61:転移の鏡
転移の鏡の部屋にワープしてきた。
すとん、と、浮遊しているがれきの一つに立つ。
昼間の明るいところから来たのでまだ目が慣れていなくて、周りはまっくらに見える。しだいに物の輪郭が見えてくるだろう……。
「リュウ! こっちだ!」
「! サカイ、アカネ、ナギサ。無事だったんだね……!」
(そりゃあ俺様がんばって転移させたもん)
と、オーメンが呟く。
やけに元気のない声だ。
せっかくこの転移の鏡の部屋にまで来れたっていうのに、妙にテンションが低いじゃないか。サカイたちに釘付けだったまなざしを、腕に抱えたオーメンに向ける。
「ヒビが!? オーメ……」
(あまり、呼ぶな。うん、響きすぎるからな、今は。頼むぞ)
「うん……」
オーメンが割れないように。なにか柔らかい包むようなものがほしい。あちこち移動して戦ったせいでボクの手元に残っているものはほとんどない。
ボクは、自らの帽子を脱ぐとオーメンをそっと入れた。ふわふわと空気を含んだピエロの帽子ならそんなに痛まないはずだ。
宇宙空間のようなこの部屋の中を、アカネが水の橋を使って渡ってくる。サカイが後ろに続き、ナギサをおんぶしていた。
いろいろと言いたいことはある。
喜びだけじゃなく心配や不安も。
けれどぐっと飲み込んで、最後の調整のために動こう。
「みんな。こっちにきてくれたのは助かるけれど、鏡の近くにいたほうがよかったんじゃないの? ボクたちもなんとかしてそっちに行くつもりだったよ……」
「私たちの事情を伝える。あの電車の上に転移の鏡はもうない」
「なんだって?」
「ついさっき、転移の鏡は急に遠ざかったんだ。それだけが”つままれた”ように空中を移動して、別の電車の上に置かれた。見えない大きな手が、チェスの駒をつまんで遊んでいるみたいに。近づいて、遠ざかって、近づいて、遠ざかって……」
「それで追ってたんだけどナギサは体力の限界がきたから、俺がおぶってる」
ナギサが「面目ないよ~う」とふにゃふにゃの声で返事をした。
疲れているだけみたいだから、その点ではホッとした……かな。
「見てろ」
アカネが口元に手のひらを当てて、
「ムムリノベール!」
と呼ぶと、
「チューウ!」
と声が聞こえてきた。この空間の遠くから、でも果てしない遠方ではなくて、なんとかがんばって目をこらしたら見えるような場所で。頑張ってみようかなと目標にしたくなるような場所で。
それが、何度も遠ざかるって?
いやらしいな。
「リュウ。この空間はおそらく”ドーナツ型に”されている。いつまでたっても遠ざかる鏡との追いかけっこが終わらないというわけだ。それともリュウがいれば終わるのかもしれないが」
「どうしてそう思うの?」
「なんとなくだ。私は勘が鋭くてな。リュウがはじめた脱走劇なのだから、リュウがやってきてようやくシナリオが動くんじゃないかって思ったんだよ──」
アカネは腰を下ろした。
サカイも。つられて、ナギサも。
2人はもうココロを売りすぎてしまって自分で意欲的に考えることができない。
だから思ったことだけ伝えたあと、こうすればいい、という意見には至らない。
ボクだけが立ち尽くしている。座るわけにはいかないから。
別に、みんなにやる気がないわけじゃないんだ。
「なに苦笑してるんだ? やれることができたら呼んでくれるだろ?」
「それまでは体力蓄えとくさ……ふわ~ぁ……ぐぅ……」
「サカイくん寝ちゃったね……」
「ほっとけ。いるようになれば起きる」
シンプルなだけ。
あ、もしかして。
ココロってきっとブレーキの意味もある。
ブレーキがない魔法は激しくて容赦がない。
ブレーキがないと私生活の方は、わがままになるのかもしれないな。そうして煮詰まったものが幹部だとして、サカイやアカネのシンプルなわがままならば、平和的でボクは好きだ。
二人が平和的でいられるのは、まだ、誰かを殺したりしたことがないからだろう。
やがて幹部にされてしまうはずだ、このままサーカスに居続けたら。
幹部が抜けた穴は誰かが埋める必要がある。また大量のピエロがさらわれてきたら教育係が要るでしょ?
