44:リュウの小さな脱出劇
ボクたちはひとつの脱出を果たした。
──亡骸サーカス団の、とある遺体安置所を抜け出すことができたんだ!
少し前。
ナギサが遺体安置所にひょっこりと現れて、ボクのことを助けてくれた。
彼女は腰にロープを結んで経路確保をしたあと、舞台裏の換気口にもぐりこみ、這うようにここまで進んできたのだという。
フトッチョであれば無理矢理通っていた広さだけど、小柄なナギサやボクならたしかにここを通れる……。
ムムリノベルが事態を知らせてくれていたらしい。炎の中に映像を描く魔法で、ボクたちの危機を伝えた。
ナギサが伸ばしてくれた手の感触を、生涯忘れられないんだろうな。
彼女もきっと、連れていく。
そう思ってしまった。
オーメンともココロが通じ合っていたよ。
だから"ボクら"の目標は、アカネとナギサとそしてサカイ、ボクとオーメン──。
人は贅沢になっていくものだ。
いつか、ほんとうの脱出をしよう。
「チュウ!」
「あ、ムムリノベル! キミもありがとう。おかげで、息苦しい遺体安置所で窒息することなく、あの場所で狂うこともなく、幹部にトドメを刺されることもなく、ボクは脱出することができました……!」
「チュウチュウ」
「ゲホゲホっ」
換気口を通り抜けてきたとき、すっごくホコリまみれで汚かったから、全身がかゆい気がしてくるよ……。
ここはとっておきのカードを使おう。
清掃カードを、4枚使い。
倉庫掃除版だからこそ渡されていたものだけど、自分たちに使ってしまおう。贅沢だな。
だってこの先のパレードでケリをつけるつもりだから。
(泣いても笑っても、そこでの働きでリュウたちの運命は決定となるだろう)と、オーメンは大真面目に告げた。
ボク、オーメン、ムムリノベル、ナギサはすっきりと綺麗になった。
ナギサは清掃の光に包まれているのが面白かったのか、ネジ巻きで踊るアンティーク人形みたいにくるくると踊った。可愛いな。
「ゲホっ」
「リュウくん、大丈夫?」
ナギサがボクの背中をさすってくれて、小首をかしげている。
ああ……これまでよりもボクの背中は上の方にあり、また成長が進んでいると気づいたらしい。
ナギサがジーと見てくるので、一応話題をそらそう。
「ボクは大丈夫。ナギサの体調はどう? キミは換気口を往復で行き来したんだから……」
「平気だよ! 私、体に痛覚がないんだぁ。だから狭いところを無理に通っても、お腹にロープをくくりつけて引っ張っても全然平気なの。疲れないの。回復魔法をちょっとだけ使えるピエロだから、頑丈? なのかな?……だからいいの! しょんぼりしないで、ねっ」
「わかった」
わたわたと袖を振るナギサに、ボクは申し訳ない気になる。
「ありがとう……」
ジワリと、自分嫌さに冷たい汗がにじんだ。
実は、さっきナギサが遺体安置所に顔を出した時、疑ってしまったんだ。
トドメを刺しに来たのかと思った──。
あの場所で、がごん、と換気のプロペラが真横に落ちてきたのはナギサのおっちょこちょいのせいでした。
暗闇でらんらんと輝くあやしい瞳。魔法カードで夜目を利かせていたからでした。
こっちにおいで、と呼ぶナギサからはなんだかトラウマの香りがして……それは、ボク自身がそんな呼びかけに嫌な思いをした過去があったからでした。
当初、ナギサについていく気になれなくてボクは長く項垂れていた。
けれどナギサは、彼女自身にも危険が迫っていたのに、声をかけ続けてくれたんだよね。
”出られるところまで私が連れていくから”
”出たいんだよね、リュウくんは”
……ボクのことをよく理解してくれていて……。
ナギサのすごいところは、誰かを思いやるときに、自分のことを犠牲にさえできてしまうこと。なかなかできることじゃない。
ボクはけしていい人間じゃない。
ううん、嫌なところがある人間だよ。
ナギサのことを疑ったり。さっき、ごめんね。わざわざ口に出すことじゃないから言えないけれど……本当に感謝しているんだ。気持ちを込めてナギサを見つめていた。
「リュウくん」
呼んでくれる声の優しさ……。
生涯忘れたりしないだろう。
ナギサはボクを助けてくれた女の子。
