マサク・マヴディル編 第2話
◇ WORLD・EYES ◇
青い燐光がその広間を照らしている。
床板も、壁の石材も、そこかしこがボロボロだ。荒廃の跳梁だ。
床に散らばる様々の武具、防具、そして人骨。糞尿の匂いも漂う。
人間たちの死は糧だ。無数の黒い塊が、天井や梁からぶら下がる。
「《漆黒群狼》」「《火炎流》」
静寂を切り裂いて、十匹の魔力の狼が突進した。
成人の胴体ほどもある炎の帯がそれに続く。
叩き潰し、弾き飛ばし、焼き払う。
蝙蝠たちの眠りは、実にその半数以上が目覚めぬものと相成ったのだ。
たちまち飛び交う蝙蝠たち。
更には人骨たちも妖気を孕みつつ立ち上がる。
「《聖光付与》」
光る長剣を手にヒュームの騎士が吶喊した。
次いで、光る斧を握るドワーフの戦士が別方向へ突進する。
やや遅れて、光る槌を掲げた少女が、端の一体へと走る。
骸骨戦士たちとの激突である。
「《風刃》」「《火線》」
頭上では風と火とが大牙蝙蝠たちを討ち減らしていく。
2人の女性が魔術を駆使しているのだ。蝙蝠たちも脅威と見たか、2人を襲う。
一閃、二閃、翻って三閃。
銀髪の女は魔法戦士であったか。目にも留まらぬ剣閃が蝙蝠を切り落としていく。
右手で斬りつつ、左手では《風刃》を放ち続ける絶技。物凄まじい。
5人の侵入者の戦力は圧倒的だ。
傷の1つも負うことなく、その戦闘は終結するかに見えた。
乱入者は地下から来た。
初めに1本。
床石を押しのけて現れた、一抱え程もあるそれは蚯蚓であろうか。
いや、先端が違う。口腔ではない。方形で多数の鉤がある。触手だ。
「下だ! 床下に何かいるぞ!」
騎士が見事な横薙ぎを打ち込んだ。刀身が半ばまで埋まる。
硬いだけでなく、しなやかで、彼の一撃をもってしても両断できない。
舌打ちして蹴りを放ち、勢いで抜いた剣を更に逆薙ぎにして両断した。剛剣だ。
それは尖兵であり、確認のための1本であったか。
轟音とともに20を超える数の触手が出現した。
しかもそれらは無作為な位置ではない。5本が前衛の戦士たちに。
残る15本以上は、魔法を使う2人を包囲する位置取りで現れたのだ。
剣も、斧も、槌も阻まれて救援などできない。
魔術の詠唱も間に合わない。軽装の2人が挽肉になるのは確定的未来か。
触手が殺到せんとした、その刹那の事であった。
「切捨丸!」
凛とした声が招くは、無数の斬撃。
恐ろしい程の質量感を伴う「両断音」が同時に、大量に鳴り響いた。
僅かの間をおいて、触手だった円柱形の肉塊たちが、ドサドサと落着していく。
あまりの出来事に、槌を持った少女の動きが止まる。
それはこの乱戦の中で致命的な隙だった。
「突貫丸!」
閃く何かが距離を超える。
今正に少女を屠らんとした骸骨戦士が四散した。
射線上にあった触手も、その胴体を大きく穿たれ、皮一枚で繋がるのみとなった。
魔法ではない。
銀髪の魔法戦士が何かをしたのは確かだ。
何か物理的な力が発揮され、見る者にそれを悟らせることなく、結果を残した。
騎士と戦士が残る触手を断ち斬り、あとは時間の問題だった。
大牙蝙蝠も骸骨戦士も、確実に討たれていく。
最後の蝙蝠が焼き落とされ、戦闘は終了した。
いや、最後の1匹が残っている。
切断された触手が繋がる先に潜むもの……それをいかにして滅ぼすのか。
魔術師風の女が、触手の開けた穴の1つに近づいた。
「《火炎流》」
穴の中に炎を流し込んでいく。1つ1つ、何かを確かめるようにそれを行う。
幾つ目であったか、ついにその炎は本体まで届いたようだ。
地響きをたてて、広間の中央に出現した大なるものがあった。
鬼岩城螺。
岩のような渦巻く殻をもつ、巻貝の化物だ。
これほどまでに大きな個体は珍しい。亜種か、さもなくば古代種であろうか。
失ったはずの触手は再生されつつあった。
姿を見せたのも追い込まれたからではない。まだ短いその触手を使うためだ。
通常の武器が通じる甲殻とも思えない。難敵だ。
5人はしかし動揺もしない。
魔法戦士が長であったか、何事かを他の4人に告げ、前へ出る。
「圧削丸!」
影だ。彼女の影から何かが現れた。
ちらりと見えたその姿は、多節の巨大甲虫であろうか。
今や凄まじい縦回転を始め、床石を砕き散らしつつ、敵へと突撃した。
触手など弾き飛ばし、岩の殻をも削り潰す、その圧倒的なまでの破壊力!
