ハゲ、新たなる頭皮
前回までのあらすじ!
ようやく王都シャナウェルに到着した一行!
果たしてハゲは、カツラ装着の誘惑に耐えられるのか!?
「擬毛……か」
甚五郎が大きな掌で瞳を覆って歯を食いしばった。そうして苦しげに声を絞り出す。
「だが、シャーリー。そのような欺瞞に満ちたものを私にかぶれと言うのか」
銀色の髪の少女は、あわてて首を左右に振る。
「あ、あ、そんなまさか、わたくしはただ――」
「無辜なる人々を騙し、世界を欺き、母なる頭皮を蒸らし、長き友らの帰る地を奪う。そのような恥知らずな行為を、この私に勧めるというのか」
「あの、え……と、無理にとは……」
瞳を押さえたまま歩き出した甚五郎のあとを、女ふたりがあわてて追いかける。
「わたくしはそのままのジンサマをとてもステキだと思っています。けれどジンサマはいつも……その……髪の少ない頭皮のことを、少しお気になさっていらっしゃるようだから……」
「な――ッ!?」
甚五郎が立ち止まり、シャーリーを凝視する。
「……な、なんということだ! まさかシャーリーまでもが勘違いをしていたとは!」
直後に、太陽にあてられたかのようにフラリとよろけ、街路樹に手をついた。
「ジ、ジンサマ?」
「いいか、よく聞くのだ、シャーリー」
そうして甚五郎は大きな手で、シャーリーの両方の細腕をそっとつかみ、小さな身体をわずかに引き寄せる。
シャーリーの頬に朱が差した。
「あ……」
「私の頭皮は髪が少ないわけではないのだ。ただほんの少しだけ、額の面積が広くなっているだけだから」
大まじめな顔で。ただし、その瞳だけが動揺を映し出し、泳ぎまくってはいるものの。
「へっ!? えっ? え?」
あまりに意外過ぎた言葉に、シャーリーが目を見開くと同時だった。
アイリアが顔を背けて噴出する。
「んくぅッ!? ぷぶふぉ~~~っ! ふぁ……ふぁっふん、んん! ぅうん。うん。――あ、ごめんなさい。気にせず続けて? くしゃみが出かけただけだから」
言葉が終わる頃には真顔に戻っているあたり、さすがは元客商売といったところか。
石畳の中央を流れる小川は、静かなせせらぎを立てながら流れている。魚こそいないものの、足を浸して休んでいる民や、水をかけあう子供らの姿があった。
「そうか。そうだったか。そのような勘違いをさせてしまっていたとはな」
甚五郎が穏やかな微笑みを浮かべて、再び歩き出す。
「すまなかったな、シャーリー。額と頭皮の割合について、私はキミを騙すつもりはなかったのだ」
「あ、いえ、わたくしは別に……騙されてもいませんし……」
シャーリーが救いを求めるようにアイリアのほうに視線を向けると、アイリアは甚五郎が背中を向けているのをいいことに肩を大いに震わせていた。
「ンく! ぷふぉぉ~……ふぁ……ふぁふ……んふぉ……っ!」
「これをこのまま放っておけば、シャーリー以外のものをも騙すことになってしまうだろう。……くっ、やむを得んか。擬毛をかぶるだなどと、本来であればあまり気は進まぬが」
そうして甚五郎は立ち止まった。縁からもっさりと毛の生えた看板がかかった、ひとつの店の前で。
まるで、ショーウィンドウのトランペットを欲しがる少年のような目つきで。
けれども雄々しく堂々と叫ぶのだ、この男は。
「頼もう!」
数分後。
男は肩まで流れる長き黒髪に手を入れ、背筋の発達した背中へと流していた。
「ふむ。ジャストフィットだな。悪くはない」
「……ふぁ……ふ……っ……く……ン……ふふぁ……っ……ふぁ……」
女は表情だけは変えまいとして、真顔のまま半開きの口から微かな声を漏らしていたが、ご満悦顔の男はそれに気づかない。
