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雨が泣くのを誰が知る  作者: 小鶴
第一章 降る降る雨が、ほろほろり
7/11

7 雨募るように









 時雨は窓に耳を寄せながら、外から聞こえてくる音に耳を澄ました。ざあざあと土砂降りの雨音に混じって、かすかに人の話す声が聞こえてきていた。

 時雨の心臓はゆっくりと、しかし確実に大きく速く、音が高鳴っていく。



「なにやってるの?」



 顔をあげたユチカが訝しむような声をだす。けれど時雨には、ユチカの声が耳に入らなかった。時雨は外から聞こえてくる声を聞きとろうと必死になっていた。



“いたか?”

“いない。次はこの家ね”



――――私はこの声を知っている。



 一組の男女の声。時雨の顔から血の気が引いた。雨の中に混じっている声でも、否、雨の中に混じっているからこそ時雨はその声が一体誰なのかが分かった。

 時雨の頭に、記憶が鮮明に蘇る。

 追いかけられた恐怖。掴まれた手の厚さ。飛んでいった傘。私を追いかけてくる背の高い女。ガタイの良い男。


 今まで話していたことも一瞬のうちに時雨の頭から消え去っていき、じわりじわりとあの時の恐怖が時雨の中へ染み出して来ていた。



“この街にあの女がいたって証言は出てるんだ”

“まったく、どこへいったのよ”




――――私を探している?




 そう気がついた瞬間、時雨の心臓の音の高鳴りがピークに達した。内側から胸を叩かれているような感触に時雨は思わず自分の胸を抑えた。二人にこの音が聞こえやしないかと不安になって、時雨はどうにか自分の心臓を落ち着かせようとした。


 声は少しずつ近づいてくる。雨の中を歩く二人の姿が窓の隙間から見えるようになっていた。

 外から見えてしまってはいけないと、時雨は部屋を明るくしていた蝋燭を引き寄せ慌てて吹き消した。 途端に部屋の中が暗くなる。


「どうしたの」


 そう言って駆けよってきたユチカが何か言いかけたのを見て、時雨はその口を自分の手でふさいだ。目を白黒させるユチカに向かって、喋るなと言う意思表示を込めて首を横に振る。

 窓の隙間から下を見る時雨の視線の先にユチカも気がつき、不思議に思いながら二人の人間を見た。


 二人の男女は傘を差しながら話し込んで歩いている。暗がりで傘の色が何色かは分からなかったが、その傘には白色で何か模様が描いてあるのが見て取れた。

 象形文字のようなその模様を見止めると、途端にユチカの表情が険しい色を帯びた。そしてユチカの手が素早く伸び薄く開けた窓は音もなく閉じられた。驚いて時雨がユチカの顔を見上げる。

 小さな小さな声で、ユチカが時雨に尋ねた。


「シグレ、君はあの二人と知り合いなの?」


 まるで二人と知り合いであることを咎められるような言い方のその問いに、今度は時雨が表情を険しくした。


「ユチカは、あの二人を知ってるの?」

「知っているわけじゃない」


 歪めた顔のままユチカが続けた。


「けれど、あの傘に描かれていた紋章」


 傘、と言われて、時雨はその傘を思い起こした。二人の声ばかりに注意を払っていたせいかあまりきちんと覚えていなかったが、円のような模様が描かれていた。


「あの傘の紋章こそ、エニアラ教の上位神官の証。水の神の神殿に関わっている証拠だ」


 僕の敵かもしれない人間だ。ユチカのそのセリフに、と時雨は心の中でまさかと呟いた。そんな偉い人間が、時雨を追いかけた挙句に攫おうとしたのか。一体何の目的で?








 リリン。


 そのとき家の玄関に備え付けられている鈴が鳴る音がした。もう夜も更けている時間帯に普通鳴るものではない。時雨はバッと顔をあげた。先ほどの会話から分かるように、彼らは家々を回って時雨を探している。

 声が聞こえなくなったからか雨音が遠ざかったからか、時雨の心臓は少しだけ落ち着きを取り戻していた。しかしそれは、時雨の緊張が弱まったという証拠にはならない。

 呼び鈴に答えようと部屋のドアを開けたユチカの服の裾を、時雨はとっさに掴んだ。




「私はここにはいない……!」


 時雨の口からとっさに出てきたのはその言葉だけだった。時雨の言いたいことをユチカは理解できなかったらしく、どういう意味だ、と聞き返す。


「あいつらに、攫われそうになった……」


 不安によってか、時雨の声はか細かった。それでもその尻すぼみしていく言葉をユチカは聞き取ったようで、驚きと疑問の色を顔に浮かべた。




 リリン。


 もう一度呼び鈴が鳴らされた。ラミノの部屋のドアが開く音がして、僕が出るよ、今行きます、と大声でユチカは言った。ラミノに先に行かれては時雨のことを言ってしまうだろう。ユチカはちらりと時雨の顔を見た。


