64. 聞こえました?
気まずい空気を漂わせたまま黙って座っていると、お姉さまがこちらににじり寄ってきた。
「プリシラ」
呼び掛けられて顔を上げる。
お姉さまは私の前に座り、もじもじと指先を弄んでいた。そして少しして、意を決したように口を開く。
「……ごめんなさい。つい、カッとなってしまって」
先に謝られてしまった。私がグダグダと考えている間に。
やっぱりお姉さまのほうが大人ということなのかな。
私も早く謝らなくちゃ。
「私こそ、ごめんなさい。ひどいことを言いました」
お姉さまのほうを向いて頭を下げる。
顔を上げたときには、薄く微笑むお姉さまが私を見つめていた。
洞窟の中が薄暗いせいか、それともお化粧で隠されているのか、お姉さまの顔の痣はもうほとんど見えなくて、我が姉ながらやっぱり美女だなあ、と見惚れてしまうくらいだ。
お姉さまは軽く首を横に振ると、言った。
「いいえ。わたくし、本当に主体性がないと考えさせられたわ。自分の間違った生き方を妹のせいにするなんて、卑怯なことよ」
「そんな」
「生き方を変えるだなんて、勇気が必要だし、ちょっと怖いけれど……でもわたくし、ウィルフレドさまの傍で生きていこうと決めたのだものね」
お姉さまは自分の胸に手を当て、微笑む。
キルシー王国で生きていくためには、今のままではいられない。
「そう簡単には変えられないかもしれないけれど、変わろうとは思ったの。プリシラが言ってくれたおかげよ」
「でも私、本当にひどい妹で」
縮こまってそう言うと、お姉さまはくすくすと笑ってから言った。
「授業はまともに受けないし、要領が良すぎるし、わたくしのものを欲しがるし?」
「はい……」
「でも、可愛いの。ねえ、プリシラは、いつまでもわたくしの可愛い妹でいてくれるのでしょう?」
その言葉に顔を上げ、お姉さまの微笑みを瞬きしながら見つめる。
そうだ。あの夜会で、お姉さまは私にそう言ってくれたのだ。
「はい」
私も微笑み返す。
「はい。私は、可愛い妹です」
「まあ」
お姉さまがまたくすくすと笑う。私もつられて笑う。
ウィルフレド殿下が明後日の方向を見つつ、口元を笑みの形にしたのが目の端に見えた。
よかった。これできっと仲直りだ。
ひとしきり笑い合ったあと、お姉さまはけれど真剣な表情に戻る。
「他にも、謝らないと」
「え」
「さっきプリシラが言いかけていたけれど、わたくし本当に土壇場で、プリシラにすべてを押し付けてしまったのですものね。確かに大変だったでしょう」
「えっ、ええっと……それは……」
売り言葉に買い言葉でそうは言ったけれど、本当に大変だったかと言われるとそうでもない気がする。
元々私が婚約者でした、という顔をして夜会を楽しんでいる風を装うのは大変だったけれど、それ以外は、待遇が一晩で変わったし、むしろいいことばかりだったかもしれない。大変だったは言い過ぎたかも。
気まずさゆえに、もごもごと言い淀んでいる間に、お姉さまは私を覗き込むようにして密やかに言った。
「ごめんなさい、プリシラ」
悲し気に眉尻を下げて、その美しい琥珀色の瞳に謝意を浮かべる。
あ、まただ。
「わたくしの人生を、プリシラに押し付けてしまって」
私はそのことを謝られると、苛立ってしまうのだ。
せっかく仲直りしたのに。
私は私の言いたいことを飲み込んで、いいんです、大丈夫です、気にしないで。笑ってそう受け入れるべきなんだろう。
そうしたら、またいらない喧嘩に発展することはない。話はそこで終わる。
でもどうしても黙ってはいられないのだ。
だって仕方ない。私だもの。
「謝らないで」
「プリシラ」
思いの外、鋭い声が出てしまう。お姉さまは戸惑うように身を引いた。
けれど私の口は動き続ける。
「どうして謝るの?」
「え?」
「謝るのなんて、おかしい」
ああ、また。また、自分の感情を制御できなくなっている。
さっき反省したばかりなのになあ。それで喧嘩したばかりなのになあ。
