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66:大人びたアカネとサカイ

 


 ボクたちは鏡をくぐった。


 オウマさんの瞳を通して見せてもらったのと同じ光景だ。


 けれど、まさか、四人同時にとは思わなかった。


「あれ。一人ずつなのかと……」

「私もそう思っていた。リュウ、どう思う」

「ボクも驚いてるよ」

「順番に鏡の中に入ってきたのにね。その人ごとに別れちゃうんだと思ってた。……。でもね、私は、みんなとこうして顔を合わせられて嬉しいんだあ。できるだけ長く一緒にいたいもん」


 ナギサの言葉が全て語ってくれた。

 ボクたちは背丈が同じくらいだから、みんなで顔を見合わせたら、ばっちりと目が合う。


「オーメン、リュウくんの中にいるの?」

「うん。いつもよりもボクはワクワクしてるような感じ。ククロテア王国から離れるのが少し怖くて、でも新しい未来をみたいんだろうな」


 ボクは胸に手を当てた──。


 トク、トク、トク、なんだか特殊なリズムで心臓が動いている。


 心臓の手術もしてきたから心音を聞く癖がついていて、この心音が日本の人間の体とは違うのがわかるよ。ククロテア王国でキングの魔力により作られた体だ。

 より、ワクワクしやすくて。

 より、落ち込みやすくって。

 感情がいっぱい現れるククロテア王国の体。頑丈な夢の体。


 あ! とナギサが声を上げた。


「ネコカブリちゃんの魔法の気配がする……」

「「は!?」」


 アカネとサカイが、感情たっぷりの声をあげて、即座に周りを警戒した。


 そんな二人をナギサがなだめる。


「気配だけだよ、それだけ。魔法の名残っていうのかな。……。……あった、これだ。みんながひとまとめになるように糸がくっついてる」


 ほら、と、ナギサは自分の腰のあたりに巻きついていた細くて透明な糸をたぐりよせて、ボクたちに見せた。

 それはボクたちにもからまっている。


「何か企んでんのかな」

「糸はゆるいし、ぷっつりと途切れてる。ただただ私たちに絡んできただけみたいだよ」

「まあ、そんなものか。ここは世界の境界線だし、キングの承認も降りているんだ。魂が日本に帰れないはずがない」


 うん、とナギサもみんなを励ますような笑顔を浮かべた。不安にさせるつもりじゃなかったの、と言う。この子はほんとうに思ったことが口から出ただけみたいだ。悪気なくそう言うところはあるし、人を傷つけるようなことはしない。


 もしものために教えてくれてよかったよ、とボクは声をかけた。


 ふと二人で見つめ合って、ナギサの瞳が揺れているようで、ボクはどきりとする。

 けれど、どうにも、亡骸サーカス団で培った勘のようなものまではボクの中に残っておらず……白いリュウが持っていってしまったようだ。ボクにナギサの奥深くを理解することはできなかった。


 パチリ、まばたき一つ。


 ナギサは相変わらず、ボクを励ますように微笑んでみせた。


 この鏡の中の空間に、スリットのような切り込みが入る。

 いともたやすく、そして警戒心を抱かせず、まるで当然に仲間のような雰囲気はゆかいで気安く、白いリュウが現れた。


「ヘイ! みなさん!」


「「「リュウ団長……?」」」

「リュウくん団長」

「あ、ナギサ。それもいいねっ」


 彼は転がるようにやってきて、ボクの服の裾をつかんでわんわん泣いた。

 冗談みたいな涙がぽろろんぽろろんと落ちて、足元で弾む。


「間に合ってよかったあ。ねえ聞いて欲しいんだ。大変なんだよー!」


「な、なにが?」


「人手が足りないの! ええと、パレードでいっぱい死んじゃったでしょ。彼らをね、今、ネコカブリが修復してくれてるんだけど。あ、今は悪いこと企んでないみたいだよ。可愛くしてくれるように言った通り直してくれてる。凶悪な改造とかしないの~ネコカブリったら大人しくなっちゃって。ボク団長だもんね。えっへん」


「本題続けて」


「あ、うんっ。人手が足りないからさ……」


 ボクは真剣に彼を見つめた。

 キマグレ団長やボクの知る幹部ならば、ここでボクたちを引き戻そうとしかねない。

 リュウ団長は、どうなんだろうか?


