ハゲ、愛なる紳士㊦
前回までのあらすじ!
おいおい、勘違いしてシリアスぶってんじゃねーよハ~ゲ。
空を駆けるワイバーンの鳴き声で目を覚ます。
肉体は凍えて筋肉が熱を保とうと、小刻みに震えていた。
水平線の向こう側には、朝日が顔を覗かせている。海水魚でも獲りに来たのか、五体のワイバーンが波打ち際に着地した。
この世界に降りたった際に見た個体よりは、幾分か小さい。まだ眠ったままのルーにスーツのジャケットをかぶせて、甚五郎が立ち上がる。
貴重な食材だ。
人を喰らうワイバーンは、ほとんどいない。おそらく砂漠で遭ったワイバーンは砂漠で遺体をついばみ、人肉の味をおぼえてしまったのだろう。
元々は臆病な魔獣だ。
だがゆえに――。
砂を踏みしめた瞬間、ワイバーンはこちらを向いて、二歩目を踏み出した直後には上空へと高く舞い上がってしまった。
そのまま遠く、遙か遠く。また海岸線に着地をして、魚を探すように海を見つめる。
甚五郎はため息をついた。
追っても無駄だ。弓がなければ捕らえることは難しい。あるいは、金狼リキドウザン先生やシャーリーの風精ほどの速さがあれば、可能かもしれないが。
「……じんごろー?」
「む。目を覚ましたか、ルー」
ルーが金色の髪を掻いて、不安そうに瞳を向けてきた。
「おお、いた。じんごろーも、ルーをおいていったのかとおもった」
その言葉に、胸がずきりと痛む。
昨夜の予想は、今の言葉で確信した。ルーは両親が戻ってこないであろうことを、もうわかっている。
甚五郎は無言で海とルーの間に座り、金色の髪を愛しげに撫でた。
「そのようなことはしない。食料を調達しようと思っただけだ」
ルーの顔が曇る。
「とうさんもかあさんも、そういって、うみに……」
しまった、と思う。
大あわてで誤魔化すべく、ルーをひょいと抱き上げる。
「ぬっふぅぅぅ……よぉし、朝の体操だ! ――羽毛田式愛玩術のひとつ、超☆絶☆高い高ぁぁ~~~~いッ!!」
「おお?」
力の限りに上空へと投げ上げた。ルーの身体がぐんぐん上昇し、上空十メートルほどまで到達し、唐突に浮力を失う。
「お、おおおぉぉ!? わはーっ」
落ちてきたルーをふわりと受け止め、男はさらなる力を込めて、ようやく笑ったルーをもう一度放り投げる。
「ソォォォォイッ!! ――ファァァ~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
「あははははっ、すごいっ、すごいっ」
ぐんぐん上昇するルーの身体が、上空十五メートルほどで一旦制止した――瞬間、先ほどのワイバーンの一体が、両足でルーの身体をワシっとつかんだ。
「あ……」
「おお?」
羽ばたくワイバーン。
海とは反対側の森方面へと飛び去ろうとするワイバーン一行を、甚五郎が死に物狂いで追いかける。
「あああああぁぁぁぁぁぁっ!?」
まずい! 食材にするつもりのやつに、ルーを食材にされてしまいそうだ!
「ンがあああぁぁぁ、貴ッ様ァァァ、待たんかァァァァァ!」
踏み出すごとに砂浜を爆発させ、甚五郎が必死の形相で疾走する。廃墟宿を通り越し、針葉樹の生い茂る林へと飛び込む。
しかしいかに人間離れしたこのハゲであろうとも、ワイバーンの飛翔速度には及ばない。地を駆ける人間は障害物を回避していかねばならないが、空を駆けるものはまっすぐに飛ぶことができるからだ。
「くぅ、この私としたことが、なんたる不覚!」
だが、あきらめない。この男は、決してあきらめないのだ。
苔むした岩に手をついて跳躍し、小川を飛び石で越えて、空を見上げる。ワイバーン一行は降りてこない。針葉樹が森ではなく林だったことで、視界だけはひらけている。
細い針葉樹をショルダータックルで吹っ飛ばした瞬間、目の前に突如としてオーガが現れた。
でかい――! あの砂漠で仕留めた個体よりも、ずっと!
