そのに
――2――
――愛知県。
目の前に聳え立つ高層マンションは、通常犯罪や災害だけでなく、対特異能力にも配慮された所謂億マン、というやつだ。
地上四十九階。最上階は二階半と大きな庭付きという高級感溢れるもの。ちょっと普通は手が届かないようなとんでも豪邸マンションの、当然の権利のように最上階に拓斗さんは暮らしている。
「拓斗の家は相変わらずすごいね」
「鋼腕の、よね? 未知、貢いで貰いなさいな」
「いや、無理だからね? だいいちこのマンションも、拓斗さんが貢がれた物らしいし」
『ほう、つまり、下の階層に雌を飼っている、と? やるではないか』
いや、そうじゃなくてね?
なんでも大戦時代に助けた大金持ちの方から、どれか一個でも受け取って欲しいと泣きつかれたのだとか。それで、一番安くて実用性のある“家”にしたは良いが、肝心の拓斗さんは忙しくてあまり家に帰ることが出来ないので、ハウスキーパーを雇うはめになったとぼやいていた。
どのみち、拓斗さんと春花ちゃんの二人じゃ、掃除は難しかったと思うけれどね……。
「人の家の前で、人聞きの悪いことを言わないでくれ」
「ぁ――拓斗さん」
マンションから出てきて額を抑える、ラフな格好の拓斗さん。
「ごめんなさい。お忙しい中、時間をいただいてしまって」
「いや、いいよ」
「久しぶりだね、拓斗。こちらはリリー、面識はある?」
「ちゃんと挨拶をさせていただくのは初めてだ。よろしく、小さなレディ」
「ええ、よろしくてよ」
カテーシーで挨拶するリリーと、リリーにちゃんと目線を合わせてくれる拓斗さん。
なんだか穏やかな気持ちになる光景に、心がほっこりとした。
「七、見ない間に図太くなったんじゃないか?」
「そうでもないよ。ただ、割り切った部分が多くてね」
「詳しく聞きたい気もするが……まぁ、良いだろう。先に案内するよ」
『わんっ』
ペット同伴オーケーということなので、そのままポチについてきて貰う。
エレベーターは展望可能な強化ガラス張り。様子を視るのが怖ければ、左右の壁を見ている。すると、雪を模したグラフィティがさらさらと流れ、視覚を刺激してくれた。
空で戦うことも多い。高いところは嫌いではないが、こうした情景も風情があって心地よい。
「未知、見てごらん、名古屋城だよ」
「あ、本当だ。七とは一緒に行ったことがあるわね」
「小さい頃だね。懐かしいよ」
なんて、窓から見える景色に言葉を交わしながら、やがて最上階へ。
見晴らしの良い外階段。ガラス張りの廊下を歩きながら、一つだけしか無い扉へ。霊力及び魔力認証のオートロックを抜けると、一軒家よりも立派な玄関に通された。
……ちょっとこう、こうして見ると、住んでいる世界が違うよね。
「帰ったぞー」
「あ、お帰りなさい、兄さん! ……あれ? 未知お姉さん? お久しぶりです!」
「ええ、お久しぶりね、春花ちゃん」
前に見たときは、春花ちゃんはどこか背伸びした印象だった。
けれど、これが“絆の導入”ということなのだろうか? まるであの鉄錆の街で出会ったときのように、心を開いてくれているように感じる。
「春花、家に居て貰って悪かったな。七はあったことがあるな? あとは、未知の親戚のリリーと、未知の契約魔獣のポチだ」
「ごきげんよう、春花」
『わんっ』
「は、はい、よろしくお願いします」
現に、初対面のリリー(と、ついでにポチ)の前では少しだけ頬を強ばらせ、キリッとした表情を作っているようだった。それを見て、リリーは心なしか面白そうにしているようだ。あんまり、からかわないであげてね?
