42:サカイとオウマ
──一方その頃、サカイは絡まれていた。
地下の虹回廊に置かれているサカイの檻の隣には、もう一つ、檻がある。
そこには同じく、パレードでショーを披露する役柄に選ばれた”先輩ショーマン”が収められていた。
名前を”オウマ”。
もともとは”逢魔が刻”から来ている名なのだと、知ることになったのは、このオウマがとてもおしゃべりだから──なのであった。
このように。
「だーかーらーさー。そんなに顰めっ面してるともったいないわけ。周りがどんな環境であろうが己の精神は自分で選んでいいんだぜ……苦しいからといって落ち込むのではなく踏ん張り、悲しいからといって泣くのではなく己のココロの豊かさに気づき、怒りがあれば筋トレをするエネルギーに変、え、る、ん、だ、ぜっ」
「俺の前で腹筋をするな。暑苦しい」
「楽しい気持ちを忘れないでいるってこうやるだと、先輩のオウマさんが生き様ってやつを見せてやろうというわけよ。苦しさは気持ち、だったらよ、気のせいにできちまうのでは」
「お前のせいだって理解していないのか?」
「話しかけるたびサカイから言われているけど、よそはよそ、うちはうちなんでな。俺は挫けない」
「視界から消えてほしい……」
「檻がある限り、そりゃあ無理ってもんだろうよ!」
檻は二つに分かれている。
が、距離は近い。
ギリギリ手を伸ばして届かないくらいの距離だ。
(慣らさせようとしやがって)
サカイの新たなショー・ペア候補。
連れてこられたのがこの”オウマ”なのであった。
オウマはこれまでに【パレード】を二回も経験している優秀なショーマンだ。
そのため、初参加のサカイの見本になると告げられている。
なんとも安直な、そして人手不足の、サーカスのぺらぺらの目論見のよう。
(けれど安心はできない)と、サカイは睨んでいる。
サーカスの決定は安直だが、このオウマというショーマンがどうも”きな臭い”と感じていた。
いつも同じようなハイ・テンション。
いつも同じよう──つまり、ココロのコントロールができているということ。
いつ”切れる”か分からない他の幹部とも違う。
それほどのメンタルを持ちながらも、まだ幹部に上がらずに檻の中のショーマンに甘んじているというのも不思議であった。まるで彼の意志通りのようであり、洗脳されているようでもなく、けれど言動はどこまでも得体が知れないのであった。
(ああ、くそ、頭がぼーっとする)
サカイが目を擦ると、新衣装の袖口は肌を引っ掻く。
赤を中心にした炎のショーマンだったサカイは、ココロを売ることによって仮面と衣装が変化し、炎を冷まされたような赤紫色を纏った。
感情が燃え上がれば煌々とし、激情が落ち着けばマグマが冷めた時のような黒色にも変わる。ココロを晒されているかのようで嫌な気分になる衣装だ、とサカイは皮肉げに笑うが、表情は一切変化のない無表情だった。
オウマは時折、ジーーとサカイを眺めてくる。
それもむかついた。
(リュウだったらここで、”君らしくなくて嫌だなあ”とか言って静かに心配してくれそうだ。あいつは相手を尊重するやつだから)……などと思い、サカイはだるい体の調子から気を紛らわせようとする。
「ンー! その衣装、やっぱ似合ってんじゃーん! 何が不満なわけ? それとも俺がお前の感情を読み取れてないだけ!?」
(こいつ、うるせええええ)
グッ!と親指を突き立ててのアクションがやかましいオウマ。
サカイは、親指を下に向けてみせた。
「ウケる!」
(……どこがベストパートナーだ……合わなさすぎる。事故だろこんなの……)
リュウと組んでいたときには周りからつり合わないと文句を言われていた。
けれどリュウだったら、サカイが落ち混んでいるときにはそっとしておいてくれた。
サカイが励まして欲しいときには、くだらないプレゼントをくれた。
洗脳されていたこともありプレゼントは倉庫のゴミのようなものだったけど、素直な労りの気持ちが、随分とサカイを安定させてくれたのだ。
サーカスに洗脳されていたって、芯のところでは、リュウはリュウのままだった。
それゆえにサカイは、日本の思い出を失わなくても済んだのだ。
ブツブツブツブツ……
ブツブツブツブツ……
サカイは頭を項垂れさせて回想に耽っている。
オウマはスッと手を下ろした。
にこやかな表情のまま後ろ頭をぽりぽりかいて、サカイを見透かすように観察する。
「あーあ。完全にトランス状態に陥ってんなあ。おーい、おーい。今は俺の声ももう届きやしないみたいだねえ……」
オウマから見たサカイは【異常状態】だ。
だらりと体の力を抜いて、立てた片膝に体重を預けている。
そのまま寝そべってしまいそうなくらいなのに、少しも倒れそうにない。疲労しているくせに、現実を敵視するあまり一切気を許せない臨戦態勢なのだ。
数多のピエロを見送ってきたオウマだからこそ分かる。
外からちょっかいをかけようものなら、サカイは自身を壊すほどの大魔法を放ってみせることだろう。
そこに理性なんてものはない。
感情に支配されている。
己の世界に入りこんで、己のココロとだけ会話をしているような状態。
己の望むものにすがることで、ココロを保とうとする。
それは、”ココロを売った後のショーマンであれば当然の副作用”──。
オウマは周りを見渡した。
(ここに、コードネーム:トラウマがいなくてよかった)
彼女は、トランス状態のピエロの声を聞くことで完全掌握を試みるのが常套手段であった。
まずはトランス状態に陥らせるための”精神干渉魔法”これはココロを売らせること。ココロのガードを下げさせておいて、わざわざトラウマを見せ、トラウマを見たくない!となれば「トラウマを見せない主導権は私にあるんだよ」と、奴隷の完成だ。
幸せの錯覚をくれてやれば、トラウマに懐くことすらある。
オウマが気づいたこのサーカスの仕組みの一つだ。
今のサカイに話しかけることは、ナシ、とオウマは判断した。
こういうときには、腹筋をするに限る。
30、40、50、60……
ブツブツブツブツ……
ブツブツブツブツ……
二つ並んだ檻の中、一人ずつの、相容れない子どもたち。
片方は、呪詛のようにつぶやき続けるネガティブな赤紫。
片方は、汗をしたたらせて己を鍛えるポジティブな黒緑。
異様な光景をみるものは、他には誰もいないようだった。
ようやくサカイの独り言が落ちついてきた。
それとともに、曲げすぎていた背中を伸ばして、サカイの目つきがきりりと引き締まる。さっきまでの焦点の合わなかった目は、やっとオウマをみた。二度見した。
(──あいつめ、逆立ちしてやがる!?)
