77. 急造の婚約者ですが
私が先に登り、途中の太い枝までたどり着くと、レオさまも座れるように少しだけ先端のほうに寄って腰掛ける。
この枝もまるで「座ってください」とでも言っているみたいな太さと頑丈さで、本当に登らずにはいられない木なのだ。
少ししてから枝に到着したレオさまは、私の横に腰掛けると目を凝らして前方を見る。
「本当だ、洞窟が見えるな」
「でしょう?」
私たちは並んで枝に座り、足を投げ出して、しばし洞窟のほうを眺める。
今はもう衛兵の人たちが中を片付けてしまっているはずだ。遠くてよくは見えないけれど、きっと空っぽになってしまっているのだろう。
いろいろあったなあ、となんだか感慨深い。本当に、ついさっきのことなのに。
レオさまはぐるりと辺りを見回したあと、木の上のほうに視線をやる。
「もっと上まで登ったら、コルテス領が見渡せるかな」
「いえ、そこまでは」
「登ったことがあるんだな」
くつくつと笑いながらそんなことを言う。
「コルテス領は、気に入りましたか」
私がそう問うと、レオさまは小さく首を傾げた。
「気に入っていないように見えるか?」
「いいえ。でも、いろいろあったし」
「確かに蒼玉以外はさして豊潤ではないし、田舎ではあるが、それゆえにいいところもある。人は気さくでおおらかだ。それに私にとっては自由な場所だな。一人でフラフラ出歩けるなんて、今までは考えられなかった」
遠くを見ながらそう言うレオさまの横顔を見ながら、私は心の中で胸を撫で下ろす。
レオさまは正面の洞窟のほうに視線を移すと、続けた。
「外からどう見えるのかと思って、一度、洞窟の位置に注意しながら森の中を歩いたことがあるんだが」
「いつの間に」
「本当に上手い場所にある。ちょうど枝で隠れたり、境目が重なったりして、ものすごく見つけづらいんだ」
そう言ってから苦笑した。
「プリシラが木に登らなければ、きっとずっと見つからない洞窟だっただろうな」
「私のおかげですか」
「だからといって、また木に登れとは言わないぞ」
「わかってますよ」
そう言って口を尖らせると、レオさまは、ははは、と声を出して笑う。
けれどその笑い声もすぐに消えて、レオさまは目を伏せた。
「問題が片付いたのは片付いたが」
「はい?」
「結局、ディノ兄上が全部解決してしまったな」
しょんぼり、といった感じの声でそう言う。ずいぶん気落ちしている様子だ。厄介ごとは解決したというのに。
やっぱり優秀な兄君を見て育って、理想が高くなりすぎているんじゃないだろうか。
「そんなことないですよ。レオさまもがんばりましたよ」
「いや、でも……守れなかったし」
そう言って肩を落とす。
がんばったし、頼もしかったのになあ。必要以上に考え込んでしまっていると思うんだけれど。
うーん、こういう姿、前にも見たな。
そうだ、誕生会のあとの、レオさまとの小さな夜会だ。
今はまだ飲んではいないはずだけれど、すぐに考え込む質なんだろうと思う。
「レオさまは、ちょっと簡単に落ち込みすぎだと思います」
「簡単には落ち込んでいない」
「そうかなあ」
「そうだ」
私の言葉にレオさまは口を尖らせる。む、ちょっと可愛いな。
「でもその割には、私、レオさまが落ち込んでいる姿ばっかり見ている気がするんですけれど」
「ばっかり、なんてことはないだろう」
「いや、ばっかり、ですよ。最初から落ち込んでいらしたもの」
「そんなことはない。ごくたまに、だ」
「ごくたまに」
「ごくたまに」
どこかで聞いたような言い回しですね。
「大丈夫ですよ、レオさまはとても頼もしかったです。レオさまのおかげで助かったんです」
