10. 夜会のおわり
お姉さまは私をじっと見つめたあと。眉を曇らせ、それからぎゅっと目を閉じた。
次に彼女が目を開けたときには、潤んだ琥珀色の瞳に謝意が浮かんでいたと思う。
そして一つ息を吐くと、美しい微笑みを見せて、言った。
「おめでとうございます、レオカディオ王子殿下。おめでとう、プリシラ」
どうやら事態は把握したらしい。この挨拶は、「理解しました」という意味も含まれていたと思う。
私はほっと息を吐く。
レオカディオ殿下も、まったく動揺を見せることなくそれに応える。
「ありがとう。妹だ、心配だろうが私に任せてほしい。大事にする」
「お言葉、感謝します」
そう言ってお姉さまはゆっくりと頭を下げた。
すると、私たちの間に流れる少々しんみりしたような空気をものともしない、明るい声が発された。
「まさか私たちのお互いの婚約者が姉妹とは。これは友好国としてますます二国は親密になるだろう」
そう言って、キルシー王子は笑った。
もう婚約者になったらしい。本当に展開が早い。
レオカディオ殿下は笑みを顔に貼り付けたまま、握手を交わしたりしている。
「プリシラ」
そう呼びかけられて振り返る。
お姉さまは泣きそうな顔をして腕を広げ、そしてその中に私を包み込んだ。
こうされるのは久しぶりだ。幼いころはよく抱き締められたっけ。
「ごめんね……」
耳元で、お姉さまがそう言う。
久々にお姉さまの胸の中にいるからか、私は子どものころのことを頭の中で走馬灯のように思い浮かべた。
お姉さまが大切にしていたお人形。お姉さまによく似たお人形で、白い肌にプラチナブロンドの髪をしていて。お姉さまはときたまそれを膝の上に抱いて髪を梳いていた。
「欲しい! 私も欲しいー!」
違う人形を与えられても、我慢しなさいとお母さまに諫められても、私は寝転がって足をバタバタとさせて泣きわめいた。
そうしていると、お姉さまは困ったように眉尻を下げて、その人形を私に差し出すのだ。
「そんなに好きなら、プリシラが可愛がってあげたほうがお人形も喜ぶわ」
私はそれを喜色満面で受け取った。
それから私はしばらくは、大事に大事にそのお人形を扱っていたように思う。けれどお姉さまがしていたようにしたくて何度も何度も髪を梳かすうち、ある日ごっそりと髪が抜けてしまって、それからは部屋の片隅に投げていた。今となってはどこに行ってしまったのかはわからない。
一事が万事、その調子で、お姉さまは私のわがままを受け入れ、私はそれを当然と思っていた。
けっこうひどい妹だったな……、とほんの少し反省して。
私は私に抱き着くお姉さまの背中に手を回して、ぎゅっと抱き返した。
「大丈夫よ、お姉さま。私はお姉さまに幸せになってほしいの。本当よ」
きっとこれが、お姉さまにとって初めてのわがままなのだ。
『言われた通りにするのが、一番、上手くいくものよ』と言って、そしてその言葉通りに生きてきたお姉さまの、生まれて初めての反逆。
私はそれを受け入れるべきだと思う。
「ありがとう」
お姉さまもまた、私の背中に回した腕に力を込め、抱きしめ返してきた。
◇
話はついたと見計らったのか、そこで進行を任されているのであろう侍従の人の声が響いた。
「これより、国王陛下の御言葉がございます!」
それにハッとしたように、皆が玉座のほうに振り向く。
芝居を楽しんでいた人たちが劇場から出て行くときに見せる顔はこんな感じか。満足そうな表情をしている人が多かった。
そして彼らは、次の展開を期待しているのだ。
私たちも姿勢を正し、玉座に視線を向ける。
そのとき気付いた。なんだか衛兵の数が増えているような気がする。
だからか物々しい雰囲気が漂って来て、厳粛な空気が広間を満たしていった。
けれど国王陛下は余裕たっぷりな様子でゆっくりと広間を見渡す。
それに合わせるように楽団の音楽は止まり、すべての人の意識が国王陛下に集中している。
それらの視線をものともせず、陛下は威厳を滲ませて、胸を張った。
先ほどぽかんと口を開けていた人と同一人物とは思えない。
「夜会のはじめにも申したが、今宵は我が息子レオカディオの喜ばしい報告がある」
広間の喧騒が完全に収まったのを見届けて、国王陛下は口を開いた。
「セイラス王国第三王子たるレオカディオは、コルテス子爵の息女を妃に迎えることとなった」
一瞬の静寂の後。
わっと拍手と歓声が沸く。
同時にまた楽団が音楽を奏で始めた。さっきから、空気の読みっぷりが素晴らしいです。
「行こう」
隣にいたレオカディオ殿下が私の前に手を差し出した。
どうやらこれはもう、本当に決定らしい。
私は覚悟を決め、彼の手の上に自分の手を乗せた。
「はい」
拍手と祝福の言葉を受けながら、私と殿下は玉座に向かう。
高くなっている舞台に上がるとき、レオカディオ殿下はこちらに振り向き、私の足元に心を配るように、私の手を乗せている自分の手を上げた。
さすが王子さまだなあ、と思いつつ、足を動かす。
国王陛下と王妃殿下の隣に王子殿下が立ち、そしてその隣に私が立つ。
場違い感がものすごい。
広間のほうに目を向けると、皆の視線が集まっているのがよく見えた。出席している方々の顔も、一人一人判別できるくらいだ。
広間にいると見えなかったものが、見えてくる。
やんごとない方々はこういう光景を見ているんだなあ、と妙なところで感心してしまった。
お姉さまとキルシー王子がこちらを見ているのも見えた。
お姉さまは不安げな表情で私を見つめていて。
キルシー王子はにこにこと満足げだ。
そんな二人を見つめて思う。
なんというか、自分で言うのも悲しいけれど、見劣りしている。
キルシー王子が連れている美女。
レオカディオ殿下の婚約者である私。
残念ながら、この夜会に出席している方々には、明らかに我が国の王子が連れている女のほうが格下に見えているだろう。
なんか、レオカディオ殿下に申し訳ない……。
だからお姉さまにドレスを着せたときに、私もついでに着飾っておけばよかったのに。せめてそれくらいは体裁を整えておきたかったなあ。
まあ誰も、こんなことになるとは予想できなかっただろうけど。
◇
第三王子の誕生会は、めでたいめでたい、と無理に明るげな声で満ち溢れたまま、終わった。