「リュウくん、この廊下、暗いよねえ。床が傷んでなくてギシギシの足音はしないけど……そろそろ舞台入れ替えの時間だから、誰か通るかも。別のところに行こっ」
「うん」
ボクは白い仮面をかけて、鋭く周りを見渡した。
するとナギサはほとんどない生命力を必死に働かせている。
逃走劇をしたのだから疲れたはずだ。
それに腰に紐を巻いていたことを忘れてる……このまま動き始めたらナギサは転んじゃうだろうな。
「ナギサ、腰紐を解くからちょっと待ってて。動かないで」
「くしゅんっ。わ、わ、リュウくんが近くて前髪が鼻をくすぐったよ~。あはは」
ドキっとする。
ナギサが近いことを意識してしまった。
アンティークの人形箱に入れられているポプリの花びらと、赤ん坊のミルクのような香りがしていて……。
ギクシャクしていたボクの肩口から、すらりと剣先が突き付けられた。
ぴと、と底冷えするような冷たさで剣先が頬に当てられる。
「近すぎだコラ」
アカネ〜。
すっごく低い声〜。
これはオペレーション・ナギサ守りの姿勢だ。
おそらく下手な接近をしてしまえば、彼女のレイピアがボクのことをぶっさすに違いない。
ナギサにセクハラなんてしてはいけない、絶対。してません。ほんとです。
「ああああのね、ナギサの腰紐がなかなか解けなくて。切ってあげてくれる?」
「いいだろう」
あっさりとアカネは紐を切る。
紐の先は柱に結ばれていたので、そこをジーと見たアカネは、無感動な感想を口にした。
「不用心だな。けれど他に方法がなかったんだろう。ムムリノベルの知恵入れか」
「アカネちゃん、その通りっ。探偵さんみたいだねっ。舞台お疲れ様ーっ」
「ああ」
疲れたようにひと息ついて、アカネはナギサをそっと抱きしめた。
充電中、って感じだ。
アカネの表情がなくなっている……。
さっきショーをしたはずだから、その時に魔法を使いすぎたんだろうな……。
アカネはナギサを離して、ボクに向き直る。
がらんどうの瞳はごっそりココロを奪われている証で、まるで繊細なガラス細工のようだ。人がココロを失って、物になっていく途中のような印象がある。
けれどしばらく前に彼女が決めていた意志はゆるぎなく、アカネをここに来させてくれたんだろう。
「リュウ。サカイのところにはたどり着けなかったらしいな、その感じでは。──これから先のことを教えて欲しい。サカイを連れてこられず、奴はパレードで使われるはず。死んでしまうかもしれないな。そんなものが迫っている今、リュウはどんな道を選ぶんだ?」
アカネの質問はありがたかった。
あくまでボクの意志として尋ねてくれているから。
ここで、全員巻き込んだリーダーとしての決定を……なんて言われ方をしてたら、その選択の重さにひるんでしまっていたかもしれない。
ボクだから選ぶ道。
それなら即答できるよ。
「サカイを助けだす、それから小さなピエロたちも巻き込んで、亡骸サーカス団から脱出したい。たくさんのピエロが殺されるパレードを最後までやらせたくもないんだ」
このことはオーメンと考えを話し合った。
数人が逃げ出そうとして、周りのピエロ全てが敵になるのでは勝機が薄い。
それならばピエロを敵にしない方法をさらに進めてしまおう、と。
詳細は詰めていないけど、いい考えがある。
「了解。私もそうしよう」
アカネはすんなり同意した。
ボクの額から汗が垂れる。
「言っておくが、リュウ。私はもう、感じることがほとんどできない。従わされる怒りも、失敗への恐怖も、極端に薄くなっている……。このままではいいように使われていずれ命を散らすはずだ……。おそらく誰に従わされても同じなんだ。だったらリュウの作戦にのっかるのが最良だ、という流れをすでに選んでいる」
最後にしっかり一言、付け足す。
「これがいい」
その声はやっぱり無感動で。
ここまでアカネを追い込んだのは自分も影響を与えたのだろうこと。
それでもボクは同じ道しか選ばなかっただろうということ。
一人でできない弱者のくせに高望みをやめられないということ。
でも、高望みをしなくなってただ強い力に屈するならば、それはすなわちサーカス団の下級ピエロとして死ぬ道しかないということだから──。