私がそうきっぱりと言うと、レオさまは薄く微笑んだ。
「プリシラは、いつも私の欲しい言葉をくれるんだな」
「そうですか?」
「ああ」
うなずくと、背筋を伸ばして私のほうに振り向く。
真剣な眼差しで、まっすぐに見つめられて、自分の頬が染まるのを感じた。
レオさまは、やっぱり、綺麗だ。
なんだか気恥ずかしくなって、慌てて視線を逸らして言った。
「実は、わ、私も、そう思っていました。レオさまは、私の欲しい言葉をくれます」
「え、そうか?」
「他にもたくさんありますけど、わ、私の、蒼玉……とか……」
ちらりと横目で見てみると、レオさまの身体がわずかに揺れた。
「あ、ああ……」
「あの、あれって、あのときの……その、夜会のあと、えっと」
酔っ払って眠る直前に、私に言ってくれた、魅了の言葉。
しどろもどろになっている私を見て、レオさまの頬も染まっていく。
「そ、そうだな」
つまり、忘れていたわけではない。
「その……、覚えていたんですか? 忘れたふりをしていたんですか?」
「後から思い出したんだ」
赤くなった頬を隠すように、左手で顔の下半分を覆いながらそう言う。
そうだ、お願いしてみてもいいかな。
今、誰もいないし。こういうときに、聞いておきたいかな。
「あの、もう一度、言ってください」
「え」
レオさまは驚いたように顔を上げてこちらを見ると、何度か目を瞬かせた。
「聞きたいです」
私がそう言ってじっと見つめると、レオさまはさらに真っ赤になった。もう辺りは茜色に染まりつつあったけれど、きっとそのせいじゃない。
レオさまは肌の色が白くてつるっつるだから、赤くなるとすぐにわかるんだ。それで嘘がすぐに見破られちゃうんだ。
だからきっと、ウィルフレド殿下に言ったことは、嘘じゃなかった。
『妹のほうを好きになってしまった』って。
それならそういうことは、ちゃんとレオさまの口から聞きたいんだ。
「さ、さっき言っただろう」
「もう一度」
身を乗り出してそう言うと、しばらく視線をさまよわせていたレオさまは、観念したのか、うん、と一つうなずいてからゆっくりと口を開いた。
「私の……」
うん。
「私の、そう……」
がんばって。
「私の……」
戻った。
「私の、蒼ぎょ……」
あと一息ですよ。
けれどレオさまはそこで両手で顔を覆って俯いてしまった。覆った手の隙間から声が漏れ出る。
「いや無理だ」
「諦めないで」
「そっちこそ諦めろ」
ため息をつきながら、自分の両手から顔を上げる。もうそんなに赤くなっていなくて、ちょっと呆れた風だ。
むう。難しいか。
ならばもう少し、わかりやすく言います。
「レオさま、私はですね」
「うん?」
「もしかしたらレオさまは、お姉さまのほうが妃にふさわしいと考えているんじゃないかと思ってですね、不安だったんですよ」
「そうなのか」
「はい」
うなずくと、レオさまは斜め上のほうを見ながら、何ごとかを考えている。
だから、聞きたいんです。ほんの可愛らしいお願いです。ダメですか。
私がなにも言わずにじっと見つめていると、しばらく視線をさまよわせたあと、ぼそぼそとレオさまは言った。
「私は最初から、プリシラのほうが可愛いと思っていたぞ」
「最初?」
「私の誕生会で、私たちが入場するとき。目に付いたから……」
ごにょごにょとそんなことを言う。
そうだ、あのとき、目が合ったと思ったんだ。
本当に、こっちを見ていたんだ。
「だから私も、あの二人に謝られると居心地が悪くて」
「ああ、それで『謝るな』って」
「そう」
そうだったんだ。レオさまも一緒だったんだ。
謝られるのはおかしい、って思ってくれたんだ。
ん?
