そのなな
――7――
暗い。
寒い。
冷たい。
痛い、なぁ。
ぼんやりとした視界に映るのは、真っ黒な雲だ。雲があんまりに重いから、こんなにも寂しいのかな。
さっきまでは、すごく痛かった。突き刺さっていた枝は、倒れた拍子に抜けて転がっている。だからかな。胸にぽっかりと穴が開いたみたいに、寒くて苦しかった。
「ゆめ、ちゃん、は、だいじょう、ぶ、かな」
夢ちゃんはとてもサッパリしているけど、寂しがり屋だから心配だ。暴走しがちな夢ちゃんを止めてくれる相手は、誰なら大丈夫なのだろうか。
もうすぐいなくなってしまうわたしの代わりに、杏香先輩なら、やってくれるかな。
リュシーちゃんは、いざという時は誰よりも冷静になってくれる。でも普段はとても優しいから、きっと、自分のことは一番最後にしてしまう。
わたしがいなくなったあと、誰ならリュシーちゃんの心を汲んでくれるのだろうか。静音ちゃんが、そうなってくれたら良いな。
静音ちゃんは、恐がりだ。でも、やりたいことができなかったから、できることがわからないだけなんだと思う。やりたいことを増やして、たくさんやっていけば、きっと誰よりも正直な子になるんじゃないかな。
わたしがいなくなったら、きっと夢ちゃんがなんとかしてくれる。夢ちゃんは、誰かを引っ張ることが、とても得意だから。
杏香先輩。
彰君。
芹君。
時子さん。
鏡先生。
九條先生。
陸奥先生。
瀬戸先生。
夢ちゃんパパ。
有栖川博士。
ベネディクトさん。
梓ちゃん。
甲斐君。
瑞穂ちゃん。
それから、ポチ。
色んな出会いがあった。
色んな人たちと出会えた。
でも、やっぱり、一番は決まっているんだ。
「し、しょ、ぅ」
師匠。
優しくて、繊細で、誰よりも人を大切にして。
格好良くて、素敵で、わたしを救ってくれたひと。
わたしが、いなくなったら、きっと泣かせてしまうんだろうなぁ。
「ああ、わた、し、ごほっ、ごほっ」
口の中いっぱいに広がる鉄の味。
あ、はは、だめ、だめだよ。諦めるコトなんて出来ない。
「しに、たく、ない」
しにたくない。
死にたくないよ、師匠。
『――だが、死は平等だ。そのままでは、間違いなく死ぬ』
そうだね。わかるよ。わかってしまう。
自分の身体のことだから。もう、手も、あげられない。
『本来ならば、死は見送るものだ。幾つもの同胞たちも、無理に引き上げはしない。何百何千もの同胞たちを見送り、別れてきた』
だから、最後に、見送ってくれるの?
わたしが、寂しくないように。
『ああ、そのつもりだ。そのつもり、だった』
え?
『おまえがいないと、ボスが悲しむ。いや――正確では無いな。おまえがいないと、我が悲しむ。おまえのいない日常は、きっと孤独な千年にも勝る苦しみとなるだろう』
そ、れは。
『誇れよ、人間。おまえはただひとり、真の意味で、我の心を動かした』
わた、し、も。
「あなた、と、はなれ、る、のは、さみし、い、よ」
『ふっ、やはりな。貴様の臆病な心などお見通しだ。故に、唱えろ。教えただろう』
「う、ん」
まだ、動く。
指は動かなくても良い。
声だけ出れば、喉だけ動いてくれるのなら、それでいい。
「いきを、ひそめ、つめを、とぎ、えもの、を、みすえ」
『息を潜め、爪を研ぎ、獲物を見据え』
「つめた、きは、ごほっ、そとへ、あつき、は、なか、へ」
『冷たきは体へ、熱きは裡へ』
「しん、いに、みちる、は、やい、ば、の、ごと、く」
『心意に満ちるは、刃の如く』
「ゆえに、これぞ」
『故に、是ぞ』
息を、吸って。
お願い、動いて、わたしの身体――!
「おおかみの、きょうじ」
『狼の矜持』
わたしを見下ろしていた黒い影、ポチの姿が輝く。
ポチはわたしの額に鼻先を当てると、そこから、熱が、染みこんでゆく。
『狼雅“ユニゾン=オブ=ノア”――!!』
そして。
目を、見張る。
「えっ、あっ、あれ?!」
飛び起きて、周囲を確認する。
おびただしい量の血だまりに佇むのは、自分一人。ポチの姿はどこにもなくて、思わず首を傾げた。
あ、あれ、なんで? ポチは?
