そのはち
――8――
心象風景。
読んで字の如く、心を象ったその場所に生活する存在は、全て持ち主の記憶から構成されているのだという。
ヒトによっては生物はおらず、ただ延々と続く海や森だったりするケースも少なくはない。むしろ、自意識の中に自我を持った存在がある、というのは己自身がまだ薄い子供のうちだけ、なのだとか。
「ちなみに、未知の心象風景は“星の海”だよ。瑠璃色の夜空、浮かぶ星々には思い出が込められている」
「そ、そうなんですか……」
「ははは、君は難しいことを知っているのだね。さ、こっちだよ」
鏡先生の解説を聞きながら向かうのは、天使の少年――エスト、という名前の彼の居場所だ。
そこに至る道案内は、私にとって複雑な心境しか抱けない相手。オズワルドだ。本人だったら憎しみや怒りが先行することだろうけれど、彼はあくまでエストの心に象られた影に過ぎない。その上、道案内までしてくれるのだから、抱く感情は複雑な物になる。
「……せっかくだ。この道中で聞いておこう。君は何故、僕たちの味方を? エストにとって僕らは、異物でしかないはずだ」
「そうだね。だが、同時に、エストをあの“闇”から救い出してくれるもの、だろう?」
「それは結果だよ。過程でエストの魂がどうなろうと、僕らのやることは変わらない」
「それは、大丈夫だよ。“その手段”を取るのなら、わざわざ心象に足を踏み入れる必要は無かった。そうだろう?」
そう、その上で、この様子だ。
鏡先生は、にこやかな笑顔の下で“罠”である危険性を考慮している。だから私も、会話には入らずに一歩下がって話を聞いている、の、だけれど。
さきほどから、オズワルドは妙に協力的だ。それでいて、こちらに対して信頼を抱いている節さえある。何故? それが、わからない。
「森の奥、エストはこの先で“闇”に囚われている。本当は私が助けたいのだけれど、なにぶん、“登場人物”である私には、あの“闇”に抗う術はない。どうか、力を貸して欲しい」
「僕たちは、あの“闇”を全力で排除するだけだ。だから――いい加減、なにを考えているのか聞かせてくれないか?」
ざわめく森。
向き合う鏡先生とオズワルド。
私は腕輪を握りしめたまま、固唾を呑んで見守ることしか出来そうにない。
「――いいさ、隠すことでも無い。少し恥ずかしかったのだけれどね」
「? と、言うと?」
「私は、エストの理想によって作られた影だ。エストにとっての父親は、力強く、公正で、優しく、人に信頼され、誰からも尊敬され、例え悪でも微笑みの一つで説得してしまう存在だ」
「そ、それは」
「いざ、自我が与えられると恥ずかしいと思うのも、致し方在るまい? けれどね」
オズワルドはそう言うと、優しげに眼を細める。
その表情は“親”のものではないけれど、創造主に対する敬愛に満ちているようでさえ、あった。
「だからこそ、私はその思いに応える影でなくてはならない。信用されていないのなら、まずはこちらから信頼を示そう。信頼を得られないのなら、まず、信ずるに値するのだと納得させよう。それが、私の出来るただ唯一の、“父親”らしさだからね」
なるほど、そういうことか。
彼はエストという心象世界の“創造主”に報いるには、期待に応えるべきだと思っているのだろう。なら、納得も出来る。
それから同時に、もう一つ、浮かび上がった。
「か、鏡先生。現実のオズワルドと交換しません?」
「できるものなら、そうしたいよ。まったく」
「ははは、納得して貰えた、ということで良いのかな?」
「ああ――そうだね。そういうことであれば、短い間だが、協力は惜しまないよ」
「ありがとう……改めて頼む、エストを救い出してくれ!」
……これが、鈴理ならなんて言うかな。
いや、わかる。人の良い鈴理のことだ、助けないなんて言う選択肢も、きっと存在しないことだろう。
なら、私は。
ううん、私だって。
「い、行きましょう、鏡先生、お、オズワルドさん」
「――……ああ、そうだね。足を止めさせて悪かったね。急ごう」
「ありがとう、二人とも!」
私だって、理想の私になれるんだって証明したい。
鈴理の隣に立っていても恥ずかしくないような、私になれるんだって、過去の私に胸を張れるようにならないと!
