第4話:manbiki
「な? 悪かった。オレが悪かった。謝るから」
「知るか」
舞台は変わって昼休みである。
教室中を舞う、さまざまな食べ物の匂い。ドアの向こうもこっち側も、昼休み独特の開放感に満ちたざわめきがあふれている。そして倉田の胃袋も、負けじと盛大な音で自己主張をしているようだった。
「人を嗤う人間に与えるメシはねぇ」
「だから悪かったって言ってるだろ? っていうかちょっとエガオになっただけじゃねぇかよ」
「エガオってガラかよ…」
「なぁなぁ。ほんとにマジで腹減ってるんだって」
あまりにもしつこいので、あきらはぷい、っと横を向いて昼食を続ける。賢明なのは、適当に数百円与えておとなしくさせて優雅な昼食時間を送ることだが、それにしては腹が立ちすぎていた。
立原に叩かれた時――といっても最近はいろいろとうるさいので、軽く小突かれた程度だが――のあの嶋田の顔。気分爽快、ざまーみろ、と言わんばかりのあの顔が非常に気に障るのだ。
もっとも、そもそも居眠りをしていた自分が悪いのでほとんど逆恨みだが、その事については考えないようにした。
午後も1時を回って、外から照りつける日差しは更に強さを増しているようだった。ペンケースの置いてあった場所は、すっかり熱くなっている。開け放した窓からは、グラウンドの湿った匂いが流れてきていた。
嶋田はちょっと焦ったようにしばらく目を左右に動かしていたが、「あ、そうだ」と何か思いついたように軽く机を拳で叩き、そして少しもったいつけるように言った。
「じゃあいいこと教えてやるよ。小林ってさ、万引きの常習犯なんだって」
「へ? 何を急に」
「いや、夏休みのプリント、小林に届けるように言われてたろ? 小林プチ情報だよ」
なんだか嶋田の目がマジである。お腹が極限にすいてるせいなのか、それともその「小林プチ情報」とやらがそんなにすごい情報なのか。どちらにしろ、
(ちょっといじめすぎたかな…)
そんな事を考えてるあきらをよそに、嶋田は得意げに話を続ける。
「中学生に小林と一緒のクラスだった人から聞いたんだけどさ…」
どうやら、中学生の時も不登校気味だったらしい彼女だが、よく生徒指導室に呼び出されている姿を見た人がいるらしいのだ。その時に、万引きという言葉を聞いた人がいるというのが嶋田の話だ。
「警察で働いている父さんに、『小林未來って知ってるか?』って聞かれた人もいるみたいだぜ。気をつけろよ〜」
なんだか茶化すようにして短い小林プチ情報を終わらせる。
「気をつけろよ、ったって、別に暴れるわけじゃないんだろ? 万引きしただけなんだからオレが気をつけるも何もないじゃん」
言いながら、遅刻ノートに残っていた筆跡を思い出す。それはとても弱々しくて、『万引き』という言葉からはあまりにもかけ離れている気がした。
「んなこと言わねぇで気をつけろって。んで、オレに食いモン恵んで♪」
「それが言いたかっただけじゃねぇの?」
「気にすんなよ♪」
たっぷりと肺から空気を出し切るようなため息をつき、あきらは財布を取り出した。小林プチ情報に感激したからではない。放っておいたら、今度は学園七不思議とかを話だすような気がしたのだ。これ以上くだらない話は聞きたくない。嶋田は無意味に情報通な少年なのだ。
「おっ。よっ。あきちゃん。太っ腹!」
「あきちゃん言うな。貸さねぇぞ」
「嘘! ごめんなさいあきら様!」
大きく舌打ちして、500円玉を嶋田の方に滑らせた。
「貸すだけだからな。ぜってぇ返せよ」
「返すって。さんきゅさんきゅ」
言いながらも、すでにお尻は椅子から上がっている。そして、でもさ、と空中に浮かぶ一点を見つめるような目をして付け加えた。
「成績良くてピアノ上手いのに、なんで万引きなんかするんだろ」
(え?)
ざわり、と毛が逆立つような気がした。頭に思い浮かぶのは、いつもの朝の光景。
(まさか…)
「ピアノって?」
「うん。たまに音楽室で弾いてるのを聴いた事があるってヤツがいるみたいなんだけどさ、上手いって言ってた。っていうかさっさと購買いかないとパンが〜!!!!」
「めぼしいパンはもうないんじゃねぇの?」
「なんだと!!」
言って、嶋田は全速力で駆けていった。
後ろ姿が見えなくなるかならないかの間に、鞄から住所録を取り出した。あとで確認すればいいや、と思って彼女の自宅はまだチェックしてなかったのだ。
ずらりと生徒の名前が並んでいる表の上から指でなぞる。心臓がドクドクというのに合わせて、指が微かに上下に揺れる。
(焦るなよ、オレ)
小林未來という名前を見つけて、目を横に滑らせ、書いてある住所と記憶の中の風景とを比べる。普段住所などあまり意識したことがなかったので、時間だけがかかってやきもきする。
「…マジかよ」
思わず言葉に出す。いよいよ心臓は盛大に高鳴っていた。どう考えてもピッタリとその住所と場所が符号する。何度も何度も数字を確認する。間違いない。
たっぷり数分間ほど経つと、数字の確認に飽きて窓の外を見つめる。一秒間に数ミリの単位でゆっくりと流れる小さな雲。その風景にいつもの通学路が重なって、消える。そして次に浮かんだのは、架空の玄関先だった。こぢんまりした玄関先に、パタパタと近づく足音。
(顔、見れるかな…)
現金にも、あきらの頭からは『万引き』の文字は消え去っていた。話は短かったが、500円には余る情報だった。