「僕に任せて」


 ユチカは時雨にそう告げると部屋から出て行った。二階にある時雨の部屋を出たユチカが階段を下る音や玄関を開ける音を聞いて、時雨もそっと部屋をでた。

 ラアンもドアの隙間から顔を出して不思議そうな顔をしていたが、ユチカが行ったのを見て部屋の中に引っ込んだ。

 時雨は足音を立てずに歩くと、階段の上から耳を澄ました。男の声は大きく、時雨の居る所まで容易に聞こえてきた。



「夜分遅くに済まない。急ぎの用なんだ。俺はエニアラ教神官のオーレムという。黒髪黒目の、変わった服装の少女を見なかったか?」

「変わった服装?どのような」

「身体に張り付いているような青色のズボンを穿き、上半身はニスクの花のような薄いピンク色の服を着ている。昼間この街を歩いていたと証言がでているんだ」


 ユチカは時雨の服装を頭の中に思い描いた。確かに時雨はそんな服装をしていた。とは言っても見たから分かるのであって、もしも時雨に出会う前だったら身体に張り付いているようなズボンというものが想像もつかなかっただろう。

 どう台詞を返せば自分に都合の良い答えが返ってくるのかと思案しながら、ユチカは口を開く。


「張り付いたような、ですか。僕は見ていません。その人がどうかしたのですか?」

「重犯罪人だ」

「重犯罪人……?」

「水の神様への冒涜罪だ」


 ユチカは男、オーレムの言葉に暫く返事を返さなかった。いや、返さなかったというよりは返せなかったという方が正しいだろう。



 ユチカは絶句して、言葉が出なかったのだ。





「……冒涜、ですか?」


 一応の聞き間違い、言い間違いの可能性も考えてユチカはオーレムに聞き返した。あまりの驚きで、言葉はゆっくりと慎重に喉から生まれた。

 先ほどまではどうにか自分の聞きたい話を聞いてやろうと思っていたのに、今ユチカはそんなことを忘れて口をきいていた。


「驚くのは分かる。冒涜罪はめったにないことだからな。しかし四日前のことだ。神殿で罪を犯し、そして神官の手をすりぬけて逃走した。見かけたら近くの神殿の神官に報告してくれ」

「……わかりました」


 その台詞を合図にオーレムは扉の外側に戻っていった。ドアに付けられた飾りが揺れるのを見ながらユチカは大きく息を吸い、そして長い時間を掛けてそれを吐きだした。

 階段を上がっていくと、その一番上で時雨が待っていた。眉間の皺はどうやら不安から来ているらしく、今にも泣きだしそうである。

 人を探していたらしいよとだけラミアに告げに行くと、ユチカは時雨の部屋に戻った。


「冒涜罪ってどんな?」


 どうやら時雨は会話をしっかりと聞いていたらしい。部屋に入ってすぐに時雨がそう聞き、ユチカは顔をあげた。



「冒涜罪」



 ユチカは舌の上でその言葉を転がした。言い慣れない言葉だ。時雨の視線を受けながら、ユチカは口を開いた。



 冒涜罪。


 その言葉が使われることはまれだ。前回にその罪が問われる事件が起こったのはユチカの記憶が正しければ二年前だった。それも国の東端に住む男が冒涜罪を犯して捕まったというのを風の噂で聞いただけのことである。

 そしてその罪の内容は、誰にも知らされることはない。ただ冒涜罪と言うその名前だけがふわふわと、人々の恐れるものだという感覚を伴って国中に散らばっているだけのことだった。


 ユチカが知っているのは、冒涜罪はこの国で一番重い罪であり、その罪を犯した者は生きることも死ぬこともできない世界へ飛ばされるのだと、学校で習ったそれだけである。

 水神様の悪口を言っただけであったり、神官を笑い物にしても冒涜罪にはならない。それくらいのことなら罪に問われることのほうが少なく、問われても侮辱罪である。

 水神様や神殿の儀式を邪魔したり、もしくは神殿を破壊したりする行為であったり、明らかに反水神派の人間がやったと思われる行為であっても不敬罪とみなされるはずだった。それほどまでに冒涜罪と言う罪は、重たい。



 けれども、時雨が罪に問われているのはその冒涜罪でなのある。






「何だそれ……」


 時雨が明らかに困惑の色を目に宿して呟いた。私何もしてない。時雨はそうも言った。


「分かってるよ。あの男、オーレムは四日前に、と言ってた。その時まだ君はこの世界にはいなかった。三日前に光の中から現れたのを僕は見てるんだ」

「そうだよね。そもそも私、あいつらに追いかけられたせいでここに来たのに」

「え?」

「あれ?私言ってなかったっけ」


 時雨はユチカにここに来るまでの経緯を語った。雨の道。背の高い女。逃げる。追いかけられる。捕まる。逃げる。光に飛び込む。



――――本当なのか。



 ユチカはそれを聞き終えてすぐにそう呟いた。時雨の言葉を疑ったのではない。その話の内容に驚きが隠せなかっただけだった。


「じゃあ、オーレムたちは君の世界にいたの?」


 ユチカの質問を聞いて、時雨もはっとしたようだった。そうなのだ。この世界では、異世界に行けるのはごく限られた神官のみ。


「……世界を飛び越えられる、すごい神官?」

「その可能性は、高いね」


 時雨の言葉にユチカも同意した。上位神官か、もしくはその神官に強いつながりを持った人間か。それ相応の地位にいる人間に間違いはないのだろう。その人間が時雨を探し、あまつさえ重罪中の重罪だと嘯いてまでいたのだ。


 ユチカは考えていた。まじない師の預言。エニアラ教の闇。光の中から現れた異世界の女。少女を追いかけるエニアラ教の神官。




――――つながっているのか。









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