「おい、なんなの?」
サカイはせっかくの気合いが霧散していくような気がしていた。
このまま柵に攻撃すらしてやろうかと思っていたのに。脱出という言葉が頭の端で煮詰まり焦げ付いてすらいた。
オウマは意地悪く笑う。
「お前こそなんなんだよ? そんなふうに自分の内心ぶちまけちまってさ。俺がそれを利用して、親しいふりをしてリュウくんとやらに近づいてさ、サカイの言動の真似事をしてすっかり仲良くなっちまう〜とか心配しなくていーの? 言っとくけど俺、人望あるよ? 人にモテるタイプだし? この檻から出されることだって俺様には可能なんだからな、はっはっはっは」
「──ないだろ、人望。不祥事起こしてサーカスに縛りつけられてるだけのくせに」
「口が悪いな!?」
「そっちも前に口を滑らせてただろ」
オウマは(まだ回想に囚われているらしい)と分析する。
サカイは、オウマが”己をコントロールできるピエロ”だと警戒していたはずだ。
けれどすっかり”筋トレバカのハイテンションお兄さん”だと誤認識して、油断している。
オウマは(やれやれ甘いなー)と肩を竦める。
(ま、アイツは、どちらかといえば【リュウ】に関心のリソースを全部割いているんだろうな。ココロを売った直後のヤツは、リュウという名前にも”誰だっけ”と言っていて……ショックを受けた顔をしていたっけ。思い出せたのは大したもんだけど。
もしも俺がサカイの不利益になれば攻撃で跳ね返せばいいと、これまではそれでなんとかやってきたことが、俺にも通用すると油断しているのかねー。しばらくは騙しておいてやろーっと)
オウマは、サカイのことを評価している。
ここに来た時の基礎力に加えて、伸び代もある。
最近ちょろちょろと暗躍しているらしい元ショーペアのリュウについても気になってきた。
だから、少々胸を貸してやってもいい、と思った。
サーカスのパレードを、二度も生き抜いたトップ・ショーマンなのだから。
そんな彼のことを、とある幹部は”ドリーム・ジョーカー”などと呼称した。
「あー。俺も過去の回想とかしちゃったな。つられたのかね」
「?」
オウマは、檻のすみっこに無造作に置かれていた”ヘルメット”を持ってくる。
ドクロのような形状で曲がった角がついており、光をのみ込む闇のような色をしていた。
ココロを80%も売ってしまった結果、仮面が、このような形状になったのだ。
それでいて廃人となっていない。驚愕の精神強度を見せている。
オウマの魔法が一つ、発動する──。
──ヘルメットから取り出してみせたのは”牛丼”であった。
ほかほかと湯気を立てている。
サカイのお腹が自動的に”ぐぎゅるるる”と鳴る。
(なんでだよ! なんだあれ、おかしいぞ、俺は一切腹が減っていなかったはずなのに……!?)
「ははは。食べたいだろうなあ。そういう精神魔法がかけられている牛丼、だぜ⭐︎」
「へんなことに労力を使うな」
しかし檻の隙間から差し出されると、サカイはたまらなくなって丼を受け取ってしまった。
ああ、手を伸ばしてもギリギリ届かないのに、牛丼だけは届いてしまうなんて。
アホな運命である。
やけくそのように食べ始めるサカイは、しかし生来の行儀のよさが出ている。食べ姿は綺麗だ。そのことから読み解けるサカイの転移前の姿というのが想像しやすくなった。
頬に米をつけるくらいガツガツと食べたオウマは、にっかりと笑った。
「ごちそうさま。さて! サカイが食べ終わるまで、この俺が、ココロとカラダとピエロと死者の国ククロテアの仕組みを説明してやろうかね」
(飯の肴にしては重いなあ…………)




