そのじゅうに
――12――
曇天。
つまるところそれは薄暗い曇り空でしかないのだが、寮から出てみるとその“異常性”に気がつく。さっきまでは空が薄暗かったが、今はその昏い雲が地上に落ちてきたかのように、どこもかしこも薄暗く靄が掛かっている。
これがわたしの察知した異常者によるものだとしたら、相当危険だ。
「鈴理、一つだけ気が軽くなることがあるんだけど、わかる?」
何気なく、夢ちゃんにそう問いかけられる。
不安を吹き飛ばすような不敵な笑み。にっ、とつり上がった口角に見える、悪戯っぽい表情。
「ええっと、その心は?」
「簡単よ。端末が強制的にオフラインにされているということは、学区内での私たちの能力行使は記録に残らない。やりたい放題やって切り抜けるわよ、鈴理」
「なるほど……さすが夢ちゃん。こうなったらやるしかないもんね」
そうだ。
もうこうなれば、進むしかない。そしてどうせ進むなら、やりたい放題やってベストを尽くす。
「私が前、鈴理が後ろ。スイッチのかけ声で前後交代。これだけで行きましょう。良いわね?」
「おっけー、夢ちゃん! 【速攻術式・平面結界・展開】――からの、“二重干渉・慣性・加重”! 加えて、“超覚”!」
霊力と魔力は反発し合う力だから、同時に“同じ場所”には使えない。
だから、まず魔導術式を外部出力してから、異能を移動補佐のみに展開。更に超覚を展開しておくことで、異常を逃さない。
「んじゃ、鈴理。よーい――」
「――ドン!!」
かけ声を合わせて、走る。
夢ちゃんが探知術式を展開してくれているのか、淀みなく数メートル先も見えない中を走り抜ける。けれど、どうしてだろう。やっぱり夢ちゃんから“詠唱”が聞こえてこない。
「鈴理、前に一体。敵意反応!」
「うん!」
暗がりを切り抜けるように、靄の向こうから飛び出す影。
のっぺりとした仮面に、両手に備えた長剣。あれってもしかして、わたしたちの知らないところで師匠たちが戦っていたっていう……そう、天兵?
なら!
「夢ちゃん、それは壊れても死なないよ!」
「朗報ね」
わたしの言葉に、夢ちゃんは不敵に笑う。
そして、右手を前に突き出して、親指で人差し指の横腹を叩くような仕草をした。
瞬間。
『……?!』
破裂音。
次いで、天兵の片翼に風穴が空き、その身体が傾く。
「【回転】!」
その首を、わたしは盾で両断した。
「へぇ、光の粒子になるんだ。ほんとに気兼ねないわね――なんで天使が狙ってきてるのかとかは、この際置いておくとして」
「ええっとそれより夢ちゃん、詠唱は?」
「ん? ああ、そういや言ってなかったわね」
手の甲に鎧と、黒い布地で覆われた右手。
それを持ち上げて見せると、夢ちゃんはピアノの鍵盤でも弾くかのように、人差し指から小指までの四指を動かした。
すると、ガントレット部分の菱形の板がばらりと解けて、夢ちゃんの周囲に浮かぶ。はれ? な、なにそれ?
「“行動展開”――あらかじめ指定された動きに合わせて起動する魔導術よ。刻印鋼板操作含めて、習得にやたらと時間が掛かったわ。まだ右手分だけしか把握できてないからね」
「でもでもでも、それってすっごいことだよ!」
詠唱という、異能者に対して魔導術師が負う最大のデメリットをなくせる。
それは魔導術師にとって革新的とも言える技術では、なかろうか。まぁ夢ちゃんの家は隠密だから公表はしないだろうけれど、仮に公表していたらノーベル賞だって狙えるかも知れないよ!
