5. 転がり込んできた
そういうわけで、私は婚約者となる予定のアマーリア嬢の元へ向かっていたのだが、完全に足が止まってしまっていた。
アマーリア嬢の前に、私の友人である隣国キルシーの王子、ウィルフレドが立っているからだ。
今、目の前で、なにかとんでもないことが起きている。
なんだこれ。
二人は熱っぽい瞳をして見つめ合っている。そしてウィルに至っては、背中が痒くなるような愛の言葉を彼女に投げかけている。
周りにいた来賓たちも、それを呆然と眺めていた。二、三歩下がって彼らのために場所を空けているので、そこはまるで劇場の舞台を思わせるような空間になってしまっている。
残念なことに、私にはわかってしまった。
これ、世紀の大恋愛とかに発展するやつだ……!
ええと、この場合、私はいったいどうしたら。
正直なところ、頭の中の混乱は、先ほどコルテス子爵の二女を見たときの比ではなかった。
まったく解決策は思いつかないが、とにかくなんとかしなければ、という焦りで頭がいっぱいになる。
そうしている間、楽団の奏でる重厚な音楽が、二人の出会いを演出し続けていた。
これは、曲を止めるべきでは。
慌ててそちらに視線を向けると、指揮棒を振るう音楽家は目を閉じていた。力強く腕を振り、それに合わせて頭を動かしているので、彼の汗がチラッと散って、シャンデリアの灯りを受けて輝いた。
ノリにノッている。
だめだこれ。
そんな風に呆然としていると、恐ろしい言葉が耳に届いた。
「私はあなたのためなら世界のすべてを敵に回しても構わないというのに」
おい、ウィル。なんてことを言うんだ。
その敵に、我がセイラス王国も入れているんじゃないだろうな。
もしかして、このままアマーリア嬢が私の婚約者だとウィルに言ったら……考えたくない、恐ろしい。
でも考えなければ。そしてこの状況を、なんとかしなければならない。
けれどなにもできなくて、呆然と立ちすくむ私の背後から、ぬっと従者が現れた。
そして囁く。
「レオカディオ殿下」
「なんだ」
「陛下の御言葉をお伝えします」
「聞こう」
安堵の息を吐く。救いの声だ。
「婚姻相手の変更です。コルテス子爵の二女を連れてこい、とのこと」
「わかった」
まさかこんな形で、婚約発表が無事に終わらないとは思ってもみなかった。
しかし、呪いだなんだと悲観している暇はない。
こんなことでキルシー王国との関係が悪化することだけは避けたい。
流れ始めた川を止めることはできない。
婚約者の入れ替わりだ。それで事を収める。
つまり。あの可愛らしい妹が私の妃となる。
……いいんだろうか。
そんな不安が頭をもたげてくるが、私はそれを振り払った。
いや、いいも悪いもない。それしかないのだ。
覚悟を決めると私は顔を上げ、あの子を目で探す。
すると。
「そんな気してた!」
彼女は人ごみに押されたらしく、よくわからない叫びを上げながら、とっとっと、とまろび出てきた。
危ない、ととっさにそちらに駆け寄る。
……とてつもない幸運が転がり込んできた、ような気がした。
しかしこれは、この子にとってはどうだ?
アマーリア嬢もそうだが、この子にとっても、望んだ婚姻ではないだろう。
まだアマーリア嬢は覚悟を決める時間があったかもしれないが、こんなに急に婚約者にさせられて、この子にはその覚悟を決める時間もないのだ。
申し訳ない。けれどそれしかない。
私は彼女の前に手を差し出す。すると彼女もこちらに手を伸ばしてきた。
その小さく柔らかな手が触れ……いやけっこう硬いな。指先が硬くなっている。
子爵家の令嬢とはいえ、裕福な土地ではないから、彼女自身も働くことがあるのだろうか。
「コルテス卿の二女に相違ないか」
「はい」
彼女がうなずく。
くっ、可愛い。
「こうなっては致し方ない。私の婚約者になってもらう」
私のせいじゃない。私はまったく悪くない。だから頼むから納得してくれ。
すると彼女は、淡々とこう返してきた。
「やっぱり」
「やっぱり、とはなんだ」
「それしかないかなあって」
「それしかないな」
……なにやら、そう混乱していないような雰囲気だ。
肝が据わっている。見た目とはずいぶん違う印象だ。おろおろするだけかと思っていたのに。
ならばこのまま、進めよう。
大変申し訳ないが道筋は作るので、なんとかしてくれるとものすごく助かる。
私は愛の劇場を繰り広げている二人に歩み寄って話し掛けた。
「ウィル、私の婚約者を紹介しよう」
「ああ、そうなのか」
どうやらウィルも『喜ばしい報告』が私の婚約発表だと気が付いたようだった。
私は彼女の手を引いて、軽く前に押し出す。
仕方ない。名前が朧気なんだから、私から紹介できない。
申し訳ないが、自分でなんとかしてください。
……いや待て、アマーリア嬢には王子妃に足る素養があるという話は聞いている。淑女教育をみっちり受けていて、なんの問題もないと報告された。
だが、この子はどうなんだろう。報告書になにも書いていなかったから、当然、そんなことも書いてはいなかった。
いや、姉妹だし、大丈夫だろう……? 他国の王子に挨拶するくらいは……大丈夫……だと思うんだが。
今さらながら、そんな不安を覚えてしまう。
すると彼女は堂々と、美しくドレスの裾を持ち上げ、淑女の礼を取った。
「ご拝顔賜り光栄ですわ、ウィルフレド殿下。わたくしは、プリシラ・コルテスと申します」
本当に、肝が据わっている。思わず感心してしまった。
見た目よりずっと、しっかりしているんだな。きっと姉妹ともに、みっちりと淑女教育を受けたのだろう。
私はホッと、安堵の息をついた。