オーガが牙を剥いた――が。
「どかんかぁッ!!」
右腕一本で脇腹を薙ぎ払う。
肉のたわむ――否、肉の爆発する破裂音が響いて、巨大なオーガの肉体が直角に曲がった。そのままきりもみ状態に吹っ飛んでゆく。
一秒後には、オーガは苔むした巨大な岩に背をぶつけて肉片と化していた。
ハゲは一瞥すらせず、ひたすら走る。
「ふおおぉぉぉぉぉ!」
得体の知れない魔獣を踏みつぶし、薙ぎ払い、蹴り飛ばし、樹木を張り倒し、まるで森林を伐採する傲慢なる重機のごとく、ひたすら突き進む。
針葉樹林がどんどんハゲてゆく。
だが、いくらも走らないうちに、ルーを抱えたワイバーンだけが、さすがに過重だったのか、徐々に高度を下げてきた。
「ルーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
「おお、じんごろー! しばらくぶりだなー!」
ルーがぱたぱたと手を振る。
おかしい。ルーは少しおかしい。だが無事だ。頭のほうは少々アレだから無事とは言えないが、それは私とて同じこと。
思考の混乱を振り払って、甚五郎が叫ぶ。
「ルー! そこから逃げるのだッ!!」
「おー?」
「私が受け止める! なんとか自力で飛び降りることはできんか!?」
二体目のオーガの鼻面に、昇天張り手を炸裂させ、仰向けに倒れ始めた顔面に片足をのせて踏み越える。
「わかったー」
高度はすでに針葉樹の高さにまで落ちてきていた。ルーは飛翔するワイバーンに背中をつかまれたまま、通り過ぎ様に針葉樹の太い枝に手を伸ばす。
無理だ、子供の力では――!
そう思った。
「よいしょー」
だが、ルーが枝をつかんだ直後、ワイバーンの飛翔がぴたりと停止し、勢い余って振り子のように、枝の周囲をぐるりと宙返りする。
それでもルーは手を離してはいない。
右手で枝をつかんだままなのはもちろんのこと、それどころか左手で、逆にワイバーンの片足をつかんでいたのだ。
唖然とした。
「えいー」
そうして枝を蹴って飛び降りると、己の肉体の何倍もの重量を持つワイバーンを片手で大地へと叩きつけながら着地をした。
どぱんっ、という肉の弾ける音が針葉樹林に鳴り響く。
「……」
「ルーをエサにして、ごはんをとるさくせんは、だいせいこうだったなー、じんごろー。ルーはおいしそうだからなー?」
「そのような危険なことをしたつもりはなかったのだが……。うむ、すまん」
そうして無邪気にニパっと笑う。
「あははー、うみにでるよりは、ずっといい」
金色の髪に覆われた額から覗く角は、紛れもなく魔人の血の混じった証だ。魔人の治めるゲオルパレスでは金色の髪が邪魔をして受け入れられず、人間の王が治めるシャナウェルではこの角と、そして魔人の力が邪魔をして受け入れられない。
「うみは、こわいからー」
ワイバーンに、すでに息はない。
そうか――。
ウィルテラとルーを繋いでいた両親は、もういない。
「じんごろー、もどろー。おねえちゃんたちもよんで、ワイバーンたべよー。ルー、きのうおみずもらったから、おれいしなきゃだ」
ルーが甚五郎の腕をつかんで引っ張った。
だが甚五郎は、ただ静かに口を開く。
「ルー。私はおまえを受け入れる。ウィルテラのように幸せには暮らせんだろう。おまえのご両親のようにもなれない。だが、おまえが帰ってくるだけの居場所にはなってやれると思っている。なにせ私は簡単には死なんからな」
左右の大胸筋をぴくりぴくりと交互に動かす。まったく意味はない。
「おまえのご両親が帰ってくるまで――」
「こない」
絶句する。見え透いた嘘は、あっさりと遮られた。
「こない。ルーはわかってる。ちいさなふねだから、こんなにおそくなるはずない」
「……そうか」
恥じた。ルーを子供扱いしてしまったこの瞬間を、甚五郎は恥じた。同時に失敗したと思った。
だが――。
「じんごろー、ルーはどうしたらいい?」
「私が決めることではない。だが、私はおまえの居場所になりたいと思っているし、おまえのご両親は、おまえに生きていて欲しいと願っていると思っている」
ならばこそ、いつものように突き放す。
ロックシティで客に囲まれた元娼婦に対し、言ってのけたように。冷たく聞こえるほどに。
「自分で決めるのだ。私たちは急ぐ旅だ。明日朝にはもう発たねばならない。魔人と人間と、そして私の大切なる長き友らの未来のためにな」
すべての決断を少女にゆだねるのだ。決して、後悔させぬために。
けれども、優しい笑顔で。
「こたえは明日でもかまわん。とりあえず戻ろう。シャーリーたちが心配する」
甚五郎がルーの仕留めたワイバーンを片手で拾い上げると、もう片方の手をルーがぎゅっと強く握った。
こたえだ。これが。
「…………じんごろー、すこし、ないてもいいか……?」
それは、涙で上擦った震える声だった。
甚五郎はルーをひょいと担ぎ上げると肩に座らせ、「あぁ」と小さな返事をした。
そうして大声で泣きじゃくる少女を連れて、針葉樹林にできたハゲた道を、ゆっくりと歩き出すのだった。
上空十五メートル=マンションの五階くらい。あかん。