本当に私は考えなしだ。
わかっているのに、止まらない。止まれない。止まりたくない。
私は大きく息を吸い込んで。
そして言った。
「レオさまのこと、ハズレみたいに言わないで!」
「プリシ……」
「そりゃあ、お姉さまにとっては、ウィルフレド殿下が世界で一番素敵なんでしょうけど」
私はぐっと拳を握る。
「私にとっては、レオさまが世界で一番かっこいいんです!」
だから、私に謝ってはいけないのだ。
私はお姉さまがウィルフレド殿下と恋に落ちたおかげで、とてつもない幸運を手に入れたのだ。
「だから謝らないで! おめでとうって言って! やったわねって言って!」
だってそうじゃないの。レオさまの婚約者になったことを謝るなんて、婚約者にしてしまって申し訳ないって意味じゃないの。
そんなの、おかしい。絶対、おかしい。
「むしろ私のおかげであんなに素敵な人が婚約者になったんだから、感謝してねって言って!」
「ええと……」
「本当によかったって盛大に喜んで!」
突然の大声に驚いたのかあっけにとられているウィルフレド殿下のほうに振り向くと、私は腕を伸ばして指先でちょいちょいと呼んだ。
自分で自分を指差して首を傾げるウィルフレド殿下にうなずくと、彼はこちらにやってきて、お姉さまの隣に座った。
私は腰を浮かせると、二人が座る正面に行って座り直した。
二人は呆然と口を開けて、私を見つめている。
はい、ではいきますか。
私は両腕を広げ、二人をそれぞれ手のひらで指し、口を開いた。
「おめでとう!」
状況が飲み込めていないのか、二人は顔を見合わせている。
どうしてわからないのかなあ。復唱しろってことですよ。
私は重ねて言う。
「はい! おめでとう!」
「おめでとう……」
二人は戸惑いつつも、そう続ける。
よろしい。
私は一つうなずき、さらに言った。
「よかった!」
「よかった……」
「私たちのおかげです!」
「わた……いえ……そこまでは……」
お姉さまはおろおろと言い淀んでいる。
するとウィルフレド殿下が、プッと噴き出した。そしてくつくつと喉の奥で笑ったあと、目を細めて言った。
「うん、よくわかった、プリシラ嬢」
それを見たお姉さまは、何度か瞬きを繰り返したあと、私のほうに振り向く。
「そうね……そうよね、その通りだわ、プリシラ」
「わかればいいんです」
今回のこの騒ぎで気の毒なのは、レオさまただ一人なのだ。
だから私は、謝られる筋合いはない。
ご理解いただけたようでよかったです。
するとふいに横から声がした。
「なにを騒いでいるんだ」
レオさまが洞窟の入り口から顔を覗かせている。ひい。
「あまり大声を出すな。この場所が見つけられたらどうするんだ」
「ご、ごめんなさい」
私はあたふたと洞窟の端っこに寄った。
いつ帰ってきたんだろう。
騒いでいたのがわかったということは、どこかからは聞いているはずだ。
「えと、聞こえました?」
「なにがだ」
レオさまは洞窟内に入りつつ、眉根を寄せてそう問い返してくる。
では話の内容まではわからなかったということだろうか。
「あ、聞こえなかったなら、いいんです」
「悪口でも言っていたのか」
「そんな、滅相もない」
私は自分の顔の前で、ひらひらと手を振る。
どうやら聞こえてはいなかったらしい。
私はほっと息を吐く。
「とりあえず、あの二人は採掘場に突っ込んできた」
言いながら、私たちの前に座る。
あれ。
私はレオさまのその端正な顔をじっと見つめた。
耳が赤い……ような。
ふと見るとウィルフレド殿下が、口元に手をやって俯いて肩を震わせている。
そういえば、レオさまの嘘は見抜けると言っていたっけ。本当に見抜けるのかな。
だとしたら、やっぱり聞こえていたんだろうか。
ひい。聞こえていたとしたら、どこから聞いたんだろう。知りたいけど、絶対に訊けない。
もう、まともにレオさまの顔が見られません。




