いのちのかがやき
「もしかして図鑑に掲載される条件って食べることじゃないのか?」
つまりこの図鑑は遭遇したり戦闘したりましてや討ち取った怪物ではなく、これまでに食した生物が掲載されるのだ。
問題は誰が食したかだ。
勿論僕ではない。
《確かに最低条件はショゴス化して生きたまま丸呑みみたいです》
「……だよな」
神輿入道蜘蛛は二度目の地下商業施設探索で初めて遭遇した怪物。女王蜘蛛戦では見かけなかった。
そもそも図鑑には蜘蛛たちのスキル、能力値、生態までもが事細かく掲載されていた。
まして従者に至ってはそのものを生成してしまうスキルだ。
それらのことがたかだか遭遇したり戦闘したりするだけで可能になるはずがない。体内に取り込むくらいの条件があってようやく成立するスキルだ。
「つまり生きたまま取り込んだならどんな生物でも、元に戻せるんだよな」
《その通りです》
「だとしたら……それが条件だったならーー」
ページをめくる手が、動悸が早くなる。
既に逆戻しが始まっていて胸の辺りまでがショゴたんに戻ってきていたからではない。
似たような蜘蛛ばかりが並ぶがたまに別種の怪物もいる。それらはあの地下鉄で黙示録を発動させた時に食した骸の山ーー女王蜘蛛の餌たちだ。
おそらくショゴス化した時にまだ辛うじて生きていたものもいたのだろう。
だが今はそんなものはどうでもいい。
「……あった」
思わず漏れるうめき。
終わりの方のページでついに見つけた。見つけてしまった。
「本当にできるのか?」
《できます。条件はクリアしていますから再生可能です》
「この姿のまま?」
《多分》
「いやだがーー問題は人数制限かーーいやこれだけカロリーがあればーー」
結論から言えば、従者スキルの「人数制限が一体のみ」というハードルは案外簡単にクリアすることができた。
試しにバグ表示みたいになった余剰カロリーをぶち込むとLvを上げるごとに上限人数が増えていったからだ。
《従者がLevel(略)しています》
《従者がLevel10になりました》
《従者を下記の三つから選択して変質させてください》
更にはカンスト報酬で軍勢に変質させることで上限が一気に二十まで解除された。
これなら目標スコアである百万カロリーにも易々と到達できる。
あとは彼らのページを順番にポチりと押していくだけの簡単なお仕事だ。
たったそれだけでーー
《時間が経過しましたので自動選択が決定されました》
《兵種:ショゴス・ロードへの昇格を行います》
《かりそめの不死性が、えいえんのいのちに変質しました》
《魅了のまなざしを獲得しました》
《幻影のまなざしを獲得しました》
《支配のまなざしを獲得しました》
アナウンスと共に黒々としていたタールの海が明らかな変化を見せ始める。
ほんのりと健康に悪そうな青い輝きを放ち始め、赤黒い斑点模様からボコボコと何かが湧き出てくる。それは気味の悪い目玉のようでありギョロギョロと獲物を探るように忙しなく動いていた。
《御主人様、ショゴたんがヤバイです( ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾》
「分かってる」
僕の指先とほんの僅かな隙間を隔てた画面の向こう側にいる見覚えのある少年達がいた。
長銃を背負いながらふてくされた顔をしてそっぽを向いた犬耳少年、ヤンキー座りでピースサインをする笑顔の犬耳少年、何かを頬張りながらこちらを向いている途中の犬耳少年。
紛れもなくそれはスープになる前のキッズたちだ。
《押さないのですか?》
「……」
指が震えた。
殺戮衝動や黙示録のアイコンはあれだけ容易く押せたというのに。
ワンタップで人を殺すよりも何人もの命を丸呑みするよりも、ただ生き返らせることの方が遥かに忌避を感じるのは何故だろうか。
《押すのを止めますか?》
「いやそれはない」
僕はそう言い切って重たい指先をけれどしっかりと動かして操作を進めていく。
だがーー
「スキルが発動しない?」
決断が遅すぎたのか、そもそも昇格が始まった時点で手遅れだったのか。
《狂乱のささやきを獲得しました》
《懺悔のささやきを獲得しました》
《忘却のささやきを獲得しました》
《昏睡のてざわりを獲得しました》
《老化のてざわりを獲得しました》
《致死のてざわりを獲得しました》
ショゴたんのなんかチートっぽい感じのスキル獲得アナウンスだけが垂れ流され続けて、ずっと俺のターンになっていた。
それに併せてタールの海には目玉に引き続き新たなギミックが追加されていく。パクパクと何かを呟くような唇によく似た孔ができ、ウネウネとした蛸の脚に似た触手が生え始めている。
もはやあたりは混沌としすぎていて天かすと蛸足をぶち込んで泡立つ固まる前のタコ焼きに見えなくもなかった。
「……まずいな。連打しても何とも反応ないんだけど?」
《こちらの操作が軒並みキャンセルされてしまっています》
「何故?」
《黙示録の操作優先度の方が高いせいです》
「どうにかなんない?」
《設計者クラスのセキュリティクリアランスがなければ変更できません》