「……キラキラしてくれるところ悪いけど、開発は未知先生よ?」
「ぁ」
そ、そっかぁ。師匠なら納得だ。
そしてわたしの勘では、師匠はきっとまだ人に言えないような技術を隠していると思う。言ってくれても、師匠のそばから離れたりは絶対しないんだけどなぁ。
「さ、急ぐわよ」
「うん!」
夢ちゃんは天兵が完全に消えたことを確認すると、また、走り出す。
わたしはそれに追いすがるように追従するのだけれど――速い。異能を使ってるわたしよりも、よっぽど速いよ夢ちゃん!
『――!』
「見えたわね?」
「見えた!」
靄を突き破って襲いかかる天兵。
数は一、二。一体やられたからだろうか、その動きは先ほどの天兵は“様子見”でしかなかったのだと、理解させられる。
すると夢ちゃんは、襲いかかる天兵を前に、左手の直刀、嵐雲を“空中に突き立てた”。
「【起動術式・忍法・火具土・展開】!!」
夢ちゃんがトリガーを引き絞ると、ガチンッという音と共に嵐雲の峰から薬莢が排出。
空中に突き立てた嵐雲を中心に魔導陣が浮かび上がったかと思えば、次の瞬間には炎が噴出して、天兵を焼き払っていた。
「スイッチ!」
「ッ【回転】!」
下がる夢ちゃんとすれ違うように踏み込んで、盾を振りかざす。
そうすると後ろから飛び出してきた鏃の弾丸が怯んでいた天兵の足を吹き飛ばし、わたしはその無防備な後頭部を切断する。
弱くはない。むしろ強い。けれどそれ以上に、夢ちゃんと並んでいるということが大きい、だってなんだろう、互いに付き合いが長くて理解し合っているからかな? すっごく、戦いやすい!
「スイッチ!」
「【硬化】!」
呼びかけに応えて、盾を身体の正面に置きながら後ろに跳ぶ。
前に出た夢ちゃんが滑るように体勢を低くすると、虚空に向かって鏃の弾丸を射出した。
「っ、夢ちゃん」
途端。
じわりと広がる、鉄錆の匂い。
「例の奴ね? 防いだか。鈴理、離れず着いてきなさい! アレは、アレのテリトリーで戦っちゃならない相手よ!」
「っ、う、うん!」
異能を使って夢ちゃんの攻撃を防いだから、咄嗟に隠しきれずに超覚で捉えられるレベルになっていたのだろう。おかげで、大まかに、ではあるけれど“敵”の位置が掴めた。
「走り抜けるわよ! ハンドサインに従うこと!」
「わかった!」
走る夢ちゃんの後ろにつく。
その間、わたしに見えるように晒された左手に対応するように、必死に身体を動かした。
――右に一歩。
ナイフが石畳に突き刺さる。
――左に大きく傾け。
ナイフが首の横を抜けて夢ちゃんに落とされた。
――右に二歩。
ナイフを避ける。
何故、ナイフなのだろう。わからないけれど、怖い。
――軽くジャンプ。
夢ちゃんが同時に跳ぶ。
すると、扇状に広がったナイフが数本、わたしたちの間を抜けていった。
そして。
「飛び込むわよ!」
無限にも思える時間。
響く、夢ちゃんの声に、ただ頷く。
「うん!」
夢ちゃんが建物の玄関を開け放ち、スイッチのかけ声。
わたしがまず隙間から建物の中に飛び込んで、夢ちゃんも滑り込むように身体を縮めて中に入ると、素早く扉を閉めながら扉に嵐雲を突き立てた。
「【起動術式・忍法・閉廷封印・展開】!」
すると薬莢が排出されて、扉が魔導陣で封印される。
――そこまで来て、ようやく一息吐くことが出来た。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ――夢ちゃん、ここって」
「ふぅ――ええ、そう。なんとか教員棟に到着したわね」
静まりかえったロビー。
けれど、窓の外は非常に薄暗い。
「さ、宿直室に急ぐわよ!」
「わかった――力を借りなきゃ、だからね!」
走り出すわたしたちに、追いすがる気配はない。
ただ恐怖にも似た感情が、胸を覆い隠すようで。
(はぁ……師匠に会いたい、なんて)
親から引き離された子供のような焦燥感が、じわりと胸に染みこんだ。