その道は一番最初に、それだけは選ばないと決めたから……。
「俺様もいるぜ」
オーメンがボクの肩のところに浮かび上がる。
そう、オーメンも、自分の力では至らないからボクに助力を求めてきたんだよね。
ここにいるみんなが、支え合って生き延びている。
ココロを守るため、それゆえにたまにココロを削りながらも。
──頑張ろう。
感傷に浸るのはここまでにしよう。
「えええ、なあにこの子! ムムリノベルちゃんのお友達?」
ナギサはオーメンを見て驚いている。
「よっ。ナギサお嬢さん。俺様はオーメン、ナイスガイだ」
「ナイスガイ……? あははっおもしろーい」
ガイっていうか、仮面だよね。ナイス仮面。
オーメンはマントを纏う紳士みたいに優雅に、仮面に曲線をつくりながらお辞儀をした。
「俺様とナギサ、トモダチ?」
「お友達になりたいの? いいよ」
「俺様ってばサーカスの外に出たいの! 協力してくれるかい?」
「どうしてサーカスの外に出たいの?」
「外の世界を見てもっとサーカスへの理解を深めたいからさあ。悪いようにはしないからっお願いっ」
「わあ、それならいいよ、いいよーっ」
「きゃーっアリガトーっ☆」
そんなキャラじゃないだろ。オーメン。
ナギサ用、ってところなのかな……。
ボクの横で、ちゃき、とアカネが剣を構える音がする。これはもう体に刻み込まれた条件反射に違いない。オーメンその辺りでナギサへの干渉をやめておいたほうがいいよ!
オーメンを取り上げて、ボクの頭にいったん乗せておく。
サカイがたまにしているみたいに、飾り仮面として。
ボクはオーメンと白い仮面の二つをつけているからか、ナギサはキョトンとした。
それから、にぱっと微笑む。
「私、オーメンとリュウくんに協力するね。二人とも大切な友達だし、アカネちゃんも同じ気持ちみたいだから。ええと、それで、さっきドンドン語られてよくわからなかったんだけど、サーカスのためになる? みんなが考案した? 作戦があるの?」
「うん。ショーのプログラムみたいなもの。って言っても、ボクたちは下級ピエロだからよくわからないよね。そうだなあ、倉庫掃除を楽しくするクリーンレッスンみたいなものかな」
「わあ!!」
クリーンレッスン、は倉庫番を任される下級ピエロたちが行なっていた「倉庫掃除きついから精神的にだけでも楽しくなんない?」という取り組み。
いうなれば現実逃避。けれどそれによって、長いこと働けたり芸のレッスンにもなっていたりした。
「今度は私たちがわからない例えなんだが」という上級ショーマンのアカネや、「ああ、あれね」といつから見ていたんだお前はと言いたくなるオーメンの相槌。
けれどそれすらも聞こえなくなるくらい、ナギサの目の輝きに吸い込まれそうだった。
「いつもワクワクさせてくれるんだよ。リュウくんのお話って。だから聞かせてほしいんだ」
ボク、お話が得意でよかったな。
あの日本の病室で読書ばかりしていた日々が、報われたような気にさせてもらった。
その大人びた思考を総動員して、最後の調整をする。
まだ洗脳されているナギサの前で、すべての作戦を話すのかどうか。
罠かもしれない。あらゆるマイナスの可能性を脳の中で転がす。
それから最後はココロの声を聞いてみよう。
ココロの声は白い光みたい、マイナスの可能性は黒い闇のよう。
どちらからも目を逸らさない。
──ボクは、ナギサに微笑みかけた。
「ナギサにも聞いてほしい。いいよね、オーメン」
「俺様、賛成。そうしねーともう間に合わねーもん」
パレードではサーカスの幹部たちがこれまでになく容赦無く、ピエロたちを使い潰してゆく。
ボクたちは脱出したいのなら、小さな力を組み合わせるしかない。そして力を貸してくれた存在を使い捨てたりせず、ボクたちらしいココロを保ったままで、脱出をしなければならない。
「ねぇ、楽しみだね!」
にこにことしているナギサを見ていると、ふっと肩の重さがマシになるような感覚がある。
このようなピエロのココロの輝きに、観客たちも魅了されているのだろう。
「二手に分かれるよ。ナギサとアカネたちは小さなピエロたちに声をかけて、ボクとオーメンはパレードに乗り込むことにする──!」




