魔王誕生編 第3話
◆ キュザンEYES ◆
白い世界に意識だけを目覚めさせて、2ヶ月くらいか。
私を倒し封印した魔術師アルバキン……その陰惨な過去を追体験し続けている。
余りにも悲しく、惨たらしく、おぞましさに満ちていて、哀れ極まる被害者。
この白い世界に閉じ込められ、そのような目にあい、応報を誓った復讐者。
知りすぎてしまった……それが素直な感想だ。
何故、あのダンジョンで私と相対することとなったのかはわからない。
しかし父上の仰る「異変」とは、十中八九、アルバキンのことだろう。
竜を殺し、私をも倒すほどの魔力。
それぞれが強力な戦闘力を持つ配下を、ああも従える統率力。
そして……激情を制御し、悠然と笑うことすら可能な、その冷徹なる意志力。
心が半ば繋がっている私にはわかる。
アルバキンは憎悪を忘れたわけではない。破壊衝動を失ったわけでもない。
必要とあらば躊躇いなく世界を滅ぼしつくす本心を、ただ、秘めただけなのだ。
その心は静かなる湖面のようだが……仮の姿なのだ、それは。
世界を破滅させる火山があったとして、その噴火口が湖として今在るだけ。
表面に出ない分、地下には溶岩が威力を減ずることもなく増大していく……!
敵、さもなくば仮想敵と見るべきだ。
絶大の脅威であり、最優先で監視・管理・制御すべき対象だ。
だというのに……私は…………彼と戦う覚悟が決まらない。
アルバキンを知りすぎてしまった。
その恐るべき動機に、衝動に、我が意を得たりとばかりに同意しかねないのだ。
彼は……どこまでも被害者なのだから。
(おーい)
呼んでいる。
その無邪気な風の声も、邪気が大き過ぎてそう聞こえるだけだ。
警戒すべきだとわかっているのに……裏に潜む悲哀が、私の胸襟を開かせる。
(さっきの「波」で最後かもと報告しとくぞ)
……屍の中で倒れ伏し、幻覚に苛まれている状態で最後なのか?
(ああ。最後の1人っつっても、別に戦って勝ち残ったわけじゃないんだ)
周囲も似たようなものだったからな……最後まで息をしていた、ということか。
(そ。いつからか唱えてた題目が効いたのかもな)
……「認めない。許さない」と繰り返す、アレか。
(終盤は念じてただけだけどさ、念じるために息を吸うというか……そういう感じ)
不意に激情が私を満たそうとし、慌ててそれを鎮める羽目となった。
理不尽に対する憤怒。これは私の心? それともアルバキンの?
何故、どうして……何の咎があったというのだ、この者に!
このように無残に仕立てられて……笑って世界を壊す、そんな毒に成り果てて!
呪いだ。
かかる事態を引き起こし、アルバキンをこの世に生じせしめた輩は、呪っている。
2000万の魂の蟲毒……その成果でもって、世界を呪っている!
む……!?
閃くものがある。
世界を呪うもの……世界を滅ぼした者を、私は1人だけ知っている。
その者により、私の生まれ育った世界は文字通り「無」に帰した。
次なる世界をも滅ぼし……私の知る限り、今世は三度目の世界となる。
父上が追い、探り、対抗せんとする、我ら龍王八仙の仇敵……
あの者もまた、世界を呪うものではないのか?
そしてその途方もない力によって、今世に放たれた1つの呪詛……それが彼?
(おーい、大丈夫か?)
思考の海に沈むと、お互いに感知しえなくなる関係だ。心配したらしい。
(さっきも言ったけどさ、そろそろ終わると思うんだよ。この白いの)
体感としての意見だ。恐らくそうなのだろうな。
(だからさ、挨拶をしておく。お疲れ様。世話になった。健闘を祈る)
……それは、互いに身体をもって向かい合った際のことを想定して、だな?
