40:霊安室で
「ここは……」
まわりが真っ暗だ。
オーメンが魔法カードを使ってくれたおかげで、床に叩きつけられることはなかった。
暗闇に目が慣れてくると、ここには「台」がたくさん置かれているのがわかった。
そしてその上には、長細い黒い袋。大きさは1メートルから1・5メートルくらい……かな。
嫌な、におい。
鼻の奥がヒリヒリして、今の今まで考えることを拒否していた、おそろしいにおい。
立ち上がろうとすると、いつのまにか震えていた膝がカクンとバランスを崩した。
ざらり。
手をつくと、床の手触りが異様だった。
薄い膜が固まって、がさがさと割れたような、かけらが指にくっつく。
とたん、現実がのしかかってきた。もう目を反らせない。
ブワっと鼻に届いたのは、ひどく乾いた古めかしい血の匂いだった。
──。
────。
「リュウ! リュウ! リュウっ!」
オーメンがなんか叫んでる……。
ボクはオーメンに背を向けて、立ち上がって、走り出していた。
においがしないところへ。できるだけ遠いところへ。ここじゃないどこかへ。
いたくないよ、いたくないよ、いたくないよっ。
「開けてええええ! ここから出してえええ!」
「落ち着け! それは壁に書かれた扉の絵だよ。出口なんかないって思い知らせるための悪趣味なしかけだよ。だからいったん落ち着いて、とりみだすなって! 自分を見失うな、リュウ!」
「わかんない! わかりたくない! ヤダヤダ! こわい! ここから出してよ痛いよーーっ!」
「ああもう、ここの空気が悪すぎるんだな……死んでいったピエロの遺体安置所なんだから。それにリュウの魂の性質は、よそのものをよく観察して”理解”してしまう。自分じゃない誰かを”トレース”しちまってんだよ、それはリュウの苦しみじゃないよ!」
「うわああああああん」
「……」
ボクは声が枯れるまで、泣いていた。
もう涙も出なくなっているのに、泣き続けていた。
ただただ悲しみがこみあげてきて、大きな感情にのみ込まれていた。
そして泣き止んだのは、あらゆる泣き方というのを試した後だった。
うわあああん、とも言ったし。
ぎゃああああ、とも叫んだ。
あ”ーーーーっ、と枯れた声も出した。
そして、ようやくボンヤリしていた頭が、ボクのものに戻ったような気がしたんだ。
視界に、キラリとしたものが光る。
透明な液体が入った瓶を、オーメンが差し出している。
「ほらよ。水、のんどけ」
「……ゲホっ」
「しゃべらなくてもいいからよ。なんか用があったらココロで語りかけてくれ。ひとまずお疲れさん。はーー、やっとリュウの表情に戻った」
「……」
こくりこくり、と少しずつ水を喉に入れて行く。
ここにいる遺体……に、申し訳なく思った。
おそらくさまざまな苦しさとともに死んでいったボクの先輩にあたるかわいそうなピエロたち。
こうやって誰かから、水をもらうこともなかっただろうな……。
そんなみんなの前で、ボクが水を施されていることが申し訳なくなる。
そう思いながらも飲みきるくらいの図太さにまた、自分が嫌になる。生きている人間のなんてしぶといこと。…………。
(ボク、共感しすぎてたんだね……驚かせてごめん)
(ああ。正気じゃなかったのは見ていて明らかだった)
(さまざまな後悔や絶望や願望がね、ないまぜになってボクのココロを震わせていて、無視なんてできなかったんだ。みんなよく頑張っていた、それなのに、届かなかったんだよ……悲しいね)
ボクの頬を、またしても涙が流れていく。
(そうやって泣いてもらえて救われただろうさ。そのココロの名残のようなものたちが最後に言えなかったことを、リュウが代わりに叫んでくれたから、なんかさ、心残りが減ったんじゃねーかなぁ)
(……そうだったらいいな)
(そうだろうさ)
オーメンは妙に確証を持って言う。
ボクも、おそらくそうなんだろうという感覚があった。
さっきまで重々しかった胸の内が、軽くなっていたから。論理的な証明ができないココロというふしぎな存在を、ボクはたしかに体感してる。
ココロは存在していて、どのような思想を持つのかによって周りにも影響を及ぼすのかな?
そしてココロ残りが消費されたら、消えてしまうこともありえる?