「《火炎付与》」
武器に炎を纏わせて、長剣が、斧が、槌が襲いかかる。
ボロボロになりながらも灯っていた命に、容赦なく終止符を打つために。
そしてそれは、討たれた。
一行はしばしの休息をとり、先を急ぐ。
古来より幾多の冒険者を喰らい尽くしてきた化物を倒しても、感動などない。
5人にとって、ここはまだ途中の地なのだ。先は長い。
魔物に、そして漂う空気に海の気配を感じつつ。
魔王軍特務班は進む。死地の先に魔王の降臨を信じて。
◆ アルバキンEYES ◆
虚空を飛ぶ。流星のように。
すれ違う星々はなかなかに見物だ。
宮殿の切れ端、夕焼け空の切れ端、ビルの切れ端、宇宙船の切れ端。
木、石、ヒヒイロカネ、劣化ウラン、計算式、抽象画、氷山、恒星。
何とも無茶苦茶な話だ。
全てを創れるだけの材料が、残骸として漂う虚空……成程、屑箱ね。
どういうわけか、そんな無数の塵の中で、蛙1匹選んで抱えてる俺。シュール。
ああ……だいぶ聴こえ易くなったな。ニオの歌声。
あのニノザの奴は妙なこと言ってたが、確かに嬉しそうな声なんだよな。
俺を待ち望む声、か……俺自身の尊大も卑下も無用の、無条件の待望。
生まれるって、そういうことか?
誰かに「在ってほしい」と望まれるから、命は生じるのか?
在り始める最初の瞬間は、そんな祝福に満ちているのか?
違うだろ。
それもあるだろうが、それが全てじゃない。
そういう風に生まれる命もあれば、そうでなく生まれる命もある。
こっちの俺なんて、そうじゃないこと甚だしかったじゃねーか。
ん、俺は拗ねていたのか?
馬鹿な、それほど暇じゃない。理不尽さに立ち向かう毎日さ。
這って、よじ登って、攫んで、読んで、舐めて、読んで、唱えて、成長した。
魔物を下し、魔将を下し、竜を殺し、地下迷宮を攻略し、魔境を踏破した。
あの「白」には参ったが……まぁ、立脚点を確認する意味はあったよな。
アルバキンとして在るための理由、根拠、そして目的。戦う力の源泉。
だから拗ねちゃいない。拗ねるってのは理想や幸福を前提にした感情だからな。
ああ……そうか。
そうだな。ニオ。
諦めては、いたかな……幸せになることを。
だってそりゃそうだろ? どんだけ殺してきたと思ってるんだ。
人数だけじゃない、内容も酷いぜ。命の恩人を喰って、恩人の護った女を殺して。
俺が幸せになっていいわけないじゃん。
仇を……あの蟲毒の仇を討つこと以外を目的に、生きていいわけないじゃん。
アルバキンってのは死者の代表なんだ。生者じゃない。呪いなんだよ。
ニオ、お前はそれでも。
それでも祝うのか、俺を。
そんなに嬉しそうに……歌うのか。
俺が幸せであれって、歌ってくれるのか。
それが自分の喜びであると、そんなに幸せそうに歌ってくれるのか。
……移動が終わった。
長い一本道の末端に、俺は着地したようだ。
でかいトンネル……いや、炎の回廊とでも言うべきかな。
黒い炎が渦巻く巨大な通路だ。どこまで続くのか見当もつかない。
歩く。
他に移動手段がない。歩かないと進めない。
この先を行くことが帰還なのか。ニオの歌が俺を促す。
1歩1歩が異様に重い。
虚空に満ちる透明の何かが、ねっとりと、俺の動きを阻害している。
これは……力が必要だ。脚力じゃない。魔力じゃない。進む力が。
ゲコゲコッ
おいおい、蛙は余裕だな。今更捨てるわけにもいかないが。
くそ、俺はアルバキンだぞ。力がありませんでしたで、許されるかよ!
1歩。止まる。
もう1歩、次の1歩を進ませる力は何なんだ?
どうしたらいいんだ……ニオはあんなに俺を祝福しているのに。
俺は……進まなくちゃならない。挫ける資格がないんだ。進まなきゃ。
駄目だ。ニオ、進まないよ。
先は長そうなのに……え、何だって?