「……」
無言で足を進めながら、ざわめく木々をかき分ける。
よく見れば葉は水晶のように煌めいていて、根は綿飴のように浮いていた。これも、エストがそれほどまでに鮮明に、森の木々を覚えてはいないからだろうか。
あるいは、こうであって欲しいと願う、子供心なのかも知れないけれど。
「見えた。あれが急に現れて、エストを閉じ込めている“闇”だ」
森の深奥。
湖の上に浮かぶ、真っ黒な泥。
コールタールのように水を弾いて、球体を象っている。
「い、いた、居ました、先生」
「ああ……しかしこれは、厄介な」
その球体に半ばまで埋まるようにして、膝を抱えたエストが居た。暴れていてくれたらまだ救いはあったのかも知れないが、瞳は空ろで、顔には生気が無い。
「どういう状態かわかるか? オズワルド」
「……悪夢を見せられ続けているね。それも、幸福な夢と交互に。あの泥は、よほど子供の心を穢すことが得意と見える」
「その道のプロみたいな老害だからね。さて、どうしたものか」
鏡先生が迷っているのは、やはり、どうやって心を……エストを傷つけずに救出するかという点だろう。
「オズワルド、君に出来ることは?」
「私はどこまでいっても登場人物でしかない。紙面に動く文字は、本を裂くことは出来ないよ」
「……だろうね。いや、確認してみただけだ。ありがとう」
鏡先生はそう言ったきり、考え込んでしまう。
けれど直ぐに、私の視線に気がついて、苦笑した。
「ああ、すまない。どうも“あれ”を使うと、ヒトに対する配慮が薄れてしまってね。ようは、あの泥は本についた汚れさ。僕らがやろうとしているのは、ナイフで汚れを削り落とそうということなんだ。弱ければ汚れは落ちないし、強ければ――」
「――ほ、本は、破れる」
「そうだね。まぁ、記憶の混濁で済めば良い方だね。人格の崩壊、あるいは自我の消失もあり得ない話ではないさ。そして、直接干渉しようにも」
鏡先生が手から水の塊を生み出して、投げつける。
すると、湖に張られた泥が瞬時に動き、水の塊を泥の刃で切り落とした。
「こんな風になる。大方、自動防御の類いだろうね。天使というモノは他種族に比べて、強固な“魂壁”を持つ。それに干渉し続ける、ということはそれなりに意識を裂くんだろうさ。おまけに、外側の彼も操らなければならないのだからね」
それから先生は、“そこに隙があるとは思うのだけれど”と締めくくり、再び考察に入る。私も、ただ立っているわけには行かない。そうしている間にも、鈴理を虐めた老人は、一秒でも長く生を謳歌してしまうのだ。
そんなことは、許しておけない。
「鏡、と言ったか? それは、泥を弾いて直接干渉する訳にはいかないのかい?」
「オズワルド……そうだね。その場合、泥に侵入されずに進む役と、泥が必要以上に暴れないように抑える役が要る。これで例えば獅堂と組んでいたら――いや、詮無きことか」
干渉、干渉か。
私にできることはないのだろうか。エストと泥に干渉して、戦いやすいように……戦いやすいように?
そうだ、戦いやすいようにすれば良い。そうすれば、鏡先生の全力と私の全力と、それから“エストの全力”で、泥に立ち向かうことが出来る。
そして私には、そのための“手段”があるのだから。
「あ、あの、それなら私が、泥をかき分けて干渉します」
「それが可能なら助かるが、静音、あの泥はヒトの精神を蝕むモノだ。侵入を拒めるのかい?」
「は、はい」
そう言って、私は“腕輪”を握りしめる。
だって、さっきから告げているのだ。私の黒騎士が、剣を振るえと告げているのだ。
「か、干渉も、エストに触れることが出来れば、可能、みたいです」
「ああ――なるほど、“ゼノ”か。ということは、その“干渉”というのは……」
「は、はい」
――思い出すのは、あの日の風景。
ゼノを無理矢理景品として渡された、鈴理とポチと、私のステージ。
「え、エストに触れて“認識”して――“試練の闘技場”に、鏡先生と、私と、エストと泥を引きずり込みます。ふ、触れた時に、エストの目を覚まさせる必要がありますが」
私がそう提案すると、鏡先生はきょとんと目を瞠り、それから楽しげに笑う。
「……なるほどね。いや、感服したよ。それなら僕は、君がエストをたたき起こすまでの間、泥を抑え込む。それで良いね?」
「は、はい。よろしくお願いします!」
これなら、きっと、なんとかなる。
そう思って顔を上げると、拳を突き出す鏡先生が居て。
「行くよ、静音」
「は、はい!」
私はへなちょこながらも、先生の拳に、私の拳を当てた。
「待っててね、鈴理」
あなたが笑って暮らせる世界を、作るために。
作戦、開始だ!
2017/04/03
一部表現に加筆。




