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57:トラウマの猛攻

 


 トラウマの空間魔法──それはククロテア王国の空間の一部分を借りて、そっくり自分好みに変えてしまえるというもの。


 もちろんこの場合は、オーメンを殺すための攻撃フィールドになっている。


 巨大化したコードネーム:トラウマが見下ろすような構造。

 闇のカーテンが包むような閉ざされた空間からは逃げられない。

 足元はといえば、ドレッシングルームの床を広げたくらいの円状のスペース。

 そこから落ちれば闇の奈落だ。体も魂もどうなってしまうのか未知である。


(おーこわ)


 オーメンは震えた。このようにココロを開いていることが、たとえ無様であっても、魔法の強さになるからだ。

 とりつくろってはいけない。勝ちたいならば。


(勝利条件はトラウマを倒すことだろうな。こうなってしまえば、どこに俺様が逃げたとて、追いかけてくるはずだ。

 そうすれば空間魔法は自動的に解ける。──おっとぉ!?)


 何かが高速でオーメンのところにぶつかろうとしてきた。


 それをなけなしのワープ魔法でかわす。


 しかし足場の範囲は床のところに限られている。


(ワープと相性が悪りぃ~!)


 ステップを踏んで格好良く横に避けたものの、オーメンは舌打ちをすることになった。


 すぐそばにあるのは、灰色の巨大な”腕”だ。


 腐肉を詰め合わせた灰色の巨人の手が、腕の半ばで切断されていて、断面は魔法科学金属の黄金がリングになっており、トラウマの指示に合わせて自在に動く。尖った爪はフルムベアーよりも鋭く──(っとお! やばいだろ!)オーメンをかすめた。

 連続パンチのように繰り出される。


挿絵(By みてみん)


 トラウマの頭部にちょこんと飾られた老婆の仮面は、ケタケタと壊れたように笑いっぱなしだ。


(でも煽ってきたりしねえ〜。あのトラウマのことだから言いたいことはどれほどでもあるだろうに。ってことはこのフィールドを維持する負担は大きいはずだ。なにせ一つの世界の、一部分を借りているんだから。そんなものは一人のココロの手に余るんだよ……せいぜい壊れないといいな! んでも俺様がお前を壊すんだけどさあ!)


 オーメンは迷った。

 このようなセリフを吐くかどうか。

 そうできたら、トラウマを煽って混乱させることもできるだろう。口八丁には自信がある。元団長なのだから。


 ……けれど内心で叫ぶだけにした。

 声にしてこの世界に発したとたん、きっと世界に鮮明に刻まれる。オーメンという存在が。


 それでは、この体がリュウのものであるということが忘れられてしまうかもしれないではないか。


 地味でいい。

 黒子でいい。

 だからどうか誠実に、親友にして欲しいとまで願った君に、また目を覚ましてもらうために。


 オーメンはリュウのココロの隙間を借りながらも、リュウを飲み込もうとはしなかった。


 自分とリュウの境目をもうけて、なおかつ勝つときめた。


 両者、無言。


 オーメンは”ちょいちょいと手のひらを自分の方に向ける”その仕草で、かかってこいよとトラウマを挑発する。


 その仕草は”格好いい”──トラウマはそんなものが大嫌いだ。自分が手に入れられなかったものなのだから。

 綺麗なもの、素晴らしきもの、高貴なもの、上品なもの、手に入れられなかったからこそサーカスの頂点となったらそれらを踏みつける機会に恵まれる。団長になりたい!今ならなれる!


 流れるようなこの思考を(しているのだろう。お前さんはそうだろうから)とオーメンは元団長として冷静にみる。


 そんな存在はサーカスに誘わなければよかったじゃないかって?


 トラウマだけが特別悪いやつなのではない、誰にでもある衝動がここでは発散されやすくなっているだけなのだ。


 かつて、ここを訪れた外部の人が「人は社会的生き物である」と言った。

 生き物としての本能よりも社会グループに留まろうとするからこそ理性的になれるさみしがりやだ、と。それゆえに社会グループに染まりすぎて時に凶暴になってしまうことも。

 亡骸サーカス団はまさしくそうだと、旅人はそのように批判した。

 団長であった自分には、その発言はひどく新鮮に聞こえたものだ。


(……ああ、俺様の記憶が思い起こされていく)


 生身の体を使わせてもらっているゆえに。


(……まずいなあ。リュウを染めてしまわないようにしないと。けれど、これで新たな魔法が使えるはずだ。魔法はココロで使うもの──)


「ピストル!」


 迫ってくるトラウマの拳をステップで避けながら、油断したトラウマが覗き込もうと頭をオーメンに近づけた際に、オーメンは服の袖からピストルを”マジックのように出現させて”その引き金をためらいなく引いた。