「キミたちが使い終わった体にも、手伝ってほしいなって思ってきたの!!」


「使い終わった体……」


「そう。サカイとアカネ。世界を通り抜けるときに、ククロテア王国で使っていた体は"こっちに残していく"でしょ? これまでは魂のない体は廃棄処分していたそうなんだけど、まだ使えるのにそんなのもったいないってば。

 こちとら人手が足りないんだから。ボク、キミたちの体と直接交渉するからさ。チャンスをおくれよ~!」


 にじり寄る白いリュウ、そんな動きはかわせると思っていたけど、彼は、本人の意図なくすっ転んだ。

 そしてサカイとアカネをうまいこと巻き添えにした。そういう星の元に生まれているのかもしれない。


「うわっ」

「おい、いきなりすぎるだろ」


「「……」」


 サカイとアカネが、二つに分かれた。

 そして魂の方は大人になっている……!


 少し前のボクみたいに……青年のかっこいいサカイ、女性らしい綺麗さのあるアカネ。

 服装はカジュアルで、おそらく彼らがサーカスにやってくる前の日本の服装だ。

 久しぶりにそんなスタイルを見たからなんだか逆に異国情緒を感じるくらいだよ。


 そして、沈黙している小さなピエロが二人。

 さっきまでボクらと話していた、サカイとアカネの”ククロテア王国の体”だ。

 なにを考えているのかわからない無表情でぼんやり立っていた。


「小さいサカイとアカネ……。二人とも、自分の意志はあるのかな? リュウ団長、言いくるめるのをちょっと待ってね」


「黒いリュウ、言い方ひどいようっ!?」


「「……」」


 うーん、このサカイとアカネは、感情がほとんど残っていない。

 ココロを売りすぎた直後の状態に戻ってしまったんじゃないかな。

 あれからボクらが育ててきたわずかなココロは、大人びたサカイとアカネの方にあるらしい。青年のほうは驚いた顔をしていて、感情がありそうだ。


 このままリュウ団長の方に渡してしまうのは、取引みたいで嫌だなあ……。


「ねー! ボク、もう話してもいい!? うるうる……」


 リュウ団長を、小さなサカイとアカネが「「しょうがないな」」と慰めた。


 ええ!? こんなにすぐ人らしい感情が育まれるなんて……。

 庇護欲というか……それをそそるのが白いリュウなんだろうか?

 ボク……なんか情けなくなってきたよ……?


 ぷっ、と大人のサカイとアカネが吹き出す音がする。


 そしてナギサはなぜか「かわいい!」と口走った。なんで。


「俺はそれでいいぜ。また、リュウが俺たちのココロを育てていってくれそうだからさ」

「私も問題ない。どうせ使う予定もなかった体だ。ただ廃棄されるよりは、亡骸サーカス団での経験が活かされてくれる方が無駄がなくてすっきりする」

「俺もそれも思ってるし」

「私が先に言ったんだぞ」

「「早く連れていってくれ」」


 サカイとアカネが競うようにリュウ団長に告げた。


 リュウ団長はぱああっと顔を輝かせて、それから二人の間に入って手を繋いだ。うーん落ち着く! と言ってるとおり、三人のピエロが並んでいるのはとても見慣れた光景だ。


 おそらくこれから、冷静で理性的なアカネとサカイのピエロが、リュウ団長を支えていってくれるだろう。


「……そういうことだったのかな。ネコカブリちゃん……」


 ぽつり、とナギサの呟きが聞こえた。


 ボクは思わず振り返る。


 ナギサはなんともいえない、困り笑顔とでも表現するしかないような、幼い子にしては大人びていて、けれど夢見る少女のような表情で、透明な細い糸を眺めていた。


 どうしたんだろう、どうしたの、って声をかけたかった。


 けれど、


「ナギサ~! ナギサも見つけられてよかったよ! キミは気配が希薄だから見つけにくくて、キミだけがどこかに流れていって会えなかったら、もうボクはククロテア王国を探し回ることになるところだった」


「わあ。リュウくん団長はそこまでして私を見つけてくれる予定だったの?」


「うん。だってボク、ナギサのことが大好きだもん」


「はっ!? おいっ!? なっ!?」


 ボクは口をぱくぱくさせることになった。


 なんてことバラすんだ!?