なんとなく、繋がっていく。
ココロは、どのような思想を持つのかという個人差がある。それは周りにも影響を及ぼす。ココロは使われてしまえばやがて消えていく消耗品。
亡骸サーカス団の”魔法”のようだね。
ボクがかつて憧れていたもの。
今は、手段として使っているもの。
気づけば、オーメンがしげしげとボクの顔を眺めている。
近くにいてリンクしたココロが、思想を読み取ったのかもしれない。
「……リュウ、お前さ、発想力がすげーと思うぜ……?」
(ありがとう? 想像したから何が変わるってものでもないけど。どうして亡骸サーカス団のようなところがあるんだろう……)
「……」
(……うーん。まださっきまでの残留思念がボクに影響を与えてるみたいだ。もしかしたら今の発想も、ボクのものじゃないのかもしれない。亡くなっていったピエロがようやく実感した、経験値のようなものを受け取らせてもらったのかも)
「どうしてなんだろうなあ……俺様も分からねーよう……」
(亡骸サーカス団はただの”モンスターハウス”ではない感じはしているんだ。モンスターハウスっていうのはね、ボクが読んでいた本のジャンルの一つで、人が入り込んでしまう魔境のこと。──迷宮のミノタウロス。閉鎖都市のゾンビ。古い家の殺人鬼。プライベートビーチのサメ。とかね……。
そういう偶然的なものではないんだよね)
ボクはいそいで頭を働かせる。
さっきまで残っていた思念がどんどんと消えているから。成仏っていうのかな?
感じられなくなってしまう前に、今の感覚を理解しておきたい。
理解しておいてあげたいんだよ。
(どうしてこんな場所があるんだろう。たまたま訪れてしまったわけでもなく、誰かが意思を持ってボクたちを連れてきているククロテアノのサーカス。何らかの理由でショーという労働をさせている。苦しめたいわけではなく、洗脳までしてサーカスの利益を上げている。
”失敗作”はサーカスの警備に回したり、死体はネコカブリがいじったりして再利用してる。
このサーカス組織を回していくこと自体が目的なんだ。お客様を呼んで。クロロテア王国のKINGにパレードまで見せて。どうしてそんなことをしたいんだろう。
ああ、推理小説みたいになってきちゃったね)
「……」
(ああ、ああ、ここまでみたい……。もう頭がすっきりしちゃってて、さっきまでの悶々とした思念がなくなっちゃったなあ……白い仮面をつけて強調することができなくはないけど)
「やめとけ。精神状態=死、なんてことになったらどうすんだ」
(だよね。でも、ボクがこうして考察をしようとするのは、脱出の目的のためじゃなくて、今だけはね……)
「わかってるよ」
(ううう……悲しい)
「優しいな。お前は優しいやつだよ。ありがとうって、俺様から言いたくなったぜ。なんとなくだけど。ありがとうリュウ」
ボクは頭を横に振る。
この言葉を喜ぶような余裕はなく、優しいというのはボクの本質じゃないと思ったからだ。優しいというのは自分が傷ついていても他人を気遣えるような、ナギサのような子がもらうべき。
ただ、オーメンは自分が言いたかったんだろうな。
首を横に振ったボクを否定せずに、オーメンが自分が言いたくて、ありがとうって繰り返しているんだ。
どんな気持ちなのかはわからない。
けれど、そうしていないとオーメンも狂ってしまいそうなのかもしれなかった。
だってこの部屋は、残留思念を少々消化したからといって、あまりに重苦しい。
においは最悪で、汚れっぱなしの床に悪寒がするし、息はしづらく……
……
……ということは、密室ではなくて換気の場所くらいはあるってことか。
死体が置きっぱなしで処理が進むわけもなく、誰かが死体を入れ替えたりと、ここで作業をしたりもするのだろう。そのための出入り口であったり、換気口があるんじゃないかな。
さっきの壁に書かれた絵は悪質だったけれど、本物の扉がどこかにあるのでは。
耐えきれなくなったらそこから出られるように、探しておこう。
感覚を鋭くするとまた”意識を持っていかれそう”だったから、感情を”ストップ”させるような感じで、ピエロの仮面をココロにかぶせて、作業的にまわりを探っていく。
「うわ。リュウ、ステージ用の笑顔でここにいるのちょっと引く……」
(うるさいよ!)
オーメンを叱る。
……久しぶりの軽口だ。
……交流することでちょっとは足が軽くなることを知っているボクは、オーメンに構い続けた。
(俺様ってこんなうざかったの? これまでウザがらみしちまって、なんかごめんな)とまで言わせてしまったので、少し反省はした。
出口らしき扉は見つかった。
換気口も。
その下に陣取ると、かろうじて通常くらいには息ができる。
鼻はもう麻痺していて嗅ぎ分けができないくらい。
こんなところに落とされて、精神的ダメージを受けただけで終えてやるもんか。
ここでのことを全て経験値にしてやろう。
ねえ、ピエロのみんな。
返事もないけど、ココロで語りかける。
換気扇の向こうから、放送の音が「ググググッ」とかすれて聞こえる。
「新しい作戦を思いついたよ。どうかな。オーメンに聞いて欲しい」
「どんなに最低な作戦であろうとも、オッケーって言ってやるから泣きそうな顔をするなよぅ。ここから先は泣きすぎたら目が潰れちまうぞぅ。さっき泣いたので泣き納めだ。さて、ここからは困難の予行練習ってことにしよう。がんばって脱出していこうぜリュウ♪」




