65. 落ち着かない
レオさまが「これからのことだが」と真剣な声で話し始めたので、顔が見られないとか言っている場合でもなくなり、私は顔を上げる。
「彼らを蒼玉泥棒としたからには、もうこちらから仕掛けようと思う」
その言葉に、私たち三人は息を呑んだ。
「もう、キルシー国内の動きも、セイラス王城の支援も、待つまでもない」
レオさまは私たちを見渡して、そう続ける。
「あの二人いわく、王太子はいつも宿でのんびり二人の報告を待っているそうだ。外に出るのは、定食屋とか酒場とかを探しに出るときくらいらしい」
なにをしに来たんだ、あの人。
「怪我をしているから、あまり動けないんだろう」
なるほど。
「しかしその情報は当てになるのか? 王太子に与している者たちの証言だろう」
ウィルフレド殿下が心配そうにそう問う。
レオさまは肩をすくめながら答えた。
「円匙片手に訊いたら、ペラペラしゃべってくれたことだ」
埋めかけてますね。
「まあ、どちらでも構わない。それに、あの二人がうろついているときにはすぐに上がった報告が、王太子についてはまったく上がらないから、信用もできると思う」
お父さまだけでなく、他の者からも報告があったんだろう。二人は見るからに悪党だったから不安に思う人もいたんだと思う。
「しかし仲間がいなくなって、王太子が動き出すことも考えられる。衛兵たちを連れて、今から宿に突入する」
「今からっ?」
驚いてそう声を上げてレオさまを見ると、彼は小さく笑った。
「今ならまだ、警戒していないと思う。夜になってあの二人が帰って来なかったら動くかもしれない。仕掛けるならすぐに動くべきだ」
「そ……そうかもしれませんけど、レオさまも?」
衛兵たちを連れて、というからには、レオさまも行くつもりなんだろうか。でも危なくないんだろうか。
展開が早すぎて、頭が追い付かない。
「ああ。確実にお互い顔を見知っているのは私だけだからな。あちらも私を見たら、観念するなりしらを切るなり、いずれにせよ大人しくすると思う」
「でも……」
あの人、普通なら考えられない国境越えもしてるし、常識が通用しない気がする。やっぱり心配だ。
そう思ってレオさまの顔を見ていると、ふいにこちらに手を伸ばしてきて、そして私の頬に指先を当てた。
えっ、なに、なに? 婚約者同士の割に触れ合ったこともほとんどないんですけど、戦いを前に、もしやここにきて? あっ、抱き締められたか、そういえば。いやでもあれは。
そんな風に一人でごちゃごちゃ考えていると、頬をつままれ、ぎゅっと引っ張られた。
「うぇ」
なんだこれ。
私の顔を見てくつくつと笑うと、レオさまは頬をつまんだまま言った。
「心配するな。強いと言ったのは嘘か?」
そう言ってから、指を放す。
私はじんじんと痛む頬を撫でながら返した。
「嘘じゃないですけど」
「じゃあ、ここで待っていろ」
そう言って、レオさまはキラッキラの笑顔を私にくれたのだった。
◇
レオさまは本当にそのまますぐに出て行った。
なんだかそわそわして落ち着かなくて、私は何度も洞窟の外を覗いたり、また中に戻ったりと、そんなことを繰り返してしまう。
「プリシラ嬢、レオ一人で行くのではないのだし、大丈夫だ」
不安で落ち着きがなくなっている私に、ウィルフレド殿下がそう言ってくれた。
「それに、セイラスの王子に手を出すのはまずいと、さすがにマルシアルもそれくらいはわきまえていると思うぞ」
「そう、ですよね」
確かにそうだ。不法入国したのは王太子で、隠れなければならないのは彼のほうだ。
なぜ蒼玉泥棒と同じ宿に泊まっているのか、なぜ行動をともにしているのかと、詰問されるのは彼のほうだ。
それに対して王太子がどう出るか。そんな二人は知らないとしらを切り通すか、二人は仲間だが蒼玉泥棒ではないと訴えるしかない。国境を越えたのはお忍びで遊びたかったとか、そんな言い訳をするしかない。
仮に、レオさまが犯罪者であるところのウィルフレド殿下を匿っていると言われたとして、その証拠はない。あったとしてもレオさまだって素直に認めるはずもない。
そうなったらあとはもう、国家間の話し合いに発展する。
そこでレオさまに危害を加えるのは、愚の骨頂だ。
いくらキルシーの王太子でも、セイラスの王子相手に手を出せるはずはない。
そのはずなのだ。
私のこの心配は杞憂に過ぎない。
でもやっぱり落ち着けなくて、そわそわと洞窟の外に視線をやったり耳を澄ませたりしていると。
馬の嘶きがすぐそこで聞こえた。
レオさまが帰ってきた? いや、それはいくらなんでも早すぎる。
私は洞窟の入り口に伏せてにじり寄り、そうっと下を覗き込んでみる。
「ああー……」
私の馬だ。森の入り口に繋いでおいたのに。よく見ると、引き綱の端っこに折れた枝が引っ掛かったままだ。
繋いでおいた枝ごと折れたのか。大人しい子だけれど、さすがに長く繋ぎ過ぎたのかもしれない。
私はため息を一つ吐くと、洞窟の中に振り返る。
「馬が、逃げちゃいました」
「えっ」
「ちょっと繋いできます」
「えっ、プリシラ!」
「すぐ戻ります」
そう言い置いて、私は洞窟を出て、崖を降りた。
◇
近くで草をもしゃもしゃ食べていた馬は、すぐに捕まった。
引き綱に引っ掛かっていた折れた枝をその辺りにポイと投げると、私は馬に横乗りする。
「ごめんね、長い間、一人にしちゃって」
言いながら首筋を撫でると、馬はブルルと鼻を鳴らした。
そのまま森の入り口に向かい、いつも繋ぐ木に近寄ると、馬から下りて見てみる。
「あー……」
引き綱をくるくる回して引っ掛けるだけでいい高さと角度の枝だったのだけれど、ぽっきりと折れていて木の中が黒くなっているのが見えた。枝が枯れていたのか。
馬を引いて近くの木をいろいろ見て回り、まあまあな枝を見つける。また逃がすのも怖いから、今度はぎゅっと結びつけた。下には雑草がたくさん生えているので、お腹も空かないだろう。
「ごめんね、もう少し待ってて。明日にでも遠乗りに行こう」
私の言葉がわかったのかどうなのか、馬はまた一声、嘶いた。
「お嬢さん」
ふいに声を掛けられて、肩が跳ねた。聞いたことがある声。私は、おそるおそる振り返る。
そこにいたのは、王太子、マルシアルだった。