「ちょっ、脇の下までショゴス化してきたんだけどこれまずくない?」
《うーんʕ⁎̯͡⁎ʔ༄》
もうダメかと思われた矢先ーー
《不可視領域を獲得しました》
《冒涜の咆哮を獲得しました》
《貯蔵空間をーーザッ……》
《ーーザッーーザザッーー》
《上位管理者の介入により、ショゴス・ロードへの昇格がキャンセルされました》
《生存戦略の操作優先度が変更されました》
ふいに壊れたように鳴り響いていたショゴス関連のアナウンスがノイズ混じりになったと思ったらぱたと止み、タールの海の輝きと蠢きが僅かにトーンダウンする。
《御主人様Σ('◉⌓◉’)⁈》
「分かってるさ」
無論、この隙を逃す手はない。
慌ててタップ&フリックを繰り返して軍勢のスキルを行使していく。
《ユニットの生成を行います》《ユニットの生成を行います》《ユニットの生成を行います》《ユニットの生成を行います》《ユニットの生成を行います》《ユニットの生成を行います》《ユニットの生成を行います》《ユニットの(略)います》
原因は分からないがようやく軍勢のスキルが発動してくれた。
タップしてフリックする度にタールの海の輝きは薄くなり、触手が縮み、唇が閉じ、眼球が引っ込んでいく。
そして輝きや蠢きも落ち着いていきやがて辺りは静かに波打ち始めーー……
さて、どれくらいが経っただろうか。
いつの間にかあの冒涜的で名状し難いタールの海はどこかへ霧散していた。
代わりに何故か辺り一面には緑の絨毯が広がっている。
消費しきれなかったカロリーが土に還ったせいなのか小さな植物が芽吹きだし、それらがすごい勢いで成長して花や木々になっているのだ。
「もしかしたら池袋一帯が緑に埋め尽くされてないか?」
《一晩経ったらジャングル化してそうですねえ》
ただのジャングルならいいんだけどショゴたんの影響下にあるせいか育っている植物がなんというかまともではないんだよな。
ラフレシアみたいな巨大花とか、毒々しい色の人面瓜とか、ベロみたいな触手を垂らしたウツボカズラとか奇妙なのがかなり目立つ。あと気のせいか視界の端にゆさゆさ歩いてる立ち木もいる気がするけど何あれ。
だけど何よりも極めつけなのが目の前にある植物だ。
「クオヴァディスさんさあ」
《何でしょう》
「神への冒涜という言葉が浮かんできたんだけど」
《なんか中二病みたいで格好いい言葉ですね》
巨大な樹木ーー無数の根を生やしたマングローブのようなそれの遥か頭上の枝先には恐ろしく巨大な鬼灯に似た実が無数に成っていた。
葉脈だけを残した薄い外果皮の向こうに見える果実はまるで胎児のようなシルエットをしている。
成る程、人類は哺乳類ではなく植物だったのか、と勘違いしたくなる程に圧倒的な光景だ。
「道徳的観念ってなんなんだろうな」
《それは人間が食べられるやつですか? それとも犬の餌ですか?》
クオヴァディスさんの辞書には無い言葉だったか。
まあそうだろうなとは思っていたよ。
まさか死んだ奴らをーー正確には死んでなかったんだけども殆ど死んでる奴らを生き返すことになるとは思わなかった。
「殺したり生き返したり怪物になったりーー」
《後悔してます?》
「いやべつに」
まあこの行為がどんな大罪だろうとも僕は彼らをよみがえらせただろう。
勿論それは彼らの為ではこれっぽっちもない。彼らを殺した時と同じ理由で彼らをよみがえらせるのだ。
すべては生き残りカップラーメンを食べる為。その為ならもうこの手がどれだけ汚れようが構うものか。
「まあでも生命の重さってだいたいどれくらいなんだろうな。この池袋に来てから途端に軽くなったような」
《検索してみたら重さが書いてありました》
へえ最近はネットで調べればなんでも載ってるよね。
《どうやら魂は約21グラムだそうですよ?》
「軽いな。昔はもっと重かった気がするけどなー……命」
地球とおんなじくらい重い時だってあったのになあ。
《軽量化が進んで持ち運び易くなったのでしょう》
「さすがにグラムは軽過ぎるだろ。それだけ軽いとうっかり失くしそうだろ」
《だったら多少増やすくらいなら誤差の範囲内ですね^_^》
果実が熟すまで今しばらく時間がかかりそうだ。
ぼんやりと目の前の光景を眺めるくらいしかできることしかできそうにない僕らは、だから馬鹿馬鹿しい会話をひたすら続けてキッズたちの帰りを待つのだった。
u(•ㅅ•)u「……ふう何とか間に合ったね」
(◔д。ヽ◔౪°ノーд。)ノ 「くそがー、くそがー」
タイムリーにしてこれしかないサブタイ。
さて感想欄をご覧になっている方などはご存知かと思いますが実は第二章、一話まるまる飛ばしております。
白兎女史が超能力について解説してくれる非常にありがたい(別にあってもなくてもいい)回でした。
当初は「書籍版二巻が出せるならそっちでいいかなー」と思っていましたが出し惜しみして結果無駄にするよりは……という結論に至りました。
ということで
次の投稿は第六十四話「【百匹目の猿現象】となります
最新話ではないのでご注意を。「 生存戦略を進化させます」と「夜狩りの時間です」の間の回です。
そして次次回投稿は第二章エピローグ。




