しよう」
タイミングが合わず、練習は停滞したまま。
ロベルトさんは苛立ちを抑え、低く言い聞かせるように呟くと、そのまま部屋を出ていった。
練習室には、どこか張り詰めた空気が残る。
エレナさんは勢いよくベランダのドアを開けて外に出て、ミディーナとマウロさんは無言のまま椅子に座り直すだけだった。
——今までの私なら、ただ隅でじっと、時間が過ぎるのを待っていたかもしれない。
そっと、左手の甲に触れる。
薄明竜と契約したあの日。
彼にふさわしい人間になると、自分に誓ったのだ。
だから私は立ち上がり、ロベルトさんの背を追いかける。
正直、何をいえばいいかわからない。
それでも、私は駆け出した。
*
ロベルトさんは中庭のベンチに腰掛け、空を見上げていた。
私に気づくと、練習室とは違う、どこか穏やかな表情を浮かべる。
その視線に促され、隣に座ったはいいものの、言葉が浮かばない。
こういう時、何も話せない自分が、少し嫌になる。
「……君は、どうして演出をしようと思ったんだ?」
「えっ?」
「正直に言えば、俺は懐疑的だった。音には絶対の自信があるし、そうでなくてはならない。だからこそ、余計なものは不要だと思っていた」
その瞳は真っ直ぐで、迷いがない。
宮廷楽団の1stヴァイオリンは、最も注目を集める花形であり、同時に最も重い責任を背負う立場だ。
だからロベルトさんが妥協を許さないのは、当然だったのだ。
「けれど、初めて君の魔法を見たとき、殿下が笑っていた。いつも完璧に譜面通り弾く殿下が、まるで光に身を委ねるように、音を——楽しんでおられた」
私もその時の情景を思い出す。
アレクシウス王子に合わせるのは二度目だったから、少し気持ちに余裕があったのだ。
「それを見て、君の魔法を信じてみようと思った。新しいものが生まれるかもしれないと。だからこそ、君が何を目指しているのかを、知りたかった」
真剣なまなざしに、思わず言葉がつまる。
魔法を使いたいと思った理由は——誰かの役に立ちたいから。
何も持たない自分が、唯一、持てる力だと感じたから、契約を交わした。
そして、ミディーナの音を聴いた。
それを演出してみたら、すごく楽しかった。もっともっと、やってみたくなった。
それは、大好きなライブと同じだった。
音と光の空間に、私は何度も救われてきたのだから。
「わたし……ライブが好きなんです。音と光が合わさって、キラキラしてて。舞台に立つ人も、観客も、あの空間にいるだけで楽しくて、夢みたいな時間が続けばいいなって……そう思うんです」
言葉にして初めて気づく。
この手に、そんな空間を生み出す可能性があることに。
まるで魔法のように——ううん、本物の“魔法”なんだ。
だけど、それは一人では作れない。
たくさんの人の力が集まって、初めて生まれる世界。
「だから私、作ってみたいんです。音と光で、みんなが“楽しい”って思える場所を。だから……その、頑張り、ます」
勢いで言ったものの、不安が顔をのぞかせて、語尾が小さくなる。
するとロベルトさんは驚いたように破顔して、そして——笑った。
「ふっ……ははっ、なるほど。“楽しい”か。……久しく忘れていたな」
笑い終えた彼は、すっきりとした顔で私を見つめる。
「聖女様、いや、ハルカ。もう一度、やり直してみよう。きっと俺たちは何度も歩みを止め、そのたびにこの気持ちに立ち返っていくことだろう。——だが、それすらもまとめて“楽しい”のかもしれないな」
そう言って差し出された手を、私はしっかりと取った。
歩みが止まっても、また進めばいい。
前だけじゃない。横でも、後ろでも、上でもいい。
大切なのは、想いを持つことだ。
練習室に戻ると、三人は待っていた。
そして、自然と楽器の音が響きはじめる。
——そして。
「……少しだけ、見直しましたわ」
エレナさんが言葉とは裏腹に、満足げな笑みを浮かべた。
私たちはようやく、夢の場所の入り口に立つことができた。