「やぁ、春花。以前に一度顔合わせをしただけだけれど、覚えているかい?」
「はい、七お兄さんですよね?」
「ああ、そうだ。元気そうでなによりだよ」
「えへへ、ありがとうございます!」
片膝をついて挨拶をする七に、私同様気を許した表情を見せる春花ちゃん。
七も七で、その表情はどことなく懐かしいものになっていた。精霊神によると、ここまで“近い”のは最初の内だけで、だんだんと自然に同化していくのだとか。結局は、世界は違えど自分自身の魂との共有だから、ということらしい。
「なぁ未知、七のやつ、なんであんなに春花に懐かれているんだ?」
「クスクス……羨ましい? “拓斗おにーちゃん”?」
「おい。まったく、悪い妹分だ」
拓斗さんが私の額をこつんと叩く。
その仕草が楽しくて、ついつい笑みを零してしまった。
場所を移してリビング。
大きなソファーに私、リリー、七の順に腰掛けて、ポチは子犬モードでリリーの膝に。
上座の一人用ソファーに拓斗さん。私たちの向かいのソファーに春花ちゃんが腰掛けた。
「協力、ですか?」
「ええ」
そう、首を傾げる春花ちゃんに頷く。
空間を安定させるために、次元系の異能者に協力を仰いでいる、という話をさせて貰ったところ、春花ちゃんはきょとんと首を傾げた。
「私にできることなら、協力したいです。でも、本当に、私に……?」
「次元の安定、か。おれの異能だとそんな器用なことはできないからなぁ。七、危険は無いんだよな?」
「ああ。安定した入口から侵入が成功した時点で、帰っても大丈夫だよ」
「そうか。どうする? 春花。おれが付き添えるかはわからないが……」
春花ちゃんは不安そうに、ぐるりと見回す。
そうすると目が合ったので、安心させるように微笑んだ。せっかく平和に生きている春花ちゃんが、無理をする必要なんてどこにもない。無理なら無理で、別の手段を探せば良いのだから。
けれど、春花ちゃんは何故か耳まで赤くすると、うろうろと視線を彷徨わせ、スカートの上に置いた両手をきゅっと握った。
「――やります」
「えっと、いいの?」
「やらせてください! お姉さんの、力になりたいです」
「……わかったわ。ありがとう、春花ちゃん」
ほにゃっと笑ってくれた春花ちゃんに、似たような笑みを返す。
うーん、和むなぁ。
「未知も罪な女ね」
「えぇっ」
「まったく。本当に天然なのだから」
「ひどいっ」
「悪い、それについてはおれも擁護できねぇ」
「拓斗さんまで!?」
我関せずなポチと、きょとんと首を傾げる春花ちゃん。
そんな彼女たちの前で、私は狼狽することしか出来なかった。
うぅ、天然って、いったいどこが天然だというのだろうか。そんなことはないと思うんだけどなぁ……。
――/――
そのまましばらくお茶会ついでに色々とお話をして、空が茜色になって来たので解散の運びとなった。日取りは、追って連絡する形だ。
七ともここで別れて、私はリリーとポチの二人と一匹で歩く。今日はこのまま、リリーの希望で“デート”だ。
「そういえば未知? 風の噂で聞いたのだけれど……」
「噂?」
「英雄の一人を、閨で誘惑して欲しいのですって?」
「ふぇっ?! だだだだ、誰がそんなことを!!?」
意味ありげに細められた目。
色気たっぷりに微笑まれて、私は思わず狼狽させられた。いやいやいや、本当に誰がそんなことを?!
「稚気の薫る幼子でないと、反応しないのでしょう? だから、この私をモノのように扱って、男を誘うためだけの哀れな玩具にするのだと、聞いたわよ」
「っリリー!」
しゃがみ込んで。
目を合わせて。
真正面から。
「何があっても、誰であっても、それが私自身でも――家族を、モノのように扱ったりはしないし、扱わせもしないわ」
「は――はい」
珍しく、きょとんと頷くリリー。
まったく。誰がリリーにそんなことを吹き込んだのか知らないけれど、これは見つけ出して“お話”をする必要があるわね。ええ、骨の髄まで。
「……私にあんな顔も、してくれるのね」
「リリーは私の大事な家族だからね」
「なんで、こんな時だけちゃんと聞き取るの? もう、ずるいひと」
大人はずるい生き物なんです。
なんて言い方をしたら、きっと彼女は拗ねてしまうことだろう。私はただ、口を噤んで苦笑を浮かべるに留めておいた。
「ああ、それと、この噂の主は、いじめないであげなさいな」
「え? ――あ、生徒?」
「そう。おまけに、こうなったらどうしよう……なんて、呟いているのを拾っただけよ」
うーん……そういう方向性に突っ走って暴走するのは、夢さんかな!
きっと、私に知られていることすら知りたくないだろう。そっとしておいてあげよう。
「ねぇ、未知」
「どうしたの?」
「あなたの甘さも、身内が傷つけられる時に見せる苛烈さも、優しさも、とても好きよ」
「あ、ありがとう?」
「でもね、一つだけ、覚えておいて」
繋がれた手。
少しだけ、強く握られる。
「お母様は、そんなに甘くないわ。それだけ、覚えておいて」
「リリー……ええ、わかった。覚えておく」
「――ふふ、それでは、堅苦しい話はここまでよ。エスコート、してくれるのでしょう?」
「ええ、もちろん」
悪戯っぽい微笑みに、思わず笑い返す。
夜はまだまだこれからだ。これからこそが、リリーの時間と言えることだろう。なら、その時間を大切にして、リリーの可愛い我が儘を叶えよう。
ただ。
(甘くはない、か)
重く告げられた言葉。
それだけは忘れず、胸に刻んでおこうと、誓って――。