『くっくっくっ、良い慌て様だな、鈴理』
「えっ、あれ? どこから声が!?」
『決まっておろう。おまえの裡からだ』
「え? ええっ!?」
な、なんで?!
混乱する頭を抑えようとして、気づく。なんかわたしの頭に、犬耳が生えてる。あと、ふさふさの尻尾も。
『感謝しろ。我が憑依することで傷の修復を行った』
「あ、ありがとう――って、え、まさか」
『そう、人間たちの間でこう言うだろう? “悪魔憑依と』
「――え、ええぇー!」
そ、そんなことあるんだ。
ま、まさかこんな裏技があったなんて!
『いや、日々共にする時間が多くて良かったな。相性が悪ければ、貴様の精神はかき消えていたぞ』
「あわわわ……よ、良かった」
『さて、ゆくか』
「へ?」
『へ? ではない。狼の矜持を傷つけられたのであれば、やることは一つだ』
そうだ。そうだよ!
こんなところでのんびりしている場合じゃなかった!
「ポチ」
『うむ』
「ありがとう」
『ああ』
「それから、ちょっと一狩り付き合って」
『くくっ、心得た!』
邪魔な靴を脱ぎ捨てる。
地面に這うように四つん這いになり、ただじっと、先を見つめた。
目標は石柱。その、向こう側。
「狼雅」
『“アクセル=オブ=ロア”』
「わんっ!!」
一歩駆けるごとに、流れるように景色が過ぎる。
一歩、また一歩。瞬く間に過ぎゆく光景を、当然のものとして受け入れる。
「駆け上がる!」
『おおッ、ゆけ!』
そして、石柱を駆け上がり、戦いの場に戻り。
飛来する丸太から動けないでいる静音ちゃんの前に、躍り出た。
『眷属呼応・幽体召喚・憑依せよ、“雷磊のハティ”!』
「狼臨“ブリッツ=フォン=ロア”!!」
右腕に宿るのは、“わたしの”眷属。
雷磊のハティが右腕にまとわりつき、巨大な黄金のクロウを作る。
振り下ろすと丸太の表面が“蒸発”し、後半分だけ地面に突き刺さった。
「ふぅ――お待たせ、静音ちゃん」
額の汗を拭って、ふぅと一息。
静音ちゃんの無事を確認しようと思ったら、がばりと腰に抱きつかれてしまった。あ、あれ?
「か、かさみ、かさみやさぁ、ん」
「な、泣かないで、静音ちゃん。わたしは大丈夫だから」
「うぁ、ぐすっ、とも、友達になりたいって、いえてないのに、いなくなっちゃ、やですよぅ」
ぁ。
うん。
なんだか、諦めようとしていた自分が、ひどく恥ずかしい。うん、そうだよね。伝え合って、言葉を交わし合って、初めて友達と言えるんだよね。
「うん、嬉しい。静音ちゃんが友達になってくれて、すごく嬉しい。ありがとう」
「こっちの、せりふ、なのにぃ、うぁああっ、ぐすっ、えぅぅ」
左手で静音ちゃんの頭を撫でて、右手で丸太を持つ。
まだ悪さをしている石狩兎モドキに、すこーし罰を与えないと、ね?
この狼の矜持。狼の誇り。砂を付けたことを、“我が”爪の下で後悔しろ。
「狼臨“ブリッツ=フォン=ロア”――喰らいつけ、ハティ!」
右腕の黄金が、丸太に噛みつく狼に姿を変える。
電撃そのもので出来た狼は光の速度で暴れる石狩兎モドキに飛びかかり、翼を根元から食いちぎった。
「こんなもんかな」
「じゃ、なーい!!」
「あたっ!?」
ぺしん、というより、ぺにゃんと柔らかくわたしの頭を叩いたのは、涙目どころかぼろぼろと泣いている夢ちゃんだった。
うぁ、ざ、罪悪感が……っ。
「うぇっ、もう、うぐっ、し、しんじゃったかとおもったじゃないの無事で良かったうぇぇぇぇぇっ」
「あわわわ、し、心配掛けてごめんね? このとおり、無事だよ?」
「かわいらしい犬耳生やしていえることかこのおばかーっ!」
「た、確かに」
ええっと、どうしよう。
と、とりあえず、ハティに戦っておいて貰おうか。
やってくれるね? 我が眷属よ。その兎に食らいついておけ。食い過ぎるなよ?