 ……ボクは抱え上げられた。

 アカネが黒いピエロリュウ(ボク)の首根っこを掴むようにしており、それをサポートするようにサカイがお腹のあたりに手を回していた。視線で叱られているような気になるんですが……ボクより白いリュウを見張った方がいいんじゃありませんかね……? ヤツ、なにを言い出すかしでかすか分かりやしないよ。


「ナギサも一緒に来てほしいんだ」


「リュウくん団長……。私の力でも、役に立てそうかなあ。もしかして、そんな小さな力なら使わなくていいから可愛く側にいるだけにしろとか、お前なんてショーに出してやるもんかとか、言わない?」


「ボクは手伝ってほしいんだもん。ナギサにそんなこと絶対に言わないし、ボクを助けて、お願いー!」


「わかった」


 なさけない……ボクは顔を両手で覆った。

 わかるんだよ。力を貸してもらえるトップとしてあってもいい能力なのは。

 ただ、すごく恥ずかしいくってね。


 それからナギサを取られてしまったのを理解したんだ。

 彼女を連れて行かれてしまうことを。

 ──ナギサは日本に帰れない。


 ……うすうす、もしかしてと思っていた感覚があって、大人の思考を手に入れたいま、ボクは駄々をこねることもできずに、理屈を抱えて納得していた。


 オーメン、ココロが大きく動いているのがわかるよ。ボクのココロに思い出と今が響いて、顔を覆った手から涙がすべり落ちていく。


 同情してくれたのか、サカイとアカネはボクをやんわりと降ろしてくれた。


 ボクのところにナギサがやってくる足音がする。軽くて、いるのかいないのかわからないくらいの足音。でも人を安心させるような近づき方をする足音だ。


 ふんわりと抱きしめられた。おそらく手で顔を覆っていたから握手とかができなかったんだろうけど……。顔を見せられない。


「いくね、黒いリュウくん。私のことも気にかけてくれた優しいリュウくんのことが好きだよ。守ろうとしてくれたアカネちゃんのことが好き。サカイくんのことはまだよくわからないけど雰囲気が好き。

 ──みんな、どうか元気でね。傷があればきちんと治そうとしてね。私はククロテア王国からみんなの無事を祈るから。リュウくん団長に頼んでネコカブリちゃんを通してだってキングに願ってでも、祈るからね。

 さようなら」


 ナギサが離れていく。


 彼女にぬくもりというものはなかった。

 死人のように冷たい体。ネコカブリの糸が絡みつく体。けれどやわらかくて人を傷つけない手をしている。


 ボクは見送ることにした。

 今度こそ、情けない呆然ではなくて、自分の意志でだ。


 白いリュウに誘われた三人のピエロが、ククロテア王国に向かっていく。

 その足取りは意気揚々としているようにすら見える。


「……アカネは、なにも言わなくていいの?」


「……いつかこうなると思ってたけど、信じたくなかったな……」


 アカネはまっすぐにナギサの背中を見て、唇を噛んでいた。


「ナギサは一度、舞台で大怪我をしているんだ。そのあとにネコカブリに引き取られた時期があった……。表情をなくして魔法も弱くなっていたから、私はショーで成果を上げて無理矢理ナギサを取り返した。ショーペアは私が守るからって思っていた。死なせやしないって。

 でも……それは、私が願った私だけの物語だった。

 ナギサに私のココロを助けてもらっていただけなんだ。

 "ナギサはその時からもう死体同然で"、魂はとっくに空に還っていて、ネコカブリがツギハギした体で動いていたんじゃないだろうか……。今の今まで、忘れていたけど。忘れようとしてたけど、でももう、現実を見るよ」


「アカネちゃん!」と──ナギサがふりかえり手を振る。

 それはおそらくアカネだけに、見捨てないでおいてくれたことを、ありがとうって言っているんだと思った。


 ボクがサカイやオーメンに対してそうだったから、こんな自分を認めてくれていてありがとうって、深い感謝の気持ちなんだろうってわかるよ。


「私、ナギサのことずっと覚えてる」

「ボクも忘れない」

「……俺も記憶力はいいからさ」


 ボクたちは”四人のピエロ”を見送った。


「リュウ団長、みんなを幸せにしてね……!」


 叫ぶと、みんなが消えていったスリットから、リュウ団長だけがひょっこり顔を覗かせて、ビシッと親指を上げたあとに、冗談めかして退場した。

 あの度胸があれば、うまくやってくれそうかな。


 さらに癒し役のナギサも加わったんだから、いいチームだと思う。

 サカイとアカネは助言をしてくれるだろう。

 脱出さえも成し遂げられたようなバランスがあるんだから、きっとうまくやる。信じてる。


 ネコカブリのこの糸の意図について想像する。

 ボクたちに巻き付けられていた糸は、繋ぐための魔法。

 ボクらが離れ離れにならないように、おそらくナギサのために、どこからともなく繋いだものだったのではないだろうか。偶然ではなく、ココロを持って。


 幹部が変わっていくことも期待できるといいなあ……。



 体が透けている。



 ”ボクたちは”、日本に帰るんだ。



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