いや、ちょっと待って。今、『私も』って言いましたね。
あの洞窟でウィルフレド殿下とお姉さまに説教していたの、やっぱり聞いていましたね。
「私は逆にプリシラは、急に婚約者に仕立て上げられて、本当は嫌なんじゃないかと思っていた」
けれどあの話を聞いて、そこで誤解は解けたんだ。
でもちゃんと、言いますね。では聞いてください。
「まさか。だってレオさまは、誰より素敵ですから」
こういうことは、目を見て言うことでしょう。
周りには誰もいませんから、慎み深くなくてもいいと思いますし。
私たちの、愛の劇場です。
「私もあのとき、素敵だなあ、と思って見てました」
レオさまはしばし言葉を失って、私のことを見つめていた。
少しして、絞り出すように言う。
「本当か?」
「本当です」
私たちの視線が交差する。
お互いがお互いの瞳を見つめている。
「私、レオさまのこと、好きです」
その言葉は、するりと私の唇から滑り落ちた。
するとレオさまも、柔らかな微笑みを見せてくれる。そして言ってくれる。
「私も、プリシラが、好きだ」
ちゃんとお互いの目を見て。心が通じ合って。それはとても幸せなことで。
こんなことが私の身に起こるだなんて、思っていなかった。
するとレオさまの綺麗な顔がこちらに近付いてきたから、私は目を閉じる。
それから一瞬だけ、唇に柔らかな感触があって、すぐに離れていった。
ゆっくりと目を開けると、そこに翠玉色の瞳がある。
しばらくそうして見つめ合っていたけれど、顔に熱が集まってきたような感覚があって、我に返ってしまう。
「あああの」
「いやっ、これは」
すぐさま私たちは二人とも、自分の顔を両手で覆った。
恥ずかしい。これは、恥ずかしい。
愛の劇場を飛び越えてしまった気がする。
「まっ、まあ、結果的にはあの二人のおかげということなのかな」
照れ隠しなのか、ものすごく早口でレオさまは言った。
それからフッと笑うと一息ついて、感慨深げに続ける。
「さんざん苦労させられて振り回されたが、あの二人がいないと婚約することもなかったかもしれないと思うと、複雑な気持ちだ」
「私もです」
そう言うと、レオさまはこちらを見て口の端を上げた。
「二人に感謝するか?」
「感謝はしません」
「そうだな」
そう言って、ははは、と声を上げて笑う。
風に乗って、わずかににぎやかな声が聞こえてくる。そろそろ宴会が始まるのだろう。
レオさまは気を取り直したように、ぽんと膝を打った。
「では宴会に顔を出すか」
「はい」
木を下りると、馬を繋いでいるところまで二人で並んで歩く。
レオさまは、今日は飲むのかな。
もしかしたらホセさんは我慢しきれなくて飲み始めているのかな。
だったら酒豪っぽいベルナルディノ殿下も飲んでいるのかな。
お姉さまとウィルフレド殿下は、お湯浴みをしてさっぱりして、宴会に参加しているのかな。
クロエさんは参加すると言いながら、忙しく立ち働いてしまっているのかな。
その辺りにいた領民たちも、混ざってしまっているのかな。
皆でワイワイと飲んでいるのかな。
きっと楽しい宴会になる。忘れられない宴会になる。そんな気がするんだ。
私は隣を歩くレオさまの綺麗な横顔を見上げた。
レオさま、飲んだら言ってくれるかな。
一番美しい蒼玉って。私の、蒼玉って。
飲んでなくても言ってくれると嬉しいけど、今はまだ難しいみたいだから、そのうち普通に言ってくれるといいな。
セイラス王国の王子さまたちには、そういう才能があるみたいだし、期待しておこう。
するとレオさまが私の視線に気付いて、こちらに顔を向けた。
それから、キラッキラの笑顔をくれる。
それが嬉しくて身体を寄せると、おずおずと肩を抱いてくれた。
うん。
ちょっと歩きにくいけれど、嬉しいものなんだな、これ。
大好きな人に触れられるのは、とても嬉しい。レオさまもそうだといいな。いや、きっとそうなんだ。
私たちはきっと、ずっとこうして歩いていける。
急造の婚約者ですが。
私たち、仲良くやれてるみたいです。
了
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