69. 守ってくれた
王太子の「待てー!」という声の残響を聞きながら、私たちは三人ともがしばらく肩で息をしていた。
少しして落ち着くと、お姉さまが私の前に座り直して、目を吊り上げて声を上げる。
「もう!」
「お、お姉さま?」
「もう! もうもう!」
お姉さまは両手で拳を握って、それを何度も自分の膝に打ち付けていた。
「もう!」
顔を真っ赤にして、ただそれだけを繰り返す。
ああ、そうか。
お姉さまはあまり怒ったことがないから、怒り方が下手なんだ。
「お姉さま……」
そう呼びかけると、お姉さまはキッと私のほうを睨みつけた。
「まさか囮になるつもりだったのっ?」
「え……えと……」
「なんて馬鹿なことを!」
「す、すみません」
滅多に怒らない人が怒っているのだから、大人しく謝るが吉だろう。
私はしょぼくれて縮こまった。けれどお姉さまは止まらない。
「最悪、わたくしたちが出て行けば、あの男は止まりました」
「いや、それは」
「プリシラが洞窟の下を過ぎ去ったときには心臓が止まるかと思ったのよ」
「それは……申し訳なく……」
「無茶にも程があるとは思わないの?」
「一応……逃げ切るつもりでは……」
途中からは。
「屁理屈を言うんじゃありません!」
どうしよう、お姉さまが怖い。お母さまにちょっと似てる。
「まあまあ、アマーリア」
ウィルフレド殿下がお姉さまに話し掛ける。
「とりあえず声を抑えて。あと、奥に行こう」
それもそうだ。まだ危機が去ったわけではない。
王太子があの馬に人が乗っていないと気付いたら、またこの辺りに帰ってくるはずだ。
私たちはズルズルと這いずるように、洞窟の奥のほうに入る。
私たち二人を庇うように、ウィルフレド殿下が入り口側に座り、剣をすぐに取れるように左手の横に置いた。
「それで、どうしてこんなことになったんだ?」
ウィルフレド殿下が私に向かって首を傾げたので、経緯を説明する。
「じゃあ、レオとは入れ違いか。なんて悪運の強い」
そう言って大きくため息を吐く。
ウィルフレド殿下もそう思いますか。私もそう思います。
そのときなにかの影が揺れて、ウィルフレド殿下が剣を握りつつバッと後ろに振り向いた。お姉さまと私も身体を寄せ合い、洞窟の入り口に目を向ける。
入り口に誰かの手が掛かっていて、すぐにその上半身が現れた。
「レオさま」
レオさまは荒い息をしながら洞窟内に入り、低い姿勢のまま、こちらに駆け寄ってきて私の前に滑り込むように座る。
そして両手で私の顔を挟んだ。
「レオさま?」
私をじっと見つめたあと、ほっと息を吐く。
「見つかっていなかったか、よかった」
それはつまり、王太子に見つかっていないかということだろう。
「見つかりました」
顔を手で挟まれたままそう答えると、レオさまは目を見開く。
そして顔を上げて、ウィルフレド殿下のほうに振り返った。
「見つかった?」
「今の今まで、プリシラ嬢はマルシアルと追いかけっこをしていた」
私の斜め前あたりからウィルフレド殿下の声が返ってくる。
「嘘だろう……」
そう呆然とした声で言って、私の顔を両手で挟んだまま放そうとしない。
「レオさま……」
呼び掛けると、こちらに振り向く。レオさまは悲しいような悔しいような困ったような、どうにも形容しがたい表情をしている。
泣かないって決めたし、もう助かったのだから涙なんて出て来ないと思っていたのに、その翠玉色の瞳を見ていたら、ボロボロと涙が零れてきてしまう。
「ううー……」
レオさまはなにも言わず、ただ眉尻を下げてそれを見つめていた。
「レオさま……遅いです……」
彼を責めるのはお門違いだ。『ここで』待っていろと言われたのに、迂闊にも出て行ったのは私だ。
挙句、王太子にウィルフレド殿下とお姉さまが見つかってしまうかもしれない危険にも晒してしまった。
全部、私が悪い。
悪いけれど、レオさまが来てくれるとそれだけを支えにしていたから、つい言ってしまったのだ。
「すまない……」
なのにレオさまは謝った。申し訳ないような、安心したような、そんな感情が心の中でないまぜになって、ますます私の涙を零れさせた。
私の顔を挟んでいた手が離れたと思ったら、次の瞬間にはレオさまの胸が目前にあって、頭の後ろから大きな手で押し付けられる。
気が付いたら私はレオさまの腕の中にすっぽりと収まっていた。
「無事で、よかった」
私は両腕を彼の背中に回してしがみつく。レオさまの体温は、安心する。
「怖かったです」
「がんばったな」
「はい、がんばりました」
「さすがだ」
「はい」
そうしているうちに涙もおさまってきて、なんとなく自然に身体を離す。
目の前のレオさまは、そこにぺたりと座り込んだ。
「守れなくて……すまない」
肩を落として、そうぼそりとつぶやく。
私はふるふると首を横に振る。
守ってくれた。レオさまは守ってくれていた。
だから私は言った。
「いえ、レオさまが来てくれるって信じてたから、がんばれたんです」
「そうか」
そう小さく言うと、レオさまは弱々しく微笑んだ。