(ああ、そりゃ殺し合いだろ。切欠や経過はどうあれ、もはや敵味方なんだから)
名乗りあえただけでも僥倖だった、ということか。
(そうだな。奇妙な縁だよ……まぁ、1対1でやろうや。恨むも自由でさ)
ふ……慣れとは哀しいものだな、アルバキン。
(今更悲劇の主人公を気取るつもりないって。殺すから殺してくれ、負けねーが)
……悪いが、断る。
(は? 抵抗する自由はあるぞ、俺にも。そこを譲るつもりはない)
勘違いするな。前提条件を断ると言っているのだ。
私に施した封印、これを解除されることを断る、ということだ。
(はああああぁぁあ!? 何だそれ! 意味がわからん……)
私にも明かせぬ立場や任務があるのだ。
それを鑑みるに、この状況は悪くない……お前を内から監視させてもらいたい。
お前は……その……泣くし、放っておけんというか……そういうのもあるしな!
(えぇー……何その脳内彼女……どういうことなの……)
む。い、嫌なのか……?
(たまに殊勝ぶるのやめてくれないか? これだから天然はよぉ……)
どうなのだ! それとも、そんなに私と殺しあいたいのか!?
(わかった、わかったから怒鳴るなって。わかりましたって)
そうか、わかったか! わかったのならば、いいのだ!
(まぁ、恩義もあるし、その分は善処してみますよ……何だこれ……)
不満なのか!?
(わーかーりーまーしーたっ! 怒鳴んなってのに、もぉ……)
これが私の結論です、父上。
報告の手段・時期はこれから探りますが……1つの確信をもって任に当たります。
異変の正体、即ちアルバキンの動向を「最も近いところ」から監視いたします。
「彼奴」の意図を探り、破り、仇を討つその時のために……!
◆ ギ・ジュヨンロEYES ◆
我輩は感動している。
見よ、この眼下に広がる光景を……もはや廃墟であった形跡は皆無!
大小様々の人造石巨人が掘り、運び、組み立てる喧騒!
岩石亜人、土地亜人といった地霊の姿も見えるのぉ。
おお、あそこで人造石蜘蛛に乗って指揮をとるのはクビの奴か。
そちらで地霊たちに混じって作業しているのはレディであるな!
殿が倒れたその日から、我々はまるで敗残兵のようであった……
それが、今やこの熱気である。
日夜休み無く建造されていくのは、殿をお迎えするための王城!
未だ半分にも満たない完成度ながら、その規模と威容には圧倒されるのぉ。
この王城に類似するものを挙げるとするならば……神殿であろうか?
地上はおろか、魔界ですら見たことのない城砦建築物である!
まず、全体構造であるが。
北東に魔境へと続く森林を背負い、二枚貝のような全体像をしておる。
中心となるのが、中央宮殿と呼ぶ高層建造物。今我輩がいる所であるな。
各種実験施設や各種倉庫、大広間や謁見の間、殿の居住施設などが入っておる。
言わばダンジョン地下60階の機能に王城の機能を加えた物であるな。
その後背、北東方面へ向けては三重の城壁が、同心円状に屹立しておる。
壁と壁との間隔は広くあり、放牧・各種栽培・練兵場・野外実験場などとなる。
この城砦で唯一、防御的に見える方角であるな!
特筆すべきは、中央宮殿から西、南西、南へそれぞれ伸びた構造体だ。
順に白馬城、美音城、灰狐城と呼称されており、3つの回廊で連結しておる。
今最も建造熱の熱い区画である!
城と呼ばれるだけあって、1つ1つが機能を完結する。
海洋船舶を巨大にしたような流線型の概観で、艦橋にあたる部分が天守であるな。
中央宮殿に後部を向けて放射状に展開しておるからして……
ここから見下ろすと、陸の船着場にも見える。規模は巨大であるが。
そして、こちらの方面には城壁らしき城壁はない。
石畳や植樹、噴水や花壇などで区画整理はなされているが……開けた城庭である。
今は大いに資材置き場かつ製材現場ではある。しかし堀を作る予定も無い。
平地の城であるのに、何ゆえ正面を無防備にするのか。
それは、ここが殿の居城であるからだ。
殿はこれまで、一度として守勢に立ち続けたことはない。
全ての障害を全身全霊をもって打ち破り、乗り越えてきた御仁である。
その殿が、強大極まる御力を備えた殿がだ。
壁に止められるが如きの敵を前に、壁如きの影へ隠れる謂れがない!