「ふむ、風を感じる……。なんと心地の良い風か……」
穏やかな風に、ふわぁっと、男の擬毛がなびく。
「おっと、風で少々セットが乱れてしまったな。んふ~ふ~、んふ~ん~」
すかさず両手を髪に入れ、鼻歌交じりにすぅっと掻き上げる。持ち上がり広がった擬毛が、再び男の首筋を覆った。
シャーリーの全身を変な汗が伝った。少女は人知れず考える。
これ、どうしよう……と。
なぜカツラ屋のことなど話してしまったのか。そしてなぜ男は、よりにもよって長髪などを選んだのか。
軽い気持ちで余計なことなど言うべきではなかった。もしかしたら自分は、開けてはならない箱を開けてしまったのかもしれない。
なんか。なんか。
……すっごい気持ち悪ぅぅ……。
髪を得た甚五郎の容姿が、ではない。少女はそのようなことで人を遠ざけたりはしない。
だが、だがしかし。
「ふむ。新たな頭皮を得て安心したのか、少々腹が減ったな。シャーリー。すまないが、頭皮代に加えて昼食代も借りられるかね? ギルドに到着したらすぐにでも返すから」
「……あ……はい……」
「おおっとぉっ、またしても風が私の髪をさらうぅ~、ンフフ」
この浮かれよう。
餓狼のごとく噎せ返るほどに危険な臭いを放っていた漢の面影は微塵もなく消え去り、今やただのウカレポンチの中年男だ。
無意味に頭を振って髪を流しているあたり、むしろ見ていて腹立たしい。
ウカレポンチの中年男はできもしないスキップを踏みながら、吹き抜けとなった一階フロアで食料品を売っている店へと向かった。
「ぷぶふぉぉ……ふぁ、ふぁふぁ~~~っ!」
その後を腹を押さえて身をよじりながら笑うアイリアが続き、最後にため息をつきながらシャーリーが追いかける。
店先では、甚五郎がすでに注文を始めていた。
「店主。今日この良き日にミノタウロス肉を挟んだパンを三つと、山羊のミルクを。それと……おおっ、ひとつだけ残っていたか! このカレー味のするリンゴを頼む。パンには実に合うのだ。シャーリーとアイリアはどれにする?」
そのときだ。
振り返った甚五郎と、威圧感を放つ黒色の鎧を着込んだ騎士の肩が、わずかに接触したのは。
シャーリーが目を見開く。
「近衛騎士……ッ」
甚五郎が黒騎士に笑顔で謝った。
「おっと、すまないな。今のは私の不注意だ」
「……」
他の王国騎士らとは違い、兜は装着していない。アッシュグレイの髪と、同色の瞳。赤のマントを翻し、黒騎士は甚五郎に視線をやった。
否、甚五郎にではない。甚五郎の手にある、カレー味のするリンゴにだ。
騎士は無言で甚五郎の手からカレー味のするリンゴを奪い取ると、痩せた店主に見せるかのように持ち上げ、言葉を発した。
「おい、店主。もらうぞ」
「あ……お代……は……?」
「俺はもらうと言ったのだが」
「あ……! へ、へい!」
店主がわずかに脅えた表情で、頭を下げる。
「む、待つのだ。それは私が先に手にしたものだぞ。それに、金がなくば店主が困ろうというもの。フ、今日は特別な日だ。少々惜しいが、私は譲ってやるゆえ、取り置きをしておいてもらって、出直してくるといいぞ。――それでいいか、店主よ?」
「へ? あ、いえ、あっしは別に! あっしどもの店のものなどを近衛騎士様に欲しいとおっしゃっていただけるなら、喜んで差し上げますんで!」
店主があわてて取り繕う。端から見ても、無理をしているのがわかってしまう。
だが、黒騎士はまるで甚五郎や店主など視界にも入っていないかのように振る舞い、リンゴを持ったまま立ち去ろうとした。
その肩に甚五郎の手がのせられる。