 何度も、このように引き金を引いた。

 何人も、こうやって使い捨ててきた。

 何度も、断末魔の声を聞いてきた。

 何人もが、団長を呪う言葉を吐いて死んでいった。


 やがて、そういうものに耐えられなくなっていった。


 なぜか? ──ククロテア王国に渡ってくる旅人がたまにいた。

 教えてくれた。外の人たちはどのように考えているのかを。

 社会的生き物なのだそうだ。人間は。団長は、そうあるべしと目的を定めてククロテア王国に生まれさせられた”住人”であった。であれば、人でもあるゆえに外の思想にじわじわと染まってしまった。


 外の話は魅力的で、刺激的で、面白くて、こんなに楽しげなものがあるのかと夢中になってしまうのを人間の知的好奇心というらしい。果てのない強欲でもある。


 そして、サーカスのシステムに耐えられなくなった。


 そんな時、悪魔の誘惑のようなことを囁いてきたのは誰だったっけ──まだ思い出せないけれど。


 かくして、そのような積み重ねがあり、団長もといオーメンは誰かを殺すことにためらいなどないのだった。そんなものを持ってはいけなかった。蓄積してきた手の汚れがあるのだから。


(俺様でリュウを染めたくない! 余計に! あ〜最悪の思い出し方したなあ。ただ、手遅れになる前でよかった、か~?)


 スローモーションのように、銃弾がトラウマの頭に吸い込まれていくのが見えていた。


 仮面越しにオーメンは瞬きもしなかった。


 あの弾はトラウマに当たる。


 そして、フィールドが解けたら、リュウの体を鏡のそばに動かしていき、そこで意識を譲ってやればいいのだ。仮面を取ればいい。オーメンのことをリュウは連れていってくれるだろう。

 もしも、オーメンの穢れに気づかれて拒絶されたとしても”それはそれで構わないとも思う”。


 思った以上に自分は汚れていて、思った以上にリュウのことが好きだったのだ。


 そしてここまでやらせてくれたので、スッキリしていた。


 オーメンを縛り続けていたサーカスはもう終幕を迎える。


 一緒に焼け落ちるのも、悪くはない。


 最高ではないが、悪くはないのだ。


 ようやく、悪くない──。



 悪い悪い悪い悪い。

 悪い悪い悪い悪い。

 お前のせいで貴方のせいであんたのせいで。

 憎い悲しい辛い怖い許せない──。


 散々言われてきた言葉をゆっくりと無限の地獄のようにリフレインしながら、オーメンはまるで団長に戻ったような心地になりながら、その弾丸の行く末をみていた。

 それは未来に繋げるための一発だったのだから。


 ズドンと脳天を一撃、のはず。


 しかし、弾丸はトラウマに届く前に”消え失せてしまった”。


「は?……──は!?」


 思わず声に出てしまったほどだ。

 信じられなかった。あの魔法はこれまで散々使ってきた、この世界で動く体を破壊してしまうものなのだ。


 それなのに、あんなに苦しめられたのに、それでも使ってきたのに、使わせられてきたのに、それなのによりにもよって今、使用禁止・・・・!?


 ギャアアアアア──アア……? ハハ、ハハハハハハ!!


 と爆笑しているのはトラウマの頭部のガイコツ。


 それもまた、必殺の速度でやってきた銃弾に撃ち抜かれて死ぬつもりだったに違いない。

 それゆえの、すっとんきょうな笑い方となったのだ。


 つまり、トラウマではない何かの介入によって魔法は消されてしまったらしい。


 オーメンの方が死ね、ということだろうか。


(まずいまずいまずいまずい。トラウマの急所の頭部はもうはるか上に遠ざかっちまった。

 おまけに暗闇の中からいろんな魔法科学の道具がこっちを狙ってやがる。来るぞ、殺すことをしそこなった俺様への反撃が、殺されそうになったなら殺される前に殺すのが当たり前だもーん!)


 オーメンはマントを千切るように持ち、ぶん投げられてきた大砲の弾だとかをひらりとかわした。

 これはマントを掲げることで自分のスマートな体がどの辺りにあるのか、錯覚を起こさせるむずかしくも簡単なマジックだ。


 こんなもので長持ちはしない。けれど負けるつもりはみじんもない。


(んーとえーとそーだ! ここを誰かがみていて介入するというならば、面白いショーならば、終わらせるつもりにもならないだろう?)


 弱者が虐げられる予定調和の亡骸サーカス団の舞台?

 そんなものよりも新しいものを見せてやれる。


 オーメンは自分のココロの側で、リュウの意識が目覚めてくれることにかけた。


 親友になりたいとまで思った相手のことだからけっこう知っているつもりだ。


 こういう起こし方はどうだろうか。


「うわーん! 俺様ピンチー! リュウ助けてー!」


 ……団長姿のまま思いっきり叫んだので、あまりのギャップにトラウマは唖然と固まった。


 ……そのすきに、オーメンの姿は変わり始めた。




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