我ら臣下は、殿の意思を体現すべく常に存在する。
であるなら、王城もまた、殿の意思を体現すべきなのだ。
後背を磐石とし、前方へ多岐に渡る手段をもって攻勢をかけ続ける殿。
この眼下の光景こそは、正に殿の思想の具現。
世界へ対する殿の姿勢であり、在るがままで挑戦を布告する象徴なのだ!
熱い! 我輩は、この光景を前に雄叫ぶことを自制するのが大変である!
ここは中央宮殿最上階の真下、殿の寝所の直下である。
クビの施した付与魔術により、今は外部の音を遮断している。
それにしても振動をまでは防げんので、我輩は自重せねばならんのだ。
殿の眠りを護ると同時に、殿のお目覚めの暁にはすぐさま拝謁できる場所だ。
大変な名誉と幸運をかみ締めつつ、我輩は今日もここを守護するのである!
◆ ジステアEYES ◆
正面から槍騎兵2騎、奥に弓騎兵1騎。
体を右に倒して、水平射撃、奥の馬へ……命中! 棹立ちだ。
2騎が近接、馬を跳ばせる。驚くその首に、手挟んでいたもう一矢。命中!
「1騎抜けたぞ、討て!」
後方に叫びつつ、弓騎兵へ。矢を落とすとは未熟な奴。後衛と油断したか。
槍を突き立てる。胸部、急所だ。串刺しのまま少し運んで、払い落とす。
振り返る。先刻の1騎は健在だ。1人殺られ、1人が苦戦中。
すぐさま持ち替えて騎射。肩に命中。その隙を突け、よし、ここは済んだぞ。
周囲を見る。苦戦する味方を確認。
距離と優先度を決定して……救い、見捨てる。
「続け!」
駆ける。射る。命中!
駆ける。突く。払い落とす。
敵は退かない。こちらとしては、ついて来る分には任務を果たしている。
射る。突く。避ける。いなす。突く。
どれだけ戦い続けたのか……
周囲には敵も味方もなく、私はただの1騎となっていた。
率いていた8騎は全滅だ。
敵の方が数がいた上に、力量も相当だった。
新兵混じりでは引き離すことも叶わず……私もまた傷を負ってしまった。
一定の任務は果たした、と思う。
矢も尽き槍も折れ、あとはただ死に場所を探すだけの身と成り果てはしたが。
団長を討たれ、団が壊滅していくあの混乱の中で、こうまで戦い続けたのだ。
陛下はきっと逃げ延びてくださる。そう信じるしかない。
この身では既に後を追うこともできない。足手まといとなってしまう。
ましてや、陛下のあらせられる正確な方角を知られるわけにもいかない。
さぁ……あの岩の影など、相応しいかもしれない。
馬上にあることも既に辛い。あそこで命の最後の瞬間まで、警戒しよう。
そして1人でも敵を招き、歯と爪とを以てしても、止めるのだ。
愛馬よ、行ってくれ。
私はここに果てるが、お前は野を駆け、今少し生を長らえてくれ。
どうした、行かないのか。私は行ってほしいんだ。
お前がいると、私はお前に嫌われたくないから、カッコをつけてしまう。
疲れて……眠ってしまいたいのに、もう少し、騎士でいてしまうんだ。
ああ、それでも、この眠気には耐え難い。
きっと戻って来れない眠りなのだが、眠ってしまうよ。
皆……死なせてしまって……無能な隊長で済まなかった……ああ……
夢を、見ているのだろうか?
私はまた馬上にいる。うつ伏せで、何かで身体を固定されているようだ。
ゆっくりとした歩みに、その揺れに、意識が朦朧となる。
傷もさして痛まない……どうやら応急ながら手当てがされているようだ。
誰かが轡をとっている……誰だ……子供、なのか?