「ジ、ジンサマ、だめ! アイリアさんも止めてください!」
「え~、めんどい。あと、どうせ無理っしょ」
アイリアが面倒くさそうに顔の前でぱたぱたと手を振った。
鎧の肩に置かれた甚五郎の手に力が込められる。
「気に入らんな。おい、こっちを向け。今、貴様に話しかけているのは私だ。私の目を見ろ」
それは突然の出来事だった。
黒騎士がわずかに頬に笑みを浮かべると同時、振り返り様に甚五郎の顔面へと、カレー味のリンゴを投げつけたのだ。
甚五郎の額にぶつかった果実が四散し、欠片となって店の前の石畳の通りに散らばった。
「俺に触るな、下民風情が。鎧が穢れる」
ずれたカツラが、するりと甚五郎の肩を伝って地面に落ちた。
あわてて拾おうとした甚五郎の手よりも早く、黒騎士に抜かれた剣がカツラを貫いて石畳へと縫い付ける。
「……!」
刃に切断された無数の擬毛が、風にのって散ってゆく。
遅れて甚五郎の額から真っ赤な血液が流れ落ち、滴となって石畳で爆ぜた。
「ふ、くく。なんだ、これは。くだらんものをかぶりおって、このハゲが」
カツラを貫いた剣を高く持ち上げ、黒騎士は街の中央を流れる小川へと振った。破れたカツラが水に落ち、押し流されて消えてゆく。
甚五郎の筋肉が音を立てて肥大化した。
餓狼のような瞳が、否、悪鬼羅刹のごとく禍々しき表情が、ゆっくりと持ち上げられる。
「……フーッ……フーッ……!!」
いつの間にか、周囲にいた買い物客や小川で遊んでいた子供らの姿もない。誰もが遠巻きに見ることすらせず、姿を隠してしまった。
当の店主ですらも。
この都市に住むものは、誰もが口をそろえて言う。
黒の騎士には逆らうな、と。
だが。だが、この羽毛田甚五郎という男にはいささかも関係のないことだ。
そう、たとえばその不文律を知っていたとしても、この男には関係がないのだ。
「――ぐっっっおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」
咆吼。件の金狼が上げるものよりも、さらに大きく。
甚五郎が吼える。空間を震わせ、風の流れを変え、街路樹の葉を吹き飛ばし、流れに逆らって小川を波打たせ、なおも吼える。
この段にいたり、ようやく黒騎士の表情が変化した。
本能的に身をすくめて両手で耳を塞ぎ、歯を食いしばりながら片目を閉じる。
「な、なんなのだ、こいつは――ッ」
無意識だろうか。咆吼の勢いに圧されるかのように、黒の足甲が石畳をわずかに下がった。
ようやく咆吼を止めた甚五郎が、臓腑の底から声を絞り出す。
「……よくも、やってくれたな……ッ」
「く、この蛮族がッ! 黙れッ!」
黒騎士が剣の切っ先を甚五郎へと向けた。
だが、甚五郎は退かない。それどころか切っ先へと向けて、自ら一歩前へと踏み出した。
怒りに満ちた真っ赤な顔で、その全身から大量の白煙を噴出させながら。
「貴様が、今、無慈悲に貫いた私の頭皮は――ッ」
だが、言葉が終わらぬうちに、シャーリーが甚五郎の身体へと飛びついてその前進を食い止めた。
「だめ、だめです! ジンサマ!」
「下がっていろ、シャーリー!」
「お願い、お願いですから、近衛騎士とは関わらないでください!」
懇願する瞳。その尋常ならざるその様子に、甚五郎の気勢がわずかにそがれる。
「シャーリー? いったいどうしたというのだ?」
黒騎士の視線が、初めて男の連れていた少女へと向けられた。
直後、アッシュグレイの瞳が、大きく見開かれる。
「……シャーリー? ……シャルロット姫……様?」
その場にいた全員の視線が、銀色の髪の少女へと注がれた。
や、それ、頭皮じゃないから……。




