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そのさん

――3――




  お台場から東京湾へ、漁船を使って数キロ。

 夜の帳が落ちてもなお明るい東京から離れると、周囲は漁船のライトのみで照らされていた。

 この漁船、見た目はふつうの漁船なのだが、霊力電池を動力源にして人工知能で稼働しているのだとかで、操舵手はいない。その上、周囲へのステルス機能など、たいそう盛りだくさんなハイテク漁船なのだとか。今回のために、有栖川博士が貸し出してくれた、逸品である。

 そんな、奇妙なほど快適な夜の東京湾。船上で目的地を目指すのは、私と、先導役のポチ、今回のキーであるリリー、空間固定をしてくれる春花ちゃんと七。本来ならばこれでフルメンバー、だったのだけれど。


「んふふ、夜の東京湾ってステキね」

「寄らないでくれるかな?」

「あらん、ツれないわねぇ。おねーさんと、楽しいこと、してみない?」

「おじさん、の間違いじゃないかな」

「ひっどーい。そんなんだから、七は乙女心がわからないって言われるのよぉ」

「残念ながら、言われたことはないよ、()


 橙色の天然パーマ。同じ色の瞳は、色気のあるたれ目。

 薄く施されたお化粧と、橙の袴の神官服を纏う、長身の美丈夫。


「ね? 未知もそー思うでしょう?」

「あ、あはは、はー」

「いや、そこはハッキリ否定してくれてもいいんだよ? 未知」


 向こうの世界での仲間の一人。

 絆を得たとはいえ、こちらでは面識のなかったはずの、オネェさん。

 橙寺院(とうじいん)かおる、さん、の言葉に、私はただ苦笑を返した。ええっと、いったいどうしてこうなったのだったか。今日、彼がこの場に至るまでの経緯を今一度思い返そうと、あの日、リリーとデートを終えた後の帰り道でのことを、思い出しておくことにした。

 いえ、決して、現実逃避ではなくてね?
































――/――




 ――それは、リリーとデートをし終えて、東京に帰ってきたときのことだった。



 すっかり夜も更け、時計を見れば日付が変わっていた。

 リリーと二人で夕食を堪能し、新幹線でアイスクリームも食べ、ついでにのんびり散歩し……この程度の時間で済んだのは、むしろ僥倖といえるのではないだろうか。


「ねぇ未知」

「リリー?」


 そう、手を繋いで特専に向かう中。

 流石に専用の電車は止まっていたので、山間の遊歩道を歩いていると、不意にリリーが楽しげな笑みを見せた。


「せっかくだから、食後の運動でもどうかしら?」

「運動? ……今から、そんな体力、あるかなぁ……?」


 二十代前半の頃ならまだしも、こう、ちょっとそろそろ徹夜も辛くなってきた。

 そう告げようとする私の唇に、ふわりと浮いたリリーはそっと人差し指を押しつける。


「ふふ、いやでも運動したくなるわよ。――【夜の棘(シャドウ・スティング)】」

「えっ、ちょっ」


 そう、リリーは予備動作無く空中に手を向け、木陰に向かって夜色の棘を飛ばす。

 獣でもいたのだろうか? 特専の敷地の傍なのに? そう、呆気にとられた私の前に、“黒い影が躍り出た”。


「っ」


 気配に、気がつけなかった。

 そこまで鈍っては居ないはずだ。けれど、目の前に居るのに、影の気配が読めない。気を抜けば透明だと思ってしまいかねないような、完璧な隠遁術!


「……」

「ふふふ――なぁに? 誤魔化せると思ったの? ふふ、馬鹿ね。夜は私のテリトリーよ?」


 さすが、ヤミラピでもないと倒せないのに、ここのところ鈴理さんや夢さんをはじめとした人間に敬意を払うようになり、努力を覚えた天才は格が違う。

 ――今、本気で向かってこられたら勝てるのだろうか? か、考えないようにしよう。


「さぁて、正体を明かしなさいな。どうせろくでもない連中なのでしょうけれど、ふふ、今日はわたくし、機嫌が良いの。無残に縋り付きながら死ぬことを、許して差し上げますわ」