駄目だ……意識を保てない……ああ……
◇ WORLD・EYES ◇
天から眺めおろせば、それは一筋の軌跡。
大陸北部からおまけのように陸の続く大陸東部の、その南部の寒村から。
巣から旅立った小さき者は、一路、北へと歩き続けた。
この世界で最も弱く、儚く、忘れられたマーマル。その中でも小さな少女の冒険。
到底成功の望めないその旅路には、盗賊も、魔物も、飢えも、乾きも無かった。
奇跡のように祝福された、無邪気なる歩み。
1つの出会いがあった。
動物の心をよく知るマーマル、その少女は、主人を守り立つ馬を見つけた。
彼女はどうにかしたかった。提案する。一緒に行こうと。きっと大丈夫だと。
歌いながら、北へ。名も知らぬ誰かが待っていると信じきって。
やがて少女は辿り着いた。
そこは後に魔王城と呼ばれる、今はまだ造りかけの城砦。
夜を結晶して創られたかのような、魔力を帯びた黒色の、荘厳なる威容。
そこかしこに働く石巨人たちも威圧的だ。岩の妖精たちも忙しく走り回る。
歓声を上げる少女。
まとわりつき、尋ねまわり、走り、登り、跳び、笑った。
最初に気付いたのは、蒼い宝石のような美貌の少女。驚き、そして笑う。
次には、落ち着いた物腰の少年。目を見張り、そして言う。
これは啓示だ、と。
今、全世界の全種族に先駆けて、忘れられ見捨てられた種族から使者が来た、と。
絨毯もまだない宮殿の中を、少女は案内されていく。
何度も色々を尋ね、その度に少年に恭しく返答されながら、奥へ。高きへ。
白髭の騎士が護る、最上階へ。旅の終着点へ。
そこだけは豪奢に仕立てられた寝所。
この城の全てに守護された場所を、最後に護っているのは豹柄の山猫だ。
小さき少女は大きく口を開いて、けれど少年に止められた。
神妙な顔をして、本人としては精一杯の大人顔で、頷く。眠る人の近くなのだ。
そう、彼女が宝物を見せたかったその人は、眠っていた。
寂しそうだ、と思った。皆が元気に動き回るこの場所で、この人だけが音もない。
乾いている、と思った。胸にぽっかりと、大事なものが欠けている気がする。
見せたくて持ってきた、たくさんの宝物。
その中でも、とっておきの素敵なもの、新しい1つを取り出す。
荒野に命をつなぐ小川の、汚れなき水滴を集めた、それはペンダント。
透明にして、水面の揺らめきと煌きとを体現した、凛々しき龍の姿形。
誰が止める間もなく、すっと、当たり前のように、少女は置いた。
自らの宝物を、潤いでできた龍を、その人の乾いた胸の上に置いたのだ。
奇跡が起きた。
誰が咎める間もなく、すっと、当たり前のように、その人は目覚めた。
声もなく感情が大波を巻き起こす中で、小さき少女は誇らしげに問う。
これが見たかった?
その人は少女を見つめ、胸の上の贈り物を見つめ、少女に答えた。
ああ、俺はこれが見たかった。ありがとう。とても素敵だ。
微笑む。それは誰も見たことのなかったものだった。
歴史から俯瞰するのなら、それは一幕の奇跡。
魔王アルバキン。
ヒュームの歴史には「悪魔王」「災厄の邪術王」「神の敵」などと蔑称され、
エルフの歴史には「呪詛の君」「忌み子」「暗黒王子」などと蔑称され、
ドワーフの歴史にすら「破壊と創造の大王」と呼称された1人の人間。
しかし、歴史なきマーマルにおいては「まおー様」と敬愛を一身に受けた人間だ。
この場面こそは、彼がマーマルの守護者として在りはじめた、最初の瞬間。
そして魔王が魔王として世に出た、最初の瞬間である。
明記せよ。魔王はここに誕生した。