「スズリ、本物か? 本物だよな? 無茶しないでくれ。肝が冷えたよ」
「リュシーちゃん……心配掛けてごめんね」
「いや、いい、無事で良かった――よかった」
静かに、音もなく涙を流すリュシーちゃん。
そんなリュシーちゃんの目尻を拭うと、リュシーちゃんは静かに微笑んでくれた。
「さて、それじゃあ」
「は、反撃開始ですね、みなぎってきました!」
「ええ、私も流石に怒ったわ」
「せっかくだ。跡形も残さないようにせねば、な」
戦ってくれていたハティを戻す。
スコルは、ポチが“完全解除”状態ではないから、制限を誤魔化しやすいこの状態でも使えないようだ。正確には、どちらか片方しか使えない、というだけなようだが、この状況ならハティで良い。
「夢ちゃん、わたしはちょっと“この状態”に馴染まなきゃならないから、前に出たい」
「ぐすっ、ん。ならあんたは前衛で攪乱。リュシーは静音のガード。私は中距離援護。静音はどう?」
「や、やります! やらせてください!」
「んじゃ、条件」
「なんでも言ってください!」
「敬語はやめること。いいね?」
「は、え、――うん!」
きょとんとした静音ちゃんの、腫れた目元に笑いかける。
流石、夢ちゃんだ。リュシーちゃんも、感心したように夢ちゃんを見ていた。
「じゃ、いくよ」
『心得た!』
「狼臨“ブリッツ=オブ=ロア”」
ハティの黄金が、両足に纏わり付く。
灼き焦がすような一歩。これ即ち、稲妻の通り道。
我が前進、阻める者はないと知れ!
「汝は鋼、汝は鉄、汝は鋼鉄の精なれば。その身は、【鐡の王と知れ】♪」
静音ちゃんの詠唱が耳に届く――って、なにこれ?!
防御力が跳ね上がったのが実感できる。動きによっては負荷に耐えきれないかも、って思っていたけど、これなら多少激しい動きをしても、自分の力で自分を傷つけることはないだろう。
やれることの幅が、広がった。
『ほう、珍しい異能だ。詩歌使いか』
「なにそれ?」
『天使の吟遊詩人に多い。叙事詩や英雄譚に霊力を込め、本人のように他者に扱わせる術だ。久々に見たぞ』
「へぇ――なら、珍しい術に応えなきゃね!」
振り上げられた石狩兎モドキの左腕を、ハティによる光速ステップで避ける。
振り降ろされた左腕は、再び持ち上がることはない。リュシーちゃんが“投げた”剣が、その腕を落としたからだ。
『――!!』
『その悲鳴は、聞き飽きた!』
角を突き出そうとした石狩兎モドキの身体が、ぴたりと止まる。
影に撃ち放たれた夢ちゃんの鏃が、石狩兎モドキの身体を正確に縫い付けていたからだ。
「いくよ、相棒」
『任せろ、相棒』
跳躍。
回転。
差し出された首に、足を振り下ろす。
稲妻を纏ったかかと落としは、さながらギロチンのように。
『――ッ!?』
「せい、ァッ!!」
石狩兎モドキの首を、切り落とした。
「これが、狼の力――」
『――狼の矜持だ。冥土の土産に、覚えて逝け』
首を落とされた石狩兎モドキは、もう動かない。
その断面からこぼれ落ちた水晶体を拾い上げて、苦笑する。そういえば元は、これが目的だったんだよね。邪眼晶体。
なんにせよ、これで。
わたしたちの、勝ちだ!
「スズリ、離れろ!」
「ッ」
なんて、やっぱり、素直に終わらせてはくれないかな。
『hjxcdjrvbfykjkl』
発音できないような言葉を発しながら、肉体を作り替えていく石狩兎モドキ。
その中心に一瞬、発芽しかけの“種”のようなものが見えた、気がした。
『なるほど。妙だと思えば、枝蝕者か』
「種を食べて、段階が進んだ悪魔もどき?」
『如何にも。ああなってしまえば、我らならともかく後が辛い』
「なら、撤退?」
『いや、無理に撤退する必要はない。“ゆっくり”で良いだろう』
石狩兎モドキの身体が変質する。
おそらく、この世で一番強いものは“狼”であると認めたのだろう。その姿は、灰色の巨大な狼に変わっていた。もっとも、角つきで足が六本の時点で、狼モドキでしかないが。
「ゆっくり?」
『ああ。見ろ』
ポチの言葉に、灰狼を見る。
すると、灰狼は額に衝撃を受けてのけぞった。
『来たぞ。これで、なんの心配も不要だ』
「ぁ――そう、だね」
ポチの言葉に、思わず頷く。
視線の先。砕けた石柱の後ろ側で、手を翳す姿。
肩で息をする陸奥先生に並んだ、会いたかったひと。
「師匠!!」
師匠が、わたしたちの前に、来てくれた。
――なら、きっと、打ち砕けない敵はいない!