え、いや、それは……しかし……ちょ、別に怖がってるわけじゃなくてだな……
ニオがそうまで歌ってくれるなら。
俺はともかく、ニオはきっと許されているから。
1回だけ……1度だけ……ほんの少しだけ……
1歩。
進めた。進めちまった。
い、いいのかこれは……許されないかもしれないぞ、この1歩は。
ニオは許してくれる。けれど皆が……俺自身が許せるのか?
俺は……俺ってやつは……
俺自身の幸せを願って、1歩を踏み出しちまった……!
◆ ガイクEYES ◆
私は龍王八仙の内の1仙、「水のガイク」。
長く大魔導師の幽閉を担当していましたが、今は光都に来ています。
父上と兄上に従ってのことですが……些か困ってしまいました。
「それがアルテイシアの幸せだと、本気で思っているのか!」
「当たり前です。わからないのは龍王の方でしょう?」
父上とアルテイシアが口論しています。
普段なら絶対に見れないものですが……今は中身が違いますから。
実際に行われているのは父上とエルフ女王との口論。
禁呪《結合憑依》。
アルテイシアの精神は封じられ、その身体はエルフ女王が操っています。
娘の身体に宿った母……何と評していいか私にはわかりかねます。
「私は娘の身をもって、娘の障害を取り除きます。意見は無用」
「そんなことが許されると思っているのか。アルテイシアが喜ぶとでも!」
「母には許されています。娘の不幸を取り除き、喜びを招く措置です」
口論は平行線です。2人とも頑固ですからね。
何と言いますか、父親の別宅で見なくてもいい夫婦喧嘩を見ているような?
アルテイシアは可愛いですが、何とも情けない状況にいる気がします。
まぁ、放っておきましょう。
2人とも私より強いですし、なるようになるしかないのでしょう……。
私が気にすべきは兄上ですね。
「すっげぇよな、オイ。アルテイシアをぶっ倒すってな、すっげぇよ!」
こうですもの。
戦闘狂ですからね、この馬鹿兄は。次の標的は魔王ですか。
魔竜討伐も終わってしまって、暇なんでしょうけど……相手死んでますよ?
無理ですよ、母上には悪いですけど。
一度『深淵』へ至った者が戻れるわけがありません。
生き返るとか、そういう次元ですらありません。相手は神ですからね。
生まれ変わるとか、生まれ直すとか、それくらいの無茶な話です。
そうそう戻ってもらっても困るのですよ。
あそこにはあの大怪獣も送られたはずですからね。
私たち龍王が総力をもってしても遂に倒せなかった、あの邪龍が。
故郷世界の崩壊時に、あの大怪獣も『深淵』へ送られたはずです。
こういう言い方もどうかと思いますが、私たちが滅びなかったくらいです。
あの化け物中の化け物が滅びたとは思えません。せいぜい漂流してもらわないと。
「どうあってもアルテイシアから離れぬか……!」
「無駄ですよ、私を封じるならば地属性が必要。出来ないでしょう?」
「くっ……知っていたか」
「何やら策動している様子。果ては50年以上の弱体化。好都合なこと」
《五A星》ですからねぇ。
もとよりエルフ女王の力を抑制することが、私たちの目的の1つだったのですが。
母上がああなってしまった以上、少々厳しくなりましたね。
純粋な戦力で見れば、エルフ女王に勝るのは父上と母上のみ。
この世界の属性相性からすると、父上では勝負がつかない。
シディーソでは少々力不足ですから……いやはや、止めようがない。
「この50年をもって、アルフヘイムを不動のものと致しましょう」
「その身体で大量殺戮を繰り返すつもりなのか?」
「まさか。光主アルテイシアは頂にて輝ける存在であらねば」
「……そういうことか」
エルフ女王の恐ろしいところは、風霊系のその大魔力だけではありません。
悠久の昔、まだ彼女が少女だったころから連綿と続く唯一の趣味……人形作り。
彼女の中では遊びの延長。
けれど、人は言うのでしょうね……死人使いと。鬼宿しと。魔性の技と。
大魔導師の技術と身近に接した今、それはどんな高みに至っていることやら。
「事の善悪を問うつもりはありません。私は娘の望みを叶えたいだけ」
「是非も無し、か……ならば私は見守ろう。龍王としてな」
ほら、何の解決も発展も無く着地しました。
50年くらい、好きにさせればいいのです。たかが知れているのですから。
特定種族の絶滅にだけ気をつけておけば、いつも通りの戦争があるきりです。
私もまたいつも通り。
この大いなる退屈を、無理なくゆったりと、ただ受け流していくのみです。
神は……あの者は……飽きないのでしょうか?
面白いのでしょうか、生き物たちの飽くなき興亡が。
飽きるのならば、神を自殺に追い込めるのですが……ねぇ?