「いやリリー、おいそれと殺してはだめだからね?」

「もう、水を差さないの。あとで構ってあげるから。ね? 私の未知」

「いやいやいや、拗ねているわけではないからね?!」


 困った子だなぁと言いたげに私を撫でるリリーだけれど、ちょっと待って。

 今、窘められているのはリリーだったよね?! あぅ、は、恥ずかしい。


「――ない」

「なに、私と未知の逢瀬に、文句でもあるのかしら?」

「もう、我慢できないわ!!」


 ばさり、と、黒いマントを投げ捨てる影。

 同時に気配がその場に残り……いや、むしろ、強烈な気配が現れる。


「二人だけでイチャイチャメロメロ女の花園! アタシも混てぜよぉっ!!」

「なっ」

「あら? 両性類かしら?」


 すらりと背が高く、けれどほどよく鍛えられた体つき。

 橙色のウェーブがかった天然パーマは、ほどよくボリュームがある。

 女性好きしそうな甘い垂れ目に、薄く施されたお化粧は、彼によく似合っていて。


「か」


 おる?

 ――と、向こうの世界でしか知り得ない名前を告げそうになり、焦って口を噤んだ。


「あら? 知り合い? 未知、友達は選びなさいな」

「もう! どういう意味?! アタシと未知は、抱き合った仲(・・・・・・)なのよ!?」

「誤解を招くようなことを言わないで、かおる! ……ぁ」


 思わず。

 本当に思わず、名を告げて。


「ああ――やっぱり、未知なのね」


 懐かしむような笑顔に、息を呑んだ。


「ねぇ、未知? 本当にどういうことなのかしら?」

「え、ええっと、ごめんなさい、私にもさっぱりで」

「んふふ、良いわ、説明してあげる。ついてらっしゃい!」


 そう、踵を返す馨。

 こくりと頷いて私の手を取り、反対方向(・・・・)に歩き出すリリー。


「眠いわ、帰りましょう? 未知」

「えぇぇっ、そこはついてくるところじゃないのかしら?! 薄情ね!?」

「ほら、馨もそう言っているし、ね? リリー」

「せっかくポチを七に預けて、二人きりだったのよ?」

「なら明日、明日改めて席を設けるから、お願いよぉっ!!」


 泣き出す馨。

 慰める私。

 見るからに機嫌が悪くなるリリー。


 今日のところはリリーが先約だから。

 そう告げて、その翌日にアポイントメントをとって特専のカフェテラスで事情を聞き――驚愕の事実を、仕入れたのであった。





























――/――




 ……と、なんともカオスに終わったあの日のことを思い出す。

 馨が話してくれた事情というのは、まさしく盲点ではあったのだが、あの世界で馨のことをよく知っていた私からすれば、なるほどと納得できる話でもあった。

 というのも、彼の生家――というか、彼が当主を務める家というのは、それはそれは大きな家だ。なにせ、時子姉と並ぶ本物の古名家なのだから。





 退魔七大家序列六位。

 “縁法・呪界”でその名を轟かせる、呪詛のエキスパート。

 “橙寺院(とうじいん)”の現当主――それが、馨の肩書きだ。





 つまり、彼は彼で、特異な能力を有しているということで。




『ある日突然、どこからか縁が流れ込んできたモノだから、アタシ、びっくりしちゃってぇ。思わずふん捕まえて辿ったら、別世界の自分の縁と同調しちゃったのよねぇ』




 そう、街角のおばちゃんのような仕草で伝えられた話には、たいそう驚かされたものだ。

 あの世界の馨と、意識を共有した。それってひょっとしなくても精霊神の息子である七がやっとの思いで共有した記憶を、根性でどうにかしたというようなものだ。

 うん、やっぱり、こうして思い返してみるととんでもない。




『時子から聞いたけれど、空間安定させて魔界へ行くのでしょう? だったら、何があっても帰ってこられるように、“縁”を結んでアゲル。ね?』




 そう、告げられて、今に至るということだ。

 なるほど、私が異世界に迷い込んだ拓斗さんを引っ張り出したのと、同じ理屈だ。どうしようもない時、最後に辿ることが出来るのは、“縁”なのだから。


『ボス、見えたぞ』


 ポチが告げて、顔を上げる。

 水平線ばかりかと思われた夜の海、ぼんやりと、蛍のように輝く場所。

 どうやら、ポチの言う場所に到着したようであった。





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