そうさせたくないから、サカイとアカネを何としても元の世界に帰したい。
もちろんボクとナギサも戻りたい。
オーメンだって日本に旅行にくればいい。
頭を動かそう。
「試してみてもいい?」
「「わかった」」
サカイとアカネが立ち上がる。
ナギサはサカイに背負われている。さて……。
「ボクとアカネがまず鏡を追う。サカイとナギサとオーメンが反対側に飛んでいくんだ。そうしたらどうなるかな?」
「了解した。リュウは私の手を取れ。そうしたら水圧で飛んでいける」
「了解した。じゃあナギサにオーメンを渡しといてくれ。俺は翼で飛ぶことに専念するから」
「真似すんな」
「そっちこそ」
「もーアカネちゃんもサカイくんも喧嘩しないで。せっかく縫い合わせた二人の喉が壊れちゃうよ」
ナギサの言う通り、サカイとアカネはつぎはぎだらけだ。
けれど痛々しくはあるものの、チグハグではない。
ネコカブリのように別物を勝手に組み合わせたのではなく、元の体に”治そう”という治療の糸がナギサのココロであり魔法なのだ。
「ボクは二人が安全な方が嬉しいなあ。日本に帰ったらまたたくさん話そうね」
「「うん。(……ギロッ)」」
「あはは、二人ともリュウくんに会えてはしゃいでいるみたい。さっきまで途方に暮れてたんだよ。何度も何度も試してね、ココロがもうなくなってしまうんじゃないかとも思ったんだ。私たちは繰り返すことしかできなかった。でも潰れる前にリュウくんはきてくれたね」
ボクは、そんなにたいそうなことをしてただろうか。
キングの手のひらの上で転がされていただけのピエロとも言えるだろう。キングという存在がいて、このサーカスの至る所に目を向けていられたなら、神様のような存在ならば、ボクとオーメンが脱走を企てたところから観劇して愉しんでいたのかもしれない。
何人も不可能だった脱出劇をここまで進められたのは、”進めさえてもらえたから”なのかもしれない。
こんなふうに今思うのは、ボクの警戒心だ。
ただただボクの実力だなんて思ってはいけない。足元をすくわれないように。慎重に。鏡の前まで来たからこそ。だから選ぶべき言葉は。
「ボクはラッキーだった。みんなもラッキーだったんだ。だから、鏡を通り抜けるまでもラッキーなはずだよ」
勇気付けることができますように。
サカイとアカネは口元を吊り上げた。
ナギサにはメガヒットだったようで、ケラケラと笑ってくれた。
クスクス、という笑い声が混ざっていたのと、オーメンが(げっ)と言ったのは聞かなかったことにしよう……。
まず動こう。
ボクたちはラッキー! 思い込め!
ナギサにオーメンを託し、サカイたちが左側へ。
アカネが腕を引いてくれて、ボクたちは右側へ。
ひといき飛ぶごとにナギサの治療の糸はほどけていき、けれどやることがシンプルにまとまっている二人のショーマンは止まらない。恐れることもない。ボクがラッキーを与えるならば、受け止めることを決めてくれているからだ。
きっとラッキー。
そんな顔で励まして。
ピエロをしてきたんだからカラ元気は得意中の得意。
とっておきの笑顔で強がりをして。
「リュウのこと引っ張りやすくなった」
アカネが唐突にそんなことを言う。
「本当?」
「ああ。体が成長したから手足が伸びていて大きく早く動いてくれるだろう」
「アカネの身長に追いついたから足のコンパスが同じくらいなのかも」
「それだけじゃない。大きく早く動いてくれるんだ。昔よりもお前は転ばない。上手くなったんだな、リュウ」
「そんなこと言われたら……嬉しくて涙目になっちゃう」
足を一つ前に、病院着のような白い服の裾が前に。
足を一つ前に、サーカスの幕のような黒い服の裾が前に。
それを繰り返して、やがて辿り着く。
「転移の鏡。捕まえた。──うわ!」
「チュウ」
「ムムリノベルもお疲れ様。もしかして一緒にあちらにいきたい?」
「チューーウ」
「噛まれた」
そうではないみたいだ。
ムムリノベルの気持ちがわかる。ココロパレットの同じ絵の具が伝えてくれる。
ムムリノベルは自分の居場所をこねくり回した相手をこらしめてやりたかったのだ。だからこんなにも執念深く鏡を見ていてくれたのだった。
それと、ボクらは友達になったから。
ムムリノベルは去っていった。
「さあボクらも行こう」
マスターキーは刺さっている。
この世界のものは持ち越せないから、ククロテア王国で作られた衣装や生の体は置いていく。
魂はするりと鏡を通り抜けるだろう。
四人が横に並ぶ。
ナギサがどこか不安げにボクの服の裾を引いた。
「大丈夫だよ」
「そうだね。私も覚悟を決めたんだもの。亡骸サーカス団のピエロでいるのはもうやめることにしたんだ」
彼女がはっきりと言うのは記憶を思い出したからなのかもしれない。
ボクらは思い出すことで、このククロテア王国の縛りから放たれる。
ボクは日本の病院に入院する病弱な青年だった。
先の見えない未来にしょぼくれている日々だった。
けれど、目標を持ち生きてみるという感覚を脱出劇をとおして掴むことができたから、戻れば未来はきっと明るい。今よりはね。
ボクの名前は火野川龍──
「”オーメン・ニムロデノイン”」
ぱりん。
唱えられたのは呪文だろうか。
キングの声がわりこんできた瞬間、オーメンの仮面は砕け散った。




